十話

 翌日の午前中、あたしはアロンを養護院に送り届けて便利屋に帰って来た。事務所に行くと二人が椅子に座って待ってた。


「お帰り。……それじゃ言った通り、話する?」


 にこやかに聞くリベカさんにはいと言って、あたしは近くの椅子に座った。昨日はアロンとの時間を大事にしたかったから、話は今日、送り届けた後にすると言ってあった。


「嫌なら無理に話してくれなくてもいいんだよ? 私達はミリアムのこと、根掘り葉掘り聞きたいわけじゃないし……」


「いいんです。聞いてください。お二人も、弟が叫んだ言葉の意味、気になってるでしょうから」


 シモンさんはぽりぽりと口元をかく。


「まあ、その通りではあるけどな」


「本当に大丈夫って言うなら聞かせてもらうけど……でもその前に、昨日のこと謝らせて。弟君を混乱させたのは私達だから。シモンはともかく、私はミリアムに注意されてたのに、あんな声張り上げちゃって、まったく、馬鹿にもほどがあるよね」


 苦笑したリベカさんにあたしは首を横に振った。


「アロンを一晩泊めさせてもらったこと、それとたくさんのおもてなしの料理と気遣い、すごくありがたかったです。あたしのほうこそ、お礼を言わせてください」


「お礼を言われるほどのことはしてないし、弟君を混乱させておいてお礼される立場でもないから。でも弟君のこと知れてよかった。また機会があれば連れて来てよ。今度は話せるといいけどね」


 リベカさんはにこりと笑った。その優しさは本当に温かくて嬉しい。


「……じゃあ、お話しします。何から話しましょうか……?」


「リベカから、ノアが殺人で追われてるってのは聞いた。それで気になるのは、誰を殺したかだな。昨日のアロンの様子からすると、他人っていうより身近な人間が殺されたのか?」


 質問に、あたしは自分を落ち着かせて答えた。


「はい。彼が……殺したのは、あたしの父親です」


「父親、だけ?」


 リベカさんが聞く。


「そうです」


「ノアは友達だろ? 何で友達の父親なんかを」


「理由はわかりません……アロンはその場に居合わせて、心を病んだんです。その後、ノアはすぐにいなくなりました……」


 脳裏に鮮血が流れる当時の光景がよぎって、あたしは顔をしかめずにいられなかった。冷静に話したいのに……今は消えて。


「ミリアムはその後どうしたの? お母様はいたんでしょ?」


「母も、少ししてから出て行きました」


「子供二人を置いて?」


「はい……もう、家族に対して、愛情も興味もなかったんです。子供だったあたしでも、それはよくわかってました」


 さらに言えば、その愛情は他に向けられてた。いわゆる愛人ってやつだ。いつからかは知らない。だけど気付いた時にはお父さんとお母さんが話す姿を見なくなった。それからお母さんはあたし達の世話もほどほどに頻繁に出かけるようになった。そしてある時、道で偶然にもお母さんと出くわした。笑顔のお母さんは知らない男性と腕を組んで楽しそうにしてた。あたしの存在に気付いたはずなのに、お母さんは無視して通り過ぎて行った。その瞬間、あたしは察した。お母さんはもう、家族をやめたんだって。


「ひどい母親……でもそれでわかったわ。ミリアムが弟君を唯一の家族だって言ったのがね」


「子供だけ残されて、苦労しただろ」


「まあ……頼れる親戚もいないし、母が勝手に家を売っちゃって、あたし達は路上生活を強いられましたから。あの頃は目の前が真っ暗でした……」


 精神が不安定な弟の面倒を見ながらじゃ働くのもままならなくて、追い詰められた時には他人の畑から野菜をこっそり頂戴したこともあった。


「ミューベン養護院がアロンを受け入れてくれなかったら、あたし達はどっかの路地で野垂れ死んでたかもしれません。リベカさんもそうですけど、あたしはいろんな人に何度も救われてるんです」


 それらの出会いがなければ、あたしは一体どうなってたのか……考えるだけでも怖い。


「お前に暗い話しかない理由がよくわかったよ」


「シモン!」


 リベカさんはねめつけた。


「別にからかってるわけじゃねえよ。これでも同情してんだぜ? ……でも話聞いて、一つ疑問が出来たんだが」


「何ですか?」


「お前から聞くノアってやつは、すごくいい友達の印象だったけどよ、父親殺されて、家族をめちゃくちゃにした張本人だろ? そんなやつにまた何で会いたいんだ?」


「前にも言った通り、会って言わなきゃならないことがあるんです」


「何を言うっていうんだよ。親の仇だろ? 仲良くしてくれてありがとうとでも言うのか?」


「……はい」


 小さく答えると、シモンさんは一瞬止まってから、ぷっと吹き出した。


「おいおい、まじか? どこまで人がいいんだよ、お前」


「本気なの? ミリアム」


 怪訝なリベカさんに、あたしは頷いた。


「仲良くしてくれてってことだけじゃないですけど、でも、ノアにはそういうことを伝えたいんです」


「それだけのために、ノアを六年間捜し続けてたっていうの?」


「お二人にはそれだけのことでも、あたしは絶対に伝えなきゃいけないことなんです」


 あたしがノアに出来る唯一のことは、それだけなんだ。


 すると二人は微妙な表情で顔を見合わせると、再びこっちを見て聞いた。


「……ねえミリアム、それが本当の目的なの?」


 あたしは首をかしげた。


「どういうことですか?」


「俺達を心配させないよう、嘘言ってんじゃねえかってことだ」


「そうじゃありません。嘘なんて……」


「でも話から考えると、友達だから会いたいとは思えないけど」


「それ以外に、何があるんですか?」


 シモンさんは腕を組んで険しい眼差しを向けてきた。


「決まってんだろ。親の敵討ち……復讐だよ」


 あたしは驚いて聞き返した。


「ノアに復讐を……? あたしが、何で」


「動機だらけだろ。父親殺されたことで、弟は病気に、母親はお前達を見捨てた。それからここに来るまで、長く苦しい生活をするはめになったんだ。そうなった発端は明らかにノアだ。いい友達だったとはいえ、人生狂わされた恨みがあんだろ」


「確かに、苦しくてぎりぎりの生活でしたけど、いろんな人に救われて今ここにいるんです。人生を狂わされたと思ってなんか……」


「復讐のために会うんなら正直にそう言えばいい。ミリアムが何しようと、それはお前の自由だからな。だがそうだと知れば俺達は引き止める。お前のか細い腕じゃ無理だ」


「ノアは人を殺してる。それから六年経って、今はどんな人間になってるかわからない。手配されてるし、自暴自棄になってる可能性だってある。そんなところへ行けば、ミリアムが返り討ちに遭う危険もある。危なすぎるわ」


 二人はあたしが復讐に行くものと考えてるようだ。その顔は真剣で、それだけあたしの身を心配してくれてるってことだろうか……。


「大丈夫です。本当に復讐なんかじゃないですから。でも、もし復讐だって言ったら、お二人はそれでもノアのこと、捜してくれますか……?」


 シモンさんは難しい表情をリベカさんに向けた。それを受けてリベカさんは答える。


「捜すよ。それが約束だからね」


 これに何か言おうとしたシモンさんだったけど、リベカさんは目で制した。


「事情は変わろうとも、一度約束したことは果たさないとね。それが私達の仕事、でしょ?」


 リベカさんにちらと見られて、シモンさんは溜息と同時に肩をすくめた。


「ありがとうございます。あたしはどうしてもノアに会いたいんです。お二人の力を頼りにしてます」


 そう言ったあたしに二人は笑ってくれたけど、その笑顔には懸念の色も見えた。もしかすると、これまで通りには捜してくれないかもしれない。お父さんのこと、話すべきじゃなかったのかな。余計な心配させたみたいだし……。でも今さらどうしようもない。リベカさんとシモンさんを信じて、あたしはその時を待つしかないんだ。


 その夜、二階の部屋で寝てたあたしは喉に渇きを覚えて目が覚めた。カーテンをめくって窓の外を見れば、まだ闇しかない深夜だった。眠い。さっさと水を飲んでもう一度寝ようと、部屋を出て階段に足をかけた時だった。


「――のか?」


 階下のほのかな灯りと共に人の声に気付いて、あたしは足を止めた。……こんな時間にまだ起きてるなんて、珍しいな。仕事の話でもしてるのかな。


「ありゃ十中八九、復讐に決まってる」


 シモンさんの声だった。復讐って――


「姉弟で苦労しながら生きてきたってのに、またここで人生狂わせることはねえだろ」


「意外ね。ミリアムのこと、そこまで気にかけるなんて。やっぱり惚れた?」


「前のこと蒸し返すな! 俺はここの仲間として言ってんだ」


 リベカさんのからかうような笑い声が聞こえる――あたしの話をしてんだ。何か、水を飲みに行きにくいな……。


「たとえ復讐で会うとしても、殺すことまでするかはわからないじゃない」


「殺さずにどう復讐するってんだよ。唾吐きかけて終わりか? そんなんで気が治まるわけねえし」


「腕一本とか、片目えぐるとか」


 リベカさん、恐ろしいこと言うんだな……。


「殺すよりそっちのほうがばれやすいだろ。生かしたまま逃がせば――ってそういうことじゃなくてだな。俺はまだ未来あるミリアムに、一時の感情から下手に道を踏み外してもらいたくねえんだよ。それはリベカも同じだろ?」


「うん。ミリアムには幸せになってもらいたいな」


 あたしは静かに階段に腰を下ろして話に聞き入った。……優しい二人に出会えて、本当によかった。


「そう思うなら、やっぱノアを捜すのは切り上げたほうがいい」


 ……予想通りになるのか。


「ミリアムには悪いが、適当な理由付けて、見つからなかったって結果を出すんだ。そうすれば諦めて――」


「それはどうかな」


「何がだよ」


「六年間ずっと捜してんだよ? それを今さら諦めると思う? 私なら諦めないと思うけど」


「だから俺達がその結果を示してやるんだよ。それを見れば――」


「駄目な結果だろうと、あの娘はノアの死体を見るまでは諦めないと思う。私達が見つけられなきゃ、他の人捜し業者に頼むだけでしょ」


「何でそこまで言い切れんだよ」


「だって思い出してよ。ミリアムが初めてここを訪れた時のこと。お金なんか全然なくて、野宿する生活だったんだよ? 生きるのも苦しい状況なのに、あの娘はノアを捜してもらえるか聞きに来た。そんな余裕なんてないはずなのに。わかるでしょ? それだけミリアムはノアに会いたい気持ちが強いってことなのよ。そう簡単に諦めるわけない」


「………」


 シモンさんは小さく唸って黙ってる。リベカさんはやっぱり鋭い人だ。


「ずっと見つからないまま復讐心に縛られて生きるよりは、私達が捜して、それを見届けて、すべて終わらせてあげたほうがいいと思うの」


「じゃあ何か? お前は殺しに手を貸すってのか?」


「ミリアムが殺すつもりかはわかんないでしょ。それ以前に復讐かもわかんないし。頭が先走り過ぎだって」


「かもしれねえけど、復讐はほぼ間違いねえだろ。捜して見届けるってんなら、リベカ、お前はもしミリアムに復讐の協力頼まれたら、どうする気だ」


「そうだなあ……」


 声が途絶えて静けさが流れる――そんなお願い、あたしがすることはないけど、でも、リベカさんならどうするんだろう。他人のあたしのために身を削るような真似、するのかな……。


「……多分、協力しちゃうかな」


 瞬間、あたしの胸には小さな驚きと、大きな嬉しさが広がった。リベカさんはそういう人だってわかってたけど、ここまで懐が深いなんて……。


「あいつと一緒に罪背負うのかよ」


「そこまでの覚悟はまだないけど……でもさ、復讐って悪い記憶がさせてることでしょ? だったらそんな記憶、早く片付けるべきだと思うの。何十年も執着して、自分の人生振り回されるもんじゃない。だから私はミリアムのために、してあげられることはしてあげたいと思っただけ」


 するとシモンさんの息を吐き出す笑いが聞こえた。


「……何よ」


「いや、何でもねえ」


「何でもなくないでしょ。言ってよ」


「……前から思ってたことではあるんだけどさ、お前、ミリアムと自分を重ねてるよな」


 リベカさんが、あたしと……? 似たところなんてそんなにないと思うけど。


「そんなふうに、見えた?」


「ああ。ミリアムをここに連れて来た時から、何となくな。悪い記憶は早く片付けるべきってのは、まさしく自分自身に言ってる言葉だ」


 また静けさが流れた。リベカさんにも、悪い記憶が……?


「……そうかもね。でもそんなこと、もう忘れた」


「本当か? 前にお前がベッドでな――」


「忘れたんだってば。本当に、忘れたことだから……」


「お前はそうでも、俺はまだ忘れてねえから」


「忘れていいのに。もうどうでもいいことよ」


「どうでもよくねえだろ。やつはリベカの――」


「話がずれてる。私のことじゃなくて、ミリアムの話をしてたんでしょ? ノアはこれからも捜すってことでいい?」


「リベカ、感情を押し殺すな。苦しきゃ俺に――」


「決まりね。じゃ私、寝るから」


「おい、リベカ!」


 階下から足音が近付いて来て、あたしは慌てて自分の部屋に戻った。扉越しにリベカさんらしき気配が通って、隣の部屋が閉まる音を最後に静寂が戻った。それを確認して、あたしはベッドに潜り込んだ。盗み聞きしてるうちに喉の渇きも忘れてしまった。リベカさんとシモンさんの、あたしを思い遣ってくれる優しさを聞けたのは嬉しかった。でもその一方で、話を避けたリベカさんの様子が気になった。口にしたくないような悪い記憶が、リベカさんにもあるんだろうか。いつも明るくて、笑顔で接してくれるけど、何の陰もない人なんていないんだ。リベカさんも例外じゃないってことなんだろう。シモンさんも知ってるみたいだったけど、一体何があったのかな――そんなことを気にしながら、あたしは眠りに落ちた。

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