第5話 ボク……いつもはする側なのに……

「1……2……3……4……」


 4限。体育の授業。今日は、2クラス合同でサッカーだ。


「5……6……7……8……」

「なあ、皇」

「んー? どうかしたのかい? 手綱くん?」

「いたい」


 俺の背中を押して、ストレッチの補助をしてくれている相方に、そう苦言を呈する。だが、皇は「手綱くんはかたいから、しっかりストレッチしないとねー」とまったく緩めるつもりがないらしい。


 皇にぐぐっと背中を押され、ハムストリングスが悲鳴をあげる。思わず、膝を曲げようとすれば、「こらこら」と皇に上から押さえつけられた。


「1……2……3……4……」


 皇が秒数を数える声を耳元で聞きながら、この地獄がはやく終わるように、俺は切に願った。だが、それと同時に、すぐ終わるのも勿体ないと思う自分がいた。


 それはなぜか。


「5……6……7……8……」


 俺の背中に感じる暖かさ。それは、皇の体温であった。つまり、今俺は皇と密着しているのだ。

 脳裏に過るのは、俺が皇の着替えを見てしまったあの時のこと。あの時見た豊満なバストが、俺の背中に押し当てられているのかと思うと――。


「なんか……思ったよりかたいなぁ……」

「んー? だから、そう言ってるじゃないか。手綱くん、かたいからしっかりストレッチしなきゃだって」


 そっちではない。まあ、おそらくサラシを巻いているせいだろうが。はたして、ここまでかたいものなのだろうか?

 今は、体育の時間だ。白色を基調としたシャツに、青色のズボンの体操着を身に纏っている。つまるところ、ブレザーよりも素材がやわらかいはずなのだ。


 だというのに、どうしてかたいのだろうか。まさか、女の子の胸がやわらかいというのは、童貞を騙すための嘘情報だったというのだろうか。


「なんてことだ。そんなの、サンタクロースなんていないのに、いるって言う大人くらい残酷じゃないか……!」

「急になにを言っているかな?」


 サンタクロースがいないと知った純粋な子供たちが、どれだけ悲しい想いをするのか。想像もできないのだろう。


「はあぁ……」

「ため息を吐いて、一体どうしたの? よく分からないけど、サンタクロースはいるよ?」

「っ!?」


 こいつまさか高校生で、その純粋な気持ちを持っているのか!?


「天然記念物じゃん」

「え?」

「皇。お前はその純粋な気持ちを、どうか忘れずに生きてくれ」

「え? え?」

「ほら、そろそろストレッチ交代だ。俺が背中を押してやる」

「あ、うん? わ、分かった」


 皇は、「結局どういう意味だったんだろう」と呟きながら交代をする。


「それじゃ押すぞー」

「おっけー」


 背中を押したその瞬間――俺は雷に打たれた。


「や、やわらかい……!?」

「ふふん、まあね~。ボク、体のやわらかさには自信があるからね~」


 まさに青天の霹靂といったところか。

 皇がグラウンドの地面とキスできるくらいに、体を曲げていることにドヤ顔しているのは無視し、俺は1回、2回と皇の背中を押す。


 やはり、やわらかい。

 先ほど、背中に当たっていた皇の胸よりも背中の――正確には肌が、ぷにぷにとやらかく、それでいて押し返そうとしてくる弾力があった。


 ありえるのか? 脂肪の塊とも揶揄される胸よりも、背中の方がやわらかいなどと。いや、そうじゃない。もしかして、こいつ……サラシ以外にも胸になにか仕込んでいるんじゃないのか……?


「なあ、皇」

「んー? なんだい?」

「お前って、胸真っ平だけど、なにか仕込んでるのか?」

「え? 急になに? セクハラ?」

「いいから答えてくれ。大事なことなんだ……」


 男の夢とロマンにかかわる。


「まあ、仕込んでるよ? サラシだけじゃ触った時に、バレるかもしれないからね」

「そうか……つまり、サンタクロースはいたってことなんだ……」

「え? なに言ってるのさっきから。いるに決まってるじゃないか」


 これにて一件落着だな。俺がそう思った時、ふと視線を感じた。振り向くと、先日校門で皇に悪態をついていた男子生徒が、こちらを睨んでいた。正確に言うなら、皇を睨んでいるのだろう。


「ほんと……人気者ってのは辛いよな」

「???」

「なんでもない」


 ペアでのストレッチを終えた後、先生の指示でクラス対抗戦をすることになった。

 そのタイミングで、体育館からバレーをやっているはずの女子たちが、グラウンドの方まで出てきた。


 しばらく、女子たちはきょろきょろして、お目当てのものが見つかったのが「あ!」と声をあげる。


「皇く~ん!」

「頑張って~!」


 お目当ては皇だったか。


「わずかな休憩時間を使ってでも、皇のことを見に来るとはな。手でも振ってやったらどうだ?」

「や、やめてよ……恥ずかしい……」


 皇がそう言うので、代わりに俺が黄色い声援をあげている女子たちに向かって、手を振っておいた。特に反応はなかった。


「こりゃあ、女子たちにいいところを見せないとな。王子様?」

「お、王子様?」

「陰で、女子たちにそう呼ばれているらしいぞ」

「本当にやめて欲しいんだけど」

「皇は、サッカーできるのか?」

「どうだろう? 普通くらいだと思うよ?」

「ふーん?」


 そんなこんなで、ゲームが始まる。

 皇にボールが回る度に、「きゃ~! 皇く~ん!」と女子たちの黄色い声があがり、「ちっ」という面白くなさそうな舌打ちが聞こえてきた。


 見ると、先ほどストレッチの時に、皇を睨んでいた男子生徒が、今も気に食わなそうに皇を見ている。


「手綱くん!」

「っと」


 余所見をしているうちに、皇から俺にボールが回ってくる。刹那、皇が相手のゴールに向かって疾走。俺は、皇の意図を理解して、相手ゴールポストに向かってボールを蹴る。


 俺の蹴ったボールは、少し皇から離れたところに落ちる。もっとちょうどいいところにボールを送るつもりだったが、なかなか思うようにいかないものだな。


 皇は相手クラスの男子生徒と競って、ボールに走る。間に合うかどうか微妙だったが、皇は競り勝ってボールを確保。そこから、身軽なフットワークで相手のディフェンスを突破すると、ガラ空きのゴールポストに向かって強烈なシュートを放つ。


 皇のシュートは、綺麗な弧を描いてカーブし、キーパーを掻い潜ってゴールポストを揺らした。



「かっこいい~! 皇くん!」

「きゃ~!」


 再び女子たちの黄色い声援。まあ、たしかに今のはかっこよかった。男でも、見惚れるほどのプレイだった。

 その当の本人は、「ふう……」とシュートが入って、安堵しているようすだが。


「ナイスシュート」

「あ、手綱くん。ありがとう。君こそ、ナイスパス。あれがなかったら、得点できなかったよ」

「なに言ってんだ。ありゃあお前のソロプレイだったろ。俺のパスなくても、1人でなんとかなったんじゃないか?」

「そんなことないって」

「にしても、運動神経すげぇな。男子顔負けだ」

「あはは……まあ、昔から運動神経はいい方でね」

「ほら、女子たちが応援してくれてるぞ? 手を振ったらどうだ?」

「やらないってば」

「じゃあ、俺が代わりに手を振っておこう」

「なんで?」


 うん、やっぱり俺が手を振っても無反応だな。


「……おい」

「……ああ」


 ちらりと横目に確認すると、相手クラスの男子数名が、目で示し合わせていた。なにか企んでいるのだろうか?


「皇。お前、ちょっと周りに気を付けておけ」

「え? どうして?」

「いいから。気を付けておけ。怪我するかもしれないしな」

「あ、うん? まあ、スポーツには怪我はつきものだもんね。気を付けるに越したことはないよね」

「……」


 皇はなんというか、危機感がないというか。連中がなにを企んでいるのか分からないが、俺の方で気を配っておくか。


 それからゲームが再開。先ほどのプレイを見てか、皇に2人のディフェンスが常に張り付くようになった。女子からはブーイングの嵐だが、戦略としては理に適っている。


 だが、その程度では皇を止められないらしい。


「よっ」


 巧みにディフェンスを躱して、味方からボールを受け取ると、一気に駆け上がっていく。そのまま、再びゴールまで運んでいくかと思われた――その時。


「このっ! 調子乗んな!」

「なっ……」


 相手クラスの男子生徒が疾走する皇の前に躍り出る、それを右に躱そうとした皇だったが、男子生徒が皇の足を引っかけて転ばせた。


 勢いよく転んだ皇は、ズザザザと地面を滑る。


「皇!」


 慌てて駆け寄ると、1人の男子生徒が皇を見下ろして、嘲笑っていた。


「おっと~悪い悪い。わざとじゃないんだ。大丈夫か~? 王子様~?」


 先ほどから皇を睨んでいた男子生徒だ。


「てめぇ、どう見てもわざとだろうがよ」


 俺が男子生徒に近寄ろうとすると、それを皇が手で制した。


「あははは、スポーツじゃこういったことも起こるからね。うん、仕方ない仕方ない」

「皇。今のは、どう見ても故意的だ。お前だって分かるだろ」

「いいんだ、手綱くん」

「だけど」

「今はサッカーの時間だよ」

「……」


 ゴゴゴゴゴゴ。

 皇が燃えている。彼女の背後に、鬼が見える。これは、とても怒っていらっしゃるようで。


「あ、え、あ」


 そんな皇の怒気を直接浴びている男子生徒は、さっきまでの威勢の良さはどこへやら。肉食動物に睨まれた草食動物のように、あたふたをしていた。


「さあ、続きをしようか?」


 この時、皇は笑顔だったけれど……俺はこれほど恐ろしい笑顔を見たことがなかった。


 それからのゲームは、もはやゲームになっていなかった。言うなれば鏖殺だ。皇による完全な無双ゲームと化し、俺を含めた味方は見ていることしかできなかった。


 もし、その光景を女子たちが見ていたらドン引きしていたかもしれない。幸いなことに、休憩時間が終わったみたいで、全員体育館へ戻っていたが。


 こうして、皇にたいしてよからぬことを考えていた連中は、まとめてボコボコにされたのだった。


 ゲーム後、 冴島は俺の隣で、「王子様は怒らせないようにしよう」となにか悟ったことを言っていた。

 俺もそう思った。


「お疲れ」

「あ、うん。お疲れ、手綱くん」


 声をかけると、さすがに暴れ回って疲れたのか、表情に疲労が滲み出ていた。


「ん……? お前、足どうかしたのか?」

「え?」

「右足、庇って歩いてるだろ」

「あー…まあ、うん。さっきまではなんともなかったんだけど、急にちょっと痛みがね」

「さっき足引っ掛けられた時に、痛めたんじゃないか? 保健室へ行こう。肩を貸すから」

「だ、大丈夫だよ、このくらい」

「バカが。放っておいて悪化したらどうするんだ。ただでさえ、その足でさっきまで動き回ってたんだろうが! それに、膝とか擦りむきまくってるじゃねぇか! ほら、保健室行くぞ!」

「え? ちょ、手綱くん!?」


 皇が強情だったのに、俺は仕方なく強硬手段に出て、皇をお姫様抱っこした。


「ちょ、え、あ、え!?」

「暴れるな。大人しくしてくれ」

「あ、はい……」

「まったく、世話のかかる王子様だな」

「あうう……ボク…いつもはする側なのに……」


 おや? 皇の顔がなにやら赤いが、どうかしたのだろうか?


 

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