第85話 キセラの街の創立祭・打ち上げ  その2

 *注意!!!

 今話以降、「ブラック企業による搾取」「家族からの暴力」「子供の虐待」「子供からの搾取」「暴言」「虐め」といった話題が出ます。また、今後もそれを前提にした内容が出てきます。

 直接的な描写はないと思われますが、トラウマがあって少しでも触れたくない方は、閲覧を控えてください。

 そういった内容が苦手な方も、閲覧の際には細心の注意をお願いします。







「渡辺さん、自分の屋台を離れて、隣で打ち上げやってるですか」

「賑やかね。テーブルをくっつけましょうか」

「テーブルを移動させるから、一度立ってくれるか」

 渡辺さんに呼ばれてこちらにやってきた弓星さんという男の人と、ちょうどラーメンが品切れになったシェリンさんとジジムさんが、同時にこちらに合流した。一度みんな席を立ってテーブルを四つくっつけて、みんなが座れるだけの広さを確保する。

 やっと落ち着いて座れたジジムさんとシェリンさんが、ほっと息をつく。俺達は彼らに飲み物や食べ物をあれこれと勧めた。それでもまだ、テーブルには食べ物がかなり積まれている。

「今日はお疲れ様でした、そっちの屋台はどちらも大繁盛でしたね」

「オレの方は、こんな売れる予定じゃなかったんだけどねー」

「こんばんは、弓星さん」

 弓星さんも一緒に座り、渡辺さんや更科くんと会話しながら適当に、食べ物と飲み物を確保する。


「君ら三人は、はじめましてかな? 俺は弓星 彩羽(ゆみほし いろは)。キセラの街近くに作ってる村の代表って事になってるんだ。よろしくね」

 弓星さんが俺達に向かって自己紹介してくれた。他の面子とは既に顔見知りのようだ。

 彼は二十台半ばくらいの見た目の、黒髪黒目の日本人だ。穏やかな笑顔を浮かべているのもあって、柔和な印象だ。

「ぼくは、アルド兄上の弟のエルンだ。ツグミのパーティメンバーでもある」

「私はシシリーよ。ツグミのパーティメンバーね」

「更科くんの友達の鳴神 鴇矢です。よろしくお願いします」

 弓星さんと初対面である三人がそれぞれ自己紹介する。



「そういや、弓星くんの屋台の方はどうだった?」

 それぞれが飲み物と食べ物に口をつけて一息ついたところで、渡辺さんが弓星さんに話しかける。ノリの軽い感じは誰が相手でも変わらないようだ。

「うちは街役場のアルフィーさんに屋台登録してもらって、農場自家製の生クリームやアイスを使ったクレープにしたんですけど、クレープが大きい上に、果物も生チョコもたっぷり乗せるボリューミーなものになったので、ちょっとお客さんに敬遠されちゃった感じですね。まあ目標販売数には届いたんで、及第点ですか。あ、これ、クレープに乗せて余ったアイスと生クリームと果物です。デザートにどうですか」

 弓星さんが渡辺さんの質問に答えながらインベントリから保冷箱を出して、そこから色々と取り出す。言葉通り、クレープの具材に使ったものの残りのようだ。

「ありがとー! ちょうどデザートの気分だったんだわ」

「このアイスも生クリームも、弓星さんの農場の自家製なんですかっ!? それ、絶対美味しいヤツじゃないですかーっ」

 渡辺さんと更科くんが、アイスの登場にすごくはしゃいでいる。二人がさっそく使い捨て容器にアイスと生クリームを山盛りにするのを見て、つられて食べたくなった。

 俺も使い捨ての容器に、アイスを掬う専用の道具……アイスクリームディッシャーだっけ? を使って、アイスを掬って食べてみる。滑らかな舌触りで味が濃くて、それでいてくどく感じない、絶妙な美味しさだった。続いて生クリームもアイスの上にたっぷりと乗せて食べてみたところ、こちらも濃厚でありながら上質な味わいだ。


「すごく美味しいです」

 お世辞抜きで称賛したくなる味だ。

(農場の自家製って事は、酪農家さんなのかな?)

 特殊ダンジョンの1層では、モンスターの他に普通の動物も半々の割合で生息しているって話だったし、1層でなら普通の牛も飼えるのだろう。10層到達の資格を持っている人が開拓すれば、その土地にはそれ以降、モンスターはリポップしなくなるというし。

 それで自農場の牛のミルクから、アイスや生クリームを作っているのか。

 俺が昼間に食べたクレープは、野菜やハムが入ったおかず系のクレープだった。弓星さんの屋台は多分、中央広場ではなく大通りのどこかにあったのだろう。休憩時間には見つけられなかった。このアイスと生クリームの乗ったクレープも食べてみたかったな、と残念に思う。


「確かにこのアイスと生クリーム、すごく美味しいわ」

「他の食べ物で口が脂っこくなってきていたから、アイスや果物が丁度いいな」

 シシリーさんとエルンくんも弓星さんの持ってきたものを気に入ったようだ。それを聞いて、黙って何事かを考え中だったアルドさんも再起動して、おもむろにアイスに手を伸ばした。

「味には自信があったんです」

 少し自慢げな弓星さん。

「イロハさんはちょっと、量を欲張り過ぎたわね。屋台は量を抑えるのも、戦略のひとつよ」

「やっぱり大きすぎましたか」

「こんなに味がいいのに、大勢のお客さんに食べてもらえなかったのは勿体ないわ。工夫できるところは工夫しなくちゃ」

 肩を落とす弓星さんを、シェリンさんが諭している。

 アイスや生クリームはとても美味しいのに、屋台でそんなに数が売れなかったのだとしたら、確かに勿体ないな。でも売る側に立ってみると、これだけ美味しくできたのだからと、ついあれもこれもと盛りたくなってしまう気持ちもわかる。……商売って難しいな。


「そういえば俺、なんでここに呼ばれたんですか?」

 周囲の顔ぶれを見渡して、不思議そうに弓星さんが訊ねた。彼からしてみれば、打ち上げの最中にいきなり呼びつけられたのだから、用事があると思うのも当然だろう。

「あー、オレんとこの街作りが難航してるって話題から、弓星くんとこは順調だなーって話題が出てさー。そのついでってか、ノリで?」

 それに対して、渡辺さんがあっけらかんと言い放つ。悪びれないな、この人は。

 呼びつけられた理由がわかって、弓星さんはちょっと困ったように笑う。

「ええ? 俺のところは、ブラック企業から逃げ出した面子の静養先になってるだけですよ」


(ブラック企業?)

 笑顔であっさりと言われたが、その不穏な単語に俺は反射的に身構えた。静養云々は先ほども聞いたけど、まさかブラック企業から逃げ出した人達の静養先だとは思ってなかった。一体どんな経緯を辿ったら、そんな経歴の人ばかり集まる村ができるんだろう。

「そうなった経緯を説明してくんない? オレの今後の住人集めの参考になるかもしれないしさ」

 渡辺さんが弓星さんを拝んでお願いしている。他の人も特に止めようとしない。その話題に興味があるんだろう。渡辺さんの人集めの参考になるかはともかくとして、俺も正直、ちょっと気になっている。

「祭りの打ち上げに相応しくない、暗い話で恐縮ですが」

 こうして弓星さんが村を作る事になったきっかけが語られる事になった。


「えーと。……俺は元々、新卒で就職したところがとんでもないブラック企業で、散々扱き使われて、たった数か月で健康を損なってしまったんです。それで、貴重な休日に精神病院に通いながら社畜をやる日々を送ってました」

 弓星さんの過去話は、そんなふうに始まった。

「シャチクってなんだ?」

 だが話し始めたところで、エルンくんから疑問が挟まれた。弓星さんが苦笑する。

「そっか。通じないんだ。社畜って言葉自体が造語なのに、もう現代人は誰でも知ってて当たり前ってくらい、浸透してるんですね。……社畜っていうのはね、「会社の家畜」、略して社畜って意味だよ」

 エルンくんに意味を説明して、改めてその言葉の酷さに苦笑を深める弓星さん。現代では「社畜」って言葉を知らない人の方が珍しい。

「そんな酷い言葉が平然と使われる社会はどうかと思うけど」

 シェリンさんも眉を顰める。ジジムさんも無言で頷いた。


「普通の会社に勤めてるのに、冗談で使ってる人もいますけどね。ただ俺の勤めてたところは本物のブラックだったんで、実際に酷かったですよ。「食われるまでは大事に飼育される家畜の方が、使えなくなれば見捨てられる社畜よりマシだ」って意見まであったくらいです。本当に、なんでそんな会社で働いてるんだって話ですよね」

 当時を思い出したのか、顔を顰めて遠い目をする弓星さん。

「そちらの国は、そんなに労働環境が悪いのか? 前に豊かな国だと聞いた気がするが」

 弓星さんの話を聞いて、アルドさんが不思議そうだ。貧しくて忙しいなら理解できるけど、豊かなのに酷使されるって、意味がわからないよな。

 俺も微妙な気分になる。どちらも間違っていないから厄介なのだ。

 戦後の高度経済成長期の代償か、歪な構造が残っていて、中間層が多いと言われる一方で、搾取や格差が酷い一面もある。


「日本人って真面目だから、さっさと逃げ出して新しくやり直そうって開き直れない人が多いみたいね。「おまえがいなきゃうちの会社が潰れるんだぞ」「おまえだけが頼りなんだ」って脅迫や煽てで絡めとられて、正常な判断を下せなくなるって聞くね」

 渡辺さんがダンジョン街の住人達向けに説明する。ブラック企業の洗脳手口として、よくある事例らしい。

(手口が知れ渡ってるのに抜け出せない人が多いのがまた、闇が深い……)

「鬱になる人も多いんだよねー、うちの国。自殺率もかなり高いし」

 更科くんが溜息をついて、渡辺さんの説明を更に補足した。

「俺もあんな会社、さっさと見切りをつければ良かった。でも、当時は新しい就職先が見つかるか不安で。それに俺、学生結婚してて子供もいたんで、家族の食い扶持を支えなきゃって思いもあって、辞めたくても思い切れなくて」

 弓星さんがぎゅっと握りしめた飲み物の容器が軋んだ音を立てた。平静でいようと心がけてるのだろうけど、当時を思い出すだけで苦しいようだ。

「ダンジョンが世界中に現れた時は、これで状況を変えられるかもって希望と、そんなにうまくいくのかって不安が交互に押し寄せてきました。でも、世界中から情報が流れてきて実態が分かってくるにつれ、「こんな安全なダンジョンなら、俺でもやっていけるんじゃないか」って気になってきて。それで、それを支えに日々をやり過ごしていました」

 なんとか気分を切り替えたのか、弓星さんが手から力を抜いて話を再開する。


(そういえば、ダンジョン出現から一般開放されるまでの期間は、国によって差があったんだっけ)

 確か、アメリカは日本よりも早く、一般開放されるまでの期間が半年以内だったとか、逆に中国はかなり遅くまで規制し続けて、一般開放まで四年以上かかったとか、ネットで見た。

 他にも、そもそもダンジョンを国の管理下に置けずに野放しだった国もあれば、今も規制を続けている国もある。


「ダンジョン出現から一年近く経って、日本でもダンジョンが一般に開放されるって噂が流れる頃には、俺ももう心を決めてました。ダンジョンが解放された当日、清々した気分で上司の机に退職届を叩きつけて飛び出してきてやりましたよ。あれは本当に爽快でした」

 ふっと仄暗い笑みを浮かべて、弓星さんが当時を振り返る。きっと仕事場での後始末なんかを考える余裕もないくらい、追い詰められていたのだろう。辞表と同時に辞められた企業側は迷惑を被っただろうけど、それもそれだけ弓星さんを追い詰めてきた結果だ。とても同情する気にはなれなかった。

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