第92話 祭りを終えて

 午後11時。ゲートで自分の部屋へと戻ってきて、大きく息を吐く。

「みんな、今日はお疲れ様。待機状態でゆっくり休んでくれ」

 人形達をインベントリに入れながら声を掛ける。これでインベントリの内部でちゃんと待機状態になってくれるので、彼らが戦闘で破損しても、俺が寝ている間に自動修復される。

 もう疲れ果ててヘトヘトの状態だから、俺もさっさと寝てしまいたい気分だけど、一日中働いていて、汗や食べ物の臭いが体に濃く染みついている。

(人形は汚れも破損の一種なのか、放っておいても時間経過で綺麗になるけど、人間はそうはいかないもんな)

 仕方なく、なんとかお風呂にだけは入ろうと、着替えを用意してよろよろと部屋を出る。

 一階に降りると、リビングにはまだ電気がついていた。


「おかえりなさい、お祭りは無事に終わった?」

「おかえり鴇矢。手伝い頑張ったか?」

 両親がまだ起きていた。俺が帰ってくるのも確かめる為にわざわざ起きて待っていてくれたのかもしれない。

「ただいま。お祭りは無事に終わったよ。手伝いもちゃんとできたと思う」

「そうかそうか。あれだけ人混みが苦手だった鴇矢が、まさか丸一日、お祭りの手伝いができるだなんてな。成長したじゃないか」

 父からとても嬉しそうな顔で言われた。……そうだった。俺は昔から人混みが苦手で、できれば避けたいと強く思っていたんだった。なのに今日は一日中、人混みの中で働いていた。手伝いを断る事だってできたはずなのに、そんな事を思いつきもせず、俺は祭りの賑わいと熱気をそれなりに楽しんでいた。

 終わった今は疲れ果てているけど、祭り自体に嫌な思い出はない。人混みに対しても、前より耐性ができているのかもしれない。

「……そうだね、すごく疲れたけど、でも楽しかったよ」


「ふふ、早くお風呂入っちゃいなさい。湯船はまだ温かいから」

「うん、ありがとう母さん。お風呂行ってくるよ」

「私達はそろそろ寝るわね。おやすみなさい」

「おやすみ鴇矢」

「うん。おやすみなさい」

 両親と短い会話を交わしてお風呂に向かう。脱衣所の洗面台で手早く歯磨きをして、さっさと服を脱いで浴室に移動する。

 母の言う通り、お風呂には温かな湯船が張ってあった。いつもの入浴剤もちゃんと入っている。シャワーで頭と体をざっと洗ってから湯船に浸かる。


(なんだか頭が重いな)

 疲れのせいだけじゃなく、多分、打ち上げで聞いた話の影響だろうと自己分析する。

 湯船の中でそのままゆっくりしたい気もしたけど、このままでは寝てしまいかねない。なんとか湯船を出て、シャワーを浴び直して風呂場をでる。下着やパジャマを着る間も頭は重かった。

 リビングの電気は消えていた。俺が帰ってきたのを見届けたから、言っていた通り、あれからすぐに寝たのだろう。

 キッチンで水を一杯だけ飲んでから、俺も部屋に戻ってそのままベッドに横になる。今日ばかりは特別扱いで、日課の勉強も休んでしまおう。


(早く眠ってしまいたいのに、眠れないな)

 体は一刻も早く眠りたがっているのに、心がザワザワ落ち着かなくて眠れない。


(打ち上げの話を聞いて、前世の俺の境遇を連想したせいかな)

 頭が悪すぎてお金もなくて、大学なんかにはとても進学できなかった。辛うじて高校だけは出て、その後は派遣やバイトでギリギリ食いつないでいた。親からは見放されていなかったと思うけど、実際の支援は何もなかった。家にも金銭的な余裕なんかなかったし。

 前世の俺は、もしも誰かに縋って救わるならそうしたいと、願う側の人間だった。

 ライトファンタジーが好きだったのも、異世界転生で新たな人生をやり直せる主人公に、自分もそうなれたらいいのにと夢想して、慰めを得ていた部分もあると思う。別に、それだけが理由じゃなくて、ちゃんと普通に楽しんでいた部分もあったと思うけど。


「そんな事もできないのか」「役立たずのクズが」「小学生でもやれそうな事もできないなんて有り得ないだろ。どっかオカシイんじゃないのか」「生きてる価値ないんじゃないの」

 周囲に散々バカにされ、蔑まれる出来損ないだったのは、前世も同じ……いや、成人して社会に出ていて、相手が容赦なかった分だけ、前世の方が周りの扱いは、今よりよっぽど酷かったか。

(辛くて苦しくて、生きているのがしんどい毎日だったな。不幸なのが当たり前って感じで)

 幸せそうに笑っている人や楽しそうに騒いでいる人は、完全に別世界の別の人種に思えていた。

 生きるのも辛いけど、死ぬのも怖い。そんな惰性で生きていた。

 ……記憶にはないけれど、前世の俺はあれからどうなったのだろう。多分、ろくな人生は送れなかっただろうなと思う。

 忘れているそれらを、思い出したいとは思えない。多分、本能的に拒絶している。かつての俺がどんなふうに死んだかなんて知りたくない。きっと絶望するだけだ。


(今はもう、何もできなかった前世とは違うじゃないか。今世の俺にはダンジョンがある。出来損ないのまま、苦しんで生きなくていいんだ。…………ああ、そうか。俺は多分、自分自身に証明したいんだ。「俺みたいなヤツだって、幸せに生きれるんだぞ」って)

 俺がダンジョンにのめり込んでいるのは、ファンタジーが好きなだけが理由じゃなくて、多分、そういう心理状態も多少は働いているんだろう。

 でもまあ、普段は楽しみながらダンジョンを攻略してるんだから、元々そういうのが性に合ってたって部分の方が割合としては大きいと思う。そうでなければ、もっと追い詰められたようにがむしゃらにダンジョン攻略に勤しんでいただろうし。

 適度に楽しみながら自分のペースで攻略できているのだから、強迫観念めいたものは殆どないと自己分析してみる。この自己分析が合っているかはわからないけど。


(でも、強くなってお金を稼いで、誰にも後ろ指さされないような人生を送れれば、俺はそれで満足できるのかな)

 この世の中に生き辛さを感じているのは、今世でも同じだ。

 優しい家族がいて、話し合える友達がいて、強くなれる手段があって、やりたい事があって。もう充分、前世より恵まれている。

 けれど、それがそのまま幸せに繋がのか。今のままで、俺は本当に俺自身を心の底から納得させられるのだろうか。



(……多分、俺はきっと、この国があんまり好きじゃないんだ)

 そんな根本的な思いに、今日の話でようやく気付かされた。

 他のもっと酷い国よりはマシな環境だからって、理想的とは限らなくて。俺にとって辛い事の多い場所なのは、紛れもない事実で。

 教育水準が高いの自体は良い事だけど、その水準に届かない落ちこぼれが、穏やかに生きていけるような受け皿が整っていない。

 落ちこぼれずに普通に大学まで行って就職できたような人達でさえ、生きる為に長時間労働するのが当たり前。そのせいなのか世間の人の大半は、生きるのに余裕がなくて他人に無関心になる。

 相手の顔が見えないネットでは余計に、他者に攻撃的で容赦のない人が多くなる傾向があるけど、対面でもそういう態度の人もいる。暴言や暴力を振るう人は恐ろしい。

 政府は税金を搾り取る為に長時間労働社会を作り上げて、変えようとする気配がない。

(……この辺は、マスコミの印象操作もあるのかもしれないな。この国のマスコミは、やたらと偏向報道が多いから)

 ネガティブな思考に、我ながらうんざりする。こんなにも今の社会に不満を溜め込んでいたのかと呆れるくらいだ。


 俺にとってこの国が生き辛いなら、いずれダンジョンに移住すればいいだけだ。前世と違って、この世界には逃げ場があるのだ。この国に固執する理由なんてない。たまに帰ってきて、親しい人の顔が見れればそれでいいはずだ。

 でも、それが正しい道なのかどうかも自信がない。

 打ち上げで渡辺さんが擁護していたように、日本が「大多数の人にとっては過ごしやすい恵まれた国」であるのも本当なのだ。ただ、俺がその大多数の側には入れなかった不適合者だってだけで。

 ……別に、自分には合わないからって、この国の良いところまで否定したい訳じゃない。良いところは良いとちゃんと認めているし、愛着や誇りだってない訳じゃない。

 そもそも、すべての人にとって幸せな理想郷なんて存在しない。

(俺はどうしたいんだろう)

 本気でこの国から逃げ出したいと願っているのかさえ、曖昧でわからない。自分自身の心なのに、自分で何もわからないでいる。


 これからもシーカーとしてダンジョン攻略をしていきたいって気持ちには、なんら変わりはない。これだけは確かだ。俺の中ではっきりしている。

 一人の方が気楽だっていう根本的なぼっち気質も、やっぱり変わりそうにない。

 でも、人との関わりすべてを否定して拒絶して、一人きりでいようとは、あまり思わなくなってきている。前世の記憶を思い出してから少しずつ、意識せずに人と関わるようになってきていたと思う。

 そうやって人と関わる事自体は別に悪い事じゃない。むしろ視野が広がって良い事だと思う。


 だけどそうやって多くの人と関わっていくと、今日みたいに、思いがけずに重い話や暗い話を聞いてしまったりする。

 正直、話を聞くだけで精神的に消耗したし、聞いているだけで辛いと思ったのも事実だ。

 それでもそういったものをすべて避けようと思えば、結局は人付き合いそのものを避けるしかなくなると思う。今の俺は、そんな事は望んでいない。

(そうやって、色んな話を聞いたり人と関わったりして。その後に俺はどうすればいいんだろう)

 できるだけ彼らのような人の手助けをするのが正しいのか。それともこれまでと変わらずに、自分なりにダンジョン攻略に励むのが正しいのか。あるいはダンジョン攻略以外にも、俺も何か人生の目標を持った方がいいのだろうか。

(そんな大それた事なんて、俺には何もできそうにない。そもそも人助けとか無私の活動を本気でしたいって思えるほど、お人好しな訳じゃないし)

 ……俺は弓星さんや渡辺さんみたいに、自分と同じように苦しんでいる人を助けたいなんて野望を抱いたりできない。そんなつもりはない。

 世の中の理不尽を少しでも変えようと足掻いている人達はすごい。でも人は、トラウマを乗り越えられる人ばかりじゃない。むしろ真正面から向き合う事で、より辛い思いをする人の方が多いと思う。俺だって、自分の事で精一杯だ。

 そう思う一方で、どこか納得しきれていない自分がいる。俺は何かがしたいのだろうか。彼らのように頑張っている人達を放っておけないのだろうか。

 自分の心を見つめ直す作業はしんどい。俺は、自分の中身を直視したくないのかもしれない。


(かなりネガティブになってるな)

 わずかに残った冷静な部分で、それを自覚する。今の自分の心理状態はまともじゃないと。

(疲れてるからかな。それに重い話を聞いたから引き摺られてるのか)

 疲れている時に難しく考えても、暗くなるばかりでろくな事にならない。


 今日はもう寝てしまおう。何も考えず、深い眠りにつきたい。

 ただそれだけを強く思っていると、ようやく静かな眠りの波が訪れてくれた。

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