第93話 前世のトラウマ認識と、差し入れを持っていく話
朝起きたら、少しは頭がすっきりしていた。昨日の暗い思考はやっぱり、疲れていたからというのもありそうだ。
(まあ、前世のトラウマに引っ掛かった部分もあるんだろうけど)
前世の親は自分の機嫌が悪い時には、いつもなら怒らないような事で俺を強く叱ったりしたし、俺がずっと泣き止まないと、数時間物置に閉じ込めて放置されたりした経験がある。
当時は俺も親も双方が、それを虐待だとは意識していなかったけど、今思えばちょっと怪しい。殴られたりといった暴力はなかったけれど、虐待に近い言動は、多少あったのかもしれない。
前世のそういう記憶があったから、子供の虐待に関する話題に敏感に反応して、余計に心が揺らいだっていう部分もあるのかな。
(それを言ったら弓星さんの方のブラック企業で使い潰された話も、派遣先で周りから酷い事を言われた前世を思い起こさせて、かなり辛かったし……、改めて考えると、俺の前世ってトラウマだらけなのか)
たまたま昨日の二人が俺の前世をピンポイントに抉る過去の持ち主だっただけで、彼ら自身は別に悪くないのだけど、その話を聞いただけで、実はかなり精神的なダメージを受けていたようだ。
(ただ、今後も彼らと関わると、また自分のトラウマと向き合う事になって、辛い思いをするかもしれない)
そういう懸念はある。けれどだからといって、今後彼らの事を避けて「見なかったフリ」をするのはどうなんだろう?
俺はネットで創作物を読む時とか、大抵、苦手なものは避けて通ってきた。
「NTRものは趣味じゃない」とか、「ハーレムものは好きじゃない」とか、自分に合わないものはどうしてもある。だけど自分には合わないものでも他の人には需要があったりもするし、人が創った作品を、自分に合わないというだけで批判するのはどうかと思う。ただ自分が気を付けて、苦手な作品は読まなければそれで済む事だ。(単に苦手なだけじゃなくて、読んでみてどうしても納得が行かない描写があって一言伝えたい時だってあるから、そういうのは絶対にやるなとは言わないけども)
(けどそういえば、前世の俺が一番用心深く避けていたのが、「子供が虐待される描写」のある作品だっけ)
……どうしても苦手意識があって、気を付けて避けてたんだよな。うっかり読んでしまうと変に共感しすぎてしまって、精神的にダメージを負って、数日……下手すると数か月に渡って引き摺ってしまうから。
どうも俺は、弱い存在が虐げされているのを目の当たりにするのが辛いみたいだ。その中でも特に一番苦手なのが、子供が虐げられる話なのだろう。
自分自身のトラウマ的なものもやっぱりあるんだろうけど、元々そういうのが苦手な気質で、過剰反応してる部分もきっとあるな。
犬や猫が死ぬ描写は、例え創作でも見るのが嫌だから、そういうのは絶対に見ないようにしてるって人もいるらしいし。俺の子供が虐げられて辛い目に合ってるのを直視したくないって思いも、類似の感情だと思う。
でも、創作物なら苦手なジャンルは避けて通ればいいだけでも、それが現実に起こっている場合は「避けて通る」「見ないフリをする」で済ませる訳にはいかない。
(それはやりたくない)
俺が目を逸らしたところで現実は変わらないのだし、少しでも手助けがしたいという気持ちも本当なのだ。
(だけどそういう活動に本格的に関わっていける程、俺は強くない)
そもそも幻獣相手だって、生き物を世話したり責任を持ったりする事ができなくて、強力なスキルだとわかっていても、テイマーのスキルを避けているくらいだ。他人の人生に介入するような重大な行動なんか、俺にできるはずがない。
(困ってる人や頑張ってる人の手助けを、できる範囲でするのは良い事だよな。でもその為に自分が必要以上にダメージを受けるのは嫌だし、本来やりたい事を曲げてまで活動に従事するつもりはないんだ)
自分自身のスタンスを、改めて再確認する。
日本人は生真面目すぎて、ボランティア活動に嵌まると、私生活放り投げるような勢いですべてを捧げないと気が済まなくなったりするケースもあるって聞く。それで自分や家族を犠牲にしすぎて家庭崩壊っていうパターンもあるらしい。
特に愛玩動物を助けるボランティア活動をしている人なんかは、そういう傾向が表れやすい。人の犠牲となる動物達を憐れんで全力で助けようとするあまりに、すべてがそれだけになって周りと認識が乖離するケースもあるって、問題提起されているのを読んだ記憶がある。
別にボランティア活動をしてる人が全部そうなるって話じゃなく、あくまでも極端な一例として、って話だけども。
人や動物を助ける活動は尊いけど、自分の人生を適度に楽しめる気楽さやバランス感覚がないと、却って自分が不幸になったり、周りを不幸にしてしまったりもするようだ。
俺もその辺りには気を付けつつ、自分のトラウマを刺激しない程度にバランスを取りながら、自分が納得の行く形で関わっていけたらいいと思う。
(それに俺ができる事なんかたかが知れてるし。気負い過ぎてもしょうがないよな)
自分がこの先どうしたいのか解決はしていないけど、まあそれは今考えてもすぐにはわからないだろうから、とりあえずは棚上げしておく。
そこで気分を切り替えて、日課になったマラソンに出掛ける事にした。
(そういえば、アルドさんにインスタントラーメンを差し入れしようと思っていたのに、まだだったな)
いつもの周回コースを走ってる最中に、ふと思い出した。以前、アルドさんにインスタントの麺も食べてもらおうと思っていたのに、すっかり忘れていたのだ。
(とりあえず、アルドさんに差し入れを買うとして、ジジムさんとシェリンさん、エルンくんにシシリーさんにも、何か差し入れしようかな。お祭りお疲れ様って名目で)
ただ手伝いでバイトしてただけの俺が、お疲れ様の差し入れを持って行くのも微妙かな? まあそんなに高価なものじゃなければ、普通に差し入れとして受け取ってもらえるかな。
屋台仲間って括りなら、更科くんにも何か持っていった方がいいかな。それなら、水中訓練で会う時に、みんなで食べれるものでも持っていけばいいか。
ジジムさんは、日本料理のレシピ本とかどうだろうか。字を読むのは言語スキルで問題ないようだし、母にお勧めを聞けば良さそうなのを教えてくれるだろう。
シェリンさんには飾り切りの本とかどうだろうか。料理関係だし見た目が綺麗だから、興味を持ってくれるかもしれない。
エルンくんとシシリーさんは何にしよう。折り紙の本と和紙の折り紙セットとか、絵柄が綺麗で目を惹くし、日本の文化を知ってもらうのにいいかもしれない。これはシシリーさん向けかな。なんとなく女の子の方が、綺麗なものが好きそうな気がするし。
エルンくんは知り合ったばかりだし、趣味も好みも知らないんだよな。同じ年頃の男の子が好きそうなものってなんだろう。乗り物図鑑とか模型とか? でもダンジョン街じゃ乗り物を見かけないんだよな。乗った事のない乗り物に、興味を持ってもらえるだろうか?
少年漫画は、俺が今世の漫画にあまり詳しくないんだよな。今世にも前世とまったく同じ漫画もあるんだけど、ダンジョンが出現して以降は世界の流れが変わったからか、覚えているのとは違う漫画を見かけたりもする。まあ、単に俺が見つけてなかっただけで、前世にもあったって可能性はある。
(……そういえば、エルンくんは温泉に入った事がなさそうだったな。温泉体験は無理だけど、入浴剤を差し入れして、お風呂の良さを知ってもらおう)
入浴剤は温泉とは違うけど、それはそれで良いものだと思う。うちでは毎日欠かさず、入浴剤を入れた湯船でお湯に入る習慣がある。俺も入浴剤は好きだ。色んな香りがあるから、何種類か買って持って行こう。
(よし、そうと決まれば、母さんにお勧め聞いて買い物に行って、今日の午後あたりに差し入れにいこう)
あんまり日が経つとお祭りの差し入れっぽくないから、今日のうちに行ってさっさと渡してしまおうと決める。インスタントラーメンや本とかならそんなに高いものじゃないし、彼らも遠慮せず受け取ってくれるだろう。
マラソンから帰ってきて、シャワーを浴びて朝食を食べる。その時に忘れずに、母にお勧めの料理本と飾り切りの本について聞いておいた。
まだ時間が早くて店が開いている時間じゃないので、時間潰しに数時間、人形達を連れてダンジョンに潜って、ウシと戦う事にする。ダンジョン攻略はやっぱり、俺にとっての生き甲斐だ。水を得た魚のように生き生きとした心地になって楽しかった。スリルを求めるとかそういうんじゃなくて、着実に強くなっていけるっていう実感が嬉しいんだよな。経験値制度万歳だ。
その後10時近くに戦いを切り上げて、差し入れ用の買い物に行く。
スーパーで、まずはインスタントラーメンを次々に選ぶ。塩、醤油、味噌、豚骨、豚骨醤油、塩豚骨、冷やし中華、焼きそば、チキン味、カレー味。
そこのスーパーに偶々、アレンジレシピのチラシが無料配布していたので、それも二枚貰う。これもついでにアルドさんとジジムさん達に持っていってみよう。材料はトマト缶とツナ缶だったから、それもそれぞれに買っていってみるか。オリーブオイルや黒コショウは、多分あっちにもあるよな?
アルドさんへの差し入れは、軽いけど面積がすごい量になってしまった。その後にエルンくん向けの入浴剤を4種類、別々の香りのものを、箱入りのものから選ぶ。こっちはこっちで重いし嵩張るな。まあインベントリに入れて持って行くからいいか。
スーパーでの買い物を終えたら、それらをすべてインベントリに収めて、今度は本屋に赴く。目的の本すべてと、和紙の折り紙と練習用の普通の色付き折り紙も無事に手に入れて、買い物は終了した。
(時間が余ったけど、お昼時に行っても、食堂はお客さんで混んでて迷惑だろうし、やっぱり午後3時くらいがいいかな?)
中途半端に余った時間は、短時間でもダンジョンに潜る。こういう変則的な予定にも文句も言わずに付き合ってくれる人形達には、本当に感謝だ。人とパーティ組んでると、突発的な予定は入れられないもんな。
お昼を家で食べて、またダンジョンで戦って、ようやく午後の3時になる。
「さて行くか。まずはアルドさんのとこから」
キセラの街の中央公園のゲートを潜ると、昨日のお祭りの賑わいが嘘のように、普段通りに戻っていた。あれだけあちこちにあった飾りつけもすべて撤去されている。
いつもの道順を辿って、すぐに武器屋につく。ゲートから結構近い場所にある店舗だからな。
「こんにちは、アルドさん。エルンくんはいますか?」
店内に入って挨拶して、まずエルンくんの所在を聞く。俺はシシリーさんの家を知らないので、できればエルンくんにシシリーさんの家の場所を聞くか、あるいは差し入れを代わりに持って行ってもらうかしたいところだ。
「エルンは今日、学校で年少の子供を連れて、海水浴に行っている」
アルドさんがいつもの調子で答えてくれた。学校で海水浴……臨海学校みたいな行事かな。こっちでもそういうのがあるんだ。
「じゃあ、シシリーさんも?」
同じ年頃のシシリーさんも同じように街の学校に通っているのだろうし、そうなると彼女も留守の可能性が高い。
「そうだろうな」
アルドさんも頷いている。それなら今日は、エルンくんとシシリーさんへの差し入れは延期かな。別に悪くなるものじゃないからそれでも問題はない。
「それじゃあ、エルンくんとシシリーさんには、また今度にしようかな。それで、アルドさんはこちらをどうぞ。屋台お疲れさまの差し入れです」
店内に他にお客がいなかったのもあって、俺はカウンターの上に差し入れのインスタントラーメンその他をどっさりと出した。改めてみるとすごい量だな。ちょっと色んな種類を買い過ぎたかも。
「これは?」
アルドさんがその大量の袋のラーメンに目を見開いて驚いている。
(というか、大量すぎて箱や袋にも入れずに持ってきちゃったけど、こういう差し入れって、もっと包装にも気を遣った方が良かったかな)
今更だが、買ってそのままの状態で持ってきてしまった自分の至らなさに気づいて反省する。
「インスタント……非常食の乾麺です。色んな味があるので、こういうのも偶にはいいかと思って。それでこっちは、塩味のインスタントラーメンのアレンジレシピです。塩味はあっさりしてるので、アレンジしやすいんです。あとこれも、買い物に行ったお店にご自由にどうぞって置いてあったので、貰ってきました」
まず、インスタントラーメンがどういうものかを説明して、最後にスーパーでついでに貰ってきたチラシを差し出す。アルドさんはそれを受け取って、数秒沈黙した。そして唐突に再起動した。
「食堂に行くぞ」
「何故!?」
いきなりの力強い宣言に、今度は俺が驚きで固まった。その隙にアルドさんはカウンターの上に置いた大量の差し入れを、どんどんと自分のインベントリに仕舞っていった。
「勿論、このアレンジを作ってもらう為だ」
「ええ!? 待ってください! インスタントラーメンやそのアレンジは、家庭で作る扱いの簡単な料理で、食堂で作ってもらうようなものじゃないですよ!?」
理由を説明されても、納得はできない。インスタントは家庭料理だから! 料理のプロにわざわざ作ってもらうような代物じゃないから! と、俺は慌ててアルドさんの行動を止めようとする。
「俺には作れそうにない」
……どうやらアルドさんは、自分では全然料理ができないタイプの人らしい。「湯を沸かして茹でるだけなので!」と説明するも、取り合って貰えなかった。
「それじゃあ、エルンくんに頼んでみるとか」
「プロが作った方が美味いだろう」
「ええええ……」
なんとか妥協案を出そうとするも、アルドさんのラーメンへの情熱の前には聞き入れてもらえなかった。
ジジムさん達の迷惑になるのでは、と俺は必死に止めようとするが、勢いのついたアルドさんは止まらない。颯爽とした足取りで店の出口へと向かってしまった。
そりゃあ、俺もこの後は食堂に行こうとは思ってたけど。でも、そんなつもりじゃなかったのに!
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