四話

「こんな非力な部下が出来るとはな……リベカに感謝しろよ」


「はい。シモンさんもありがとうございます」


「俺にはいらねえよ」


 並んで歩くシモンさんはちらとあたしを見ると軽く手を振った。


 あたしが便利屋の従業員になることは、またというか、やっぱりというか、リベカさん一人で決めちゃったことで、シモンさんには事後報告になった。そのことで二人は言い合いになったみたいだけど、こういうことは結局シモンさんが折れるしかないみたいで、あたしが働くのを渋々了承してくれて今に至る。シモンさんとしては、もっと頼れそうな部下が欲しかったんだろうけど……それはごめんなさいと言うしかない。


「……これからどこへ行くんですか?」


「そう遠くはない。もうちょっと行った先だ」


 正午を過ぎて人通りのある道を進むシモンさんにあたしは付いて行く。一体何をしてるかというと、今日は簡単な仕事があるとかで、それを何もわからないあたしに見学させて、どんな感じかわかってもらおうっていうことらしい。つまり新人研修みたいなもんだ。いきなり外へ出て仕事を頼まれても、あたしには便利屋の仕事はさっぱりだから、実際に見させてもらえるのはありがたい。


「何か修理したり、代わりに買い物したり、そういう仕事ですか?」


 聞くと、シモンさんがじろりとあたしを見た。


「そんな普通のことはしねえよ」


「じゃあ何ですか?」


「預かった物を指定場所に持ってくだけだ」


 それこそ、ごく普通の仕事に思えるけど……。


「単なる荷物運びだと思ってんだろ」


 見透かしたシモンさんが、すかさず言った。


「違うんですか?」


「違くはねえけど、ちょっと危険が混じることがあってな」


「危険って、どんな?」


「見てりゃそのうちわかるかもな……お前はここで待ってろ。用を済ませてくる」


 道の角で待つように言うと、シモンさんはその道を曲がって民家が並ぶほうへ消えて行った。人の流れを眺めながら待つこと三分。シモンさんはすぐに戻って来た。


「……もう終わりですか?」


「ああ。依頼は果たした。帰るぞ」


 そう言ってあたし達は来た道を戻って行く。


「何か、危険なことがあったんですか?」


 見てた限り、そういうことは何も起きてなさそうだったけど。


「今回はなかったな。あってもおかしくねえんだけど……まあいいか」


 シモンさんはぼそぼそと呟く。よくわかんないけど、今回は安全に出来たってことなんだろう。それならよかった。


 でも、しばらく歩いてると、シモンさんの様子がちょっと変わった。何もしゃべらなくなって、頻繁に視線を動かしてる。何かを気にしてるような素振り……。


「……どうかしたんで――」


 聞いた瞬間、向けられたシモンさんの鋭い目に、あたしは口を閉じざるを得なかった。静かにしろと言ってる。一体何だ……?


「こっちだ」


 シモンさんに背中を押されて、人通りのある道から横道に入った。便利屋に帰るのに、こんな道通らないけど。


「シモンさん――」


 聞こうとすると、あたしの声に重なってシモンさんは言った。


「俺から離れて、奥へ行ってろ」


「え……?」


「ほら、あれが危険ってやつだよ」


 言って顎をしゃくった先を見ると、あたし達をつけるように道へ入って来る二人組の男がいた。その視線は明らかにシモンさんに向けられてる。何か、ただならぬ雰囲気……。


「行け」


 肩を押されて、あたしは言う通り道の奥へ行った。そして大きな植木の陰に隠れてシモンさんを見守る。何が始まるのか。


「よお、すぐに突っかかって来るかと思ってたのに、後をつけるとはなかなか趣味が悪いな」


 腕を組んで二人組と対峙したシモンさんは余裕のある口振りだ。


「おかげで人目を気にせず、こうして話せる」


 右側の男は低い声で言う。


「アレを作ったのは誰だ」


 左側の男性はねめつけながら言う。


「そんなの知るか。こっちは運ぶよう頼まれただけだ」


「隠してもいいことはないぞ」


「隠してねえよ。……てめえらさ、聞く相手間違えてんだよ。一運び屋にそんな情報教えるわけねえだろが」


「それはわからないだろう……」


 右側の男性は上着のボタンを外すと、手首と首を回し始めた。……まさか、闘うの?


「……念には念を、だ」


 男達は拳を握って殴る気満々でいる。見てるのは何だか怖いけど……。


「初めからその気だったんだろ? いいぜ。このほうが消えてもらうのも早いしな。よし、来いよ」


 シモンさんは肩を回して手招きする。だ、大丈夫なのかな。相手は二人だけど……こういう喧嘩が出来る人なのかな。


 はらはらしながら見守ってたけど、そんな心配はまったく必要なかった。シモンさんは攻撃をかわしながら、思わずあたしが痛いと声をあげそうになるほど、二人を殴り続けた。それだけじゃない。腕をねじって、膝でお腹を蹴って、倒れた相手を無理矢理起こして、その顔をはたき飛ばす。多分もう二人に闘う気力は残ってない。それだけこてんぱんにしたのに、シモンさんは手を緩めない。歯が折れて、血飛沫が飛ぶ。もう、いいんじゃないかな――あたしは速くなった鼓動を感じながら目を伏せた。


「……ふう、もう寝たか?」


 赤くなった手を振りながらシモンさんは地面に倒れた二人を見下ろす。つま先で体を小突いて、ぴくりとも動かないのを確認すると、その目は隠れるあたしに向いた。


「待たせたな。行くぞ」


 それだけ言って先へ行こうとするのを、あたしは慌てて追った。


「待って、ください……」


「……何だ? 青白い顔して。そんなに怖かったのか?」


「殴ったり、殴られたりするのって、見てるだけでもすごく、怖いんです」


「そうか。そりゃ悪かったな。怖がらせて」


「いえ……でも、あの人達って何なんですか?」


「ある組織の下っ端だ。大した組織じゃねえけどな」


「組織っていうのは……?」


「ベリアラの街ってのは、表を仕切る者と裏を仕切る者がいんだ。その裏の社会じゃ大小の組織が土地とか利権とかの金を巡って毎日鍔迫り合いしてんだよ」


「裏社会……そんな世界の人が、どうしてシモンさんのところに?」


 聞くと、シモンさんは不思議そうにあたしを見た。


「お前、まだ聞いてねえのか?」


「何をですか?」


「俺達は裏社会の人間の依頼しか受けねえって方針」


「初耳です。そうだったんですか……」


 リベカさんが前に言ってた一定の人達っていうのは、裏社会にいる人達のことだったのか。


「裏のやつらのやり方は乱暴なことが多くてな。だからまあ、ある組織の依頼を受けて、それを知った対立組織が、さっきみたいに人送って邪魔してくることもあんだよ」


「それが危険ってやつですね」


「ああ。でも安心しろ。危険がある仕事をお前にやらせるつもりはねえから。一番安全でつまんねえ仕事をやってもらう」


「は、はい。そうしてもらえると助かります」


 シモンさんと同じ仕事をやらされたら、命がいくつあっても足りない。たとえつまんなくても仕事は仕事だ。


「それにしても、強いんですね、喧嘩」


「こんなの普通だ。今回は相手が弱すぎたんだろ」


「でも、二人を相手に容赦なく、というか……」


 倒れた二人に思わず同情したくなるほど、シモンさんは圧倒してた。


「手加減すれば、また来るやつもいるからな。最低半殺しにしておくに越したことはねえ。それが裏社会のやり方ってやつだ」


 半殺しだなんて……シモンさんは涼しい顔で、かなり怖いことを言う……。


「こういうことに、もう慣れてるんですね」


「そうだな。前はこんなの、日常的だったけどな」


「日常的?」


 聞き返すと、シモンさんはあたしに振り向いた。


「ああ。俺は昔、裏社会にいたんだ。組織にもよるだろうが、基本下っ端は拳を使う役目が多いからな。喧嘩は嫌でも慣れてくる」


 元は裏社会の人だったんだ。だから逃げたり怖がることもなく、あんなふうに出来たのか。


「何で裏社会から出て便利屋を開くことに……あっ、あんまり聞かないほうがいいですね」


「別に構わねえよ。隠してるわけでもねえし。組織を抜けたのは、周りに俺より優秀なやつらがたくさんいたからだ。平凡すぎた俺はいてもいなくてもいいような気がしてな。だから抜けた。上の幹部はそれを理解して、何の咎め立てもなく許してくれた。普通は組織を抜けるってのは、それこそ命懸けの場合もあるが、俺は運がよかった」


「次の仕事に選んだのが、どうして便利屋だったんですか?」


「手っ取り早く始められそうだったからだ。俺には大した学も特技もねえからな。やれることは限られる。で、便利屋を思い付いた」


「リベカさんも同じように?」


「いや、あいつは少し後に来た」


 あたしは首をかしげた。


「一緒に始めたんじゃないんですか?」


「まあ、そう言ってもいいが、正確には違う。俺が最初に開いて、その直後にリベカが働くことになった」


「へえ、そうだったんですね。事務所を仕切ってるのはリベカさんのように見えたから、あたしはてっきりリベカさんがお店の責任者だと――」


「そうだ。あいつが責任者だ」


「……え? だけど、便利屋を開いたのはシモンさんなんですよね」


「開いたのは俺だが、店をまとめてるのはリベカだ。役所にも経営責任者はリベカの名前で出してる」


「じゃあ、シモンさんは従業員、ということですか?」


「そうなるな……不思議か?」


「ちょっと……」


 後から来たリベカさんにお店を預けて、自分はそこで働くって、何か変な感じもするけど。


「でも俺にはそれでいいんだよ。このでかいなりと体力ぐらいしか取り柄のねえ俺は、常に動き回ってるほうが性に合ってんだ。依頼の調整とか金勘定はリベカのほうが確実に上手いからな。あいつは経営者向きだよ」


 なるほど。適材適所ってわけか。でもあと一つ聞いてみたいことがある。


「お店の名前って確か、セビンケル、でしたよね。これはどこから取った名前なんですか?」


「ああ、セビンケルってのは犬だ」


「犬? どこかの言葉でそういう意味なんですか?」


 聞くとシモンさんは笑った。


「ははっ、そうじゃなくて、俺が昔飼ってた犬の名前だ」


「飼い犬の名前をつけたんですか? どうして?」


「単なる便利屋に自分の名前とか、しゃれた名前を付けるのはどうも馬鹿っぽい気がしてな。適当でいいかと思って、犬の名前にした」


「リベカさんはそれ、知ってるんですか?」


「ああ。言ったら、依頼主の犬になるみたいな感じで、いいんじゃないの? って気に入ったみたいだったな」


 依頼主の犬……リベカさんの感性は独特なものがあるな。確かに便利屋の仕事は依頼主の用件を聞くことだけども。


「……悪いが、まだ他の仕事があるんだ。ここからは一人で帰ってくれ」


 お店までもう少しのところで、シモンさんは立ち止まるとそう言った。


「そうなんですか? 何か手伝えることがあればあたしも――」


「手伝いはいらねえよ。お前には危険な仕事だからな。リベカにはさっきの荷物運びのことだけ報告してくれ。それじゃな」


「あ、はい、お気を付けて……」


 シモンさんはあたしの言葉を聞き終えないうちに、足早に離れて行ってしまった。急ぐ仕事なのかな。今日は他に仕事があるって聞いてなかったけど……あたしには出来ない仕事だから言ってなかっただけなのかもしれない。とりあえずお店に戻ってリベカさんに報告するか。


 その後、あたしは報告を済ませて、事務の手伝いをしながら時間を過ごした。リベカさんと楽しくおしゃべりして夕食も終えた頃、シモンさんはようやく事務所に帰って来た。


「ふう、すっかり暗くなっちまったな」


 そう言いながら入って来たシモンさんは、事務所にいるあたし達を見た。


「ん? まだ何かやってるのか?」


「違う。夕食食べ終えたところ。そっちは何してたの? 他の仕事してたらしいじゃない」


「あ、ああ、少しやり残してたことがあってな。やっとかないと報告書に書けねえからさ」


「こんな時間まで? 最近そういうこと多くない?」


「そうか? ちょっと頑張りすぎか? 俺」


「って言うか、昼間に出来る仕事は昼間のうちにやっておかないと。昼も夜も動きっぱなしじゃ体力持たないよ。しっかり自己管理してよね」


「そうだな。気を付けるよ」


「夕食用意してないけど、何か買って来る?」


「いや、仕事の合間に食べたからいい」


「そう。台所にパンが残ってるから、それ食べてもいいわよ」


「おう。……ミリアム、報告はしたか」


 シモンさんは応接室へ向かいながらあたしに聞いてきた。


「はい。ちゃんと伝えて、今はお二人のことを聞いてたんです」


 そう言うとシモンさんは足を止めた。


「……俺達のこと?」


「便利屋のことは聞いたけど、お二人の関係とかはまだ聞いてなかったんで」


「出会ったのは九年前って話してたところ。あの頃のシモンは今よりもっと悪い顔付きでね。犯罪者にしか見えなかった」


 笑いながらリベカさんは言った。


「犯罪者って……そりゃまあ、それに近いこともしてたけどな」


「まだ裏社会にいた頃に出会ったんですね」


「まあな。リベカだって、けばい化粧して今より女らしく振る舞って、全然別人だったじゃねえか」


「けばいは余計よ。あの頃は早く大人の女になりたかったの」


 リベカさんは化粧はしてないみたいだけど、それでも綺麗だ。今は二十九歳って言ってたから、九年前だと二十歳……あたしと同じ歳だ。大人ではあるけど、まだ半分子供が残ってるみたいな感じで、早く大人の女性になりたいって気持ちは何となくわかる気がする。


「リベカさんはその時、何をしてたんですか?」


「酒場で働いてたわ。小さな舞台があったから、たまにそこで踊って見せたりしてね」


「踊りを? リベカさんって踊り子さんだったんですか?」


「そんなんじゃなくて、人手が足りない時なんかに穴埋め的に踊っただけのことよ。私は主に接客担当」


 細い体形は踊り子さんっぽいけどな。リベカさんの踊り、ちょっと見てみたい気もする。


「もしかして、その酒場にシモンさんが来て、出会ったわけですか?」


「いや、客じゃねえが、行き付けの店でよく顔を合わせてな。そこで顔見知りになって話すようになった」


「え、そうだったっけ? 酒場近くの道でシモンが話しかけてきたのが最初じゃなかった?」


「何だそれ? あの料理屋が初めて会った場所だ」


「でも私の記憶だと、道端でナンパされたってことになってるんだけど」


 ナ、ナンパ……?


「俺がか? 他の男と間違えてねえか?」


「あんたの顔と見間違えるわけないでしょ。絶対そうなんだから」


「確かなのか? 俺の記憶にはねえけどな……」


「先に惚れたのはシモンだから、それでナンパして声かけてきたんでしょ? つじつまは合うじゃない」


 惚れたとかナンパとか、もしかしなくてもこれは――


「あの、お二人って、恋人同士なんですか?」


 リベカさんが丸い目を向けて言った。


「ええ、そうだけど。わかんなかった?」


 言われればそうだろうなとは思うけど、見ててそれらしい雰囲気が少しもなかったから、恋人というよりは仕事上の仲間だと思ってた。二人は付き合ってるんだ……。


「あのさ、先に惚れたのはリベカのほうだろ」


 腕を組んだシモンさんが首をかしげながら言った。


「何言ってんの? 告白したのはそっちでしょ」


「告白はそうだけど、先にその気になったのはお前が先だった」


「違うから。それはナンパしてきたそっち」


「だからナンパなんかした覚えねえよ。料理屋でお前が俺のところ来て声かけたのが最初だ」


「それより前にあんたはナンパしてきたの。それで私が声かけたんじゃない。惚れたのはそっちが先よ」


「いいや、確実にお前だ。だって俺ナンパした覚えねえんだぞ? それだけの印象しかなかったってことだろ。お前が話しかけてきて初めて意識したんだからな」


「絶対に違うってば! その頭でちゃんと思い出しなさいよ!」


「惚れたのはお前が先だ。間違いない!」


 どっちが先に惚れたかなんて、正直あたしにはどうでもいいことなんだけど……。


「あの――」


「――じゃあ証明出来るっていうの? 今すぐここで!」


「そんなの無理に決まってんだろ!」


「なら認めなさいよ。あんたが私に惚れたって。ほら、言って」


「自分に嘘はつけねえな。そっちこそいい加減認めろよ」


 二人はあたしを無視して子供の喧嘩みたいに言い合いを続けてる。まあ、出会いの話は聞けたし、この辺りで失礼しておこうかな。


「あたし、部屋へ行きますね……」


 そう言っても二人の言い合いは止まらず、あたしは物音を立てないようにそろりと椅子から離れ、階段へと向かった。


 翌日、二人は何事もなかったかのように普段通りに会話を交わしてた。喧嘩になるほどの言い合いにはならなかったらしい。一安心だ。結局どっちが先に惚れたのか、結論を聞いてみたい気もしたけど、それでまた言い合いが始まったら困るから、あたしはそれには触れないことにした。どっちでもいい話だしね。

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