◇第五十七話:おしおき(拷問)

「うえ゙ぇ……ぎぼぢわる゙い…………」


 場面転換により男が去った牢屋の中。責め苦から解放されたシヅキは腹部を押さえながらその場に蹲り、胃液を口から垂れ流していた。

 責め苦によって減少したHPや傷付いた身体は場面転換の時点で回復しているが、与えられた痛みは後を引いている。殴打され続けた腹部はじんじんと鈍く痛み、内臓を圧されたことによる不快感や吐き気はシヅキを苦しめ続けている。


「うぅ……〈セルフヒーリング〉……〈セルフキュア〉……ゔぁ゙~……治んないぃ…………」


 こんなときのための回復手段も、封魔の首輪によって発動が封じられていては意味がない。

 攫われた際身ぐるみを剥がされたという扱いなのかインベントリの使用も封印されており、回復薬で代用することも不可能だ。


「おお゙ぉ…………後に引くぶん下手に殺されるよりキツいかも……! あ、やばっまた波が……げぽっ」


 シヅキは小さく丸まり震えながら痛みが治まるのを待つが、不意に強い不快感の波が押し寄せ、堪えきれずに吐瀉物を吐き出す。


「あ、吐いたらちょっと楽になった……。ふぅ~…………」


 自らの吐瀉物で汚れた床を避け、シヅキはごろりと横になった。その表情は未だ痛苦に歪んでいるが、瞳は爛々とした輝きを湛え、唾液で濡れた口元は狂気的な弧を描いている。

 そうだ、これこそが自らの望む痛苦だ。ただ痛みを与えるだけで終わりなど生温い、苦しみは深ければ深いほど、長ければ長いほど良いのだ。

 状況から見て、おそらく捕縛時の罰則は捕まった回数、あるいは資料の保有数によって変化している。最初の仕様確認時には特に変化がなかった辺り、後者の要因、あるいは双方の複合といったところだろうか。

 そうであるならば。資料全てを揃え、拘束を脱し、その上で捕まった際には一体どのような────


「──あぁ、いけない。この先を想像するとどうしても頬が緩んじゃうな……。まぁ、それでも自ら痛苦に身を投げるなんてそれこそ興覚めもいいところだし。あくまで真面目に攻略しなきゃね…………ふふ」


 シヅキはゆるりと立ち上がり、その場で身体を解し始めた。腹部の痛みは未だに後を引いているが、これのせいでパフォーマンスを損ない資料捜索に支障が出てしまっては困る。

 最終的には強敵との戦闘が想定されるのだ、痛みが残ったままの活動にも今のうちに慣れておかねばならない。


「いでででで……伸ばすとまだ痛いな~。……ふぅ、よし。行くかぁ」



    ◇◇◇


(たる、たる、た~る……おっ?)


 こそこそと見回りの目から逃れながら施設の探索を進めるシヅキ。未探索の部屋の前をうろつく見張りをやり過ごすために近場にあった樽を持ち上げたところ、先ほどまで樽の置いてあった床にきらりと光る何かが落ちているのを発見した。


「……鍵? なんでこんなところに────」


『……ん? なんの音だ?』


 樽に隠されるようにして置かれていた鍵に触れると、手錠ががしゃりと音を立ててその場に落ちた。

 シヅキの両手は自由になったが、その際に思わずあげてしまった疑問の声に釣られ、近くに居た巡回者がこちらへ向けて歩いてくる。


(やっば……たーる!)


『……うん?』


 シヅキは急いで底の無い樽の中に隠れた。だが、近くまでやってきた見回りの男は今までとは違う台詞を発し、樽の至近にまで近づいてきているようだ。すぐ近くから足音が聞こえる。


(えっなんでなんでなんで!? 今まで樽に隠れてれば大して近づいてこなかったじゃん! どうして────あっ)


 樽の中、閉じた空間でシヅキが焦って周囲を見回す。この樽に覗き穴のようなものはなく、外界の様子は中からでは伺い知れない。

 危機が迫っているにもかかわらず様子や理由が分からないという状況に、シヅキの恐怖心が否応なしに刺激される。だが、追い詰められ高速で回転を始めたシヅキの頭脳が、奇跡的に一つの回答を導き出した。


(手錠か!!)


『ん? これは……。そこで何をしている!』


 巡回者は先ほどシヅキの手から外れた手錠────おそらくは樽の外に落ちている────に反応しているのだ。だが、その答えに至った瞬間、無情にも巡回者から発見された際の台詞が発された。


「初見殺しが過ぎるでしょ!! やめっ……あだだだだ!」


 シヅキは叫びながらも樽から飛び出し、破れかぶれの逃走を試みる。だが、高速で動く巡回者に瞬く間に取り押さえられてしまった。

 さもありなん、このクエストの主題はスニーキングであり、発見された時点で挑戦としては失敗なのだ。端から逃走できるようには設定されていない。


「おっ……同じの二回目は普通にいやだー!! せめて違うシチュを────」



    ◇◇◇


「お゙ぇ……じぬ゙ぅ…………ごぷっ」


 小さく縮こまったまま涙と吐瀉物を垂れ流し、シヅキは牢の床に伏せぷるぷると顫動していた。


「ぁ゙~……二回目だからかちょっと慣れたな……げほっ。いてて……なんか手錠復活してるし…………」


 シヅキが二度目の責め苦を受ける原因となった、彼女の両手を繋ぐ手錠。捕まる直前に外したはずのそれは、今のシヅキの手をしっかりと捕らえ動作を制限していた。

 これはつまり、もし鍵を見つけて外すことに成功しても、一度捕まってしまえば拘束具は再び装着されるということだろうか。


 シヅキは自らの身体を労わるように、ゆっくりとした動きで立ち上がる。

 次こそは見つからずに探索を行わなければ。流石に三度目は御免被りたい、同じ痛苦は面白味に欠けるのだ。



    ◇◇◇


「お、鍵の場所は変わらないのね。えぇと、樽の中に隠して……被るのはもう一個の方かな」


 先ほどシヅキが捕縛された場所まで戻り、確認のために底の無い樽を持ち上げる。すると、そこにはきらりと光る小さな鍵。

 捕縛された場合拘束具が再度装着されるが、鍵の位置自体は変わらないようだ。ゲーム的な都合……というよりは、難易度が高くなりすぎないための設計だろう。

 シヅキはその場に落ちた拘束具を樽で覆い、そのまま別の樽を被り巡回をやり過ごす。そして樽を両手で抱えたまま、素早く部屋の中へ滑り込んだ。


「おっ、光ってるとこあるじゃーん。これで……五つ目?」


 棚の引き出しを素早く確認した後、資料に目を通すのも後にしてシヅキは樽へと潜り込んだ。しばらくすると、入り口の扉が軋みながら開く音。それに続き、誰かが入ってくる足音もした。


(うーん、部屋の前に居た奴の巡回ルートは部屋の外だけで完結してたはずだし……たぶんこれも初見殺し要素の一つかな)


 シヅキは樽の中でじっと身を潜め、努めて音を立てないよう静かに待ち続ける。それから少しして、先ほどと同様扉の開閉音が響き、足音が遠のいていった。


「ふぅ、セーフ。で、資料の方は~……?」


 シヅキは樽と資料を抱えたまま扉の影となる位置へ移動し、何時でも樽に隠れられる状態で資料に目を通し始めた。

 五枚目の内容は『大いなる神は頭部に神々しい宝玉を携えており、その数多ある肢は失われてもいくらでも再生が可能らしい』というもの。これはつまり────


「わかりやすい弱点部位だぁ。で、肢については切り落としてもあんまり意味はない、と。……でも『大いなる神』って秘密宗教が内々で崇めてるだけの存在だよね? なんで肢を再生できるなんてことが知られてるんだろう……」


 青髪の店主の言が正しいと仮定するならば、現状この教団について外部で把握している者はほとんどおらず、更に『大いなる神』について知っているのはここの教団の人員とシヅキくらいのはずだ。

 そして、シヅキは教団の内部資料を盗み見た結果偶然その存在を知っただけであり、実際にそのものを見た訳ではない。目にしたことがあるのは教団の人間だけだろう。

 であるならば。いくら再生可能とはいえ、仮にも神格と目されるような強大な存在が『肢を失う』などという怪我・・を負ったことがある、しかもそれが信者に知られているというのは、かなり不自然ではないだろうか。


「罠? でも内部資料にわざわざそんなトラップは用意しないよね……。書かれ方も『無から有を生み出す神の御業』って感じだし。うーん、ゲーム的なヒントってだけなのかな……」


 違和感はあるが、この資料だけではどうやっても判断は付かない。それに資料はまだ一つ残っている。そちらに書いてある情報によってこの疑問が解消されるということもあるかもしれない。

 今はひとまず置いておいて、資料探しを続けるべき────シヅキはそう判断し、次なる資料と鍵を求めて部屋から抜け出した。


『そこで何をしている!』


「オワー足音聞くの忘れてた!!」


 だが、部屋から出た途端横合いからやってきていた見回りの男に発見され、シヅキはあえなく捕縛されることとなった。


『貴様、何を持っている!? ……もしや叛徒か!?』


「おっ、台詞変化……あっしまった資料持ったままだ。なるほど、そういう分岐も────」


 言い終わる前に場面転換が生じる。シヅキの目に映ったのは、いつもの牢屋──ではなく、様々な道具・・や拘束具が並び、壁や床のところどころに黒い染みの付着した不気味な風景。

 言うなれば、そう────


「……拷問部屋? そっか~……。遂にこういうレベルに…………だいじょぶかな、わたしこれ耐えられる? ……途中で失神してやられたことほとんど覚えてませんとか、そんな最悪なことになんないよう頑張って耐えないとな~……」


 今のシヅキは拘束用の椅子に座らされ、全身を縛られ完全に身動きが取れないようにされている。拘束は指の一つ一つにまで及び、大きな肘置きにぺたりと固定された手は、いくら力を込めても指一本動かすことができない。

 潜入者への尋問というていなためか顔や口だけは特に覆われてはいないが、これでは気休めにもならないだろう。


「裸で椅子に拘束されてるとなんか別のものが始まりそ────あっ……どうも?」


 シヅキが動かない頭の代わりに視線だけを巡らせて辺りの様子を観察していると、シヅキの背後でがちゃりと音が鳴り、どこかで見た覚えのある筋骨隆々の大男がシヅキの眼前へ現れた。

 相変わらず麻袋を被っており、その表情は見ることができない。


「きみが尋問役なんだよね? ……ちゃんと情報聞き出せるの? というか、そもそも無口な人に尋問ってでき────ぃ゙い゙ぎい゙ぃ゙ぃ!!」


 馴れ馴れしく喋りかけるシヅキを無視して、大男は手に持った金槌を振り下ろす。

 その無造作な動きに反して、金槌は狙いを違わずシヅキの左小指へ向かい────その細い指をあっけなく叩き潰した。


「い゙っいい゙ぃいだっいだい゙っ! やっ、あっ、ああぁ…………あ゙ぁ゙っ!? あ゙っ! あ゙ぁ゙っ!」


 予兆すらない突然の攻撃。凄まじい激痛にシヅキは絶叫し、全身を抑える拘束を軋ませる。少しでも痛みを逃がそうと悶え震える。

 だが、今のシヅキはステータスの恩恵すらないただの少女だ。その身を縛る拘束を破壊する力などなく、身をよじり痛みを誤魔化すことすら敵わない。


 そして、大男舞台装置にとっては対象の反応など一切考慮する必要はない。侵入者──スパイへの尋問という体裁を取ってこそいるが、これはあくまでスニーキングに失敗した対象へのお仕置き罰ゲームなのだ。情報を引き出すという目的がない以上、尋問対象シヅキの動きを待つ必要性も存在しない。

 再び金槌が翻り、今度は左手の薬指へと叩き付けられる。痛みに震えている最中に更なる追撃を受け、シヅキはただ声をあげることしかできない。そして、声を出す以外のあらゆる動作は今のシヅキには許されていない。


「ん゙ぎぃい゙っ! い゙っ、ひぃっ、はひっ……や、やめっ────あ゙あ゙ぁぁあ゙!!」


 そして、間髪入れずに更に二撃。


 尋問開始からたった十数秒。それだけで、シヅキの左手は親指以外の全ての指がぐちゃぐちゃに潰れ、手としての機能を喪失した。

 激痛に震えながら涙を流すシヅキ。大男はそれを一顧だにせずゆっくりと体勢を変え、背後を向いてごそごそと何かの作業を行いだした。


「はっ、はぁっ、は、ひぃっ……! しゃ、喋ります! わたっ、わたしの知ってること、ぜんぶ喋ります! せ、『赤杖雑貨店』の店主に依頼を受けてっ、そ、それで情報を探るために来たんです! その、し、資料を撮ったカメラがあるからっ、それ、それも渡しま────あ、ぇ?」


 ほんの少しだけ生じた空白の時間。シヅキはそこに光明を見出し、痛みに苦しみ、舌を縺れさせながらも必死に知っていることを話してゆく。

 それを耳にした途端に大男がシヅキの方へ振り向いたことで、シヅキは救いを見つけたかのように笑みを浮かべるが────大男がその手に持った物を見て、その笑顔は凍り付いた。


 大男が携えているのは、錆の浮いた、如何にも切れ味の悪そうな小型ののこぎり

 そう、大男がシヅキの方を向いたのは話に興味を示したからではない。単に使う道具の準備を終え、次なる作業・・を行うために作業対象の方を向いただけに過ぎないのだ。


「は、話した! 話しました! 話したのにいぃ!! もう無理ぃっ! やだやだやだ────あ゙っ!ああ゙ぁっ!ああ゙ぁ゙ぁぁ゙!!」


 シヅキの傷一つない白魚のような手に錆びた刃がぴたりと宛がわれ、四本纏めてざりざりと肉を削り切っていく。

 部屋には絶叫が響き、シヅキを抑え込む拘束帯が軋みをあげる。だが、その音響は大男舞台装置にとっては何の意味も有さない。思考力を持たない機構に良心の呵責など起こりはしないのだ。


 ざり、ざり、ざり。荒い切り口は悍ましい激痛をシヅキにもたらし、しかし絶え間なく襲い来る痛みは気を失う事も許してはくれない。


「あ゙っ、あ゙っ、ああ゙ぁ゙っ!! は、ぁ゙………っ!」


 ごり、ごり、ごり。元より錆びついて鈍っており、その上血にまで濡れた刃では細い指の骨であろうと断つのは難しく、しかし指を全て断ち切るまで大男の動きが止まることはない。


「……っ! …………っ!!」


 喉を振り絞る絶叫では痛みを和らげることもできず、しかし黙って耐え忍べるような生易しい痛苦でもない。シヅキは呼吸すら忘れ、襲い来る激痛にただただ声なき叫びをあげ続ける。


 溢れる涙や唾液が顎を伝い、それすら乾いて喉が痛みを訴えだした頃。ようやく四指が切断され、シヅキは痛みから解放された。

 だが、シヅキの憔悴しきった頭では最早物事の判断はまともにできない。

 大男が立ち去る姿を焦点の合わない目が捉え、それが意味すること──この痛苦に塗れた尋問の終わり、それを喜ぶでもなく浅い呼吸を繰り返している。


 そして────視界が暗闇に変わり、見慣れたスタート地点の風景に切り替わる。

 拘束から脱したシヅキは、五指の揃った両手を見るや胸に掻き抱き、暫くの間安堵の涙を流し続けていた。


──────────

Tips

『お仕置きモード:補足』

 違反行為のうち『度重なる捕縛』はあくまでも"逃げ出した贄"に対しての罰、という形式になるため、肉体の重篤な損壊を伴う行為は行われないようお仕置き内容には制限が設けられる。

 だが『資料の持ち出し』などその他の違反行為の場合、贄ではなく侵入者として扱われる……というテイでその制限が撤廃される。

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