第98話 本に纏わる話 後編
(どうすればできるだけ早く、こちらで日本の本が入手できるようになるかな)
俺は必死に頭を回転させる。
多分放っておいてもそのうちに、本の目録はできあがるだろう。けれど時間がかかりすぎると、シェリンさんの疑念が再熱してしまう可能性がある。
政府としても本を規制するつもりはなく、むしろ広く流通させたいと思ってるはず。
とりあえず今問題となっているのは、こちらの住人の要望に、役人さんがすぐに答えられなかった事だ。
だから、住人の要望を聞き取って、その要望に応じた本を的確に紹介できる人がいれば、目録が完成する前でも、本の流通はできるようになると思う。
(本に関する専門家っていうと、書店の店員さんや、図書館の司書さんとか? ……そうだ!)
「あの、街役場を通じて、あちらに図書館司書さんの派遣を要請してみるのはどうでしょうか? 司書さんって、お客さんがどういう内容の本を探しているかを聞き取って、適切な本を選ぶのも仕事のうちだそうです。なので司書さんに定期的に街役場に来てもらって、欲しい本の概要を聞いてもらい、本を紹介してもらって購入する形にするとか」
思いついた内容をそのまま提案する。
「本に詳しくない役人さんを相手に欲しい本の概要を伝えるよりは、ちゃんとした専門家から本を紹介してもらう制度を整えた方が、確実に目的の本を手に入れられると思うんです。司書さんを毎日こちらへ派遣してもらうのは無理でも、何日かに一回でもそういう機会があれば、目的に沿った本が手に入りやすくなるんではないでしょうか」
「司書さんって、高度な教育を受けた専門職でしょう? こちらに派遣できるような人数なんて、とても揃えられないんじゃないかしら?」
俺の提案に、シェリンさんが怪訝そうな表情になる。こちらでは司書についても、そういう認識なんだ。俺は改めて、あちらとの違いを噛みしめる。
「あちらでは図書館の数が限られていて、司書の資格を持っていても就職できずにいる人も多いって、何かで読んだ覚えがあります。日本は人口が多い分、専門職の資格を持っている人も多いんです。それに高学歴社会なので、大学を卒業して色んな資格を持っている人も大勢いますし」
司書の数そのものは、政府が本気で制度を整える気になって、きちんと給料を出して在野の資格者を公募すれば、結構な数が揃うと思う。だから司書の数は問題じゃない。
「それにダンジョン街の側から本に関する要望が繰り返されれば、政府の方でも「街の住人が本を欲しがっている」と認識して、本の導入を今より急いで進めてくれるかも。そうでないとあちらも急がないでしょうし。やって欲しいサービスを要望にして出してみるのが大事だと思うんです」
俺はダンジョン街側から、積極的に要望を出していくのをお勧めする。
この場合、政府がシェリンさん達の不信感を何も知らないまま、のんびりと準備を進めるのが一番、事態を悪化させるのではないだろうか。多少穴があっても、できるだけ早く本の導入を進めた方が、お互いの現状を知ってもらうのに良いように思う。
「ふむ、面白い試みであるな」
試食会に参加した成り行きで、今もこちらの話を聞いていたエバさんが、俺の意見に手を打ち合わせて賛同の意見をくれた。それに力づけられる思いがして、俺は更に思いついた提案を並べていく。
「あとはこちらの図書館に、古本を納入してもらうとか? 予算さえあれば、古本なら大量に仕入れてもらえると思うんです。それを見本にして、買いたい本を選ぶとか……」
この提案は、欲しい本が確実に手に入る方法ではないけど、あちらに本が溢れているとわかってもらうには有効だ。それに図書館に本を置ければ、実際に買う前にあちらの本の傾向を掴めるだろうし。
とにかく思いつく提案をしていく。こういうのは質より量だ。提案をひとつでも気に入って実行してもらえれば、少しは違ってくるはずだ。
「従来の図書館じゃ本を置く場所がなくなるでしょうし、いっそ今までの図書館とは別に広い場所を用意して、専用図書館を作るように要望を出してもいいかもしれないです」
俺もこちらの図書館に行った事はないから、具体的にその広さを知っている訳じゃない。だけどそんなに広くないんだろうなという想像はつく。
本に関する違いを認識させて話し合う場を設けてもらうには、住人から本に関する要望が出されるのが一番効果的じゃないだろうか。
後は早渡海くんのお父さんの貞満さんにも、俺から事情を説明して、政府に本の導入を急いでもらえないか検討してもらうのもアリか。
「それと30層の資格を持っている人に代理で本屋をやってもらて、地球の本を扱ってもらうのも、検討してはどうでしょうか。本を手に入れられる手段は複数あった方がいいですし。……あっちの世界の歴史や文化を知ってもらうには、やっぱり色んな本を読んでもらうのが一番です」
実現するかはわからないけど、そういった提案もしておく。
ダンジョン街に地球側が店舗を出せない最大の要因はシステム制限にあるのだから、そこさえクリアできれば、本を売る障害はなくなるはず。こちらで本が売られるようになれば、発売される新刊の多さから、自然と理解が追い付くはずだ。
「司書による本の紹介制度に、専用図書館に代理本屋か。確かにそれらが叶うならば、そちらの本を多く読む事ができるであろうな」
手で髭を撫でつけながら、納得の声を上げるエバさん。
「確かにまず要望を出さなければ、こちらの希望は相手には伝わらないな。俺も欲しい本の内容やその提案を要望として、街役場に出そう」
それまで黙って俺達のやりとりを眺めていたアルドさんが、そう言って俺に賛同してくれた。
(良かった! 提案が複数の人から出されれば、きっと政府も考えてくれる!)
俺は安堵する。政府が本の導入に積極的に動いてくれさえすれば、国が本を規制しているのではないか、なんて不信感も拭えるはずだ。
「そうね。トキヤくんの提案、私からも街役場に出してみるわ。要望が多く集まれば、今よりもっと真剣に取り組んでもらえるかもしれないもの」
「うむ。料理の本がもっと多く読めるようになるなら、ありがたい事だ。ぜひそうしよう」
シェリンさんとジジムさんも、要望を出すのに積極的になってくれた。
「我が輩も、いくつかの街役場に伝手がある。その提案を要望しておくとしよう。こういった話は、いくつもの役場から同時に上がった方があちらも重く受け止め、迅速に動く気になるであろう」
この街の住人ではないらしいエバさんまで、俺の提案に乗ってくれた。エバさんは300層越えのすごいシーカーだからか、複数の街役場への伝手があるという。確かに複数の場所から同時に提案が出されれば、政府も事態を重視してくれる可能性は高まる。
「そうですね、要望が多ければ多い程、早く動くっていうのはあると思います。あ……でもその、日本以外の国がどう動くかは、俺にはわかりませんけど」
エバさんの伝手のある街役場が、すべて日本領有内にある街なら問題ないけど、もしも外国の領有内にある街なら話は違ってくる。日本政府なら遅かれ早かれ対応してくれると予想できるが、外国の政府の対応は、俺にはまるで予想できない。一応はその旨も伝えておく。
「トキヤの国は問題ないのか?」
「日本に問題がまったくないって訳じゃないのは、昨日の話でも出た通りです。けど、少なくとも国を挙げての情報規制はしてないです。本の宅配も要望さえ出せば、きちんと対応してもらえると思います」
俺だってそのくらいには、政府の対応を信じている。
「一般人のトキヤがそう思える程度にはマシだという事か」
「そう、ですかね? ただ今だって、注文する本の題名や作者名がはっきりとわかっていれば、宅配で商品を頼むのにも、何の障害もないと思うので」
政府を全面的に信じているかと問われれば、残念ながら俺の答えはノーになるけど。それでも流石に、本を規制して情報統制する程に酷い対応を取るとは思っていない。なので結局は俺も、一定の信用はしてるって事なのだろう。
「だが、そんなに大量に古本を用意できるものか?」
ジジムさんがそんな心配をする。古本であってもやっぱり、本が大量にあるのがどうにも想像できないようだ。この分だと古本の扱いも違いそうだ。
「本が大量に出版される分、古本もすごい量になりますから。買った本を家にすべて置いておく場所がないので、よく本を買う人は、気に入った本以外は定期的に売りに出さないといけなくなったりします。本をゴミに出す人もいるくらいです」
あちらでの古本の扱いを説明する。本を捨てる人も結構いるんだよな。売ってもどうせ大した金額にならないなら、古本屋まで持って行くのも手間だからって。廃品回収に本が纏めて積まれているのもたまに見かける。
「そんな、もったいない」
「例え古いものでも、本を捨てるだなんて、こちらでは考えられないな」
改めて、お互いの世界での本の扱いの違いを再認識する。こちらでは本はかなり丁重に扱われるものらしく、捨てるなんてとんでもないという意見が相次ぐ。
「人気のある本だと、新刊が初版で四百万冊とか言われてた気がします。まあ、そんな人気本は滅多にないですけども」
「四百万冊!? 同じ本がそんなにも大量に印刷されるのか!?」
「……本当に、規模が何桁も違うようであるな」
その数字に呆気に取られる面々。まあこれは極端な例だけど。
「こちらでも、印刷機自体は魔道具であるんでしたよね? 本は刷れると思うんですが」
確か前にどこかで、印刷魔道具の話を聞いた気がする。印刷機があるのなら、本を刷るのだって難しくなさそうなものだけど。
「印刷の魔道具はあるけど、一枚ずつ紙をセットしないといけないから、大量の印刷をするのは大変なの。それにメモ用紙なら初級ダンジョンでドロップするけど、他の紙は上級ダンジョンで少数をドロップさせるか、材料を集めて人の手で作るしかないから、どうしても不足しがちなの。だから本は全般的にいつも品薄で、買った本を知り合いみんなで順番に貸し借りして、読み回したりするわ」
シェリンさんが印刷魔道具の欠点と、紙の供給不足を教えてくれる。紙を手作業で作らないといけないなら、そりゃ高レベルのシーカーである住人達にとっては、面倒で実入りの少ない作業だろう。
(ダンジョンシステムはあえて不自由な部分を残して、人の生活を抑制してる? 理由はわからないけど、意図的な気がするな。これまでの他のドロップアイテムを見ると、紙を大量にドロップさせるのが難しいとは思えないし)
地球から電波を自前で用意しても、ダンジョン内部では通話やインターネットなどが一切繋がらないのも、もしかしたら同じ理由かもしれない。
「……本の前にまず紙を、あちらから大量に輸入した方が良さそうですね」
「……そういえば、宅配カタログを希望店舗すべてに配ったりして、随分と気前がいいと思ってたけど、あちらでは紙の大量生産が簡単なのね。それなら紙の宅配も、要望に出しておこうかしら」
俺とシェリンさんは顔を見合わせて苦笑した。
「俺はそろそろお暇しますね」
「そういえば、トキヤはエルンとシシリーにも何か持ってきたと言っていたな」
とりあえず今はこれ以上、誤解を解く為にできる事はなさそうだし、ジジムさん達も食堂を再開しないといけない時間帯だろう。俺がみんなに帰宅を告げたところで、アルドさんがふと思い出したように聞いてきた。
「ええ、そうなんです。二人に会えなかったのは残念ですが、俺が急に思い立って来たんだから仕方ないです」
「それなら俺が二人に、代わりに渡しておくか?」
「え? いいんですか? それなら、アルドさんにお願いします」
悪くなるものではないとはいえ、できれば二人にも同日に差し入れを渡したかったので、俺はその申し出をありがたく受け入れる。早速インベントリから、二人に渡して欲しい差し入れを取り出す。
「まあっ、なんて綺麗な絵柄! これは紙なの?」
なんとなしに俺達のやり取りを眺めていたシェリンさんが、和紙の折り紙の表紙に反応して、目を輝かせた。綺麗な和柄が見本として記載されていたので、中身がパッと見でわかるのだ。和紙の実物は柄だけでなく手触りも普通の紙とは違うから、見ても触っても楽しめると思う。
「はい、これは和紙って言って、日本の伝統の模様です。こういう柄に布や紙を染めて使うのが昔から伝わっています。これは折り紙と言って、紙を決まった形に折る事で、色んなものの形を作り上げる遊びです。折り方の本と一緒に、シシリーさんへの差し入れに持ってきました」
俺はつい、「これは日本の伝統技能の柄ですよ」とアピールしてしまった。日本の良いところも紹介したいって気持ちが滲み出てしまった。
「これはまた、なんとも優美なものだ」
「ふむ。確かに伝統の柄というだけあって、華美さと落ち着きを両立した、完成された絵柄なのである」
ジジムさんとエバさんにも、和柄の和紙は好評のようだ。差し入れの品を大きく外さずに済んだようでほっとする。
「シシリーもきっと喜ぶだろう」
アルドさんもそう言って、俺から慎重な動作で本と折り紙を受け取って、すぐにインベントリに仕舞った。本が貴重だからなのか、やはり扱いが丁寧だ。
「それとこっちはエルンくんに持ってきました。お風呂の入浴剤です」
続いて、エルンくん宛ての差し入れをアルドさんに渡す。大きめの箱が4箱。俺が持つと結構重い。だけどアルドさんは軽々と、俺の手からすべての箱を持ち上げてくれた。
「入浴剤?」
アルドさんは、手の上の箱を眺めて不思議そうだ。こちらでは入浴剤も一般的ではないのだろうか。
「湯船にお湯と一緒に入れて使うものです。種類によって違う香りが楽しめるし、お湯が柔らかくなって気持ちいいのでお勧めです。エルンくんは温泉に入った事がなさそうだったので、代わりに試してみるのもいいかと思って持って来てみました」
使い方はお湯に入れるだけだから、難しい事もないだろう。試しに使ってみてもらえればいいんだけど。
「ほう、それは面白そうだな」
「温泉とはまた違いますけど、毎日のお風呂が少しでも楽しくなったらいいかなって思いまして。……あ、湯船って家についてますか?」
今更だけど、家によっては湯船がない場合もあると思い至る。日本は基本的に浴室に湯船完備な家が多いから、その可能性を失念していた。
「ああ、大丈夫だ。家には湯船があるからな。俺もエルンのついでに楽しませてもらおう」
エルンくんと同居している兄のアルドさんが、ちゃんと湯船があると答えてくれたので、俺も安堵する。良かった。入浴剤も無駄にならずに済みそうだ。
「なら良かったです。それじゃこれ、エルンくんとシシリーさんにそれぞれ渡しておいてください」
持ってきた差し入れをすべて渡し終えると、一仕事やり切ったみたいな達成感が生まれた。
「ああ、礼を言う。色々と持って来てくれて感謝する」
アルドさんから、エルンくんの分も纏めてお礼を言われた。
「本当にありがとう、トキヤくん。お礼に今度、うちの食堂で何かご馳走させてちょうだい」
「うむ。いつでも食べに来てくれ。存分に腕を振るおう」
シェリンさんとジジムさんからも、改めて差し入れのお礼を言われる。
「わかりました、また今度、食堂にお邪魔しますね。楽しみにしています」
(これで少しだけでも誤解が解けて、日本に関する悪いイメージが払拭されればいいな)
俺は笑顔で彼らの言葉に答えながら、内心密かにそう願った。
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