第86話 キセラの街の創立祭・打ち上げ その3
「ツグミ、トキヤ。お前たち、そんな国に暮らしていて大丈夫なのか?」
こちらを心配そうに見やるエルンくん。確かに今の話を聞けば心配になるよな。ダンジョンが解放されると同時に逃げ出した人が、実際にここにいるのだ。そんな国に住んでいると聞かされれば心配にもなる。
「あっちだって、悪いところばかりじゃないよ? 会社だってまともな経営してるところが殆どだし。俺達は大丈夫。でも学校生活も、人によっては辛いかな?」
複雑な顔で答える更科くん。
「……今の社会に適応できないごく一部の人には、生き辛いだろうね」
俺もすべてを肯定はできない。
学校にしろ会社にしろ、ついていけなくて脱落する人だっている。不登校になって家で引き篭もったり、働けないでニートになったりして脱落した人達には、厳しい現実が待っている。
そうなってしまった人達だって、別に自ら望んでそうなった訳じゃない。ただ今の社会構造にうまく適応できなかっただけだ。
だけど日本はそういう脱落者に厳しい。更生の機会も、社会復帰の機会も殆ど与えられない。すべて自己責任で片付けられてお終い。
俺も前世の記憶が戻らなければそうなっていたかもしれない。それを思うと背筋が凍る。
「なんで、適応できなかった人達は国から逃げ出さないの?」
シシリーさんからそう問われる。彼女は嫌なところからはさっさと逃げ出すべきって考えのようだ。それも別に間違いじゃない。
今いる場所を良くする努力をすべきか、それとも逃げ出して新しい居場所を作るべきかっていうのは、ケースバイケースで変わると思う。
日本は成熟した大国で、法制度が固まっている。それを変革するのは容易じゃない。それならまだ、逃げ出す方が簡単だ。
(いや……簡単じゃないか。今いる場所を逃げ出すのだって、そう簡単にはいかないよな)
過去に弓星さんが、ダンジョンが一般開放されるまでは会社を辞められなかったように。住んでいる国から逃げ出すっていうのは、言うほど簡単な事じゃない。
「単一民族の島国で言語が独特だから、外国で暮らしにくいのが原因かな? 周りと言葉が通じない暮らしって、結構ストレスだし」
ちょっと困った顔で、更科くんが答える。自分の国を悪く言うのは気分が良くないけど、実際に悪いところはあるのだから仕方ないって感じだろうか。
俺も日本の良いところを思い浮かべてみる。
「食べ物が美味しくて、衛生環境が整っていて、医療制度が充実していて、お店のサービスも良いから、暮らしやすい面もあるよ。外国は日本よりもっと酷い差別や偏見、規制や危険がある国も多いし。治安の良さでいうと、日本ってあっちの世界でもトップレベルなんだ」
少し考えるだけでも、日本の良いところはすぐに出てくる。普段からその恩恵を受けて暮らしているのだ。便利で安全で清潔なのは間違いない。
「……でも、外国に逃げても余計辛いだけだって、自分を騙して思い込もうとしてるだけかも。……ダンジョン内に住めるなら移り住みたいって人は、きっとかなりいると思う。ダンジョンに居住できるようになれば、言語スキルも付与される。それなら一番の問題である言語問題が解決するんだし」
結局は俺も、自分の気持ちを騙せなかった。
外国で日本より快適に過ごせる自信がないから、無理やり「日本は良い国だ」と思い込もうとしてただけなんじゃないか。本当は不満がいっぱいあるんだと思い至ってしまう。
「まあそうです。それまでは逃げ出そうにも、まともな逃げ場がなかったんです。俺もダンジョンのおかげでブラック企業から抜け出せて、病院に通いながらダンジョン攻略を始めました。妻も俺をずっと心配してくれてたんで、不安そうにしながらも、一緒にやってくれて。……最初の頃の収入は微々たるものでしたが、家計を節約しながらなんとかやりくりしました」
弓星さんが当時の回想に話を戻す。
ブラック企業に酷使されて、心身共に壊した状態でのダンジョン攻略か。聞くだけでも大変そうだ。でもブラック企業に勤め続けるよりは、ずっとマシな選択肢だったんだろう。
「いい奥さんじゃん。怖かったろうに、最初期の頃から一緒にダンジョンに行ってくれるなんて」
渡辺さんが相槌を打つ。
その頃にはもう子供もいたと言っていたし、弓星さんも奥さんも、きっと不安を抱えながらも、子供の為にも必死でモンスターと戦ったのだろう。その当時はまだ情報がそれほど行き渡っていなかったろうから、手探りで強くなる方法を試しながら頑張ったのだろう。
「妻も他に道がないってわかってたんでしょう。二人で励まし合って戦いを熟していきました。それでその先はまあ順調にレベルを上げて、貯めた金でポーションも買って、体も治して……、そうやっているうちに、ワールドラビリンスの10層に到達したんです」
どうやら、弓星さんと奥さんのダンジョン攻略は順調に進んだらしい。きっと順調なだけじゃなかったんだろうけど、ここでそれ以上話すつもりはないようだ。
「当時、10層に到達すればダンジョンに住めるって噂が、ネットで少し出回り始めたくらいでしたか。俺はそれを知ってもダンジョンに住もうって、最初から考えてた訳じゃないんです。でも実際に到達して、与えられた権利を眺めてる間に、すっと気が抜けると同時に、「ああ、これでようやく、この国から逃げられる」って思っちゃって」
吹っ切れたような爽やかな笑顔を浮かべる弓星さんだが、その様子が却って痛々しい。
ずっと抑圧されてきたストレスから逃れられるとわかって、ようやく気が緩んだのだろう。それまではストレスをストレスとして、認識すらしていなかったんじゃないかな。
「そんな過去があったのね」
「……無事に逃げられて良かったな」
シェリンさんとジジムさんも神妙な表情で相槌を打つ。彼らも弓星さんがどういう経緯でダンジョンに移住してきたのか初めて聞いたのだろう。痛ましげな表情で弓星さんを見ている。
「そこで燃え尽き症候群になって、ひたすらのんびりしたいって気持ちで、家族でダンジョンに移り住むのを決めたんです。その際、できるだけ長閑な雰囲気が良かったんで、街の規模が小さいキセラの街を選びました」
「当時ダンジョンに移住する人は少なかったから、街の中の建物を買う事も可能だったんですけどね。でも人の多い場所にいるのが苦痛に感じられて。体はポーションで治っても、心ばかりはどうしようもないですから。それで結局、街から少し離れた草原に自分達の家を建てて、スローライフ生活を始めた訳です」
(あれ、「当時は街中の建物を買う事も可能だった」って、つまり今は、地球からの移住者が押し寄せてきて、街中の家や土地を買うのは難しくなってるって事?)
本題とは違う部分が気にかかった。資格を得られて実際に移住した人も多いのか。それで街中が埋まって、土地や家を確保し辛くなっているようだ。
限られた街中を確保しようと四苦八苦するよりは、新しく土地を開拓して自分の所有地を確保した方が、となって、今後は地球人の手による開拓が流行るのかも。
「ダンジョンでスローライフって言っても、自給自足じゃ忙しいだけじゃないかってよく聞かれますけどね。でも、食材も容易に取れるし、便利な魔道具を家電代わりに使えるし、家畜を飼うのも人形や幻獣に手伝ってもらえばそう手間もかからないし。10層へ行けるだけの基礎レベルがあれば十分、のんびり気ままな生活を送れます」
弓星さんがダンジョンに移住してからの生活について語る。
「気楽な生活を送って、ようやく解放されたんだって実感しました」
それを聞いてほっとする。ブラック企業に酷使されていた分、ゆっくり休んでほしい。
「ダンジョンに住む場合、資格こそいるけど税金はいりませんからね。むしろベーシックインカム制度で、毎月決まった金額を支給される。だから暮らしはどうとでも成り立ちますし」
弓星さんがさらっと語った言葉に、俺は目を見開いた。
「え、税金がいらないんですか!?」
驚きに、思わず大きな声を上げてしまった。
ダンジョンの未開拓地を開拓すれば私有地として所持できるって話は知ってたけど、こちらで暮らすのに税金がいらないなんて思ってもみなかった。税金を払うのは当たり前って認識だったから、調べようとも思わなかったのだ。
「ベーシックインカム制度って、確か、生活に最低限必要な金額が保証されるって制度でしたっけ?」
更科くんが首を傾げながら弓星さんに訊ねる。
「毎月一定金額が支給されるって保証されてるだけで、安心感が違うわな。ましてや、ダンジョンシステムが保証するのは資格保持者に対して月に1万DGだから、扶養家族の分を考えなければ、余裕で暮らせる金額だし」
渡辺さんがおどけるように言う。彼も弓星さんと同じく移住者だから、その辺には詳しいようだ。
(日本円で月10万円分が確実に保証されてるなら、確かに精神的にすごく楽だな。それに、ダンジョンでは食材を手に入れるのは簡単だから、その分を他に回せるって考えたら余計、安心して暮らせそうだ)
聞くだけで羨ましい制度だ。ダンジョンは至れり尽せりだって前にも思ったけど、知れば知る程、その思いが強くなる。
「そう。資格さえあれば無料で住める上、実際に移住すれば、毎月お金が貰えるんだよ。街中に既にある家や開拓済みの土地を買うにはお金がかかるけど、未開拓地を自分で開拓する分には無料で好きにしていいんだ。おかげで普通に暮らす分には困らない。すごい太っ腹だよね」
「公共施設の運営費なんかはダンジョンシステムが全額だしてるくらいだしねえ。店舗にも毎月、補助金が出るっていうし?」
弓星さんと渡辺さんの説明に、俺はもう驚きっぱなしだ。
「えええ、こっちの公共施設って、ダンジョンがお金を出して運営してたんですか!? しかも、税金を取るどころか、お金を逆に貰えるなんて、……普通の国じゃ、絶対に成り立たないですよね」
もう、驚きを通り越して呆れるしかないくらいだ。ダンジョンシステム、半端ないな。
(公共施設って事は、街役場、銀行、図書館、公園とかかな? え、財源どうなって……。ああそうか。ダンジョン内の通貨はDGだから、仮想通貨っていうか、あくまでシステム上の数字に過ぎないのか。それに、もし通貨が現物だったとしても、ダンジョンではドロップアイテムやモンスターのリポップまで全部システムが管理してるって考えれば、DGを支給するくらい、できて当たり前なのか)
どうやって実現しているかはわからないけど、地球の科学と常識が通じないダンジョンのシステムならば、それくらいは可能な範囲なんだろう。
それにしても、税金を払わなくて良くて、逆にお金を出してくれるって、とんでもない反則技なんじゃないだろうか。
「地球じゃまず無理なシステムだよね。ダンジョンならではの反則技だよ」
弓星さんもそう答える。
国家を運営するには、国民から徴収した税金がなければという根本的な部分がまるで通用しないなんて、本当に信じがたい。夢みたいな制度だ。
(ダンジョンで暮らした方が、死ななくて「安全」な上に、税金も取らずに金が配られる「安心」な暮らしができて、魔道具で「快適さ」まで保証されるだなんて、普通の国が勝てる要素がないんじゃないか?)
考えれば考える程呆然とする。税金の件が地球で広く知れ渡ったら、ダンジョン内に移住したい人の数は、今より爆発的に増えるんじゃないかな。少なくとも俺は今の話を聞いただけでも、かなり移住に心が傾いたんだけど。
それとも、知っていても移住しない人の方が多いのかな。あるいは資格がないから、移住したくても移住できないだけ?
「移住してきて、少し気持ちが回復してきた頃に、ブログも始めました。日本の家は売り払ってきたんで、ネットカフェから気が向いた時に投稿する感じで。ブラック企業で心身が壊れた事とか、現在の所在地とかも隠さず公開しました。日本にいた頃だと住所をバラすなんて事はしなかったでしょうが、ダンジョン内は犯罪が厳しく取り締まられてるからいいかって気分で」
弓星さんの過去話は続く。
住処をネットで公開したってところではちょっと驚いたけど、ダンジョン内で何かあれば速攻で衛兵が飛んでくるから心配ないのだろう。日本ではそこまで明け透けにネットに載せるのは、犯罪に利用されそうで怖いから、そんな事はできない。
「そうしたら段々と、かつての俺と同じような境遇の人が、コメントを寄せてくるようになりました。「羨ましい」「自分もそんな生活が送りたい」って。俺はそれに、ダンジョンを攻略してワールドラビリンス10層まで行けば、俺と同じ生活ができるって返事を書いてました」
(……弓星さんはかつての自分と同じような境遇の人に、同じように助かって欲しかったのかな)
わざわざ地球でブログを始めたのも、「こんな道もあるんだ」「いつまでも辛い場所に居続けなくていい」って示す目的だったのかもしれない。
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