第73話 雪乃崎くんの親戚の話
魔道具屋でランプやマスクを買った。予備も含めて。
これらの魔道具を使うには、燃料にコアクリスタルが必要になるので、9層で得られたコアクリスタルを、一部は売却せず取っておく事にする。
水中で呼吸ができる魔道具のマスクがあれば、少なくとも溺死はしない。不慮の事故でマスクが外れたり壊れたり、コアクリスタルが切れたりといったトラブルさえなければ。
その場合でもスキルでしばらくは水中呼吸ができるので、慌てずに予備のマスクをインベントリから取り出してつければ問題ないはず。コアクリスタルは在庫をたくさん用意しておけばいいだけだし。
今日はオルブの街で友達みんなと待ち合わせて、二回目の水中訓練だ。俺と早渡海くんは今回初めて水中装備を実際に試してみている。雪乃崎くんと更科くんはまだ水中装備ができていないから、今回も水着参加だ。
「これ、着脱に時間と手間がかかるね」
「トイレは早めに行った方がいいな」
水中装備を脱ぐのに時間がかかるので、トイレなんかは時間に余裕を持って、早めの段階で行った方がいいと結論が出る。装備状態だと、地上ではちょっと歩きにくかったりもするし。
水中モンスターの攻撃から身を守る為の戦闘用装備なので、分厚いし頑丈だ。次の訓練予定日には全員装備が整う予定なので、ついにプールにピラニアを放して貰って、実際に戦ってみようかって話もでている。
俺は魔道具のマスクやスキルを使えば溺れないけど、ないとまだ溺れる。息継ぎが難しい。泳ぎ自体は少しは形になってきた……と思う。10層で活動する時は実際には魔道具着用前提なのだから、素早く移動し水中で戦闘ができるようになる方向で特訓すべきか。それとも息継ぎして泳げるようになるのを目指した訓練もすべきか。今のところはどちらも交互にやっている。訓練も気長にやれば、いつか泳げるようになるかもしれないし。
「エルンから聞いたよー。鳴神くんと会ったって。そんで夏休みの終わり頃に、一緒に屋台の手伝いをする事になったって。人手があった方がいいみたいだし、屋台は俺もシシリーも、一緒に手伝う事にしたよっ」
訓練の合間の休憩中、更科くんからエルンくんの話題を出された。
「まさか更科くんのパーティメンバーが、アルドさんの弟さんだとは思わなかったよ。すごい偶然だね」
意外と身近なところで繋がっていたというか。なんとも不思議な縁だ。
「屋台はラーメンにするんだよね?」
「うん。ラーメンの普及が主な目的だから。それで、お祭りでラーメンの屋台を出す為に、こっちに麺の大量発注するって言ってた。製麺所が受けてくれるといいんだけど」
お祭りの日までに製麺所から宅配してもらう手配が間に合わないと、屋台の計画そのものも見直しになってしまう。まだ一か月近くあるし、街役場を通じて至急扱いで要請は出してるって話なので、きっと大丈夫だと思うけど。
「俺の知り合いも、屋台で日本食を出すって言ってたっけ。カミル、貞満おじさんに言っといてよ。祭りの前にキセラから大量発注が行く可能性があるって。まあキセラは小さい街だし、屋台やる人のうち、どれだけの人が宅配を頼むかはわからないけどね」
更科くんが黙って話を聞いていた早渡海くんに伝言を頼んでいる。そういえば彼も、早渡海くんのお父さんである貞満さんに、色々と地球の裏話的な話を聞かされた事があるんだっけ。
ダンジョン内のすべての街が同時にやるお祭りなら、発注量もすごい事になりそうだけど、キセラの街だけのお祭りだ。そこまでじゃないとは思う。でも確かに、貞満さんには早渡海くんを通じて、祭りがあるって言っておいた方が安心かな。
「父に話しておく。それにしても、随分と日本食の浸透が早いな」
飲み物を飲みながら俺と更科くんの話を黙って聞いていた早渡海くんが、困惑したように溜息をついた。
「そうかな?」
「こんなに早く、あちらでラーメンを出すとは思っていなかった」
宅配で日本食があちらに浸透するのは、良い事なんじゃないだろうか。困惑する程のスピードかな?
食堂でラーメンを出す為に協力している身としては、普及が早すぎて何か問題があるのなら把握しておきたいんだけど、その問題がわからない。
「日本にとっては良い商機なんじゃないの? 普及が早すぎると、何か問題があったりする?」
「別に問題ないと思うよ? 政府だって宅配商品で何が頼まれてるかとかリピート率とか、色んなデータを取ってるだろうし? それを今後に生かす戦略だって考えてるでしょ。それが国のお仕事なんだから」
俺の不安を更科くんが払拭する。まあ確かに、政府が主催して民間に公募して宅配事業をやっているのだ。国の方で各種データは揃えてるだろう。儲かって悪い事もないだろうし。
「まあ、問題となるような事ではなさそうだ。試用運転の段階でここまで進みが早いとは、国としては想定外だったかもしれないが」
難しい顔をしながらも結局は、早渡海くんも更科くんの意見に同意した。
「想定外なんだ? 俺が良く行く店の人達は結構、日本食に興味津々だったよ。和菓子とかお酒とか」
アゼーラさんやホルツさんを思い出す。ガイエンさんの煎餅、アルドさんのラーメンの他にも、それぞれが宅配商品にお気に入りができているようだった。日本食があちらで受け入れられるのは、俺にとっては十分想定内だったのだけど、政府の所感はまた違うのかな?
「俺もこっちの知り合いに色々と食べ物をお勧めしてるよー。同じものを食べながら話すのって、会話も弾んで楽しいからっ」
やっぱり日本食の普及を進めているのは俺だけじゃないようだ。きっと俺や更科くん以外にも、こちらの住人と交流を持つ人達は、宅配が始まったのを機に、ここぞとばかりお勧め品を紹介してるんじゃないかな。
「何の話?」
トイレに行って離席していた雪乃崎くんが、そこでプールサイドに戻ってきた。その顔を見て何か閃いたのか、更科くんが急に表情を明るくさせて手を叩いた。
「そうだ! 良ければカミルも雪乃崎くんも、屋台の手伝いしてくれないっ?」
「え? 屋台の手伝い?」
いきなりの話題に雪乃崎くんが困惑している。
「キセラの街で8月22日に街の創立祭があるんだよ。そこで鳴神くんと俺のパーティメンバーが屋台の手伝いをする事なったから、俺も参加するんだっ。今、その話をしてたんだよ。それで、良ければ二人も一緒にどうかな? 無理しなくって良いけど」
更科くんが雪之崎くんが不在だった間の会話の経緯を略しながら説明して、二人をバイトに誘う。いいのだろうか。そりゃ、お祭りの日の屋台は忙しいようで、シェリンさんも人手はたくさんあった方が、みたいな事は言ってたけども。
だが、二人はちょっと考え込んでいたが、残念そうに首を振って参加を見送る旨を伝えてきた。
「ツグミのパーティメンバーには一度会いたいと思っていたが、生憎とその日は、剣道の道場で対外試合がある」
「僕も、親が勝手に親戚の手伝いの予定を入れちゃってさ。そっちには行けそうにないや」
どうやら二人とも、既にその日は予定が埋まっていたようだ。
「気にしないでー、思いつきで誘っただけだからっ。それにしても、親戚の手伝いって? 雪乃崎くんの親戚の人って、何かお店とかやってるの?」
好奇心旺盛な更科くんは、今度は雪乃崎くんの親戚の話題に興味を持ったようだ。
「うん。そもそもその親戚って前は、海水浴場の近くで旅館と海の家を経営してたんだけど、ダンジョン観光が普及したら観光客が減っちゃって、海の家は畳んだんだ」
「あー。確かに人がこっちに流れてくると、結果としてそうなっちゃうか……」
世界各地の観光地は、かなり厳しい状況らしい。京都のような独特の建築物が観光資源のところはそれほど大きな影響を受けていない一方で、海や山のような自然が目玉の観光地は、ダンジョン内に安全で手軽に遊びにいけるようになった影響をモロに受けて、客足が減っているのだ。
ダンジョンの出現で多くの変化が巻き起こり、その変化は良いものも多かったけれど、悪い影響を齎したものも当然あるのだろう。観光業はダンジョン優位から立ち直る材料が見当たらない分、問題は深刻そうだ。
(俺はダンジョンがあるこの世界で、前世の記憶が戻って、すっごく嬉しかったけど。……そうだよな。ダンジョンのせいで損害を受けた人だって、たくさんいるよな)
自分がダンジョンの恩恵を目一杯受けている側だけに、損害を受けた人の話を聞くと、申し訳ないような複雑な気分になる。
「まあ更科くんが前に言ってた通り、こっちの方が安全に遊べるし、水も綺麗だしね。その上、交通機関で何時間もかけて出掛けなくっても、すぐに遊びに来れる訳だし。海水浴に関しては、あっちが廃れるのもわかるよ。……現に僕達だって、こうしてこっちに来てる訳だしね」
雪乃崎くんは軽く肩を竦めてあっさりと言い切った。言われてみれば返す言葉もない。今日は訓練でプールだけとはいえ、俺達も以前にこの街に海水浴に来た訳で。こっちの方が利便性が高い以上、利用客が自発的にこっちを選ぶのは、誰にも止められない自然な流れなのだろう。
「それで海の家を廃業しちゃって、それからどうしたの?」
気になって続きを促す。家の仕事を手伝って欲しいって要請が雪乃崎くんの家族に来たって事は、今は立ち直ったのだろうか。
「もう15年くらい前に、海の家だけじゃなく旅館も経営が苦しくなったから、国の補助金を受けて旅館だった建物を改修して、ダンジョン固有の植物を水耕栽培して販売する事業を、新たに始めたそうだよ。ダンジョンには育成用の種がドロップするところがあって、こっちにはない植物もあるから、そういう植物を育てて出荷する商売をするようになったんだ。ドロップアイテムはどうしても出荷数が安定しないから、育成した方が市場に安定して流せるんだって」
彼の説明を聞いているだけでも、変換経歴に驚かされる。海の家だけでなく旅館経営まで廃業になったとは、その親戚さんはかなり厳しい状況に置かれたのだろう。そこから起死回生でまったく違う事業を始めるなんて、すごい決断だ。
「日本人って新しい食材でも、口に合えばわりと受け入れる方だしね。ダンジョン固有食材の中には、日本人好みの糖度の高い果物もあるらしいし。それで最近、そっちの商売がようやく軌道に乗ったから、国の補助金が受けられるうちに事業を更に拡大するって決めて、近所の建物を買い取って改修して生産工場を拡大するから、その新工場の初期稼働を一週間ほど手伝ってくれって話が来たんだ。親が僕の予定も聞かないで、勝手に話を受けちゃってさ」
(とりあえず、その親戚の人の新しい商売がうまく行ってるようで良かった)
俺は他人事ながらもほっとする。
今回のケースが上手く行っただけで、実際には、立ち直れずに潰れていくところも多いのだろう。政府もそういったところを支援しているのだろうけど、すべてを救えるような手段は存在しないんだろうな。
「そっか。一週間も手伝いって、大変だね」
今年が受験の年とはいえ、俺達は全員、あまり偏差値の高くない高校を第一志望に据えているから、特に受験生としての勉強はしてないもんな。それで親から手伝い要因として当てにされたのだろう。兄みたいに毎日かなりの長時間に渡って勉強してるような状態なら、家族も声をかけ辛いだろう。うちも最近は兄の勉強の邪魔をしないよう、気遣う事が多くなっている。
「うちの親戚には、ダンジョン反対派が多くてさ。その親戚はダンジョンのせいで家業を潰されたのにダンジョン関係の仕事を始めたって、白い目で見る親戚がいるんだよ。そのせいで近場の手伝いが得られなくて、苦労してるらしいんだ。うちは僕の説得で反対派だった両親が意見を翻したから、今回の話を持ってきたその親戚とは、ここ数年で距離が縮まって仲良くなったみたいでさ。……両親が親戚の間で肩身が狭いのって僕が原因の部分もあるから、この話は断れなくて」
「え、それって大丈夫なの?」
雪乃崎くんの一家が親戚で孤立気味なんて話は初めて聞いた。それだと、親戚の集まりがある時は、居心地が悪いだろうな。だからこそ、ダンジョンを利用してる親戚同士で支え合ってるって状況なのかな。
ダンジョン固有の植物を水耕栽培してるって親戚の人も、必要な時に手助けしてもらえないなんて気の毒だ。元の業種の経営が苦しくなって、仕方なくまったく違う新しい事業を始めた不安定な状況で、身内からそっぽを向かれるなんて。そういう時こそ手助けが欲しいだろうに。
「ダンジョンを否定するのは個人の勝手だけど、周囲にまでそれを強要しようとするのは不快だよ。向こうはこっちを白い目で見てくるけど、こっちも向こうを滑稽だと思ってるから。正直、あの人達とは分かり合える気がしない」
雪乃崎くんが、普段の彼らしからぬ辛辣な言葉を吐き捨てた。その反対派の人達には随分と、含むところがあるようだ。
「子供世代はダンジョン行きを希望してる子の方が多いんだけどね。親の影響でダンジョン反対派の子もいるけどさ。でも大半の子は家を出たらダンジョンに行くってこっそり言い合ってるから、あと数年も経てば、親戚内の状況は変わると思うよ。ダンジョン反対派の人ってポーションでの若返りも拒否してるから、いずれ淘汰されてく訳だしね」
「随分と割り切ってるな」
早渡海くんは雪乃崎くんの言い分に感心している。でも雪乃崎くんのそれは、それだけ鬱憤が溜まっているって証拠だろう。これまで彼がその人達からどんな言葉を投げつけられてきたのか想像すると、身が竦む思いになる。
「いくら言っても聞く耳持たない人達とは、会話するのも疲れるからね。放置が一番だよ。……当事者の子には同情するし、もし家を出る前にダンジョンに行きたいなら、協力するつもりだけど」
雪乃崎くんのところは親戚間でも、かつて彼が経験した問題が浮上しているようだ。もしかしたら、彼の親がかつてダンジョン反対派だったのも、親戚の影響が大きかったのかも。
「雪乃崎くんが前に使った手はダメなの?」
彼も以前はダンジョン行きを親に反対されていた。その時は「もし自分が大怪我して死にそうでも、ポーションを使わずに見捨てるつもり!?」って詰め寄って、ついには両親を説得したと聞いている。その時と同じ手は使えないのだろうか。
「ああ、僕の話を聞いてやってみたらしいけど、「そんな不確実な仮定の話をしてどうする」って、全然取り付く島なしだったって。いくら言ってもこっちの言い分は聞き入れてもらえないし、その癖、「ダンジョンに少しでも関わってる企業には、間違っても就職するな」とか、「ダンジョンに行くような子とは友達付き合いするな」とか、一方的な要求ばかりされるしで、もうその子は、親を見放してるみたいだね」
「うわあ……」
俺は絶句するしかない。
「それはまた厄介だねえ」
更科くんも、呆れて物も言えないって感じ。
「毒親だな」
早渡海くんが総括してズバッと言い切った。そして誰も、それを否定しなかった。
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