第一章 北海道 一 室蘭
白く長い指が五本、大きく開かれていた。高々と掲げられたその手のひらはパラボラアンテナみたいに私の顔に標準を向けている。「パー」だと思ったが、手のひらは小指から順番にゆっくり閉じられていった。そして最後の親指がしっかり握り込まれたと思った次の瞬間、私の左頬を母の拳が直撃した。
しまった、「グー」だった。あんなに振りかぶって殴られるなんて予想していなかったから、衝撃はダイレクトに私の頬の奥に突き刺さった。その光景がスローモーションのように映り、そしてミリミリと神経の切れる音が聞こえ、当時小学6年生だった私の生えたばかりの永久歯は早くもその生涯を終えることになった。以来差し歯だ。
あまりの衝撃に脳が揺れ、左足が浮くのが分かった。次に気付いたときには床に倒れ込んでいた。床に倒れ込み、目だけで見上げた母は黒くて大きい影のようでいて、目だけがぬらぬらとした光を放っていた。当時の私にとって母は揺らがぬ山にも等しい存在だった。
「何なの、その目は。」
私がそうして母を見詰めていたことが気にくわなかったらしい。言ったが早いか、母のつま先は私の鳩尾に突き刺さっていた。キャプテン翼くらい足を振り上げていたと思った。そんなことを考えてしまうくらい意外と余裕な自分に呆れた。けれどそれで痛みが紛れるわけではない。呼吸が出来ない。耳鳴りがする。身体中が痛んだ。涙、鼻水、ヨダレ、脂汗。身体のあらゆる出口から液体を垂れ流しながら見えた微かな視界の端で、母の去っていく後ろ姿を見た。
良かった、今日はこれで終わりみたいだ。
そうとわかれば今すぐ身を隠さなければいけない。もし彼女が戻って来たときに私がその場で同じように転がっていようものなら、「そんなところでまだ転がって。当てつけのつもりなの?」等と言って怒りを再燃させてしまうからだ。何とか和室に辿り着き、仕舞われている布団の間に身体を捩じ込み静かに襖を閉めて息を潜めた。口の中に鉄の味が広がっている。こんなとき、「私の」お父さんがいたら何かが変わったのだろうか。
数年前、父が他界してからというもの母は人が変わったようになってしまった。こんな田舎町で一人、女手一つで子どもを育てなければならないプレッシャーが彼女の中に鬼を生んでしまったのかもしれない。もし今私がこんな目に遭うことが誰かのせいだとするならば、肝臓の病気だということを自覚していたクセに毎日お酒を浴びるように飲んでいた父が一番悪いのかもしれないとさえ思う。
一昨年、母と再婚した義父には兄弟の連れ子が二人いた。義父は厄介ごとを嫌ってか私を顧みることはなかったし、母は連れ子たちを甲斐甲斐しくもてなし新しい母親として認めてもらうことに必死だった。昨年、義父と母との間に弟の蓮が誕生してから専ら関心事はそちらへ傾き尚一層私はこの家で蔑ろな存在となっていった。
放っておいてくれるのなら私は空気のような存在でも何でも良かった。だけど肉体がある以上、疎まれれば常に危難に晒されることになる。目を閉じても空けても真っ暗闇の押し入れの中、膝を抱えて天を仰いだ。この暗闇が何処まで続くのかは判らない。次第に天地の感覚を見失い、身体が沈んでいく。深く深く誰の目にも届かない安心の海の底に沈んでいく感覚を覚えた。ここには自分以外、誰も私のことを脅かす生き物は存在しない。父が行ってしまった世界はこんな感じなのだろうか。だったら一緒に連れて行ってくれたら良かった。
北海道室蘭市。主として製鉄と、ほんのわずかな観光資源で回る工場地帯の一角に私たちの住んでいた町はある。当時その片隅にある古ぼけた平屋の市営住宅は次々に建て替えが進んでおり、私たちの家はその流れの最後尾にいた。
同級生の家に遊びにいくと新しい建材の臭いのする景色の良い部屋が与えられていて、否応なく私がこの町の序列の最下層の家のその更に最下層に棲む存在なのだということを身に染みていた。そうして劣等感から何となく疎遠になり親しい友人も減っていった。
室蘭は道内の他の市と比べて降雪量が少ない。それがかえって気温以上にこの町の寒々しさを浮きだたせるようだった。この町は茫漠とした砂漠のように広大で、抗えない鉄の折そのものだ。
「ああ、いたいた。やっぱりここだった。」
どのくらいこうしていたのだろうか。私は眠りに落ちていた。襖を開けられ、眩しさで目が見えなかった。
「あや子、もう大丈夫だから出ておいで。」
湊が私の頭を優しく撫でた。私が小学校6年生当時、義父の連れ子の長兄・湊は高校3年生で、次兄の樹は中学2年生だった。
歳の離れた兄は私にとってはもうすっかり大人で、他に頼れる人のいなかった私は湊に懐いて彼のやることをよく真似していた。よく判らないお笑い芸人のコントで湊と同じタイミングで笑ったし、湊が読んだ本を意味も解らないまま字面だけ追った。湊だけが私の規範だった。彼は戸惑っていたけれど、小学生まではお風呂も一緒に入っていた。
「ほら、口開けて見せてごらん。」
お風呂場で口を開き、母に殴られた場所を見せた。
「切れてるね。歯もなくなってる。」
湊は言葉少なにそう呟いた。その眼には深い悲しみが湛えられていた。私たちの間に気まずい空気が流れた
「大丈夫だから。」
重苦しさに耐えきれず私がそう呟くと、湊は「あや子は強いね。」といって目を細めた。あのとき私には、彼の表情の意味も何も理解することはできなかった。けれど湊が母との関係であまり頼りにならないということは理解していた。湊は湊で親と言い争っている姿をよく見ていたからだ。
風が強く雨戸を叩きつけ眠れない夜があった。トイレを済ませて寝床に戻る途中、湊の部屋の明かりが点いていることに気が付いた。湊は布団の中で目を瞑りイヤホンを耳に着けていた。
「何聴いてるの?」
湊は少し笑って横にずれ、片方のイヤホンを差し出してくれた。湊の布団で横になり、片耳で湊の聞いている音を聴いた。何処かの国の誰かが必死で何かを訴えていた。何を言っているかはわからない。ただずっと聴いていたくなる声だった。
「この人が何言ってるかわかるの?」
「大体ね。」
「嘘つき。」
「いいや、わかる。あや子も大人になったらきっと分かるようになる。英語の本だって読めるようになる。」
俄かには信じられなかった。湊が読んでいる日本語の本だって本当はちんぷんかんぷんなのに、大人はみんなこれが何を言っているか分かるというのだろうか。もし分からないままでいれば一体どんな不都合があるというのだろう。想像すると不安な気持ちになってきた。
「じゃあ、なんて言ってるの?」
「すべての人はみんな平等だから、自由になろうって言ってるんだよ。」
「嘘つきだね。」
この世界が平等ではないことくらい子どもの私でさえ知っている。同級生の妙ちゃんは雨の日にお父さんが車で迎えに来てくれた。私は土砂降りの中、濁流を横目に1時間かけて帰宅した挙句、服や靴を汚したことで母親から立ち上がれないほど折檻を受けた。湊もそのことは承知していたはずだ。
「嘘つきじゃないのさ。あや子もいつかこの家を出る日がくる。自由に生きる権利があるんだよ。アメリカにだって行ける。怒られることもない。」
「ふーん。」などと答えながら、「じゃあ、湊もこの家を出て行っちゃうの?」とは訊くことができなかった。それを訊いたら不安に圧し潰されてしまいそうだった。その夜はそのまま湊の隣で眠りに落ちた。
間もなくして、湊は家から姿を消した。親にその行方を訊くことはできなかった。けれどきっと湊はもうこの家には戻らないのだろうということは分かった。そしてその終わりのない旅に、私は置き去りにされてしまったのだということも。
次兄の樹は精神的な支柱にはなりえない。
ある日お風呂に入っていると、脱衣室で気配がした。勢いドアを開けると、脱いだ服を入れた洗濯物カゴの中に手を突っ込み、私の下ばきを漁る樹がいた。樹は露骨に取り乱し、「カゴの中に物を落としてしまった。」等と言い訳を並び立てていたけれど、その一瞬で私の裸を嘗めるように睨める視線に気付いた。
考えてみれば樹と私に血の繋がりは一切なく、2歳下の相手に欲情してもおかしくない相手なのだということを改めて思い知らされた。タンスに仕舞われた私の服の一切が樹によって汚されたものであっても何らおかしくない。義理とはいえ妹の服を漁るような異常性欲者が「それ以上。」を求めるようになる展開は容易に想像することができた。そしていざそうなってしまったとき、そのことを訴え助けを求める相手が家にはいない。
樹に弱みを見せればつけ込まれてもおかしくない。いよいよもって家の中に居場所はなかった。
*
中学校に上がると同級生にも徐々に不良が現れるようになった。彼らとつるむようなことはなかったけれど、その悪辣な態度を見ていると私も徐々に知恵を身に着けるようになった。いざとなれば弟の蓮を人質にとればいいのだ、ということに気が付いた。
家の中で母のほかに唯一血を分けた弟の細い腕は、中学生の力でも握れば容易く折ることはできるだろう。非人道的とは思わない。核兵器で武装する隣国の気持ちもよくわかる。圧倒的に不利な環境で身の安全を担保するには睨みを利かせるしかない。
初めてそうしたとき、母から「あんたなんて生まなければよかった。」様の罵倒を受けた。胸が痛まないこともないけれど、今さら言われ慣れた言葉を投げかけられてもどうということはない。以来露悪的な暴力を母から受けることは少なくなった。けれどそんな態度で振る舞えば当然義父だって黙ってはいない。私の家庭での立場が危ういことに変わりはなかった。
周りの同級生はケイタイ電話を持つようになっていったけれど、連絡を取る友だちもいない私にそんなものは不要だった。何よりそんなお金はなかった。部活にも所属せず、学校行事にもまともに参加していなかった。
日々、暗くなるまで校内の図書室に籠り、借りた本をコンビニのイートインで読んで時間を潰し家が寝静まってから帰宅した。暇に飽かせて教科書だけはしっかり読んでいたこともあり、校内に貼りだされる学校の成績だけは常に上位をキープしていた。卒業間近の面談でお節介な担任が母にわざわざ電話をかけ、地域で一番偏差値の高い公立の室蘭郁英高校を受験することになった。担任からの電話を受けた母は心底不愉快な表情をしていた。
「調子に乗るんじゃないわよ。アンタなんて私の子なんだからまともに生きられるわけないじゃない。アンタの「あや子」って名前は、どうせバカになるんだから漢字を使わないでいてあげたの。大学にやる金なんてないんだから、湊みたいに変な夢見るのはやめて、さっさと働いてうちにお金入れて頂戴。」
意図せず湊は大学に通うために家を出ていったのだと知った。高校を卒業したら当然働くものだと思い込んでいた私にとって「大学」というものの存在を知らされても依然それは他人事だった。地域の工業高校を中退した母は学歴で相当苦労をしていたらしい。二の轍を踏ませようとする母に従うつもりはなかった。
担任の目論見通り室蘭郁英高校に進学した私は、母の鼻を明かしてやったと思った。
*
小中と徒歩で登下校していた私も、高校へ通うようになると電車で登校するようになった。
通学時、電車の車窓からは見飽きるほど見慣れた工場地帯の煙突から煙が立ち上っていく様子が見える。あの煙みたいに何処かへ飛んで行ってしまいたい。本気になれば自転車でも追い抜けるんじゃないかと思うほどゆっくりとした速度で電車は進む。来る日も来る日も、見たことのある景色の中を。そのあまりの遅さに私の心はいつだって焦れていた。「もういいよ、わかったよ!」と叫びだしたくなる。その抑えの利かなさに失望を覚えた。
家の最寄りの室蘭駅は終点で、駅舎の隣にはいかにも古びた旧駅舎が道内最古の木造建築物として残置され文化財として登録されている。最古の駅舎があるということは、この町がかつては栄えていたことの証だ。現在のいやに真新しく現代的な駅舎はかえって滑稽でさえある。今では一時間に一本、一両編成の古びた車両がゆっくりと往復している。その数少ない運行でさえ乗客の姿はまばらなのだ。きっと世の中の流れに上手く乗れた人たちはこの町には住んでいない。
高校へ行ってみると自分の幼稚さを思い知らされるようだった。廊下で喧嘩し始める男子も、聞えよがしの悪口を本人の前で喋って見せる性悪な女子もいない。誰に強制されることもなく、私以外の全員が将来への明確な展望を持ち建設的な努力を積み重ねていた。高校卒業後は当然のように働き始めるものだと思っていた私と、大学へ進学することが当然と考える同級生たちとでは話も合わなかった。「何もしない。」ということだけで教師からは周囲の同級生より御しやすいと見做され、与えられたことを淡々とこなすだけで成績優秀でいられた場所に住んでいた私にとって、「何もしない。」ことを悪と見做され、積極的に精力的な努力をしなければまったく足りない場所での生活は明らかに「場違い。」で、居心地が悪かった。
そこでやっと私の住んでいる地域がこの町の最下層にあることを思い知った。私の家はその最下層の中の最下層だ。母の言っていた「アンタなんて私の子なんだから。」という言葉が途方もない重さで両肩に載りかかるようだった。
ある朝、ふと思いついて高校の最寄り駅から特急電車に乗って「行けるとこまで、行ってみよう。」と思った。学校をサボるのは初めてのことではなかったけれど、知らない町へ思い付きで出かけてみるという発想には心が躍った。
2時間ほど車窓を眺めていると終点の函館駅に到着した。
しばらく市内を散策して夕方になった頃、ロープウェイに乗って函館山の頂上まで登った。その日はよく晴れていて、津軽海峡の向こうに青森県の大間崎の姿をはっきり捉えることが出来た。といっても、町の姿は見えなかったけれど。
湊は東京の大学へ出ていったのだと聞いた。あの対岸の更に先の先、見果てぬほど遠くに暮らしているのだと思った。ふいに、「彼は、脱北したのだ。」という思いが浮かんだ。
昔、ある女性が脱北をしたときの体験を描いたドキュメンタリー番組がやっているのを見たことがある。彼女の一家は北朝鮮の貧困に耐えかね、ある夜、中国との国境を隔てる豆満川という河を渡り脱北することを画策した。豆満川は厳冬期になると水面に分厚い氷が張り上を歩けるようになる。しかし国境警備隊はそういう事態も十分警戒していて、早々に見つかり一家は追われることになる。父親は妻と二人の娘を逃がすために囮となり、国境警備隊に捕まり離脱した。母親は幼い妹を抱えきれず氷上へ投げ捨てた。そして彼女と母親は氷の上を走って、走って走って、そして国境警備隊の狙撃手は母親の背中を打ち抜いた。振り向いた彼女に母親は「一人で生きなさい。」と告げた。彼女は血を流す母親を見捨てて走った。彼女の背を目掛け銃弾が飛んできたが、弾は中々当たらなかった。途中、彼女は足を滑らせ氷河の亀裂に転落し、凍てつく河の中を泳がねばならなかった。次に亀裂を見つけ息継ぎをしたとき、彼女はもはや国境警備隊の手の届かぬところまで逃げ切っていた。そして彼女は現在、アメリカで平穏な生活を手にしているのだという。
私にそんな情熱はあるだろうか。彼女が家族を捨てたように、湊が私を捨てたように、私は一体何を引き当てにすればあの対岸へ渡ることが出来るのだろう。私には大事なものはない。無知な私になりたい自分もありはしなかった。特急だってこの海峡を渡れない。だから私もここが終点で、これ以上何処へも行けないのかもしれないと思った。
ある日、数少ない同じ中学校出身の同級生から、他の高校へ進学した元クラスメイトが何人も高校を中退しているという話を聞かされた。ある人は警察のお世話になり、ある人は妊娠し、またある人は人間関係によって。事情は様々だったけれど、ただ「そういうことをしても良いんだ。」という気付きを得た私は、2年の春以降ほとんどまともに登校をすることはなくなっていた。退学届けを出さなかったのは単に退学の方法がよくわからなかったに過ぎない。同類はいくらでもいるのだと思ったら、いつか退学の勧告が来ても仕方がないと思っていた。それでも、いくら点数が取れなくても定期試験の日にだけはシレッと顔を出していた辺り、底のところではまともな道を踏み外してはいけないと思っていたのかもしれない。
その頃、私の読書の範囲は洋書にまで及んでいた。湊の残していった荷物の中にはCDプレイヤーや参考書の他に数冊の洋書も混じっていた。湊が読んでいた本には興味があった。
その中の「INTO THE WILD」と題された一冊は、世界の真理を求めすべてを捨てて旅に出た若者が放浪生活の果てに流れ着いたアラスカの大地で息絶えるまでの軌跡を描いたノンフィクション作品だった。孤独な旅路の果てに彼は一体何を見て、何を思ったんだろう。
精緻な記述にのめり込み、判らない単語を調べたりイディオムを把握したりしているうちに少しずつ知識がついていった。そこから手を広げた。おかげで国語と英語だけはろくに授業を出ていなくても高得点を取れるようになっていた。
余った時間でコンビニのアルバイトを始めた。決して楽しい仕事ではなかったけれど、与えられたことをこなせばそれ以上何も言われない場所で生きるのは悪くなかった。それに、常に手元にまとまったお金があることに心が安らいだ。
ある日、オーナーに「悪いんだけど、これからは帳票もやってくれる?時給100円上げるから。」と持ち掛けられた。よくわからなかったけれど、時給が上がるとなれば是非もなかった。
控え室に置かれたパソコンを立ち上げ帳票ソフトを開き、オーナーの指示通り仕入れ、売り上げ等の数字を機械的に入力していった。
「まあこんな感じ。別に難しくはないでしょ。」
「何で私なんですか? 先輩でやってる人みたことないですけど。」
「だって、君まともそうなんだもん。君がやらない日はボクがこれやってるんだから。」
オーナーはぶっきらぼうに答えた。その「まともそう。」という言葉の意味を私はバカにされているのだと思ったけれど、特に反論はしなかった。
最初は日勤のシフトで入っていたけれど、次第に手当の出る夜勤シフトで出るようになっていった。夜勤で働くと翌日の日中は当然眠たくてたまらないので、高校からは余計に足が遠のいた。当時、私は同じシフトに入っていた3歳年上の金髪の男と付き合っていた。その付き合い自体は平凡なものではあったけれど、ある日、夜勤終わりに初めて男の家で眠った。次に起きたとき、外は朝になっていた。ほんの2,3時間しか寝れなかったな、と思っていたけれど、ケイタイを見ると日付が変わっていて、実に26時間以上もの間眠りについていたことを理解した。自分にとって実家は自己を凌辱され続け自尊心を失う場所でしかなかった。家から離れるというだけでこんなにも安寧を得られるのだと理解した私は以来ほとんど家にも寄り付かなくなった。金髪の男とケンカ別れした後も、付き合う男の家を転々とした。
春のある日、荷物を取りに久々に実家に帰ると家に卒業証書が届いていた。そうして自分が高校を卒業していたということを知った。出席日数はまったく足りていなかったはずだ。けれど近郊では一番の進学校だったこともあって、留年者や退学者は基本的には出さない方針だったらしい。ラッキーだった。
そのままコンビニで働いていても良かったけれど、元カレが同僚として働いている環境にもうんざりしていた。それにせっかく高校を卒業したのだから「普通の仕事。」というものに就いてみようと思った。
とりあえず近所のハローワークに行くと、「今はこんなのしかないねえ。」と3枚ほど契約社員を募集する求人票を出してもらった。正直どれでも良かったので「正社員登用・寮完備」と書かれた工業機械を製造する工場に履歴書を提出することにした。その製造工場は室蘭から80kmほど離れた苫小牧に位置していた。すぐに書類審査合格の連絡が来て、面接を受けるとその場で即採用が決まった。
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