終章 プリヴェート

 

 気温計は摂氏マイナス37.1度を表示していた。昔住んでいた室蘭よりずっと寒い。ここまで来るとむしろ痛さを感じる。だけどその痛みはほんの表面的なもので、深層を突き抜けるような冷たさではなかった。慣れてしまえばなんてはことない。

 ノヴォシビルスクはロシア第三位の大都市だ。ここに住み始めてもう数年になる。最初は戸惑うことも多かったけれど、次第に勝手がわかるようになってきた。

 ティファニー・ブルーの美しい駅舎を始めとした旧時代の建物に、髪の毛がキシキシする硬水のシャワー、共産圏特有の巨大な広場に、道路標示も継ぎ目もなくつるつると舗装されたアスファルト、黒い煙を吐き出す埃だらけのディーゼル車。。感情表現の少ない表情をしながら本当はとても人懐こいこの町の人々も未だによく理解できないところの多いロシア語も、私にとってはその全てが新鮮で愛おしい。

 数年前、ネットカフェで逮捕された私は留置所で送検された。結局、その後は起訴猶予処分となり有罪とはならなかった。その代わりに身柄を更生施設に預けられた。保護観察所の更生緊急保護制度によって、国分寺にある救護施設に居室が与えられた。

 見た目には老人ホームのようだった。投獄されなかった自分に失望を覚えていた。そして、「ついにこんなところまで来てしまった。」という思いを拭えなかった。

 施設には、もちろん老人もいたけれど私より遥かに若い女性もたくさんいた。見た目から一見してマズそうな人もいたけれど、大半は普通の人に見えた。世の中には私が思っていた以上に色んな事情があって、居場所のない人がたくさんいる。私以外のそういう人に会うのは初めてだった。

 ドラッグを摂取すると副反応で激しい嘔吐がある。それを恐れてほとんど食事をとっていなかったから、私のBMIは14にまで下がっていた。見た目の話をするのならば間違いなく私が一番マズかった。

 施設の食事は白米と簡単なお味噌汁で給食より質素なものだった。けれど、ドラッグが抜けている状態でとる食事はとても美味しかった。

 糖質が溶けて内臓に浸透してゆく。シワシワに萎れた細胞がパンパンに張りを取り戻し、全身が熱を帯び、皮膚に薄く汗がのるのが分かった。

 そうしてせっかく落ちた体重もすぐに元に戻ってしまった。あてがわれた居室で眠りに就くと日々泥のような眠りに就くことが出来た。ネットカフェでも留置所でも常に気を張り巡らせていたのだと思った。

 簡単な知能テストを受けたり、生活指導を受けながらとおり一辺の身体や歯の治療を受けさせてもらった。医者からは色々と言われたけれど、疾患があまりにも多すぎて覚えていられなかった。職員に勧められ、弁護士と話し合って破産手続を進めた。奨学金も消費者金融の債務も、すべてなくなってしまうと思っていたよりずっと気持ちが軽くなった。大学以来、債務のあることが常態化していたけれど、それは普通の精神状態ではなかったのだと判った。

 生活保護を受けながら自立するか、引き続き生活指導を受けるかという面談を受け、後者を選んだ。まだ一人で暮らしていく自信がなかったからだ。

 一時的な措置施設から自立支援センターへ移ってから数週間が経過したある日、就労支援の一環でパソコンを触る機会があった。ふと思いついてFacebookを確認すると、友だちの人数が「1人」になっていた。

 それはソフィア・ベロスルドヴァだった。ロシア語で書かれたメッセージは、ブランクが大きいせいで所どころ分からない部分があったので翻訳サイトを頼った。

「ごめんなさい。ずっとFacebookを確認していなかったからあなたのことに気が付かなかった。まだこのアカウントはアクティブなの? 久しぶりね。あなたは私の一番素晴らしい学生だった。ちゃんと覚えているわ。元気でやってる?」

 彼女は札幌の私立大学の准教授の仕事を辞め、故郷のロシアに帰国していた。それは現地にある留学生斡旋企業の役員として招聘を受けたからなのだった。母国ではアナウンサーとして、日本でも言葉を生業として暮らしていた彼女の経歴は学生たちに訴求するのに十分説得力のあるものだったのだろう。そのことを羨ましく思った。私には帰るべき母国がない。

 ソフィアに返事を送った。札幌の後、東京で数々の失敗を経て、今は就労支援センターで生活指導を受けている、この情けない現状について。彼女からのメッセージは数か月前のものだったから、もうFacebookをまたしばらく確認はしないだろうと思ったけれど、返事はすぐに来た。

「あなた会計士だったわよね。今でも流暢にロシア語は遣える? 良かったらうちの会社で働くと良いわ。日本人にやって貰いたいことが山ほどあるの。もちろん、会計のことだけじゃなくてね。」

「嬉しいけど、渡航費も当面の生活費もないんです。」

「そんなこと、気にすることないわよ。そのくらい出してあげる。部屋が余っているから、しばらくそこで暮らすといいわ。どっちにしても日本の会計士の資格はこっちじゃ使えないから、国際基準のものをこっちで勉強しなさい。じゃあ、答えはオーケーね。チケットを取るわ。」

 ソフィアの強引さで、ほんの数メッセージのやりとりでロシア行きが決まった。急いでパスポートを取得し、無理やり支援センターを飛び出し、気付いたときには機上の人になっていた。

 イスタンブールを経由し、3日間もかけてノヴォシビルスクのあるトルマチェヴォ空港に降り立った。

 迷路のような空港の中を右往左往しながら長いイミグレーションを何十分もかけてようやく通過して屋外に出ると空は曇天で、今にも雨が降り出しそうだった。後になって、それが本当は晴れの日だったということを知ることになるのだけれど。ロシアは高緯度のため太陽の光が淡い。だけどそのときの私は、今の自分には曇天くらいが丁度良いと思った。新しい土地には、期待をしないで踏み出したい。

 そのとき風が吹いた。甘い匂いがした。ムスクのような、花のような、それでいてガソリンスタンドのような、嗅いだことのない不思議な香りだった。異国の臭いだ。

 いっぱいに空気を吸い込んだ。肺の空気が、ロシアの空気と入れ替わる。酸素が血液にのって身体をめぐり、別の人間になってしまうような気がした。

 ロシアの人はあまり英語が喋れなかった。偏見だけど、コケージャンなのに英語を話せないということに違和感があった。何とか忘れかけていたロシア語で道を尋ね、312番バスに乗り込んだ。本当にこのバスは正しい路線なのだろうか。不安が頭をもたげたけれど、すぐに自分には時間がたくさんあるのだということに気付いて気を取り直した。辿り着くことを諦めなければ焦る必要なんて何処にもない。何度だってバスに乗りなおせばいいのだ。

 そして実際、降りる停留所を間違い何キロも無駄に歩いた末に、やっとプロシャジレニナの近くにあるソフィアの家に辿り着いた。

 実際、何年も経って会う生徒と教授との関係はどうあるのが正しいのだろう。私にとっては唯一のロシア人でも、彼女にとっては数多いた日本人のうち、それもほんの一時期を過ごしたに過ぎない学生の一人でしかない。

 ソフィアの住んでいるマンションは、見た目にはかなり古ぼけているように見えた。本当にここで合っているのだろうか。入口のようなものは見当たらなかった。唯一発見した通用口のような鉄門扉の隣にオートロックの部屋番号を押すためのキーが置いてあるだけだ。

 考えてみても仕方がないのでソフィアに教えられた部屋番号を押してみた。何も返事はなかった。失敗したと思い2度、3度と押してみたけれど、うんともすんとも言わなかった。

 間違えたかな。と思い立ち去ろうとすると、ドカン! と派手な音がして鉄門扉が開き、スリッパを履いたソフィアが現れた。

「ソフィア! ぷ、プリヴェート。あ、えーっと……。」

 私が言葉を濁していると、ソフィアが歩み寄って私を抱きしめた。戸惑う私を、ハグともいえないほどの強い力で引き寄せて離さなかった。彼女の身体は震えていて、背中を撫でるその大きい手のひらから熱が伝わるのが判った。

 

 *

 

 あれから月日が流れ、私はソフィア良いように使われていた。IFRSに為替に国際情勢に、ロシア語。札幌の大学時代と相も変わらず、彼女は厳格なロシア人で、いつだってギリギリの課題を与えた。彼女が感情を露わにしたところを見たのは、再会したときが最初で最後だった。考えてみれば私くらい働いてくれる部下が捕まるのなら、交通費や家賃くらい払って十分お釣りが来るのだと思った。けれどソフィアのそういう抜け目なさはかえって信用することができた。

 今でもふと振り返ることがある。それはこれまで歩いてきた時間について。

 あの夜、湊が英語のリスニング教材を聴いていなかったら、私は彼の洋書を手に取っただろうか。英語にある程度慣れ親しんでいたから高校も大学も受験を突破することができた。それなりに語学を体系化していたから熱心にロシア語を勉強し、ソフィアと仲良くなることができた。

 コンビニで働いた経験がなければ工場の経理にはならなかったのだろうし、公認会計士にならなければ札幌へ行くことも、大学へ行くことも、東京へ行くこともなかったのだろう。

 そして東京で起こった数々の失敗や不幸が無ければ、きっとソフィアからオファーを受けたとしても逡巡して受けなかったのではないだろうか。

 経てきた人生の全てが連綿として複雑に絡み合い、今私を此処へ立たせていた。

 子どもの頃の私にとってこの世界はあまりに広大で、暗闇のように映っていた。だけどその広大さは経てきた人生の全てを正当化して伏線だったことにしてくれる。

 私の人生のことだから、これから何度だって絶望することが起きるのだと思う。それでもきっといつかそれが何かと交錯し、織り重なって次の場所へと運んでくれるはずだ。

 ノヴォシビルスクはロシアの他の街と比べて降雪量が少ない。足元にまとわりつくものが何もないということは、足取りが軽いということだった。

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プリヴェート絶望 だっちゃん @datchang

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