第2話 泥まみれの男の子

「――これでよしっと」


 私は、自慢の銀髪を肩のあたりで切ると、瞳と同じ紫色のリボンで束ね、鏡を見た。


 うん、髪を切ったのなんて十年ぶりだけど、さっぱりしていてこれはこれで良い感じかもしれない。


 私は自分の新しい髪型に満足すると、地味なグレーのワンピースを着て家を出た。


 今日から私は、ランベール家のメイドとして働くこととなる。


 なぜメイドかというと――それしか職が無かったからだ。


 ここ田舎では、どんなに学歴や職歴があろうと、若い女を雇ってくれる場所は少ない。


 それどころか、学歴があったり魔法が使えたりすると生意気だとされて、敬遠されるらしい。


 初めにそのことを知った時は、いっそのこと母親を連れて王都に戻ろうかとも思った。


 だけど、お母さんはご先祖さまから受け継いだこの土地を離れたがらない。


 途方に暮れているところへ、マルタン先生がランベール家のメイドの職を紹介してくれた。


 給料もいいし、ここでしばらく働いてお金を貯めて、将来的には魔法を研究するための自分の工房を持つのもいいかもしれない。


 そう思って、私は王都での経歴や身分を隠して働くことにしたのだ。


 ランベール家の担当医でもあるマルタン先生の紹介ということもあり、簡単な面接ですぐに採用されたのは幸運だったと思う。



「あったわ、あのお宅ね」


 しばらく歩くと、赤い屋根の豪邸が見えてきた。


 私が働くこととなるお屋敷の持ち主、ランベール卿は、この地区有数の大地主で、爵位も持っている。


 この周辺の街や王都でもいくつか事業を手懸けているとあって、王都でも中々見ないほどの大豪邸だ。


 私はゴクリと唾を飲み込むと、入口のベルを鳴らした。


 カランコロン。カランコロン。


 おかしいわね。

 何度ベルを鳴らしても誰も出てこない。


 不安になり、再度ベルを鳴らすと、少しして赤髪にそばかすの若いメイドが出てきた。


「はい、どなたですか」


 怪訝そうな顔をする赤髪メイド。


「あの、私、今日からこのお屋敷で働くことになりました、クロエと申します」


 慌てて頭を下げると、赤髪メイドは私の頭の先からつま先までジロジロと見た。


「えっ、新入り? そんなの初耳だけど。ま、適当に使用人室で待ってて」


 目の前の大きなお屋敷を指さすメイド。


「はい、ありがとうございます」


 私が頭を下げると、赤髪メイドはフンと鼻を鳴らした。


「それじゃ私、忙しいから」


 そう言ってどこかへ走り去ってしまうメイド。部屋まで案内はしてくれないらしい。


 大丈夫だろうか。これだけ大きなお屋敷だし、迷わないといいけど。


 私がそんなことを考えながらお屋敷に向かっていると、どこからか声がした。


「おい、誰か、捕まえてくれーっ」


 へっ。


 顔を上げると、茶色くて小さい犬が、こちらに向かって猛スピードで走ってくる所だった。


 捕まえてくれって、この犬?


 私は咄嗟に魔法を使い、犬の動きを一瞬だけ止めると、その隙に犬を抱き上げた。


 あ、しまった。咄嗟に魔法を使っちゃった。


 一瞬だけだし、バレないとは思うけど……。


「ごめんごめん、捕まえてくれてありがとう」


 少しして、黒髪の男の子がこちらへ走ってくる。


 年は私より少し上――十八か十九くらいかな?


 つなぎみたいな焦げ茶の服は、汚くて泥まみれで、髪にも葉っぱがついていてぐしゃぐしゃなんだけど、顔はとっても綺麗。


 薄緑の神秘的な瞳に、ずっと通った鼻と形のいい唇と輪郭。


 まるで王都で大流行りの歌劇団の若手スターみたいだ。


 どこかの国の王族だって言われても信じてしまいそう。


「どうしたんですか?」


 私が声をかけると、男の子は庭に生えている大きな木を指さした。


「この犬、木の上に登ったのはいいんだけど、鈍臭いから降りれなくなってて。それで助けたのはいいんだけど、今度はパニックになって走りだしちゃってさ」


「はあ」


「門から出たら大変だと思ってたから、捕まえてくれて助かったよ。ありがとう」


 白い歯を見せて爽やかに笑う男の子。

 私はなぜか目をそらしてしまった。


「いえ、大したことじゃありません。それじゃ、私、急いでるので」


 お屋敷の方へ行こうとした私の腕を、男の子はグッと引っ張った。


「あ、待って」


「な、何!?」


 私が動揺していると、男の子は緑の美しい瞳をキラキラと輝かせた。


「ところで君、魔法使えるの?」


 バレてたのね。


 バレないように、絶妙なタイミングで使ったはずなんだけど、この子、意外と目ざといんだな。


 私は声を潜めた。


「そうだけど、この事は他の人には内緒にして」


「何で。自慢すればいいじゃん」


「自慢できるわけないじゃん。メイドが魔法を使うだなんて変だもの」


「あ、メイドなんだ」


「うん。ようやく見つかった職だし、目立たないようにうまくやっていきたいの。お母さんにも『メイドに学があるなんて変だ。字も書けないふりをしなさい』って言われたし」


「ふーん」


 釈然としない顔をする男の子。


「あ、しまった。こんな事してる場合じゃないわ。早く控室にいかなくちゃ」


「ああ、使用人の控え室なら、厨房の横だよ」


 お屋敷の北側を指さす男の子。


「ありがとう」


「あ、待って」


 走りかけた私を引き止める男の子。


「何?」


 振り返ると、男の子は爽やかな笑顔で聞いてきた。


「君、名前は?」


「クロエよ」


「俺はルイ。クロエね。覚えておく」


 ルイくんはそう言うと、犬を連れてどこかに走り去ってしまった。


 ルイくんかあ。変わった子だな。


 私はルイくんの泥まみれのつなぎ姿を思い出した。


 ルイくんも、このお屋敷で働いてるのかな?


 木の上にいたから庭師とか?

 ひょっとしたら、ペットのお世話係かもしれない。


 お金持ちの貴族だから、使用人にも顔の良い男の子を雇ってるのかも。


「……っていけないいけない。そんなこと考えてる場合じゃなかった!」


 私はワンピースの落ち葉を払うと、控え室へと急いだ。

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