第87話 キセラの街の創立祭・打ち上げ その4
「ある日、ブログを見て俺に気づいたって言って、ダンジョン内の俺の暮らす家まで、学生時代の部活の後輩がやってきたんです。追い詰められてボロボロの状態で」
また、不穏な内容になってきた。学生時代の後輩って事は、同じ会社に勤めてた訳じゃないだろう。日本には一体どれだけのブラック企業が蔓延っているのかと不安になるような話だ。
「その後輩が、「10層まではまだ行ってないけど、どうか雇ってここに置いてほしい」って泣いて縋ってきたんです。聞けばそいつも俺と同じように、ブラック企業で酷使されてたんです。そいつは何年もそこに勤務し続けてたから、俺の時より更に酷い状態でした」
いくら学生時代に親しくしていた先輩が相手でも、大の大人がそんなふうに縋りついて泣き出すなんて、その人は一体どれだけ精神的に不安定だったのか。想像するのも怖いな。
「心底気の毒でした。俺だって同じような目に合ったから、その辛さは誰よりわかる。でも、俺を頼って来たって押しかけられても、俺が雇い主になって面倒を見るって訳にもいかないじゃないですか。俺にも家族がいるし、責任を取れる範囲なんて限られてる」
弓星さんが躊躇するのも当たり前だ。普通の人はそんなにも、あれもこれも背負い込めない。自分の事で精一杯の人の方が多いと思う。
ダンジョンシステム的には、10層到達者がステータスボードから同居人登録をすれば、配偶者以外の血の繋がりのない相手でも、同居人としての登録はできる。でもその場合、その人が罪を犯すと、登録した側まで一緒に責任が問われる「連座制」とでも言うべき仕組みなのだ。気軽にそれを請け負うなんてできないだろう。
弓星さんの場合、ダンジョンに出入りできなくなったら、ようやく得られた安穏の地を捨てなくちゃいけなくなるのだ。だから余計に、他人の責任なんて背負いたくはなかっただろう。
「でも、その後輩があんまりにも追い詰められてて、俺が断ったら、そのまま自殺でも仕出かすんじゃないかってくらいだったんですよ。だからとても放り出せなくて」
矛盾してますけど、と弓星さんは困ったように語る。
他人の責任なんて持てない。そう思いながらも、今にも死にそうな知り合いが目の前にいたら、放り出せなくなってしまうのも、なんとなくわかる。俺だって、自分じゃ背負えないと思っても、そこで突き放す事もできなくて、どこまでも悩みそうだ。
「結局その日はそいつをそのまま家に泊めて、そんで次の日に言ったんです。「10層に到達する手伝いは、できる限りする。だから辛いだろうが頑張れ。そうすれば対等な近所の住人として受け入れる、家を作るのも手伝うし、ここでの暮らし方も教える。だから10層まで行って、自分で権利を勝ち取ってくれ」って」
それが弓星さんなりの、手助けできる範囲の線引きだったのだろう。
(それは、その人を人生や責任を背負うっていうのとは、また少し違うんだろうな。でも弓星さんはその人を見捨てないで、一緒に歩いていく選択をしたんだ)
「その後輩は最初、見捨てるのかって泣いてたけど、「10層に行く手伝いはするって言ってるだろう。ほら行くぞ」ってダンジョンに強引に連れていったら、泣きながらもなんとか戦い始めました。そんな日々を続けているうちに、段々と泣かなくなって、自分からダンジョンに行くようになっていって……」
その人にとって、弓星さんの存在は、どれだけ大きな救いだっただろう。
同時に、無条件で寄りかからせてはくれなくて、自分の足で立てと常に追い立てられるのは、どれだけキツかった事だろう。
だけどそうやって強引にでも追い立てられたからこそ、その人は無理やりにでも立ち上がって、ダンジョン攻略に向かえたのだろう。
なんだか想像だけで泣きたくなってしまった。
「その間の住処は俺の家を提供してましたが、これなら行けるだろうって思って、その後輩が暮らす為の家を、近所に建て始めました。それを見てそいつも「10層まで行ったら、そこに住めるんですね」って、益々やる気になって。……時間はかかりましたけど、その後輩も無事に10層まで到達しました」
そこまで聞いて、安堵のあまり自然と溜息が零れた。他の人も途中から黙って話に聞き入っていたようで、そこで同じように息をついた。
「おおー! それは良かった! 後輩くんが助かってほっとしたよ。それにしても弓星くん、面倒見いいねえ」
両手をパチパチと叩いて、渡辺さんが弓星さんを称賛した。
暗くなりがちな話を聞いているのに、彼のその明るさとノリの軽さはそのままで、違和感があるけど、頼もしくもある。場の雰囲気が暗くなりすぎないって点では助かっている。
「面倒見がいいっていうより、同病相憐れむに近いですよ。同じ境遇だった人を見捨てられなかっただけです。……それで、俺達と同じような人がもっといるんだと思ったら堪らなくなって、ブログに、「俺も後輩も立ち直った。本当に辛くて逃げ出したい人は、10層まで行けるように支援するから、ここまで来い」って表明したんです」
(うわ、後輩さんの話で終わらなかったんだ。更に知らない人にまで呼びかけるって、知り合いを一人手助けするより、絶対にもっと困難なのはわかってるだろうに)
俺は弓星さんの決意に慄く。
「一応、ブログで表明する前に、家族や後輩とも相談はしましたよ? 不特定多数の人間を受け入れるなんてどれだけ大変か、想像もつかないですから。でも、散々話し合っても、結論は変わりませんでした。自分達で受け入れられる範囲で支援していこうって話で纏まったんです」
すっきりした笑顔で弓星さんが言う。彼はそうやって、家族や後輩の人とともに、同じ苦境に立たされた人の支援を始めたのか。
(全然、スローライフじゃないような……。弓星さん、ものすごい頑張ってるし)
「人が来てもなんとかなるように家も何軒か建てて。で、実際に人が来たら、前に来た人にも協力してもらって、とにかく10層を目指してもらう。同時期に人がくればパーティを組んで当たってもらう。そんな感じで、追い詰められて逃げ出したいって人を支援してきました。自助努力っていうんですかね? 俺がやってるのはあくまで、自分の力で生きていけるようになる為の手助けなんです」
そこまで聞いて、俺は少し気になった。
(その話だと、資格なしの段階で、その人達もダンジョン内に住んでるような?)
「あの、10層に到達してなくても、こっちに住めるんですか?」
それだと一体何の為の資格なのかという話になる。
「言語スキルの付与とか、仮設ゲートを使う権利はないけどね。ダンジョンに来くれば、お金さえ出せば宿屋に泊まれるでしょ? それと一緒で、単に俺が無償で泊まる場所を提供してるだけだね」
「なるほど、資格がなくても、泊まるだけなら誰でもできるんですか」
弓星さんは俺の質問に分かりやすい例を出して答えてくれた。
俺はダンジョン内の宿屋に泊まった事がないけど、お金さえ出せば泊まる事は可能だ。それと似たようなものらしい。
「開拓とかの、資格がないとできない事は無理だけどね。一時的な避難所を俺が作って解放して、それを利用してもらってるだけだよ」
「でも当然、すべての人が10層に到達できる訳じゃない。途中で逃げ出していく人もいました。俺は10層到達が条件だって言って、そこは曲げませんでしたし」
「そういう人はどうしたの? 追い出したの?」
シシリーさんが、聞いていいのかどうか、と躊躇うような表情で訊ねる。
「まず医者に付き添って診断書を出してもらったり、会社を訴えたいって気力のある人には弁護士を紹介したり、生活保護を出してもらう手続きに役所に行くのに同行したり、手助けできるところは、ある程度はやるよ。その間の食事や寝床は提供するし。それで落ち着いて立ち直る人もいるし、ここでの暮らしが合わないって逃げ出す人もいたね。逃げ出した人は追いかけないから、その後どうなったかはわからないな」
年下のシシリーさんに向けてなので、敬語なしで答える弓星さん。重い話を子供相手にしてるって自覚があるからか、ちょっと気まずげな表情だ。
「国から生活保護を受けられるなら、みんなそうすればいいのでは?」
アルドさんが新たな疑問を投げかける。
「保護を受けられる条件が厳しいんで、申請した人が全員受けられるとは限らないんですよ」
弓星さんがまた答える。役所って基本、申請しないと何もしてくれないからな。弓星さんのように、自力でダンジョンに逃げ込んだ人は救済の対象外だろう。
「会社を訴えたい人は少ないの?」
これはシェリンさんからの疑問だ。まあ確かに、泣き寝入りするよりは相手を訴え出る方がまだ、有意義だし健全だと思う。……それができるだけの精神状態を保てていればの話だけど。
「裁判を起こすにも、手続きやお金がいるので。それに相手と争うにも気力がいりますから。そういうのができる気力や判断力が残ってる人は、案外さっさと会社に見切りをつけて辞めてる人が多いんですよ」
要領のいい人は、ダメなところから見切りをつけるのも早い。結局、要領が悪い人だけがうまく逃げ出せずに酷使されてしまう。
「無条件に保護してもらいたがる人とか、やってるフリして居座る人とかはいなかったんですか?」
更科くんが真剣な表情で、切り込んだ質問をする。
彼の心配の通り、弓星さん達の善意を利用するだけ利用して、自分の義務は果たそうとしない人だって、中にはいただろう。大勢の困っている人を助けようとすれば、そういう人だって一定数は出てくるものだ。
「そういう人もいました。でも周りの士気に関わるんで、一定期間内に何の成果が上げられない人は、流石に追い出します。厳しいようですがそうしないと、俺の責任の範疇を超えちゃうんで。……そういう人は役所に申し出て一時保護してもらってますけど、その後は俺にもわかりません」
どこか申し訳なさそうに、後ろめたそうな表情で言う弓星さんだけど、彼は十分頑張っていると思う。実際、ここにいる人から、努力しない人を追い出した件を非難するような意見は出なかった。
「すべては受け入れきれん。当然の事だ」
ジジムさんが厳然とした表情で頷く。
「ええ。無条件で受け入れはできません。そもそも多くの人を助けたいなら、国を動かす為に政治家になった方が効果はあるんでしょうけど、俺にはそこまでできる気がしないんですよね。社会の闇や醜さを見続けてると、俺の方が飲み込まれてしまう気がして。だから、あっちから逃げ出した俺にできるのって、精々これくらいかなって」
自嘲するように言う弓星さんだけど、彼は本当にもう充分、やれる事をやっていると思う。
「何でもかんでも背負いすぎると、潰れるだけだよ」
渡辺さんが弓星さんを慰めた。……あるいは慰めじゃなくて、弓星さんがこれ以上の重荷を背負い込み過ぎないように、戒めたのかもしれない。
「自分のできる範囲で、できる事をするのが大事だ」
ジジムさんも渡辺さんの言葉に同調している。
「……それでも、そんな活動を20年くらい続けていたら、いつの間にか人数が増えていって、今に至るんです。俺の村の住人の殆どはそういう人達です。だから大抵の村人が静養したいと願っていて、気楽なスローライフの日々を送ってます」
そんな経緯を経て、ブラック企業から逃げ出してきた人達ばかりが大勢いる村ができあがっていったのだという。
「……まあ、スローライフとは言っても、新たにやってきた人達を支援しつつダンジョンに叩き出すのも、村全体の日課なんですけどね」
苦笑して頭を掻く弓星さん。彼の話は、そんなふうに締めくくられた。
(それってやっぱり、スローライフって言わないような)
でも多分、スローライフの定義は、人それぞれなんだろう。
「それで村人が200人を超えるってすごいな。弓星くんがずっと同志を手助けしてきた成果だね。その努力にはマジで頭が下がるよ。……そんでもって日本には、それだけブラック企業が蔓延してるって事か。嘆かわしいねえ」
渡辺さんが感心して、弓星さんのこれまでの行動を称えた。と同時に、ブラック企業が蔓延する日本の社会に対しての苦言も零す。
「政府はもっと徹底的に、企業の実態調査をやるべきです。俺の村は殆どの人が、心も体も壊して使い潰される生活から、命からがら逃げて来た訳ですから。ダンジョンが世界に現れてなかったら、どれっだけの人がそのまま死んでいたかわからないです」
そこだけは語気を荒くして、弓星さんが言い切った。彼にとっては決して譲れない部分なのだろう。
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