第97話 本に纏わる話 前編
「今日はジジムさんとシェリンさんにも、差し入れを持ってきていたんでした」
インベントリから取り出した本を一冊ずつ、ジジムさんとシェリンさんに手渡す。これも包装とかを考えずに、素のまま持ってきてしまっていた。なのですぐ中身がわかる。
「え? これは料理の本!?」
シェリンさんが飾り切りの教本を手にして、驚きの声を上げる。心底から驚いているのが、その表情からもわかる。
「はい、日本料理のレシピが載っている本はジジムさんに、野菜なんかの飾り切りの教本は、シェリンさんに持ってきました」
別に二人がどちらの本を読んでもいいのだけど、一応そう告げる。
「まあ、すごく嬉しいわ! ありがとうトキヤくん!」
「これは良いものを貰ってしまったな。感謝するトキヤ」
二人はまるで、とても貴重な宝物でも受け取ったかのような慎重な仕草で、俺から本を受け取って、お礼を言ってくれた。その表情が輝いていて、心底喜んでもらえたのがわかって、持ってきた俺まで嬉しくなった。
「でもいいの? トキヤくんに不都合はない? 前にそちらの役人さんに、そちらの料理の本が欲しいって要望を出した時は、なんだか歯切れが悪くって、要領を得ない答えだったのよ。カタログにも本は商品として載っていないし、てっきり、取り扱えない類の品なのかと思ってたわ」
シェリンさんがとても嬉しそうにしながらも、途中から心配そうな表情になって俺を見る。なんだか俺の心配をされている? え、どうして?
それと、宅配では本が取り扱えない品だって勘違いされてる?
「本が取り扱えないって、そんな事はないと思いますけど。だってあちらでは普通に売っていて、誰でも買える商品ですし。……その役人さんって、どんな様子だったんですか?」
差し入れに本を買ってきただけで、ここまで心配される理由がわからない。そんなに高いものじゃないのは、裏の値段を見ればわかってもらえると思う。それとも銀行じゃないと、日本円をDPに換算した場合の相場がわからないとか?
ともかく、料理の本の差し入れ自体は嬉しそうなのに、同時にとても心配されている様子を見ると、俺もどうしていいかわからない。なのでまずはその理由を知ろうと思って、その時の状況を詳しく質問する。
「そうね、「料理本と言われましても、どのような種類か詳しくわかりませんと」とか「カタログにするにしても、もう少しお時間を頂きたく」とかって、濁される感じだったかしら」
シェリンさんが会ったというその役人の対応は、こうして聞いている限りだと、ちょっと優柔不断な受け答えだろうか? でもそこまでおかしな返答とも思えない。
(普通に、ただちょっと答えを先延ばしにしてるだけに思えるけど……シェリンさんは、どうしてそんなに……むしろ心配っていうよりは、疑ってる感じ?)
俺に対してじゃなくて、その役人さんの態度に不信感を抱いてる感じだろうか。でもどうしてだろう。その役人さんが彼女の不興を買ったとか?
「うーん。それは多分、その人が料理本に詳しくないから、うっかり変な本を勧めて後でクレームが来たら困るとでも思って先延ばしにしたのかもしれません。あと、商品としての本の目録を作るのは、時間がかかっても仕方ないかと」
とりあえず、俺が感じた所感を正直に述べる。
(その役人さんも、どうしてそんな誤解されるような事を……。でもそういえば、昨日弓星さんや渡辺さんの話を聞いて、みんなで日本の批判を言っちゃったし、それでシェリンさん達に、日本の悪いイメージを与えてたっ!?)
ハッと原因らしきものに気がついて、俺はひどく焦った。これ、役人さんの言動に問題があるっていうよりは、昨日の俺達日本人のメンバーに原因があるやつじゃないか!?
多分、その人は料理の本に詳しくなくて、その要望に自分では応えられそうになかったから、対応を先延ばしにしただけなのだろう。
そうなると、昨夜俺達が日本の悪い印象を多く語ってしまったせいで、とばっちりで役人さんが些細な言動を疑われる羽目になってしまった事になる。それはとても申し訳ない。
それにこちらの住人のみんなが、俺達のせいで日本の悪いイメージを持って、そのまま考えが固定されてしまうっていうのも、すごく嫌だ。
(あああ! なんで俺は昨日、日本も悪いところばかりじゃないんだって、もっとちゃんと伝えておかなかったんだろう)
話の途中で渡辺さんが、日本に悪い印象ばかり与えてしまったって気づいて焦ってフォローに回った時に、俺ももっと積極的にフォローに回れたら良かったのだろうか。あるいは彼らの辛い過去話に同調せずに、日本は幸せで良い国だって断言していれば良かったのだろうか。
もう終わってしまった過去の仮定で後悔しても仕方ないのに、どうしても「あの時、こうしていれば」って、色々と考えてしまう。
昨日の祭りの打ち上げの話だけで、日本のすべてを判断されては困る。あれは極端な例だし、弓星さんや渡辺さんだって別に、日本の悪いイメージを広めたくてあんな話をした訳じゃないと思う。
彼らだって途中で悪いところばかり喋ってしまったと気づいて、必死に弁明していたのだ。自分達の話のせいで日本が誤解される事なんて望んでいないはずだ。
「そんなものなの?」
「はい、本当に本が山のように積まれるくらい、いっぱいあるんです」
懐疑的な表情のシェリンさんに、俺は頷いてきっぱり肯定した。今はせめて、あちらでの本の扱いについてだけでも、実情を正確に説明して、その誤解を解いておきたい。
「あちらではたくさんの本が毎日、新しく出るんです。本屋でもよっぽどの人気作以外は、長編作品なんか新刊近くの数冊しか置いてなかったりしますし。仕入れた本も売れ残ると、新しい本を置く場所がないからって、数か月で出版社に返本されているとかって聞きます」
多分、シェリンさんの誤解の大元は、「本」というものに関する認識の違いだ。ダンジョン街には日本ほど、本が大量にある訳じゃないのかもしれない。だから料理の本と頼んで、どれを持ってくればいいのかと迷う気持ちが理解できないのかも。
「数冊の中から本を選ぶのと、数百冊の中から本を選ぶのでは、かなり勝手が違いますよね? しかも本人が詳しくない分野となると、尚更」
役人さんがすぐに本を選べなかった理由を推察して、代わりに弁護する。決してこちらに本を渡したくなかった訳ではないのだと。
「そんなに大量の本が存在するの? そんなにも、本にするような内容がたくさんあるもの?」
数百冊、との言葉に驚きを露わにするシェリンさん。彼女にとって本とは貴重なもので、そんなに大量にあるはずがないという認識なのかもしれない。
その反応に確信する。やはりこちらには、大量の本は存在しないのだ。日常的に本屋で大量の新刊に触れていれば、そういった反応にはならないだろう。
「辞書や図鑑や絵本の他にも、娯楽本とか創作物とか啓発本とか、とにかく何でもあります。本が多すぎて、本屋に行っても、欲しい本はちゃんと題名を調べて注文しないと、手に入らない事も多いです。料理の本だって、いくつもの棚にぎっしりと色んな種類があるので、詳しくないとどれを選べばいいかわからないと思います。俺もこの本は、事前に母にお勧めを聞いて買ってきました。自分で選ぶには、数が多すぎて選べないと思って」
俺は自分が選んできた差し入れの本も例も出して、できるだけ丁寧に説明する。
別に悪意があって本を出せなかった訳ではないのだとわかってもらいたい。
そのうち本のカタログができれば、本の総数の違いもわかってもらえると思うけど、今はまだ宅配も試用期間中で、カタログに載っている商品も食べ物が中心だ。本はまだ、目録そのものがない。
それを用意するのに時間がかかっているというのも、あちらに住んでいる俺からは理由が容易にわかるだけに、この誤解だけはどうしても解いておきたい。
「料理の本だけで、そこまで大量に本があるの? なら、あの役人さんが、こちらの住人にあちらの本を読まれたくなくて、濁したって訳じゃないのかしら」
首を傾げて、自分の疑惑が勘違いなのか、脳内で検証している様子のシェリンさん。
一旦悪いイメージで固まってしまうと、後からそれを払拭するのって、すごく難しいんだな。日本に詳しくない人の前では、もっと話す話題に気を遣うべきだったのだろうか。でも悪い部分だけを言わないように話題をコントロールするっていうのも、嘘や隠し事をしているみたいで気が引ける。……一体、どうするのが正しかったんだろう。
(悪い部分の全部は否定できないけど。でも、ダンジョン街の住人に、本を読まれたくない、実態を知られたくないって本を規制する程には、うちの国は酷くない)
俺だって自国に対してそのくらいの信用は持っている。
それに考えてみれば俺も、与えてしまった悪いイメージを払拭したくて、今日、慌ててみんなに差し入れを持ってきたのかもしれない。差し入れを選んだ時は無意識だったけど、飾り切りとか折り紙とか和紙なんて、まんま日本の伝統芸能だ。日本のイメージを少しでも挽回したいって思いがあったからこそ、そういうものをあえて選んだ気がする。
俺も自国に対して好きじゃない部分もあるって自覚したけど、だからって悪い部分ばかりじゃなく、良い部分もたくさんあるって思ってるし、それをこちらの住人にも知って欲しいと思ったんだろう。
縁あって日本の領有内に出現したダンジョン街に住んでいる人達。彼らに対して、自国の悪い部分を包み隠して教えないんじゃなく、できれば良い部分と悪い部分のどちらも正しく知って欲しいと思うのは、望みすぎだろうか。
「役人さんは多分、買ってもらえるなら本だって、商品にしたいんじゃないでしょうか。日本って結構商魂逞しいですし。それに前に政府関係者の人が、「ダンジョン街の人達とは公明正大にお付き合いしていきたい」って言ってましたから、自分達の歴史を変に隠したりはしないと思います。誰でも知ってる情報は政府にも規制しようがないんですから、隠しようもない事ですし」
自分なりに一生懸命説明する。もっと口が巧ければ、ちゃんとした根拠を、わかりやすく説明できるだろうに。もどかしい思いだ。
「そう……、そういうものなのね」
俺が焦って弁明するからか、シェリンさんも疑うのは一旦止める事にしたようだ。
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