第二十六話:『トロールチャンピオン』
「おっ? 広いな~……やーっとボスかな、これは」
トロールコマンダー達を打ち倒したシヅキ。その後しばらく進むと、先ほどの広間よりも大きな、そして整った広場が見えてきた。
どうやら、先ほどの軍団がボスに至るまでの最後の壁だったらしい。付近に敵の影はなく、広場の壁に等間隔で括りつけられた松明の明かりがゆらゆらと揺らいでいる。
「このインスタンスダンジョン、道中がかなりきっついなぁ……。周回は結構厳しそうだぁ」
実際には声を潜め、隠密行動を心がければトロールコマンダーによるゴブリンの統率・制御を防いでの各個撃破も可能となっているのだが、長年のゲームプレイで独り言が癖になっているシヅキには気付きようがない。
自身のHP回復と軽い柔軟運動を済ませ、シヅキは軽やかに広場へと踏み込んだ。背後ではボス戦でお馴染みの退路が塞がる演出。今回は落盤によって道が封じられるらしい。
「おー……? 塞がったってことは集団戦タイプじゃあないな? 〈血の剣〉ぅーん……。よいしょっと、〈マナシールド:強度1000〉…………〈セルフヒーリング〉……。らっきーちゃんが使ってた詠唱破棄もそのうち取らないとな~。今度解禁条件聞いてみよっと」
シヅキが戦闘準備をしている間に、広場の中央へとなにか巨大なものが降ってきた。ずどんと大きな着地音を立て、金属の鎧を纏い、黄金のベルトを腰に巻いた一際大きなトロール『トロールチャンピオン』が姿を現す。片手には特大サイズの大太刀を引っ提げ、その背には同じく巨大な斧やハルバードをも携えていた。
シヅキは思わず頭上を見上げたが、天井には特に仕掛けや通用口らしきものはない。一体どこからやってきたのだろうか、シヅキの思考に雑念が混じる。
「うぅん……上位種っていっても、所詮はトロールだし。わたしの相手にはならないと思うんだけどな。ここはボスより道中の方がキツいダンジョンってことかな?」
特に根拠のない推測を口に出しつつも、シヅキはゆらりと構えを取る。動きの大振りなトロールを相手取るには、こちらから攻めるよりも相手の攻撃を待ち後隙を狙う方がより確実だ。
おそらく先んじて攻めたところで負けることはないだろうが、トロールの攻撃は鈍重な代わりに非常に威力が高い。万が一の事故には十分警戒すべきだろう。
しかし、着地姿勢から起き上がったトロールチャンピオンは他のトロールのように雄叫びをあげることもせず、静かに手に持った大太刀をゆらりと構え、じりじりと摺り足でシヅキとの距離を詰め始めた。
「うん……? なんかきみ、トロールっぽくないトロールだねぇ。まぁいいや、そっちが待ち構えるならこうするだけだし。〈血の刃〉」
どうにも攻めっ気のないトロールチャンピオンに対して、シヅキは遠距離から血の刃を飛ばす。踏み込んでこないのならばこれでちくちくと削ってしまえばいい──そう考えてのシヅキの攻撃を、トロールチャンピオンは大太刀の柄を上から叩きつけることによって一撃でかき消した。
「は? ……血の刃ってそうやって消せるんだ。初めて知った──」
自身の攻撃がたやすく打ち払われ、シヅキの顔に驚愕が浮かぶ。冷静さを保つため、独り言を呟くが、その隙を縫い、トロールチャンピオンはぬるりと出掛かりの見えない歩みをもって急速にシヅキへと接近、大太刀による突きを繰り出してきた。その動きは流麗で、他のトロールのような粗雑さも、後先を考えない苛烈さもない、完璧に整った一撃だ。
「うわやばっ、〈血刃変性〉!」
この洗練された一撃は、受けるにしろ流すにしろ習熟しきっていない蛇腹剣では困難だ。そう判断したシヅキは、咄嗟に刀身をシミターのような一対の曲刀へと変え、両の刃をもって突きをいなす。
だが、初撃を躱されてもトロールチャンピオンの顔に焦りはない。冷静に刃を引き、次なる攻撃を繰り出す。シヅキへと迫る大上段からの袈裟斬り。
「んふふ──」
シヅキは一歩、後ろへ下がる。相対する一人と一体の距離は遠く、元々大太刀の刃圏ぎりぎりだ。そのたった一歩で、シヅキは攻撃範囲から逃れられる。
おそらくは彼我のリーチ差を活かすための位置取りであろうが、所詮はエネミー、考えが浅い。
大太刀を空振りしたチャンピオンにシヅキが一歩踏み込み──下段からかち上げられる刃。シヅキは紙一重で曲刀を割り込ませ、しかし威力までは殺せず、後方へ大きく弾き飛ばされた。
「オワー! ……エネミーが燕返しなんてしてくるんじゃないよ危ないなぁ!!」
吹き飛びつつもかろやかに着地したシヅキを、チャンピオンの鋭い視線が貫く。だが、そんな視線を物ともせずシヅキは大声で敵に文句を付ける。
「……でもまぁ、結局勝つのはわたしだよ。ほら、きみが大太刀、対するわたしは二刀流! まぁこれ木刀じゃないし二天一流なんて全然習ってないけど。ふふふ……やっぱり曲刀の方が手に馴染むなぁ」
彼我を『巌流島の戦い』の二者に見立て、くだらない冗談を飛ばすシヅキ。トロールチャンピオンから放たれる強いプレッシャー、殺意すら感じるそれを鼻で笑い飛ばし、シヅキはぽてぽてと無防備に歩み寄る。
大太刀の刃圏に踏み込んだ瞬間、再び放たれる鋭い突き。それを左手の刃のみで受け流し、同時に鋭く踏み込み、右の刃でチャンピオンの内腿を斬り付ける。
トロールチャンピオンは金属の全身鎧を着込んでおり、当然内腿も金属の鎧に覆われている。だが、シヅキの膨大なHPによって形作られた赤い刃は金属鎧をたやすく食い破り、チャンピオンに確かなダメージを与えた。チャンピオンの瞳に驚きの色が浮かぶ。
「んふふ、ここまで踏み込めばあとはわたしの──んごぇ」
大太刀では斬りつけにくい懐へと入り込み、不敵に笑うシヅキ。だが、次の瞬間全身に衝撃を受けて大きく吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
チャンピオンが咄嗟に放った膝蹴りが、油断したシヅキに命中したのだ。
「ゔ、ぉ゙えっ……。〈セルフ……ヒーリング〉……。くっそ、お行儀の良い動きしてるくせに足癖が悪い……!」
トロールの膂力から放たれる金属鎧を纏った膝蹴りは、本来なら致死の威力を秘めている。だが、3m超の巨躯を誇るトロールチャンピオンに対し、シヅキはわずか1.5mほどしかない。
その体格差により、突き出された膝ではなく、その下の脛にぶつかる形となったシヅキはなんとか致命傷を免れたのだ。
だが、それでも被害は甚大だ。シヅキは血反吐を吐きながらも、セルフヒーリングで自らの負った傷を癒し、悪態をついた。
対するトロールチャンピオンは、まるで体格差による感覚のズレを埋めるように、その場で何度か膝を振っている。追撃をするつもりはないらしい。
「あー、くそ、強いな~……。武術系の敵はソロだと特にキツいんだよもう……。……あっ、いいこと思い付いた。〈血刃変性〉」
ぶつぶつと悪態を呟きながら、シヅキはのそりと起き上がった。その手に持った曲刀を、普段使っている蛇腹剣へと作り変える。
そして──シヅキはトロールチャンピオンに背を向け、部屋の端へ向かって駆け出した。突然の逃走、だが、広場といってもその広さは限られており、いつまでも逃げ続けられるほどではない。出口も既に閉じられている。
一体何をしようとしているのか、怪訝な顔をするチャンピオンを横目に、シヅキは蛇腹剣を振るい、壁へ斬撃を繰り出した。
「よっ、ほっ、むっ!」
蛇腹剣先端のフック部分を岩壁へと打ち込み、シヅキは器用につるりとした壁を登っていく。そして、瞬く間に天井付近へと昇り切った。その高さはおよそ8mほどだろうか。見下ろせば、トロールチャンピオンが唖然としたような雰囲気を出して佇んでいた。
「んふふふふ、どんだけ武術に優れていようと、ここなら攻撃のしようがないでしょ。〈血の刃〉〈血の刃〉〈血の刃〉〈血の刃〉──」
壁面上部に張り付き、器用に血の連撃を撃ち下ろすシヅキ。コンパクトな代わりに速度の速いそれを、トロールチャンピオンはサイドステップで躱してゆく。
「さ~、いつまで保つかな? 武術系エネミーってんならスタミナの概念もあるでしょ、あるいは手数で削り殺しでもいいけどね~。わはははは」
シヅキの卑劣な攻撃に、苛立ったように武器を地面へと叩きつけるチャンピオン。地面が砕け、石礫が辺りへ撒き散らされる。
「八つ当たりしても状況は変わらないよ~! ほらほら、〈血の刃〉~! わはははは──は?」
容赦なく行われる密度の高い連撃を、転がるようにして躱すチャンピオン。その無様な様子にシヅキが笑い声を上げながら追撃を繰り返し……
──ふと耳に入る、なにかが風を切る音。
シヅキが最後に目にしたのは、腕を振り切った姿勢のトロールチャンピオンと、高い位置にいるはずの自身へ迫る、握り拳サイズの石礫だった。
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Tips
『エネミーの装備』
エネミーが鎧や盾など、なんらかの装備品を着用している場合、それらは『特殊な硬度を持ち、ダメージの入らない部位』として扱われる。
たとえその高い硬度を突破し、金属を断ち切れる武器攻撃力を持っていたとしても、鎧の中に存在する肉の部位にまで届かなければダメージを与えることはできない。
外層を抜けずともその内に衝撃が伝播する打撃武器は、この手のエネミーに対して非常に有効に働く。
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