◇第五十八話:潜入任務とは一体……
牢の中、冷たい石の床に少女がくたりと倒れている。
その顔には涙の痕。天井に吊るされた光源に両手をかざし、まるで自らの指の所在を確かめるように五指の曲げ伸ばしを繰り返していた。
「ぐすっ…………はぁ~……。いやぁ、酷い目に遭った……。拷問ってほんとに辛いんだなぁ。一瞬で心が折れちゃったよ」
先ほどまで凄惨な拷問を受け泣き崩れていたとは思えない、能天気な声が響く。
実際のところ、シヅキが立ち直るまでにはゲーム内時間で二時間半を要している。だが、それを見ていた人間は居ないのだ。
誰にも見られていない以上、醜態を晒したということにはならない。シヅキはそう自分を納得させ、まるで痛痒を感じていなかったかのように振る舞うことにしたのだ。
「ま、受容できるような生ぬるい痛苦なんてわたしとしても望んじゃいないし。心が折れるくらいのことはしてくれないとね~。……はぁー、よし。クエストの続きをやらないと……」
思えばひとつのクエストに随分と時間を掛けてしまっている。『装飾品の制作依頼』というクエスト報酬が、『失った強さを取り戻す』目的に丁度合致していそうなものだったからこそ受けたのだ。
本来の実力を発揮すればシヅキの敵にはならないような、そんなただの
シヅキは棚の上の穴を使い牢から足早に抜け出していった。
◇◇◇
「……むむ、あの部屋、扉の前に見張りがずっと立ってるな……。怪しい……」
シヅキが睨む先、そこには他の部屋とは違う両開きの扉と、その両脇に立って辺りを睨む二人組の見張りの姿。
明らかに特殊な部屋だ、中の様子が気になるが、あれでは見張りの目を盗んで入ることはできそうもない。
「……ふむ。おーい!」
『……ん? なんの音だ?』
シヅキは見張りに向けて声をあげ、すぐさま樽に隠れる。だが、聞こえてきた足音は一人分だけだ。
先ほどの呼びかけは十分な声量だった。それなのに一人しか来ないということは、扉の前にいる二人は同時に動くことはない特殊な設定になっているのだろうか。
見張りとしては正しいのだろうが、ゲームとしては非常に困る仕様だ。
(うーん……別のところでそれ用のイベント……何らかの騒ぎみたいなやつを起こして動かす……? あるいは別の入り口……?)
可能性としては主に三つ。
一つは『あの扉の前の見張りを移動させるイベントが存在しており、それをこなすまで侵入不能』という可能性。一つは『あの扉は見せかけで他に進入路が存在している』という可能性。
そして最後は『あれはどうやっても侵入不可能なフレーバー要素、あるいはこのクエストとは無関係な場所』である可能性だ。
(うぅん、気になるけど今は無理そうだし……先に他のところ見てこようかな)
いずれにしろ、この辺りはまだ未探索の範囲が多い。何かきっかけとなるものがないかを気に留めつつも、先にそちらを見に行けばよいだろう。
◇◇◇
「……お? あっ、わたしの装備!!」
その後、探索を続けるシヅキが二番目に入った部屋。数多の短剣や槌が置かれた武器庫らしき場所の片隅に積まれたものを見て、シヅキは思わず大声をあげた。
シヅキがまっすぐに駆け寄りその『赤い短剣が上部から飛び出している袋』に触れると、途端に視界に浮かぶ"インベントリ機能の封印が解除されました"の文字。
それと同時にシヅキの身体が光に包まれ、赤い踊り子衣装を身に纏い、腰には短剣を備えた
「やっぱりわたしはこれだよね! このクエスト始まってから服が勝手に取り換えられちゃうし、もう不安で不安で仕方なかったよ~。…………あれ?」
透けそうなほど薄い暗褐色の布がかろうじて局部と胸部を覆うだけの恰好に安心感を抱いていることに、シヅキはふと違和感を覚えた。
だがその疑問がシヅキの頭の中で具体的な形を取る寸前、ぎいと入り口の扉が開く音。
『そこで何をして──』
「はいざっくりー。……あっやばっ」
部屋に入場してから少し後、いきなり見回りがやってくる初見殺しイベント。後半では全ての部屋で起こるようになったそれに対し、シヅキは短剣を投げることで対応し────
シヅキが『今現在、自身は潜入任務の真っ最中である』ことを思い出したのは、短剣が見回りの男の喉を貫いた後になってからだった。
「……潜入任務中に潜入先の人員殺しちゃうのって、どう考えてもまずいよねぇ。どーしよ……」
青髪の店主の言い方や資料の扱いからして、このクエストでは教団側に潜入を気取られないようにしなければならないはずだ。
まぁ、それを言うのなら何度も何度も脱走しては捕まって、果ては資料を持ち出したのを見られ拷問を受けている時点で最早気取られるも何も無いような気もするのだが。
「あ、でも最終的には邪神の顕現が起こるはずだし、きっと全部めちゃくちゃになって殺しも何もワヤになるでしょ!たぶん! 正直延々と逃げ隠れするのもかなりストレス溜まってたし……よし、鏖殺の時間だー!」
現状において邪神の顕現はただの推測でしかないが、結局のところシヅキにとってはその辺りは重要ではないのだ。
散々蓄積したストレスを解消するため、シヅキは鬱陶しい巡回者を皆殺しにすることにした。血に濡れた短剣を振り上げ、逃げも隠れもせず堂々と部屋から退出する。当然外を巡回している見張りに発見されるが────
互いに
「いくらなんでも弱すぎる気が……。わたし、こんな雑魚どもを相手にわざわざ隠れさせられてたの? ……捕まるときにやられた高速移動なんかもしてこないし、強制敗北的な仕様があったのが武器を入手した時点で撤廃されたってことなのかな」
今までの鬱憤を晴らすように────実際に鬱憤晴らしでしかないが────堂々と通路を歩み、巡回役を出会う傍から血祭りにあげてゆくシヅキ。
ストレス解消になる上、敵の目から隠れたり敵が去るのを待ったりする時間が必要ないために探索も非常に捗る。これはいいものだ。
未探索の部屋へ向けて、シヅキはぽてぽてと歩みを進めていく。
「はー、これなら資料集めより先に武器を探せばよかっ────んひっ」
なんの前触れもなく、T字になった通路の横合いから見上げるほどの大男がぬるりと音もなく現れた。頭には麻袋を被っており、その表情は一切伺い知ることができない。
だがシヅキは、大男の瞳が自身を射抜いていることを本能的に察し、考えるよりも先に身体が後ろへと跳んだ。
「うっ、トラウマが……いや、いや。今のわたしには武器が、装備があるんだ、いくら麻袋くんだからといって負ける訳が────よし」
以前拷問を受けていたときには身を屈めていたため具体的な高さまでは分からなかったが、今の大男はしっかりと背を伸ばしており、その背丈は優に2メートルを超えている。下手をすれば3メートル近くあるのではないだろうか。
まるで巨人のような凄まじい巨漢であり────その背丈こそがこの大男……シヅキ命名『麻袋くん』の弱点だ。
多少の体格差であれば大きい方が一方的に有利であるが、ここまで差が大きい場合は逆に巨体側からの攻撃が非常に行いづらくなるはずだ。
その優位を更に強めるため、シヅキは身を屈めた前傾姿勢で大男へ走り寄っていく。いくら大きくとも中身は人間なのだ、脛や腿をいくつか斬り付けてやればそれで終わりだろう。
そんなシヅキの思惑は、大男の放った風を切り裂く異様な速さの蹴りによって潰されることとなる。
凄まじい速度と重量、体格に見合った膂力の蹴り上げはシヅキに回避も防御も許さず────シヅキの股間を強打した。
「ぎっ!? ぃ゙っ……~~~~!!」
シヅキの身体が浮き上がるほどの威力。シヅキはその場に崩れ落ち、声にもならない悲鳴をあげながら局部を手で押さえ悶絶している。
だが、敵の前でそんな盛大な隙を晒し無事でいられるはずはない。大男は蹲っているシヅキに無造作に歩み寄り、素早くその身を取り押さえた。
そしてそれが
「っ……あ? ……ひっ」
移行した時点でシヅキの怪我は癒され、痛みは影もなく消え去った。だが、それはなんの救いにもならない。
今からは先の痛みなど比較にもならない地獄の拷問が始まるのだ。部屋の内装を見て新鮮なトラウマが刺激されたのか、シヅキは引き攣った悲鳴をあげ、小刻みに震えだした。
そして────がちゃり。背後の扉が開く音。
──────────
Tips
『麻袋くん』
シヅキ命名。正式名称は『寡黙なる尋問官』。
度重なる捕縛や資料の持ち出しなど、クエストの
今回シヅキの前に現れたのは潜入任務で
人の形を取ってはいるが、その実人間NPCらしい思考力は有していない。ステージギミックに近い存在といえるだろう。
──────────
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます