五話

 事務所内の掃除をしてると、リベカさんが買い物から帰って来た。


「あ、お帰りなさい」


「ただいま……ああ、そうか。ミリアムに頼んでもいいかもね」


 独り言を言いながらリベカさんはあたしのほうへ来た。


「何か仕事の手伝いですか?」


「うん。手伝いというか、仕事ね」


 そう言うとリベカさんは買い物袋を下ろし、小脇に抱えてた箱を見せた。


「これを届けるの。やってくれる?」


 長方形の箱は綺麗に包装されており、誰かへの贈り物みたいな感じだ。手に取ると、まあまあな重さを感じる。


「あたし一人で届けるんですか?」


「そう。買い物の途中で頼まれちゃってね。私この後、他の仕事しなくちゃなんないから」


 あたしは箱を見つめた。仕事を任されるのは嬉しいけど、物を届けると聞くと、前にシモンさんと行って見知らぬ男達と闘ったことを思い出してしまう。


「大丈夫よ。危険はまったくないから。これは常連さんからの依頼でね。毎年頼まれてんのよ。別れた夫の元にいる息子さんに誕生日プレゼントを届けるだけの簡単な仕事よ」


「じゃあ、誰かに襲われることはないんですね」


 リベカさんは、ふっと笑う。


「そんな仕事はやらせないから、安心して」


「わかりました。それならあたしでも出来ますね。どこへ届ければいいんですか?」


「ちょっと待って。今地図を描くから」


 机にある紙に素早く描くと、リベカさんはそれをあたしに差し出した。


「これでわかるかな」


 ここの便利屋を起点に、西のほうへ線の道が伸びてる。ところどころに目印になるものが描き込まれてて、たどった先に目的地の家の住所が書かれてる。迷う余地のないわかりやすい地図だ。


「西へ行った住宅街ですね」


「うん。今日中に届けてほしいっていうから、今から行く?」


「はい。この距離なら、行きと帰りで一時間ぐらいですね」


「戻ればちょうど昼ね。昼食用意して待ってるわ」


 あたしは掃除道具を片付けて、描いてくれた地図とプレゼントを持って早速出かけた。


 街中はいつも通りの喧騒だ。人が行き交い、馬車が行き交い、物が行き交ってる。それらが立てた砂埃を避けるように頭上を見上げると、ちぎったような雲だけが浮かぶ真っ青な空が広がってた。気持ちいいそよ風も吹いて、あたしの心は何となくうきうきしてくる。初めて任された依頼はやっぱり嬉しいな。届けるだけのごく簡単な仕事だけど、だからって気を抜くのは禁物だ。何事も油断なく、しっかりやらないと。


「……誕生日か」


 この箱の中には何が入ってるんだろ。息子さんへのプレゼントか……依頼した女性はきっと息子さんを思い描いて選んだんだろうな。あたしにも昔、そんな時があった――


 子供の頃は誕生日が祝われるものだと知らずにいた。家が貧乏なせいで生まれて以来、祝われたことがなかったからだ。だからあたしは誕生日というものを強く意識したことがなかった。彼に……ノアに言われるまでは。


「ミリアムって誕生日いつ?」


 よく憶えてないけど、そんな話になって、あたしはノアに誕生日を聞かれた。


「えっと、五月十六日だったかな……」


 大して意識してなかった誕生日だけど、その日が来ると一歳増えるということぐらいはさすがに知ってたから、自分の誕生日は何となく憶えてた。


「何だ。もう過ぎたんだな」


「ノアは?」


「俺は――月――日だ」


「そうなの? じゃあもうすぐだね」


 彼の誕生日もよく憶えてない。でも、その時は暑い日差しが降り注ぐ真夏だったことは覚えてるから、多分ノアは夏生まれだと思う。


「うん。父ちゃんに前は靴貰ったから、今度は帽子かかばんを貰うんだ」


「何で?」


「誕生日だからに決まってんじゃん」


「誕生日に何で物を貰うの?」


 そう聞いた時のノアの顔はうっすらと憶えてる。奇妙なものを見るように、何とも不思議そうな目で見つめてたと思う。


「誕生日は皆で祝って、プレゼントが貰える日だからだよ。ミリアムんちはそうじゃないのか?」


「そんなこと、されたことないけど……他の家は皆そうなの?」


 そこであたしは、初めて誕生日というものはめでたいもので、その気持ちから物を贈る習慣があるんだと知った。ノアはそんなあたしに驚いたかもしれないし、家の状況を察して同情してくれたかもしれない。とにかく彼に世間一般の誕生日を教えられて、あたしは今までつまんない誕生日を過ごしてきたんだなと理解した。


「親に言ってみれば? 次の誕生日はあれが欲しいってさ」


「言っても、多分無理だよ……」


 家の状況から、あたしがプレゼントを貰えることはなさそうだとわかってた。そういう家庭にあたしは暮らしてた。


「それより、ノアの誕生日なら、何かプレゼントあげないとね」


「いいって。何もいらないよ」


「でも何かあげるのが誕生日なんでしょ? 絶対にあげたいよ」


「いいよ。用意するの面倒だろ。本当にいらないから」


 ノアは遠慮していらないと言ったけど、あたしはそれを素直に聞くつもりはなかった。


「……ノア兄ちゃんにあげるもの?」


 一人で考えても思い浮かばなかったから、あたしは弟のアロンに相談することにした。


「うん。何あげたら喜んでくれると思う?」


「何でそんなことするの? いたずらして怒らせたとか?」


 あたしが誕生日の習慣を知らなかったんだから、同じ屋根の下で暮らすアロンも当然プレゼントのことなんて知らなかった。


「そうじゃないけど、あげなきゃいけないの。何かない?」


「お菓子とか?」


 この頃のアロンは何かとお菓子を食べたがってた。小さい子供はそういうものだけど。


「お菓子は……買うと高いし、作る材料もないから駄目」


 お金を持ってないわけじゃなかったけど、買うにしても飴玉一つ分ぐらいしか買えない額で、プレゼントがそれっていうのも何だかぱっとしない気がした。何より、ノアが喜んでくれるとは思えなかった。


「えー、じゃあないよ」


「ちゃんと考えてよ。アロンが欲しいものじゃなくて、ノアが欲しそうなもの。一緒に遊んでる時に言ってたりしてなかった?」


「うーん……あっ、前に見た知らないおじさんの帽子見て、かっこいいなって言ってたよ」


「帽子……も、駄目。あたしじゃどうにも出来ない」


 お菓子以上に帽子なんて難しい物だった。それに帽子はノアが親に要望する物だったから、仮に手に入ってもプレゼントが重なる恐れもあった。


「帽子、欲しそうだったよ?」


「わかってるけど、でも他にない?」


「……池に釣りに行った時――」


「え? アロン、またあの溜池に行ったの? あそこは深くて危ないから行っちゃ駄目って――」


「ノア兄ちゃんと一緒だったから大丈夫だよ」


「一人で絶対に行っちゃ駄目だからね。溺れて死んじゃうんだからね」


 畑が広がる先へ行くと、農業用の溜池があって、そこは近所に住む子供達にとっては絶好の釣り場となってた。でも池は深く、子供の身長じゃ足が付かないから、毎年溺れる事故が起こる危険な場所でもあった。だからあたしは弟にもう行くなと言い続けてたんだけど、やっぱり子供というのは見てないと言うことなんて聞かないもんだ。


「わかってるよ。……で釣りに行った時、ノア兄ちゃん、一匹もザリガニが釣れなくて、すごく悔しがってたんだ。代わりにたくさん釣ってあげるってのは?」


 確かにノアは池でよく釣りをしてた。あたしは特に興味なくて、彼が上手いのか下手なのか知らないけど、悔しがってたんなら代わりに釣ってあげるっていうのも一案だと思った。


「ザリガニか……それにしてみるか」


 お金で用意出来ないとなると、これが最良という結論だった。ノアが喜ぶかどうか微妙に思えたけど、笑ってはくれるはずだと、あたしは翌日、池へ行くなと言い聞かせてたアロンを連れてザリガニ釣りに向かった。今思えば、まったく都合のいいやつだ。危険だと言ってる場所に自ら連れて行ってるんだから。この後の災難はそんなあたしへの罰だったんだろう。


 雑草に囲まれた溜池はいびつな円を描いて、茶色く濁った水面に周りの景色を映し出してた。縁まで近付いてのぞき込んでみても、泳ぐ小魚やザリガニの姿は見えなくて、ちゃんと釣れるのか心配だった。


「アロン、何も見えないけど、釣れるの?」


「釣れるよ。この前は五匹釣った」


 アロンは手製の釣り竿に、ごみ捨て場で拾った残飯の餌を付けて池に糸を垂らした。それをあたしはただ見守って待つだけだったんだけど、そこへ不穏な客が現れてしまった。


「おい、どけよ。ここは俺らの場所だぞ」


 来たのは同じ貧民街に住む子供達だった。初めて見る顔だったから近所の子供ではなさそうだったけど、見た目からあたしより少し年上の集団だった。


「どっか行けって。俺らの釣り場だ」


「邪魔だよ。ガキは帰れ」


 集団で、年上の子供達に強く言われると、あたしもアロンも畏縮して言い返すことが出来なかった。手こそ出してこなかったけど、睨まれながら詰め寄られると、早くこの場を去らなきゃと怯える気持ちもあった。でもあたしにはまだ去れない理由があった。ノアにあげるザリガニを絶対に釣りたい――よく考えれば日を改めればよかったものの、この時のあたしは今日絶対に釣ると意気込み過ぎてたのかもしれない。あるいは自分勝手な子供達に少なからず反発したかったのかもしれない。とにかく、どけという言葉を無視してあたしは池から離れようとしなかった。これが間違いだった。


「こ、ここは誰の場所でもないし。皆の場所でしょ?」


 実際はこの溜池の保有者がいたんだろうけど、何も知らない子供にしてみれば、ここは誰のものでもない場所だと思ってた。


「ああ? 何言ってんの? 俺らの場所なんだよ」


「勝手に釣りなんかすんなよ。していいのは俺らだけなの」


「姉ちゃん……」


 怖がるアロンはあたしに身を寄せてた。


「ほら、その釣り竿いらねえだろ。渡せよ」


 子供の一人がアロンの釣り竿を奪い取ろうとして、あたしは咄嗟に腕を伸ばしてさえぎった。


「やめてよ!」


「何だよ。文句あんのかよ」


「人の物盗むなんて、いけないことなんだから!」


「ここにある物は全部俺らの物なの。だからよこせよ」


「やめてってば! これは弟の――」


 横柄な子供から釣り竿を守ろうと、あたしはもみ合いになったんだと思う。その中で相手に押されたかして、踏ん張ろうとした足は池の縁にかかって、滑って、そのまま背中から溜池へドボンと落ちたんだろう。うろ覚えだけど。


「姉ちゃん!」


 アロンの驚いた声は聞こえた。あとは自分がもがく水の音しか聞こえなかった。昔も今もあたしは泳げない。まさに死ぬ間際の状態だった。必死すぎて溺れてた時のことはほとんど憶えてない。弟や子供達がどうしてたかもわからない。濁った水を飲みながら、あたしはただただ体力をすり減らしていくばかりだったんだろう。


 記憶があるのは、その後からのことだ。


「ミリアム! 起きろ! ミリアム!」


 呼ぶ声に意識を引き戻されて目を開けると、すぐ前にはノアの心配する顔があった。あたしの体はいつの間にか溜池から引き上げられて、地面に横たえられてた。助かったんだと安堵した。それと同時にノアが助けてくれたんだとわかった。心配する彼の顔と髪はびしょ濡れだった。


「死んだかと思った……」


 大きな息を吐いてノアは言った。


「……生きてるよ……」


「姉ちゃん! うあああ……」


 すぐ横でアロンが号泣する声が上がった。不安にさせたことは本当に申し訳ないと今でも思う。


「ミリアムは釣りしないのに、何で溺れたんだよ」


「アロンの釣り竿、守ったの」


「釣り竿?」


「ノアに、プレゼントしたくて……ザリガニ」


「え……?」


「悔しがってたっていうから、誕生日のプレゼントに……」


 この時のノアの顔ははっきり憶えてる。心配してた表情が少しだけ笑って、でも今にも泣きそうな表情を浮かべてた。


「いらないって言っただろ」


「でもあげたい」


「ザリガニなんかのために、ミリアムが溺れ死んだら、俺は最悪な誕生日を過ごすことになるんだぞ。だからそんなもん、いらないよ」


「じゃあ、何なら欲しいの?」


「もう貰ったからいい」


「何を?」


「ミリアムの気持ちだ。……ありがとう」


 あたしは結局、ノアに何もあげられなかった。それどころか迷惑をかけるだけで、濡れたまま帰れば親に叱られるからと、ノアの家で乾かしてもらう世話まで受ける始末だった。よかれと思ってしたことは、彼をずぶ濡れにさせ、心配をかけて終わった。やり直せるものなら、プレゼントが飴玉一つだとしても、あの時の誕生日を笑顔で祝ってあげたかった。そんな傍迷惑なあたしなのに、ノアはありがとうと言ってくれた。本当なら怒ったっていいはずなのに、彼は見えない気持ちを喜んでくれた。当時はそれほど深く感じなかったけど、大人になった今、ノアの大きな優しさは、時間を隔てようともあたしの胸を打つほど響いてくる。


「……この家かな」


 地図に書かれた住所を何度も確認して、あたしは一軒の家の前に立った。大きくも小さくもない、この街ではよく見かけるような一般的な民家だ。家の周りは綺麗に掃除されてるし、壁や屋根に剥がれたところもない。ちゃんと生活が出来てる家のようだ。まあ、ここは貧民街じゃないから当然か。


 玄関に近付いて、あたしは扉を軽く叩いた。少し待つと中から人の気配がして、おもむろに扉は開いた。


「……何だ?」


 出て来たのは三十代ぐらいの男性だった。この人が別れた元夫かな。


「お届け物です」


 あたしは抱えてた箱を手渡す。それを男性は怪訝そうに受け取った。


「誰からだ?」


 そう言えば依頼者の名前、聞いてなかったな――少し考えて、こう言った。


「息子さんに、お母様からです」


 すると男性はそれで察したらしくて、ああ、と小さく言うと表情をわずかにしかめた。


「そう言えば誕生日だったな……ご苦労さん」


 素っ気なく言って男性は家の中へ戻って行った。別れた奥さんからだから、あんまりいい気はしないもんなのかな。少しも笑顔にならなかった。毎年贈ってるって言ってたけど、元旦那さんはちゃんと子供にプレゼント渡してるんだろうか。見た様子だと、何だか心配になってくる。余計なお世話だけど、確認してみようかな……。


 あたしは家の横に回り込んで、部屋の中が見える窓を探した。いけないことだけど、ちょっと見るだけなら――


「……あ」


 換気のためか開いてた窓を見つけた時、部屋にちょうど男性が入って来るのが見えて、あたしは姿勢を低くした。目だけをのぞかせてこっそり見てると、男性は綺麗な包みをバリバリと破って箱を開けようとしてる。……子供へのプレゼントを親が勝手に開けるだなんて。


「何だこれ……まったく、毎度つまらないものをよこしてくる」


 箱から取り出されたのは、二頭立ての馬車のおもちゃだった。なかなか高価そうなものだ。


「あいつはこういうものに興味ないとわからないのか? 今回もごみをよこしただけだったな」


 そう言うと男性は箱と一緒におもちゃを足下のごみ箱に放り捨ててしまった。その光景にあたしは驚いて固まった。子供に渡すことなく、勝手に開けた上、勝手に捨てるって……。


 男性は何事もなかったように部屋を出て行った。多分、子供にはプレゼントのことなんか言うつもりないんだろう。子供は何も知らずに誕生日を過ごすんだ。母親の愛する気持ちを感じられずに。それはあまりに可哀想だ。たとえ本当に興味のないおもちゃだったとしても、母親の気持ちはそこだけに乗せたものじゃない。贈るっていう行為そのものも立派な気持ちだ。的外れな贈り物であっても、母親は自分のことを考えてくれてるんだと伝わって、それを感じることが大事なんだ。あの時のノアみたいに、息子さんは喜べたかもしれないのに……。


 部屋に踏み込んでごみ箱からおもちゃを取り出したい。でもそんなこと出来るわけもなく、あたしは静かにその場を離れた。他人の問題にああだこうだ言うつもりなかったけど、でも依頼者の女性は元夫と別れて正解だと思う。人の想いをけなして、陰で捨てるような男性は、一緒にいても不快なだけだろう。そんな父親と暮らす息子さんが同じようにならないことを、届けた者としてただ願うばかりだ。

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