第119話 本音で話す 後編
「鳴神くん、まだ顔色が良くないね。もしかして他にも何か、気になってる事があるの?」
また、雪乃崎くんに心配そうに指摘された。
「そうかな?」
自分では自分の顔色はわからない。俺は何か、気にかかっている事があるのだろうか。そう考えて咄嗟に頭に浮かんだのは、母方の従兄弟の事だった。
そういえば、渡辺さんの話を聞いた時にも、彼を取り巻く家庭環境の事が思い浮かんだんだった。
……俺は千尋兄の事が、ずっと気にかかっていたのだろうか。
身内の話を友達に相談してもいいだろうか。雪乃崎くんも親戚の話をしてたし、具体的な関係や名前を出さずに相談してみようか。
きっと心のどこかにずっと引っ掛かっているから、指摘されるくらい顔色が悪いのだろう。
「その……、虐待とかじゃないんだけど、親戚の家で」
俺は事情を簡単に説明した。親戚の同年代の子が祖父母に育てられている事や、その父親が仕事で家に滅多に帰らないでいる事。そして俺の母がそれに対して口煩く注意する事で、父親は余計に意固地になっているように思える事などを。
「そっか。家庭内の問題は難しいから。でも……そうだね、もしかしたら鳴神くんのお母さんは、自分の思う「家族の形」に囚われてるところがあるのかもしれないね。家族は一緒に暮らさないといけないって思い込んでいるというか」
話を聞いた雪乃崎が、まずそう言った。
「それと、「親が人と争ってるのを見たくない」っていう気持ちをはっきり言えなくて、自分の内側に溜め込んでいるのも、鳴神くんにとってストレスなのかもしれないよ」
次に更科くんがそう指摘する。
「その親戚がどう思っているかなど、本人に聞かなければわからないだろう。一度思い切ってはっきりと、父親の事や今の環境をどう思っているのか聞いてみたらどうだ?」
最後に早渡海くんが直球な意見を言った。
みんなの意見はどれももっともで、俺の中のモヤモヤをわかりやすく言語化してくれていた。
「……そっか。そうだね。俺、母さんに否定的な意見を言うのに怖気づいて、一度も自分の思ってる事を伝えてないや……。それに今の環境をどう思ってるか、本人に確認した事もなかった」
自分が内心であれこれ考えても、それを母にも千尋兄にも伝えていなかった。
彼らの言う通り、結局のところは本人がどう思っているかわからなければ、どうしようもないのだ。
「俺、帰ったら、母さんと話してみるよ。その親戚とも」
「うん、親に意見するのってすごく勇気がいるけど、やっぱりちゃんと話をした方がいいと思う」
ダンジョン反対派だった親を自力で説得した雪乃崎くんが言うと、言葉の重みが違うな。彼もきっと、親に意見を言うのにすごく勇気を振り絞ったんだろう。
「頑張ってね、鳴神くん!」
「うまく行くといいな」
「ありがとうみんな。俺、ちゃんと話してみるよ」
話を聞いてもらって、助言してもらって、応援されて。ここまでしてもらって怖気づいている訳にはいかない。俺もちゃんと、母と千尋兄に自分の気持ちを伝えなければ。
姉と弟という関係は、姉が高圧的になるパターンもあると思う。
俺と姉でも少しそういう事がある。でも姉にキツいところがあるのは元々だし、そんな深刻な感じでもないし、俺はあまり気にしてないけど。
母の言動も、月臣叔父さんとの関係が姉弟であるというのに由来しているのだろうか。それとも歳が上の場合は、性別に関わらず下の兄弟に対してそういうところが出るのだろうか。
(でも、天歌兄さんはそんな感じ全然ないし。それに母さんの気が強いのは、元からの部分もある気がする。……俺の時は多分、父さんが止めてくれてたんだろうな)
俺が過去に無力感に打ちのめされて塞ぎ込んでいた時、家族旅行を取りやめるといった行動に出て、後は口うるさく注意したりせずに様子見に徹するようにしていたのは、父さんが主体でやっていたんだろうな、と想像できる。
母さんはもっと色々言いたい事っがあっただろうに、父さんから裏で止められていたのだろう。
ただ、俺に関しての問題は、父さんも自分の子供の事であるからと強く言えたのだろうけど、月臣叔父さんと母さんとの関係となると、母さんの弟である以外に父さんには繋がりがないので、何か思うところがあったとしても強く言えなかった可能性がある。
重要な内容で親に否定的な意見を突き付けるなんて、これまで一度もやった事がない。親に対して、そのやり方は間違っていると意見するなんて、思うだけでも気が重くなる。
(別に、俺が否定的な事を言ったからって、母さんがものすごく怒ったり、ましてや暴力を振るうなんて思ってないんだけど)
ただ本能的に、親に逆らうなんてとんでもない、というような思考が染みついている。親に反抗的な態度を取るのは悪い事だっていう固定概念があるのだろう。
(これも「固定概念」か。母さんが「家族は一緒に暮らすべき」と思ってるのと同じ感じかも)
思えば俺は、かつて家族旅行や行楽に頻繁に連れ出されていた時も、行きたくないと思っても、それを口に出して言った事はなかった。両親が家族での外出を取りやめて、休日を各自で過ごすスタイルに変更した後で、密かにほっとしただけだ。
それ以外でも、強く言われた内容に反論した覚えもない。どれも内心はともあれ、唯々諾々と受け入れてきたように思う。
親に反抗するというのは、非常に神経を使う。だから俺は自分の意見を言わずに過ごしてきた。反抗するのが怖かったから。その方が楽だから。
家族間で言い争いが起きて日々の生活が気まずくなるくらいなら、多少の不満は飲み込んでしまった方が、ずっと気が楽だったのだ。
千尋兄の事も、そのやり方はどうかと思いながらも、ずっと口に出せなかった。それを今更はっきりと意見できるだろうか。
(勇気を出さないと。俺はもう、見て見ぬフリはしたくなって、自分で決めたんじゃないか)
身近な問題でさえ親が怖くて口出しできないなら、他人が困っているのを目の当たりにしても、怖気づいて何も口出しできないままだろう。
「母さん、今時間あるかな。話があるんだ」
学校から家に帰って、いつもならダンジョンに潜るところを取りやめて、テーブルを挟んで向き合って椅子に座る。
俺は、できるだけ感情的にならないように心がけながら、昼間友達に話したのと同じように、千尋兄と月臣叔父について思っている事を話した。
母は最初、俺が否定的な意見を出した辺りで、何か喋ろうとして口を開いたけど、結局は何も言わず、最後まで俺の話を聞いてくれた。その表情は不本意そうでもあり、困ったようでもあり、怒っているようでもあり、とても複雑なものだった。
「……そう。鴇矢はずっとそう思ってたのね。だけど今までは、それを言えなかったのね」
ゆっくりと噛みしめるように母が話す。内心で思うところがあっても、努めて静かに対応しようとしてるんだとわかった。
「……うん。親に意見を言うのって、すごく勇気がいるから。俺はこれまでただ従うだけで、自分の意見を言えなかった」
今だって内心ビクビクと怯えてるし、ひどく落ち着かない気持ちがしている。だけど言いたい事をちゃんと言えたという達成感もあった。
「……それをちゃんと言えるようになったのは、鴇矢が成長したからね。そうやって勇気を出して言ってくれた意見を、私が頭ごなしに否定するのは、子供の成長を否定してるのと同じだわ」
母はゆっくりと息を吐いて、荒れる気持ちを落ち着けようとしているようだった。
多分、自分の行動を否定されて、反論したい思いもあったはずだ。怒って、感情的になって、どうしてわかってくれないのかと、哀しい気持ちにもなったかもしれない。
それでも母は、理性でそれを表に出さないように留めて、俺の成長を認めて受け止めようと努力してくれている。それが伝わってきて、逆に俺の方が泣きたくなってしまった。
(前世の母親だったら、ここで確実に怒って反論してきてた)
比べるのも失礼かと思って、これまで意図的に前世の親と今の親を比較しないようにしてきたけど、こうして俺の精神的な成長をちゃんと認めてくれる姿に、俺はついそんな事を思ってしまった。
(比べなくてもいいんだ。ただ感謝すればいい)
改めてそう、強く思う。俺は本当に面倒な子供だったろうに、投げ出さず、愚痴も言わず、ただ穏やかに見守ってくれていた今の両親に、深く感謝したい。
「……「家族は一緒に暮らすべき」。そうね、そういう考えがあって、そうしようとしない月臣を、頭ごなしに否定してきたのかもしれないわ。月臣はずっと、千尋くんの学費の為にも働かないといけないって言ってたのに」
しばらく黙って考えた後に、母さんはぽつりとそう言った。
「海外出張なんてしなくても、お金を稼ぐ方法ならいくらでもあるでしょって、気軽に考えて決めつけてしまっていたわ。仕事について、軽く考えていたのかも。……月臣が学生時代、イヌに大怪我を負わされてから、トラウマでダンジョンに潜れなくなっていたのを知っていたのに」
「え、叔父さん、ダンジョンに潜れなかったんだ」
俺は驚いて、母の独白に近い言葉を遮ってしまった。まさかトラウマでダンジョンに潜れなくなった人が、こんな身近に存在するとは思わなかったのだ。
「ええ、月臣はあれから一度もダンジョンに潜っていないはずよ。……今の時代、ダンジョンにまったく潜れないで働いていくのも就職しなおすのも、一苦労よね。それを考えれば、月臣がそう簡単に職を変えられないのも、私は知っていたわ……」
母は自嘲するように唇を歪め、深い溜息をついた。
弟のトラウマを知っていて、息子の傍にいるように強く言っていた自分の考えのなさを、責めているのかもしれない。無責任に今の仕事を辞めろと言っているのと同義だから。
「でも母さんは、千尋兄さんの事を思って言っていた訳だから」
母があまりにも辛そうで、俺はついそう言ってしまった。千尋兄にその本心を訊ねるには、そのまま心変わりしてもらった方が良いのだけど、だからといって、母に辛い思いをして欲しくなくて。
焦って言う俺に、母は苦笑して首を横に振った。
「それも鴇矢の言う通り、千尋くんに面と向かって、父と一緒に暮らしたいか聞いた事は一度もなかったわ。ただ当たり前に思っていたの。妻と離婚してたった一人の親になったのだから、もっと息子の傍にいてあげるべきじゃないのって」
雪乃崎くんの言っていた「囚われてる」って言葉が、そのまま当て嵌まっていたようだ。
「千尋くんに電話して、どう思っているのか聞いてみましょう」
電話で、勉強を邪魔するのを謝った後、母は淡々と俺とのやりとりを千尋兄に話した。
俺がスピーカー機能で一緒に聞いている事も、できれば千尋兄の本心をはっきり聞きたいという事も告げる。
それに対して、千尋兄はしばし沈黙した後、電話越しにはっきりと告げた。
「おれは父に感謝してる」
「猫を拾ってきた時、母は小汚いと嫌がって、飼うなら血統書つきの高級な猫がいいと言った。だけど父はおれに「責任を持って世話するんだ」と言って、猫を飼うのを許してくれた。それからも、父は猫を獣医につれていくのに一緒に行ってくれたし、室内飼いじゃないと猫にとって危険が多い事も調べてくれた。父は動物全般があまり好きじゃないのに、そうしてくれたんだ」
千尋兄が、父に感謝する理由を淡々と言葉にしていく。
彼が拾ってきて今も溺愛している猫を飼う事を許してくれ手助けをしてくれた事が、感謝の理由の一つになっているようだ。
「それに、おれが獣医になりたいと決めた後も、一度も反対せずに応援してくれている。ポーションが普及すればするほど、人の医者は勿論、獣医も需要がなくなっていくだけだって、儲からないって言う人もいたけど、父は「そう決めたなら頑張ればいい」って、おれが学ぶ為の費用を稼いでくれている」
そういうふうに説明されると、なるほどと思う。
千尋兄の視点から見ると、月臣叔父さんは随分と良い父親であるようだ。俺は彼と母が激しい口論をしている時の印象が強すぎて、神経質な印象が最初に浮かんでしまうのだけど。これも滅多に会わない甥っ子の俺と、親と子の違いだろうか。
「父は確かに神経質なところがあるし、家にいない日の方が多い。でもおれは別に、それを不幸だとは思っていない。おれは父のおかげで目標に向かって頑張っていられる。だから父にも自由に、自分の好きな仕事をして欲しい」
千尋兄はそう締めくくった。……神経質なところがあるっていうのは、どうやら息子の千尋兄も思ってはいるようだ。その上で彼は父を慕っていて、好きに生きて欲しいと願っているのだ。
「ごめんなさい、千尋くん。私はずっと、自分の不満を月臣にぶつけるばかりで、肝心の貴方の話を聞かなくて」
母が目を潤ませながら、本当に申し訳なかったと電話口に深く謝った。これまで甥っ子の彼をダシにして、弟に気に入らないと文句を言っていた自分に気づいたのだ。
「日多岐伯母さんが、おれを心配してくれてたのはわかってるから」
千尋兄は責めるでもなく、静かにそう告げた。
「俺も、ずっと何も言えなくて、黙って見てるだけで過ごしてきて、ごめんなさい」
俺もこれまでの自分の対応を、千尋兄に謝った。思うところがあったのに、親に意見する事を恐れて、ずっと無言でやり過ごしてきたから。
「鴇矢は成長したな。ちゃんと親に、意見が言えるようになって良かった」
千尋兄からは穏やかな口調で、そんな言葉を返された。
俺と母は二人で改めて、千尋兄にこれまでの事を謝って、母は「月臣にも手紙を書いて謝るわ」と言って電話を切った。
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