第112話 10層のアイテム売却とスカウト遭遇

「そっか。ここで出るんだっけ、老化防止のポーション……」

 アイテムの鑑定結果を見て、ぽつりと呟く。

 10層のピラニアから10回に1回程度の確率でドロップする紫色のポーションの中身は、なんと一年間、老化を防止する効果を持つというポーションだった。

 ポーションは難易度の高いダンジョンを先に進むにつれて、次第に効果の高いものがドロップするようになるので、もっと先まで進めば、もっと長い期間、老化を防止する効果のあるポーションがドロップするようになるのだろう。

(それにしても、毎年このポーションを飲みさえすれば、老化せずに変わらぬ見た目でいられるようになる訳だ。初心者ダンジョンでこのアイテムがドロップするって、ダンジョンシステムは結構、気前がいいな)

 人に若く健康な姿を保ってもらい、その分大勢にダンジョンを攻略してもらいたいという思惑だろうか。

 システムの本当の狙いはわからないものの、人類にとってありがたい措置であるのは間違いない。



 ……今日は、ピラニアが落とすドロップアイテムが結構溜まってきたので、ダンジョン協会の買い取り支部まで、アイテムを纏めて売りに来たのだ。

 そうしたら、ピラニアから出たポーションが老化防止用のポーションだと、受付の人に告げられた。言われてからそういえば、10層でそれが出ると、ネットで先に見ていたのを思い出した。

 当然、老化防止の効果があるポーションなんてすごい人気で、買い取り額はこれまでの他のポーションよりも、一気に高額になった。おかげでポーションだけでも結構な稼ぎになる。

 あと、水中に落ちると拾うのが大変だった銀の粒は、そのまま金属の純銀だった。これもかなりの高額で買い取りされた。銅や鉄よりも小さい粒だけど、それでも買い取り額はかなり高くなっている。ダンジョンで貴金属が安定的にドロップするようになって、以前よりは少しだけ貴金属の値段も下がったのだけど、それでも大きな値崩れはしていないのだ。

 他のドロップアイテムは、極稀に出るスクロール以外は、色んな種類の魚の切り身とか、丸まる一匹の魚とか、貝類とか海老とか蟹とか様々だ。この層だけ、ドロップアイテムの海産類のバリエーションが異様に豊富なのだ。

 俺は魚介類は実はそれなりに好き嫌いがあるので、こっそりと自分の好きなものだけを家の冷蔵庫に入れるという裏技を発揮したりしている。

 コアクリスタルに関しては、10層攻略の魔道具の燃料として使うので、売らずに取っておいてある。でも、コアクリスタルの利益を差し引いても何ら問題ないくらいには稼げている。

 一回の買い取り総額が60万円以上の高額になったので、支払いは銀行口座への振り込みにしてもらった。多額の現金をそのまま持ち帰るのは不用心だしな。

 そうして買い取りの手続きを終えて、買取所の出口付近まで歩いて来たところで、背後からいきなり声をかけられた。



「ねえ、君。企業所属のシーカーって興味ないかな」

「え?」

 振り返った先にいたのは、30代くらいの見た目の男性だった。多分、日本人だろうか?

 あまり特徴のない顔にフレームのついた眼鏡をかけている。顔には笑顔を浮かべているが、あまり親しみやすそうな感じはしない。服装はラフなスーツ姿で、わりとどこにでもいそうな感じがする。

 知らない大人に急に声をかけられて、俺は無意識に一歩後退った。

「あ、僕はこういう者なんだけど。君はまだ中学生か高校生かな? できれば話をしたいんだ。君、その若さでもう10層に潜ってるみたいだし、将来有望だと思うんだよ。ぜひ将来うちの会社で働く事を考えてくれないかな」

 その男性がそう早口に喋りながら、片手で名刺を差し出してくる。俺はその名刺を反射的に受け取りかけて、ギリギリで留まった。名刺を受け取ってしまうと、話を聞く気があるのだと誤解されかねない。

(専業シーカーになりたいので、企業に就職する気はないですって断るか? ……ダメだ、確かこういう相手には、自分の情報はできるだけ渡さない方がいいんだよな)

 話を聞く気も就職する気もない。そして断り方にも気を付けないといけない。

 俺はこういうスカウトに話しかけられたのは初めてだったので、ひどく緊張した。


「すみませんが、お話は聞けません」

 内心の焦りと緊張が顔に出ないように気を付けてきっぱりと答える。

(単に、10層のアイテムを売却してたから目をつけられた? それとも、功績関連の話がどこかから漏れた?)

 本の導入の件で外国から狙われる可能性があるせいで、目の前の相手がとてつもなく怪しく思えてくる。

 喋りは流暢な日本語だけど、見た目だけでは日本人かどうかは判別がつかない。アジア系って結構顔立ちが似てるし、俺にはどうにも区別がつきにくい。

 どちらにしろ、買取所でいきなり話しかけてきた知らない相手と、のんびり長話する気はない。

 軽く頭を下げて、すぐ離れようとする。もしあんまりしつこいようなら、買取所の職員さんに大声で助けを求める事も視野に入れた。


「それは残念だな。気が変わった時の為に、名刺だけでも受け取ってもらえないかな」

 俺が強硬な態度を取っても、相手の笑顔は崩れない。差し出してくる名刺も仕舞わない。こういう態度で断られるのに慣れているのか、怒ったり気分を害したりした様子は見えないけど、すぐに引く様子も見られない。

「いえ、それも受け取れません」

 俺は買取所の出口からそのまま外に出てしまうか、それとも受付の方へ戻るか迷った。もしも追いかけてこられたら、一人で外に出る方が危険かもしれない。単なるスカウトなら、そこまではしないだろうけど。

「そんなにつれなくしなくてもいいじゃないか」

「もしこれ以上強引に話を続けるようでしたら、買取所の職員さんに助けを求めますけど」

 俺ははっきりとそう告げた。そんなに広い建物じゃない。ここから大声を出せば、職員さんはすぐ気づくはずだ。一人で外に出るのは止めておいた。もし外に仲間がいたら、待ち伏せされたりして危険だからだ。

「え? いやいや、ちょっと話をしたいだけだよ?」

 俺の強硬な態度に、そのスカウトマンは流石に笑顔を引っ込めて、顔をやや引き攣らせた。

「こちらにはその気はないので。……職員さんに間に入ってもらいますか?」

 精一杯の気迫で睨みつける。これで渋るようなら、本当に職員さんに助けを求めるつもりだ。

「そんなつもりはないよ。仕方ないね。退散させてもらうよ」

 やれやれと肩を竦めて、その相手は俺からさっさと離れていった。買取所の職員さんに目を付けられるのは得策ではないと判断したのだろう。



 その男性の後ろ姿を、俺は微動だにせずに見送った。

(どうしよう、誰かに相談した方がいいのかな)

 このまま、一人で出口に向かっていいものだろうか。でも、ちょっと話しかけられただけで、誰かに迎えに来て欲しいと頼むのも迷惑だろう。

(エバさんから貰った魔道具はインベントリに入れてあるし。人形達だってインベントリの中にいる。だから絶対大丈夫って過信する訳にはいかないけど、万が一の場合は魔道具が反応してくれるはずだ。それにただスカウトにあっただけで、誰かに迎えに来てもらうのも、過敏になりすぎだよな)

 しばらく悩んだが、スマホで短くメールを打った。

 メールは早渡海くんと母宛てだ。

 早渡海くん宛てには短く事情を記して、家に帰ったらまた電話で連絡するという内容のもの。

 そして母には、「これから帰るけど、何か買い物ある?」という、特に意味のないものだ。これで遅くまで帰らなければ、何かあったと思ってもらえるかもという程度の、軽い保険だ。

 その後、スマホの画面に警察の番号を表示させた状態で、手に持ったまま出口に向かう。もし何かあったら即、通話を押すつもりだ。



(……何もない、な)

 歩いて帰路につきながらも、警戒は続ける。

 途中、母からはメールで、「もやしとかつおぶしをお願い」と、買い物を頼む返事があった。「了解」と返して、行き先を家からスーパーへと変える。

 スーパーで買い物を終えてから、いつもの道で家に戻る。

 尾行されていた場合に備えて、遠回りしようかは迷った。けれど早く帰った方が安心できるし、もしも相手が尾行のプロなら、少し遠回りした程度では巻けるとは思えない。

 俺も気配察知で辺りを探りながら歩いているけど、特定の人間が後をついてきている気配は感じない。

(それも、相手が高レベルの隠密のスキルを持っていれば、俺じゃわからないか)

 ずっと緊張したまま、家まで帰り着いた。家の玄関の扉を閉めると、大きく安堵して溜息をついた。家の中に入ればもう安心だ。



「ただいま、メールで頼まれたもやしとかつおぶし、買ってきたよ」

「ありがとう。お金はいくらだった?」

「少ないから、俺が出してもいいけど」

「子供がそんな気を遣わないの。お遣いのお金くらい、ちゃんと払うわよ」

 買い物を手渡して、母と何気ない会話を交わす。自分の部屋まで戻ってきて、ようやく張りつめていた気を抜いた。ベッドに寝転がって今日の出来事を考える。


(別に危険な目に合ったって訳じゃないんだよな)

 客観的に見れば、この程度の事でここまで緊張するのは気にしすぎだと思える。俺がスカウトを受けたのは初めてだったけど、それ自体はそこまで珍しいものでもない。

 買取所で偶々、学生らしき風貌の子供が10層のドロップアイテムを買い取り依頼に出しているのを見て、青田買いで声を掛けてきただけって可能性の方が高い。

 それでも、万が一があったらと思うと怖い。

 早渡海くんに電話をかけてみたけど、生憎と留守電だった。「メールに書いたけど、スカウトに合ったんだ。でも相手はすぐ引いたし、俺も無事に帰ってきたから大丈夫だったよ」と、留守電に伝言を入れておいた。

 日曜日のこの時間帯なら、彼はまだダンジョンに潜っているのかもしれない。以前、平日の放課後と土曜日は道場に通っているから、ダンジョン攻略に費やせるのは日曜日だけだと言っていた。



 夕方、早渡海くんから電話が返ってきた。

「メールと留守電を確認した。危険はなかったんだな?」

「うん。それは大丈夫」

 心配そうに訊ねられ、見えていないとわかっていても頷いて答える。

 一応、どんなやり取りがあったか詳しく話した。その後の俺の対応も。

「知らせてくれて良かった。何かあってからでは遅いからな。父にも伝えておく」


 そんなやり取りをして電話を切った。

(単なるスカウトだろうって思ってるのに、気持ちがザワザワして落ち着かないな)

 誰かに狙われるかもしれないと、俺がはっきり認識したのが初めてだったのかもしれない。

 これまでは気を付けようと思いつつ、心のどこかで「俺みたいな子供が、外国から狙われるなんてある訳がない」って、高を括っていたのだろう。

(エバさんやマレハさんがあんなに気を回してくれたのに、当事者の俺がそんなんじゃ、申し訳ないな。もっとちゃんと気を付けないと)

 だが素人の俺にできる警戒なんてろくにないのも事実なのだ。まだ弱いから仕方ないのだけど、どうにも心許ない。

(何かあれば早渡海くんを通して貞満さんに相談するくらいしか、対処のしようがないんだよな)

 ……結局はそういう結論に落ち着いた。

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