第7話 勉強しないとヤバい話

「これが装備一式な」

「ありがとう、兄さん」


 夕食後、譲ってもらった装備一式を、兄の部屋から俺の部屋まで運んだ。

 防具は、上半身はチョッキタイプのプロテクター。下半身は前だけガードする……これはなんて名称だろう。とにかく股間をガードする、前掛けタイプのやつ。それとヘルメットと、肘と膝のサポーター。

 鉈は鞘に入っていて、ちゃんと腰に装備するベルトまでついていた。


 兄はこれを最初、ダンジョンに入る為に準備して、使っていたという。一年ちょっとで体に合わなくなって、装備を新たに買い替えてからは、使わずにしまいこんでいたそうだ。

 兄はモンスターからの攻撃を殆ど受けていないのか、一年以上使ったというわりに、装備に目立った傷はなく、まだ使えそうだ。


 これでいつでもダンジョンに潜れる準備が整った。

(夕飯も食べたし、風呂に入るまではまだ時間はあるし、ちょっとだけダンジョンの様子見とか……)

 そわそわと、早くもダンジョンへ気持ちが向かう。

 すぐ行きたい。すごく行きたい。

 前世の記憶が戻ってからこっち、ずっと楽しみで仕方なかったのだ。ようやく行けるようになったとなれば、一刻も早く行ってみたいのが人情だろう。


 ……だが。

(ずっとダンジョンに、かまけてていいのか? 学生の本分は勉強なのに)

 急に冷静になって、自分で自分にツッコミが入った。



 ……。

 …………。

 改めて、自分の悲惨な成績を思い出す。

 小学校での成績は常に平均点以下で、赤点ギリギリの教科から、赤点の教科まである。

 国語はかろうじて平均点なのだが、他は全部平均点以下。算数が特に壊滅的だった。実は算数のテストでは、0点を取った事もある。


 成人過ぎまで生きた、前世の記憶が戻ったとはいえ、前世もお察しの成績だった上に、一応ギリギリ、高校までは出たはずなのに、勉強内容が全部、頭から抜け落ちている気がする。


(……とりあえず、教科書を見てみよう)

 すごい不安と嫌な予感に襲われて、俺はクローゼットにしまった小学校の教科書を漁る。

 今世の俺は前世の俺よりも物持ちが良くて、すべての教科の6年分の教科書やノート、参考書や辞書などが、ちゃんと揃えてとってあった。流石にテスト用紙はなかったけど。

 母が昨日の小学校の卒業式を終えた後、一緒に書店で揃えてくれた、春から通う予定の公立中学校指定の教科書も、一年生の分だけは、クローゼットの中にある。それらもまとめて取り出して、全部自室の床の上に並べてみる。


(流石に、小学校低学年の教科書はいいか)

 復習するにしても、5年あたりからで良いだろう。問題なければそれ以降へいく感じで。

 俺はまず、小学5年生の国語の教科書を手に取って、内容を流し読む。

(国語は問題なく読める。……漢字は全部読めるけど、書こうとすると書けるかは不安だな。ちょっとドリルやってみるか)

 前世の俺はライトファンタジー中心とはいえ、漫画や小説を結構な数、趣味で読んでいた。そのおかげなのか、読む方にはまったく問題がなかった。読み仮名を書く形式の問題はスラスラ解ける。

 けれど、漢字を書く問題になると、わりと書けないものが多い。思い出せない。見れば読めるのに、いざ書こうとするとど忘れしたように頭に浮かばず、書けない字が多い。



(小5の内容でもうこれ!?)


 一番得意な国語でさえこの有様である。算数なんて、もういっそ、現実を直視したくない。


(あーーー、あーーーーーー、どうしよう、これホント、どうしよう)



 しばし現実逃避に、無意味に天井を眺めて過ごしてしまったが、いつまでもそうしている訳にもいかない。気を取り直して覚悟を決めて、一番苦手な科目である算数の教科書(小3)を開いてみる。

 得意な国語は小5から入ったが、大の苦手である算数は念の為、小3から見てみる。


(うわ、小3の教科書、ひらがなばっかりで読みづらい! え、小3って、こんなに漢字を使ってないもんだったっけ!? 読解するのに余計な手間がかかる!)

 算数の教科書を開いたところで、いきなり違うところに躓いた。国語の小5の教科書はもうちょっと読みやすかったから、小3がこんなにひらがなだらけだと思わず、変にびっくりしてしまった。

 数年前にはこの教科書を使って習っていたはずなのに、まるで記憶にない。前世の記憶が戻った弊害(へいがい)か、それとも単に、俺の記憶力が悪いだけか。

 ひらがなばっかりだとこんなにも読みづらいんだな、と眉をしかめながら、なんとか読み進めていく。


 ……足し算引き算、掛け算割り算は問題ない。

 分数も、なんとかなる。

 グラフなども3年の内容なら問題なかった。良かった。


 今度は4年の教科書を手に取る。これもパラパラと読んでいけば、多分、何とか? 理解できた。多分だけど。……大丈夫だよな?


 そして今度はいよいよ、5年生の教科書に移る。整数とか小数とかが出てくると、一気に理解が怪しくなった。これはダメだ。ほぼわからない。

 国語も一部はそうだったが、算数は特に5年あたりから、内容の理解ができておらず、ついていけなくなっていたようだ。基礎がわからないままなのをずっと放置してきたせいで、その発展形が全部、まるで異国の呪文のように理解不能に陥っているのだろう。

 他の教科は一応、まだそこまで壊滅的ではなかった。国語よりは悪いが、算数ほどには理解不能には陥っていないようだ。元々勉強に対しては苦手意識が強かったとはいえ、ここまでダメダメだと目の当たりにすると、自分の頭の出来に本気で落ち込みたくなる。



(……今日から毎日、最低一時間は、勉強する時間を確保するようにしよう)

 そう強く決意を固める。



 考えてみれば俺はこれまで、ろくに予習復習をしてきていなかった。

 出された宿題はちゃんとこなしていたが、テスト前とかの特定の期間以外で、自主的に勉強する時間をとる事がなかった。

 両親は、子供の勉強についてはほぼ放置で、長期休みの終わりに、宿題をちゃんとやったかどうか、口頭で確認してくる程度。俺が赤点をとっているのは成績表で知っているが、これまでに、「塾に行け」とか「もっと勉強しろ」とか、言われた事は一度もない。


 塾に関しては兄も姉も通っていないし、もしかしたら、家にそんなお金の余裕がないのかもしれない。

 兄はそれでも独力で努力して、良い高校に受かったのだからすごい。姉の通う中高一貫校は、偏差値は平均くらいだったはずだ。

 俺がこれから通う事になる中学校は、近所の公立の中で一番偏差値の低いところだ。


 両親は進路については、「お金が高い私立は無理」とだけ言い、あとは本人の自主性に任せるスタンスだ。

 多分あの両親の様子だと、大学は行かなくても反対されないかもしれない。

 それでも高校は出ておいた方が良いとは言われるだろうし、俺だって、将来どうなるかわからない以上、高校まではちゃんと出ておきたい気持ちはある。


 だが、今の成績のままでは、それさえ危うい。成績不良で留年とか退学勧告とか、そんな心配が現実味を帯びて、俺に圧し掛かる。

 それに、赤点を取れば補習なんかで時間を取られ、ダンジョンに潜る時間だって減ってしまう。せっかくダンジョン攻略を頑張ろうと決意したのに、別の要因で足を取られたくない。


 勉強は好きじゃないけど、やはりある程度は時間をとって頑張るしかない。



(一日最低一時間、できれば二時間。今からやるぞ!)

 俺は改めて集中しなおし、小5の教科書を横目にドリルの回答を始めた。


 ……ダンジョンに潜るのは、明日からになりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る