第2話 案内してくれるよね?(圧)

 時計の針がお昼を回る頃。学校での予定がすべて消化され、「明日から通常授業だから、休み気分は今日までにしておくように」という奥田先生の諸注意を聞いて解散。


 本来なら、余った時間を使って家でだらだらするつもりだったが……。


「わぁ……すっごいイケメン……」

「かっこいぃぃぃ」


 視線。


「ちくしょう! 羨ましすぎる!」

「俺もあんなイケメンに生まれて、女の子にちやほやされたいだけの人生だった……」


 視線、視線、また視線。そして視線からの視線。もしも、視線が矢のような代物であったなら、俺は今頃ハリネズミと化しているに違いない。

 それくらいの視線が今、俺――正確には俺の同行者に注がれていた。


「どうかしたのかな?」

「……」


 俺の1歩後ろを歩きながら、小首を傾げる皇。こいつと一緒にいるせいで、やたらと注目を集めてしまうのだ。

 学校案内なんて引き受けなければよかった……。


「乙伎原高校は、西校舎と東校舎があって、それぞれ3階まである。これといって特徴のない一般的校舎だな。校舎間の移動は、この渡り廊下を使う。どの階からでも移動できるが、3階は屋根がないから雨の日は使わないな」

「へ~」

「で、ここが正面玄関。毎朝、登校してきたら、みんなここで靴を履き替えるわけだな」

「ふむふむ」

「それから、外に出たこちらが正門前。時計があるくらいしか、特に見るものはない」

「ほうほう」

「んじゃ」

「待った」


 首根っこを掴まれてしまった。


「なんかだんだんと外に向かってるなーとは思ったけど、もしかして帰ろうとしてない?」

「そんなバナナ」


 ちっ……なんか流れで帰れないかと思ったが、さすがに無理だったか。


「分かった分かった……とっておきの場所を教えてやるよ」

「とっておきの場所?」

「西校舎3階は、そのほとんどが空き教室だ。一部、物置として使われているだけで、人の出入りがほぼない」

「それがどうかしたの?」

「つまり、3階の女子トイレなら安心して使える」

「余計なお世話だよ……! でも、どうもありがとう!」


 閑話休題。


 壁に背を預けて待っていると、皇がハンカチで手を拭きながら出てきた。女子トイレから。

 現在位置は、西校舎3階廊下。今日は午前しかないため、部活のある生徒くらいしか校舎には残っていない。ただでさえ、人通りの少ないここに来るのは、俺たちくらいなものだろう。


「……」

「それじゃあ、もう帰っていいか?」

「ちょ、ちょっと待って」

「まだなにかあるのか?」

「……その……頼む! 誰にも言わないでくれ!」

「それは、お前の性別のことか?」

「うん……言わないでくれたら、なんでもする!」

「いいよ」

「え」

「んじゃ」

「え、あれ!? なんだか軽くないかい?」

「別に、個人情報を他人に言いふらす趣味とかないしな」

「……君はなにも言わないの? ボクが、女子なのに男子の格好をしていることに……さ」

「そんな不思議なことか? 最近じゃ、女子が男子の制服着るなんて、そんな珍しいことでもないだろ。好きで着てるんだったら、俺がとやかく言うことじゃないしな」

「……好きで着ているわけじゃ、ないんだけどね」

「そうなのか? じゃあ、なんで着てるんだよ?」

「……」


 皇は押し黙ってしまった。会ったばかりの他人に、話すような内容ではないということだろう。

 俺は、「悪い。忘れてくれ」と皇に背を向ける。すると、皇がそんな俺に待ったをかけた。


「トラウマなんだ」

「……?」

「ボクは昔、大好きだった兄を交通事故で失った。原因は……車道に飛び出したボクだ。兄はボクを助けて……ね」

「……」

「兄の死をきっかけに、母は心を病むようになってしまってね。ボクは、自責の念から兄の代わりになろうと、家で兄のフリをするようになった。兄妹なだけあって、顔も似ていてね。母は、ボクを兄のように扱い、ボクも兄のように振舞った」

「……」

「歪と思うだろう? でも、そのおかげで母の病気は快方に向かった。ボクも、兄のフリをする必要がなくなった。だけど、戻れなくなってしまったんだ」

「戻れなくなった?」

「いざ、スカートをはこうとしたら……吐いてしまったんだよ。兄の死に際が、フラッシュバックしてしまってね」


 トラウマというのは、そういう意味だったのか。


「それから、何度か試したけど、女の子っぽい装いをしようとすると、いつも吐いてしまうんだ。だから、今は諦めて男の格好してるんだ。男と偽ってるのも、その方がいろいろと都合がよくてね。学校側には、一応事情は説明しているけど……」

「なるほどな」


 たしかに、男の格好をしている理由を訪ねられて、今の話を何度もさせられるのは精神的に辛いだろう。だから、詮索をされないように偽っているのだ。


「悪い。いやなことを話させた」

「いいんだ。ボクから話したんだし。むしろ、どうしてボクは君にこの話をしてしまったんだろう……まだ会ったばかりだというのに。君が、なんとなく拓海(たくみ)兄さんに、雰囲気が似てるからかな」

「たくみ……?」

「ボクの兄の名さ」

「……お前の兄貴の名前は、たくみって言うのか?」

「そうだけど?」

「そうか……」

「どうかしたのかい?」

「いや、なんでもない。まあ、事情は分かった。秘密を守るために協力しよう」

「ありがとう。助かるよ」

「それと、スカートをはくのにも協力する」

「え? スカート?」

「はきたいんだろ。スカート」

「それは…できるなら……」

「だったら、協力するよ」

「そんな、協力したところでボクが、いまさらスカートなんて…そもそも、どうして協力を…?」

「お隣さんが、そんな複雑な事情を抱えてるなんて知ったら、放っておけないだろ? ご近所付き合いってやつだ」

「ご近所付き合いってそういうものだったかな?」

「あとは……まあ……あれだ。今朝、見ちゃった詫びだ」

「見ちゃたって?」

「お前の下着姿」

「そ、それは忘れてくれるかな!?」

「不可抗力だったとはいえ、女の子の下着姿を見ちまったわけだからな。詫びがしたいんだよ」

「……」

「ダメか?」

「ちょ、ちょっと考えてさせて欲しい……かな」

「そうか。あ、そういえば皇、下着は女ものだったよな? 大丈夫なのか?」

「それは大丈夫。兄のフリをしていた時も、下着は女ものを使っていたからかな」

「へえー。それにしても、なかなかえっちな下着を履いていたよな」

「お、思い出すのはやめてくれないかな!?」

「あれTバックって言うんだったか。煽情的だったな」

「仕方ないだろ!? 男子のズボンだと、普通の下着じゃ形が浮き出ちゃうかもしれないじゃないか!」

「なるほど。たしかに、あれだと下着の形は浮き出ないか」

「ああ、もう思い出すのほんとやめてくれないかな!?」


 その後、顔を真っ赤にしながらも、皇は俺の申し出を受け入れてくれた。






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