十三話
午後の仕事に取りかかろうと、昼の休憩を終えてリベカさんのいる事務所に戻った時だった。
「戻ったぞ。……ミリアムもいるか。ちょうどいい」
外での仕事から帰って来たシモンさんは、事務所に入るなりあたしのほうへやって来た。
「どうしたんですか?」
するとシモンさんは笑みを浮かべて言った。
「喜べ。ノアが見つかったかもしれねえ」
「!」
思わず息を止めて、あたしはシモンさんの顔を見返した。やっと、この時が……ノアに会える瞬間が来る……!
「この前、有力な情報があるって言ってたけど、とうとう見つけたのね」
椅子に座ってたリベカさんも、立ち上がって嬉しそうに言う。
「ああ。でも確定してねえけどな」
「で? どこにいるの?」
「裏社会のやつらに片っ端から聞き込んでいったら、ある団体に属してる若い男が、ノアの特徴と合致した」
それじゃあ、ノアは裏社会の人間に……。
「団体ってどこなの」
聞かれたシモンさんは、なぜか表情を渋くする。
「……ルメディオだ」
「ルメディオ……また面倒そうなところにいたもんね」
リベカさんも困ったように溜息を吐いた。ルメディオ……初めて聞く名前だ。
「あの、それはどういう団体なんですか?」
「詳しいことは私達もわかんないんだけどね……」
「規模は他の組織より小さいが、それでも長年消えずに存在する謎の結社ってところだな」
謎の結社……これまで見聞きしてきた組織とはまた違う怖さがあるな。
「ある噂じゃ、どこかの権力者が裏で違法な仕事をさせるために作った団体なんじゃないかって話もあるけど、真相は誰も知らない、まさに謎に包まれてるところよ」
「他の組織とはほとんど組まない、一匹狼的な行動をしてるらしくてな。出てくる情報も少ねえんだ」
「じゃあ、ノアの情報を得るのも、かなりの苦労があったんですか?」
「まあな。でもそこをどうやって突破するかが腕の見せ所ってやつだ。焦らず地道にやれば、いつか欲しい情報にたどり着けるってもんさ」
「ありがとうございます。お二人の苦労のおかげで、やっと――」
「お礼は早いってミリアム。ノアらしき若者は見つけたけど、まだ本人かは確認出来てないんでしょ?」
リベカさんの視線にシモンさんは頷く。
「ああ。今はあくまで推測だ。名前も聞いたんだが――」
「ノアじゃなかったの?」
「シバーって名前だった。だがこれは偽名って可能性もある。ノアは殺人で手配されてる身だし、名前ぐらい変えてるだろ」
名前は違うけど、まだノアじゃないってことにはならない……。
「本人かどうかの確認は、直接会っての方法しかなさそうね」
「そうなると俺とリベカじゃ出来ない。ノアの顔を知ってんのはミリアムだけだ。ミリアムに確認してもらうしかねえが……」
「会いに行きます。場所はどこですか? 教えてください」
場所さえわかってるなら、すぐにでも行って――
「気持ちはわかるが、そう急ぐなミリアム」
「向こうは少し特殊な団体だからね。会おうと思ってもすぐに会わせくれるとは思えない」
「そうなんですか……?」
「ここから結構歩いた先の、北地区に結社はあるんだけどな。前に通りかかった時は、でっけえ館の周りに何人も見張りがいて、物々しい警戒だった。普段からああだとすると、部外者にはかなり厳しい対応するんじゃねえか?」
「でも昔、一度だけ依頼受けたよね」
シモンさんは目を丸くしてリベカさんを見た。
「え? そうだったか?」
「うん。忘れたの? 何年か前、遠地からの資材調達の依頼で。簡単な仕事だったから、私も忘れかけてたけど。だから一応、顔見知りではあるよね」
「たった一度だけじゃ、警戒は解かないだろ。それに向こうも忘れるてるかもしれねえし」
「まあね。だけど覚えててくれてれば、話ぐらいは聞いてくれるんじゃない?」
シモンさんは腕を組んで考え込んだ。
「どうだかな……だがまあ、聞きに行ってみるしかねえからな」
「……というわけだから、ミリアム、向こうと約束が取れるまで、もう少しだけ待っててくれる?」
「……はい。わかりました」
そう言われたら、素直に頷くしかない。
「いい知らせがあるまで待ってろ。……じゃ、俺は少し休むかな」
あくびを噛み殺しながら、シモンさんは応接室へ入って行く。リベカさんも机に戻って事務作業を始めた。あたしもその傍らで資料整理をする。でも動かす手も、文字を追う目も、ちゃんと集中出来ない。頭を巡るのはノアのことだけ。もうすぐそこに、ノアがいるかもしれない。数日後には、目の前に立ってるかもしれない――膨らむ期待に、早く確かめたいと、あたしの気持ちは押されるばかりだった。
それから数日が経って、あたしはこの日、養護院でアロンと面会し終えて帰るところだった。時間はまだ正午前。今日は休日だから、この後も自由だ。ちょっと街をぶらついて帰ろうかな、と思った時、ふとシモンさんの話を思い出した。
『ここから結構歩いた先の、北地区に結社はあるんだけどな――』
謎の結社ルメディオ……二人は今そこと話をしようと頑張ってくれてるけど、約束を取り付けたという知らせはまだない。北地区へ行こうとすると確かに遠いし、時間もかかるだろう。ふらっと行ける距離じゃない。だけど今のあたしにはたっぷり時間がある。行って帰るだけなら、多分夕食時には戻れるはずだ。ノアがいるかもしれない結社……一体どんなところなんだろう。別に訪ねようってわけじゃない。ちょっと見てみたいだけだ。ほんのちょっと――あたしは進路を北に決めて歩き出した。
北地区内は何回か来たことはあるけど、本当に何回かで、他の地区よりは詳しくない。特徴としては、公の施設だったり、商社だったりが多くて、住んでる人もお金持ちが多いって印象がある。あんまりがやがやしてなくて、落ち着いた雰囲気が漂う地区だと思う。ここは山に近くて緑も多いけど、空気が美味しく感じるのはさすがに気のせいかな。
知らない道を歩きながら、あたしはルメディオの館を探す……けど、当然場所なんて知らないから、辺りを通る人にたずねてく。
「……ルメディオの場所? ああ……この道をずっと行った先だよ」
そうして何人にも聞いて進んで行く。そこで気になったのは、教えてくれた人達が皆、怪訝な表情を見せたことだ。ルメディオと言っただけで、眉根を寄せる人もいた。謎の結社と言われるだけあって、住人達も近寄りがたい存在なのかもしれない。人間、得体の知れないものには怖さを感じるものだ。でも本当に怖いところじゃなきゃいいんだけど。
「あ……きっとあれだ」
聞いた道をひたすら進んで行った先に、あたしは一際大きな建物を見つけた。灰色の石壁に黒い屋根の大きな館――あれが結社の建物に違いない。もう少し近くに行ってみよう。
どんどん近付くにつれて、その大きさに目を見張った。シモンさんが言った通り、確かに大きい。周りの建物は二階建てが多い中、この館は三階建てで、幅も奥行きもある。何も知らないで見たら、大富豪の邸宅とでも思っちゃいそうだ。高さのある鉄柵に囲まれた中には手入れのされた庭があって、そこを男性がゆっくり歩いてる。結社の人だろうか。そのまま建物の陰へ消えて行ったと思ったら、そこから別の男性がゆっくりと歩いて来た。その表情は真剣で、気晴らしに庭を散歩してるわけじゃなさそうだ。……シモンさんの言う物々しい警備って、これのことか。
正面側の道へ出ると、その影のようにそびえ立つ威圧的なたたずまいに圧倒されそうで、あたしは思わず見上げてた。よく見れば、石壁や窓の縁は細かな装飾が施されてて、ちょっとだけ高貴な雰囲気を漂わせてる。怪しさもあるけど、綺麗で立派な館でもある。どこかの権力者が作った団体だっていう噂も、あながち外れてはないんじゃないだろうか。相当なお金を持った人じゃなきゃ、こんな建物造れないと思うし。
感心しながら館を眺めてて、あたしはふと気付いた。三階の窓に人影がある。表情までは見えないけど、その顔は明らかにこっちを見てた。ちょっと気まずいな――そう思って視線を下げた二階の窓にも人影があって、顔はこっちを向いてる。まさか、と思って一階の窓も見れば、やっぱりこっちを見る人影が……。ずっと、見られてたの?
あわよくばノアとばったり会えないかとも考えてたけど、こうも見られたら安易に視線も動かせない。今日はひとまず帰ったほうがよさそうだ――そう決めて視線を戻すと、鉄製の正門の前には二人の男性が立ってて、あたしのことを警戒の目でじっと見つめてた。館ばかりに意識が向いて、こっちの二人には全然気付いてなかった。この人達も警備だろう。これ以上睨まれる前に消えないと――視線を合わせないように、素知らぬふりであたしは立ち去った。
一度館に行ってしまうと、それからの足取りは軽かった。なかなか来ない知らせを待つ間に、ノアにもうすぐ会えるという期待と待ち切れない気持ちがあたしを何度も館に向かわせた。行ったところで会えることはないとわかってても、居場所を知ってるのに何もせず、じっとはしてられなかった。休日がくるたびに北地区へおもむいては、ただ館の周囲を歩くだけ。何の意味もない行動だけど、ノアの近くに来たっていうことが、あたしのざわめく気持ちをちょっとだけ静めてくれた。出来れば館を眺めて、ノアが現れないか見てたかったけど、大勢の警備の目があってはさすがに出来ない。知らせがあるまではこれで気持ちを満たすしかなかった。
そうして、いつものように休日になって、五度目となる館に行った時だった。
「やっぱり来たね」
正門の前を通ろうとすると声をかけられた。そこには変わらない警備の男性が二人。と、上着にシャツにスカーフと、身なりのいい初めて見る男性が立ってて、あたしに微笑みを見せながら近寄って来た。
「一ヶ月ほど前からかな。数日置きに決まってこの道に現れるようになった。それはなぜかな」
柔和な話し方だけど、その質問には警戒感がありありと見える。あたしはそれで自分が目を付けられてしまったんだと知った。最初からわかってたことなのに、本当、自分の鈍感さには情けなくなる……。
「あの、決して怪しい者じゃなくて……」
「じゃあ、怪しくない目的を教えてほしい。嘘は駄目だよ」
三十代ぐらいの灰色の髪の男性は、目にかかった前髪を耳にかけながらあたしの顔をのぞき込んできた。顔は笑ってるけど、それが逆に怖くもある。
「目的は、その、人を、捜してて……」
「人捜し?」
「いえ、でも、それらしい人は見つかってるんです。ただ、まだ会えてなくて……」
「会えてないから、ここをうろついてたっていうのか? よくわからないな」
あたしは迷った。ノアのことを言ってもいいのか? でも今リベカさん達が話を通そうとしてくれてるのに、あたしがここで言っちゃったら、ややこしいことになったりしないだろうか……。
「もう一度言うけど、嘘は駄目だよ」
「う、嘘じゃありません!」
「じゃあ誰を捜してたんだ? ここの人間か?」
「ここの、人かは……」
まだノアかどうかは確認出来てない。そうかもしれないし、違うかもしれないなんて、あいまいな返事しても……。
言い淀むあたしを見て、男性は小さな溜息を漏らした。
「ふう……どうやら、君には言えない事情があるようだね」
そう言うと男性は後ろの警備に手で合図を出す。それを受けた警備は重そうな正門をゆっくり開け始めた。
「中へ招待するよ」
「え……な、何で……」
「お茶でも飲みながら、話を聞かせてもらえないかな」
あたしは男性の微笑みと開かれてく正門を交互に見やった。リベカさん達に黙って勝手なことしたら、絶対迷惑になる。ここは一旦帰ったほうがいいよね……。
「あ、えっと、一度帰らせてください。話をしていいか聞きに――」
「それは無理だ」
「え……?」
「帰るなら、隠してることをすべて吐いてからじゃないと困るね」
これに言い返そうとした瞬間、男性の手が素早く動いたと思うと、頭に強い衝撃が走った。その痛みを感じる間もなく、あたしの意識は途絶えた。
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