第132話 マレハさんから買い出しを頼まれる  前編

「トキヤ様、申し訳ございませんが、講習が終わった後にでも、少しお時間を頂けませんでしょうか?」

 講習の為に訪れたキセラの街の斥候ギルドの受付で、マレハさんにそう言われた。

「はい、大丈夫です。わかりました」

(なんだろ? 先日差し入れた、お菓子か漫画の話かな?)

 何の用事なのかと内心で首を傾げながらも承諾する。講習の後はいつもと同じように、午前中いっぱいは訓練していくつもりだったから他の予定も入れてないし、時間には問題ない。


 講習を終えた後、人形達をインベントリにしまってから受付に行くとそこから更に案内されたのは、品の良い応接室だった。お茶とお茶菓子を出され、ソファ越しにマレハさんと向かい合う。

「実は先日トキヤ様が差し入れ下さった漫画という本を読んで、大変に感動致しまして。こちらの世界に存在する絵本や図鑑とはまったく違った表現方法が多数見受けられ、それらがとても斬新で、読んでいて非常に没入感が得られる、素晴らしいものでした。特にコマ割りと文字と絵の一体化の手法は、こちらには存在しなかった物でして……」

 マレハさんの話は、そんなふうに始まった。

「小説とも絵本とも違う、大胆な構成と表現が多くありましたね! 緻密な絵柄、書き文字でさえもが芸術品となりえる、感情を余す事なく伝える手法にはいたく感心させられました! 登場人物の感情を豊かに表す表情には感服すると同時に共感を齎されましたとも! 背景ひとつとっても、その場の雰囲気や場所を細かく伝え、なおかつそのコマごとの主役を邪魔しないように意味を持って描かれているのが、初めて漫画を読む私のような素人にも直に伝わるというのはとても凄い事です。それらすべてが作品を構成する一部として生き生きと輝いて……」

 そして延々と終わらない、怒涛の感想が続いた。途中から聞き取れないくらいの早口になっていく。

(気に入ってもらえたみたいなのはいいけど、これ、どうしよう)

 個人的には、漫画の感想そのものは大歓迎だ。感想を語り合いたくて、俺の好みの漫画を差し入れにしたのだし、読んで感想を語ってもらえるのはとても嬉しい。

 ただ、これだけ早口だと俺には到底聞き取れないので、折角語ってもらっても、それを共有できないのが、残念で勿体ない。これはここらで一旦、止めに入った方がいいのだろうか。


「あの、気に入ってもらえたなら良かったです」

 マレハさんはまだすごい勢いで喋り続けているが、一旦止まってもらう為に言葉を返してみる。情熱のこもった熱い語りをぶった切ってしまって申し訳ない。

「はっ! 申し訳ありません。私とした事が! あまりの感動に、早口になってしまいまして……!」

 俺の一言で我に返ったらしく、恐縮して謝られた。

 そしてそこから、通常の優雅なテンションに戻ったマレハさんに頼まれた内容は、要するに日本の漫画の買い出し依頼だった。

 現在この街でも、あちらの本を取り扱う為の専用の図書館と本屋が建設中なのだが、完成や運営開始までにはまだ時間がかかる。その期間を待つのが辛いくらい、漫画という独特の読み物に嵌まったらしい。

「真に申し訳ありませんが、どうか一度だけお願いできませんでしょうか」

 深々と頭を下げられ、そんなに畏まらなくても、と俺は慌てて了承した。


「では、代金はこちらに用意しました日本円で宜しいでしょうか」

 マレハさんはあらかじめ、銀行で日本円を用意しておいたらしい。用意周到だ。

 差し出された袋には一万円札がぎっしり入っていて、中学生の子供に渡すにしては大金すぎませんかね、と内心で慄いた。どれだけ大量に買えば、それだけの束を使い切れるのか。

「その、全部使い切らなくても、お釣りを戻す感じでいいでしょうか……」

 俺はおずおずと申告する。多分、前世で読んだ漫画全部を揃えても、そこまでの金額には届かない気がするのだけど。

「勿論です。トキヤ様の判断にすべてお任せいたします」

「あと、長編の単行本なんかは、本屋にも全巻揃っていないものも多いので、注文で取り寄せする事になると思います。なので数日から一週間くらいの期間がかかると思いますが、大丈夫ですか?」

 日本の本屋も物理的に置ける容量に限度があるので、昔の漫画とか長期連載の途中の巻とかは置いてなかったりするのだ。一気に纏め買いするなら、ネット注文か本屋での注文の方が確実そうだ。

「こちらの街で漫画が取り扱われるのは、少なくともまだ数か月は先になります。それくらいの期間で取り寄せられるのならば僥倖です」

 多少時間がかかっても問題ないようだ。俺はマレハさんから丁重に袋に入った大金を預かった。ダンジョンで稼げるようになってからは大金を持つ機会もそれなりに増えたけど、それでもここまで分厚い札束を持つ機会など早々ないので、とても緊張してしまった。


 本の代理購入という頼みごとを引き受けた後、ふと気になって訊いてみる。

「この前、街役場にあちらの本がたくさん運び込まれたって聞いたんですけど、その中には、漫画の類はなかったんですか?」

「ええ、あちらから持ち込まれた本は、文章の物ばかりでしたね」

「絵本や写真集や図鑑もなかったんですか?」

「ええ」

 意外だ。漫画はともかく、絵本や写真集や図鑑くらいは、既に役人さんがこちらに持ち込んでいるかと思っていた。

「おそらく、国の役人の方が選んできたので、お堅いものが多くなったのではないかと思われます」

 マレハさんがこちらに持ち込まれた本が文章ばかりの物になった理由を推察する。

「なるほど。確かに役人さんが選ぶと、真面目な内容のものが多くなりそうですね」

 本屋の営業が開始されれば漫画も取り扱ってもらえるようになるだろうけど、できればその前に役員さんに、漫画やその他の幅広い種類の本も、持って来て欲しいとお願いした方がいいんじゃないだろうか。




 そんな訳で、家に戻ってから早速、ノートパソコンを使ってネット通販で漫画の纏め買いをする。

 偶に本屋の定価よりも高い値段で売っている代物もあるので、そこは慎重に値段を一つずつ確認しながら、本を選んで購入していく。人からの頼まれもので無駄遣いなんかできないからな。

 基本は前世の自分が好きだった漫画だ。読んでない作品は、もしマレハさんから感想を言われた場合に対処に困りそうだし、好きな漫画の方が自信を持ってお勧めできるので。

 ファンタジー好きな俺だが、前世では一時期、それ以外のジャンルもかなり読んでいた時期がある。気になれば少女漫画にも手を伸ばした。なのでわりと多彩なジャンルをお勧めできる。

 その分最新作ではなく、わりと古めの漫画中心になってしまうけど。


 定番の少年漫画のバトル物、異世界ファンタジーに現在ファンタジー、SF、音楽を題材にした物、妖怪などが出てくる和風ファンタジー、歴史物、時代物、擬人化、ギャグ、コメディー、シリアス、ほのぼの、成り上がり物、サクセス物、スポーツ物、化学を題材にした物や囲碁を題材にした物、食べ物を題材にした物なんかも。

 人気作もあるがマイナーな物もあり、正直、かなり趣味に偏ったラインナップだ。

 自分の好きな作品に限定したのに、それでも300冊以上になった。長編作品も多いので、単行本を全部揃えると結構な量になる。一シリーズで30冊以上とかザラにあるのだから仕方ない。

 そして中には、まだ完結していない作品も混ざっている。でもまあ、連載の先を楽しみに待つのも醍醐味の一つだと思う。

 ちなみに、これだけ大量に買っても、マレハさんから渡された大金の半分にもいかなかった。

 ちゃんと計算して間違いがないように、お釣りをきっちり返さないとな。


 その日の夕飯の時に、家族に家に大量の荷物が届く事情を説明しておいた。

 そして一応早渡海くんにも、メールで今回の件を説明しておく。

 別に漫画の代理購入を頼まれただけだから特に何もないと思うけど、先にこういう事があったと経緯を説明しておいた方が、何かあった時にはスムーズに説明できるので。

 まあ、友達の早渡海くんが相手だから、気軽に「今日こんな事があったよ」と世間話みたいな感じで報告できるんであって、大人の貞満さん相手に直接報告する形だと、わざわざこんな些細な事は報告するまでもないかな、となっていたかもしれない。

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