十一話

 晴れた昼下がり。あたしはリベカさんに頼まれた買い物で商店通りへ向かう途中だったけど、そこで見覚えのある後ろ姿を見かけて足を止めた。


「……シモンさん、かな」


 人通りがまばらな道。その脇の木の陰に、茶髪を結った大柄な男性がたたずんでる。何をするでもなく、前方をただ見てるだけだ。何してんだろう――気になったあたしは近付いて声をかけた。


「シモンさん……?」


 背後から呼ぶと、正面を向いてた顔が弾かれたようにこっちを振り向いた。


「なっ、何でお前がいんだよ」


「やっぱりシモンさんだった。そっちこそこんなところで何してるんですか?」


「何って、そりゃ……俺の勝手だろ」


「でも、今日は仕事がないから羽伸ばしに行くって……」


「だから今、羽伸ばしてんだろが」


「こんな何もない、木の陰でですか?」


「どうしようといいだろ。邪魔だからどっか行け」


 シモンさんは手を振ってあたしを追い払おうとする。その様子はちょっと慌てたふうで、何だか怪しさを感じる。


「あ、来たか! ……ほら、お前もすることあんだろ。行けって」


 あたしをいちべつして、シモンさんは見てたほうへ歩き出す。明らかに羽を伸ばしてる雰囲気じゃない。あたしはさらに聞くため後を追った。


「……おい、付いてくんな」


 迷惑そうな顔がこっちをちらちらと見る。


「シモンさん、もしかしてこれって、仕事ですか?」


「あん? ……ああ、そうだよ。仕事だ、仕事。だから邪魔すんな」


 そう言いながらシモンさんは前方の何かを見て追うように道を進んで行く。


「誰か追う仕事ですか?」


「見てわかってんなら聞くな。早く帰れ」


「そういうわけには……この仕事、リベカさんは知ってるんですか?」


「それが何だよ」


「休みだって言って仕事してるのはおかしいですよ。まさかとは思いますけど、リベカさんに黙って依頼受けてるわけじゃ――」


「しっ! 少し黙ってろ。向こうにばれるだろ」


 気付けば入り組んだ路地の奥まで来てて、シモンさんは民家の壁沿いを慎重に進んで行くと、十字路の角から顔だけ出して、その先の様子をうかがい始める。


「聞いてますか? シモンさ――」


 あたしの声を、シモンさんは片手を振って黙らせる。……仕方ない。ちょっと待つか。


「……へっ、やっと根城を突き止めたか」


 しばらくするとそう呟いたシモンさんは、踵を返して来た道を戻り始めた。


「もう仕事は終わりですか?」


「ああ、ひとまずはな」


「どんな依頼なんですか?」


「……依頼?」


「仕事ってことは、依頼ですよね?」


「え? あ、いや、これは依頼っていうか、何ていうか……」


 急に歯切れが悪くなり始めた……やっぱり怪しい。


「リベカさんが把握してる依頼なんですか?」


「あー……実はな、仕事っぽいけど、仕事じゃないんだよな、これ」


「さっき仕事だって言ったじゃないですか」


「お前が面倒くさかったから言っただけだ」


「じゃあ本当は何してたんですか?」


「何でもいいだろ。お前には関係ねえことだ」


「そうはいきません。あたしは便利屋セビンケルの従業員なんです。リベカさんに黙って依頼受けて、報酬独り占めの事実を見過ごすわけには――」


「待て待て! 俺がいつそんなことしたんだよ」


「休みなのに仕事して、でも実は違うって言ったり、言葉がころころ変わるのはやましいことがあるからじゃないですか?」


「何もやましくねえよ!」


「じゃあリベカさんに報告しても問題ないことなんですね?」


 そう聞いた途端、シモンさんの表情は硬く強張った。


「それは……待て」


「言えないってことは、認めるんですね」


「認めるか! そういうことじゃねえ!」


「言えないことしてるなんて、リベカさんが悲しみます。正直に言ってください」


「だから! はあ、ったく……お前、こんなに面倒くさいやつだったか? わかったよ。俺が何してたか教えてやるから。ただし、リベカには絶対に言うなよ」


「内容によりますけど、今は言わないことにしておきます」


 ふんっと呆れた笑みを見せてシモンさんは歩いて行く。こんな道端じゃ何だからと、少し歩いた先の公園で話そうと、あたし達はそこまで移動した。


 緑しかない花壇の周りで、何人かの子供が駆け回って遊んでる。他にも日向ぼっこや休憩してる大人もいるけど、あんまり人数はいない。そんな公園の片隅にあるベンチに、あたし達は並んで腰かけた。


「一体、何してたんですか?」


 シモンさんは背もたれに両腕を乗せてふんぞり返ると、不快そうに言った。


「ある野郎を追ってたんだよ。ずっとな」


「その人っていうのは……?」


 少し目を伏せてからシモンさんは言う。


「リベカの、元彼だ」


 え? リベカさんの、元恋人? 何でそんな人を追って……。


「別に嫉妬とか嫌がらせじゃねえからな。あの野郎は最低の悪人なんだよ」


「何か、されたんですか?」


「ああ。俺じゃなく、リベカがな……」


 シモンさんは青い空を見上げると、短く息を吐いた。


「……一生治らねえ傷を負わされたんだ。あんなやつと付き合ってなきゃな。今さら言ってもしょうがねえけど」


「リベカさんに、何があったんですか?」


「九年前……俺と出会う前からリベカはやつと付き合ってたんだ。だがもう別れるつもりだったらしい。やつも裏社会の人間で、当初はそこそこの地位に就いてたみたいだが、酒に溺れたせいで組織から捨てられ、自暴自棄になって暴力を振るうようになった。それに嫌気が差してリベカは別れることにした……まあ、よくある話だな」


「その人から暴力を受けて、怪我を?」


「相手はアル中だ。冷静に聞いてくれるわけもねえ。リベカが別れを切り出した瞬間、逆上して殴る蹴るの暴行を受けたらしい。それが何時間も続いて、ようやく解放された時には、体中が腫れて即入院だ。相当危ない状態だったらしい」


「じゃあ、それが原因で、リベカさんには治らない傷が……?」


 シモンさんは緩く頷いて目を伏せた。


「お前ほどじゃねえが、リベカも子供の頃は、あんまり幸せな時間を過ごしてなくてな。だから一つの夢があったんだよ」


「どんな夢ですか?」


「自分の家族を持つって夢だ。叶えようとすりゃ誰でも手が届く、ささやかな夢だ。でもやつは、その唯一の夢をぶち壊しやがった」


「どういうことですか? その時リベカさんに家族なんて……」


 そう聞いたあたしを、シモンさんは険しい眼差しで見た。


「未来の家族だ……やつはリベカを、子供が産めない体にするまで、徹底的に痛め付けやがったんだよ」


「!」


 衝撃と背筋の寒さに、あたしは言葉を失った。リベカさんがそんなむごい目に遭わされてたなんて、想像すらしてなかった……。


「俺は男だから、簡単に気持ちがわかるなんて言えねえけど、女にとって子供が産めなくなるってのは、身を引き裂かれるぐらい辛く、悲しいことなんだろう。リベカと付き合いだした頃、あいつ全然笑わなかったんだよ。夢を奪われた痛みと苦しみを一人で抱えてたんだ」


「でも、今はよく笑ってます。いつから笑うようになったんですか?」


「俺に全部打ち明けてからだな……昔、プロポーズしたら断られたんだよ。その理由を問い詰めたら、やつにされたことを打ち明けた。自分は俺の子供を産めないって。だから結婚は出来ないって理屈だ」


「シモンさんは、それで納得したんですか?」


「するわけねえだろ。俺は子供なんかどうでもいいし、リベカさえいれば十分だって伝えた。でもあいつは頑なに結婚を拒んだ。多分リベカなりの理想かこだわりでもあるんだろ。そこで子供が産めない自分に引け目を感じてんだ。だから俺達は今も恋人で止まってる。まあ、無理強いも出来ねえし、俺もそこまで結婚にこだわるつもりねえからいいけどよ」


「そうだったんですね……それがリベカさんの、悪い記憶……」


「あん? 悪い記憶?」


「あっ、何でもありません! ただの独り言です……」


 これは夜中に聞いた話のことだ。盗み聞きがばれちゃところだった……。あんなに明るいリベカさんだけど、やっぱり陰があるんだ。その苦しみをずっと抱えてる陰が。


「言えなかったこと打ち明けて、リベカも少しは気が楽になったんだろ。便利屋の仕事に誘ってからは暗い顔も見せなくなった。客商売でそんな顔もしてらんねえからな。でも長いこと側で見てきた俺にすりゃ、あいつはまだ本当に笑えてねえ」


「その、過去のことを気にしてるってことですか?」


「ああ。表面じゃ忘れたなんて言ってるが、俺はあいつがベッドで泣いてんの知ってんだよ。やつは今もリベカの胸をえぐり続けてんだ。それを放っておくことは出来ねえよ」


 語気を強めたシモンさんに不穏なものを感じて、あたしは恐る恐る聞いた。


「追ってたのは、まさか、その復讐をするために……?」


 これにシモンさんは、にやりと笑った。


「そういうことだ。お前と同じだな」


「あたしは復讐なんて……でも、あたしのことは止めて、自分はそんなことするんですか?」


「別に殺そうってわけじゃねえよ。あんなやつのために牢にぶち込まれるなんてごめんだ」


「じゃあ何をするつもりなんですか?」


「簡単なことだ。リベカへの謝罪だ」


「え? 謝罪、だけですか?」


「慰謝料とかそんなもんは何にもいらねえ。ただリベカに、真摯に謝ってくれりゃいい」


 復讐っていうから、もっと怖いことを想像したけど、何か、シモンさんにしては優しい対応というか、らしくないって言ったら失礼かな……。


「それだけで、シモンさんはいいんですか?」


「俺じゃなくて、リベカ次第だ。その謝罪をリベカが受け入れるならそれでいい。だがまず無理だろうな」


「どうしてですか?」


「リベカはやつに会いたがらないだろうし、やつもリベカに謝る気なんてなさそうだからな」


「話したことでもあるんですか?」


「便利屋を開いた頃にな……野郎、別れたリベカを捜しに来やがって、この期に及んで自分の恋人だって言い張るからよ、てめえのしたこと考えろって怒鳴ったら、俺のリベカに何しようと勝手だってほざくから、殴り倒してやった」


 これこそシモンさんらしい対応だ。


「その後も便利屋の周りうろついてたから、取っ捕まえて説教したんだが、自分に非はないってな感じで、まるで反省がなかった。あまりに苛ついたんで、ぼこぼこにして追い返してやった。それで思い知ったのか、そこからずっと雲隠れだ。俺がやつを捜そうと思い立って、見つけたのはつい最近のことだ。仕事の合間に捜し続けて、同じ西地区にいるってわかった時は思わず笑ったぜ」


 仕事の合間に――そうか。シモンさん、よく徹夜して帰って来たり、仕事が終わってからまた別の仕事にすぐ行っちゃったりして、あれは元彼を捜しに行ってたんだ。


「謝罪してもらえなかったら、どうするんですか?」


「追い出す。この街からな。殺せりゃ一番楽だがそれはさすがに出来ねえ。だからこの街から存在を消す代わりの方法ってことで追い出す」


「謝罪も望めないのに、素直に聞いてくれるとは思えませんけど……」


「拒めば拳を使うだけだ。そうすりゃ嫌でも出て行くさ」


 結局はそういう方法を取るのか……。


「でもリベカさん、このこと知って怒りませんか? 忘れたいほど辛いことを蒸し返して」


「知れば、まあ確実に怒るな」


 シモンさんはあっけらかんと言った。


「わかってるなら、どうして……」


「……ミリアム、お前も笑えてねえの、気付いてるか?」


 唐突な指摘に、あたしはシモンさんを見返した。……そう言えば、前にリベカさんにもこんなこと言われたな。


「笑ってるつもりだろうが、全然笑えてねえんだよ、お前の顔は。それは心に引っ掛かってるもんがあるからだ。ノアが引き起こした事件がな」


 あれは、忘れようとしたって忘れられない光景だ……。


「だからお前はノアを捜して、過去との区切りを付けようとしてる。自分なりに決着を付けようと進んでんだ。でもリベカは止まったままでいる。苦しんで泣いてるくせに、何もしようとしてねえ。あの野郎にいたぶられ続けてんだよ。俺はそんなあいつを前に進ませてやりてえんだ。たとえ有難迷惑だって怒鳴られてもな」


 シモンさんも、リベカさんが抱えてるものと同じぐらいに苦しいのかもしれない。大好きで、大事な人だからこそ、自分が動かずにいられないんだろう。怒られるってわかってても、リベカさんのためになるなら、何だってしてあげたい……それがシモンさんの愛なんだ。


「リベカとお前は、違うようでどこか似てんだ。それを感じて、だからリベカはお前を便利屋に連れて来て面倒見たんだよ。お前に、幸せになってほしいってな……ふっ、そりゃこっちのセリフなんだがな」


 リベカさんとあたしが似てる――今ならちょっとだけそんな気もする。


 小さく笑ってから、シモンさんは厳しい表情になってこっちを見た。


「話を聞いた以上、お前は俺の共謀者だからな。やつを取っ捕まえる前に、もしリベカにばれでもしたら、一緒に怒鳴られてもらうぞ。いいな」


 シモンさんでもやっぱり、リベカさんの怒りは怖いのかな。


「こんなこと、言ったりなんか出来ませんから」


「言わなくても、俺の邪魔すんなよ」


「わかってます。……いつ、捕まえるつもりですか?」


「こっちの動きが知れて、とんずらされるのは困るからな。明日、明後日にも行くさ。……もう一度言うが、絶対に言うなよ」


「言いません。約束します」


 よし、と言ってシモンさんは立ち上がると、あたしに念を押す笑みを残して公園を出て行った。決行は明日か明後日か。付いて行って見届けたいけど、邪魔するなって言われたし、無理かな……。リベカさんが負わされた傷、これで少しは癒えるといいけど。


「さあ、帰ろうかな……」


 事務所でリベカさん見ても、素知らぬふりしないと。何か疑われて問い詰められでもしたら、リベカさんだけじゃなく、シモンさんにも叱られちゃう。したばかりの約束、破るわけにはいかない――そんなことを考えてベンチから立ち上がろうとした時、あたしは手元の買い物かごを見て思い出した。


「……買い物、頼まれてたんだった!」


 あたしは慌てて商店通りへ走った。疑われるとかの前に、普通にリベカさんに叱られちゃうところだった。

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