万能賢者、田舎でメイドになる
深水えいな
第一章 万能賢者、メイドになる
第1話 万能賢者、田舎に帰る
王歴225年。
王国を襲った
七人のうち、六人はすでに名を馳せていた熟練の賢者だったが、最後の一人はわずか十七の少女だった。
少女の名はクロエ。
彼女は、その広い魔法の知識と人口精霊を操る確かな実力から、『万能賢者』と呼ばれた。
龍の解体後は王宮勤めの噂や、王都の大学に講師として招かれるという話もあったが、彼女は突如として姿を消した。
故郷の村で、母親が倒れたという噂を聞いたからだ――。
◇◆◇
「お母さん! お母さん大丈夫!?」
私は馬車を降りるなり、勢いよく家のドアを開けた。
母が倒れたと聞いていたから、最悪の事態も覚悟していた。
ひょっとしたら、今生の別れとなるかもしれない。
私が幼い頃にお父さんが亡くなり、女手一つで私を育ててくれたお母さん。
苦労をかけたのに、何も親孝行してあげられなかった。
せめて最後はそばにいたかった。
そう思っていたのだけれど――。
「あらクロエ、帰ったの?」
当の母親は、洗濯物を干す手を止め、あっけらかんとした顔で私を出迎えた。
「えっ」
私は思わず固まってしまった。
お母さんは、寝たきりにもなっていなければ、顔色も悪くなかった。
「最悪の事態」とは程遠いほど元気だったの。
一体どういうこと?
「どうしたの、便りも寄越さないで急に帰るだなんて。あんた、王都の大学はどうしたんだい」
お母さんも「訳が分からない」という顔でキョトンと目を見開く。
私はへなへなとその場に座り込んだ。
「『どうしたの』はこっちのセリフよ。マルタン先生に、お母さんが倒れたって手紙を貰ったから、急いで帰ってきたのに」
ぶつくさ言う私を、お母さんは大口を開けて笑った。
「あはは、ちょっと疲れてただけだよ。マルタン先生ったら、大袈裟だね」
どうやら、村の診療所のマルタン先生が少し大袈裟な手紙を書いたらしい。
「もう、人騒がせな」
私がぶつくさ言いながら旅行鞄を片付けていると、閉めたはずの玄関のドアが音を立てて開く。
「大袈裟でも人騒がせでもないよ」
そこに立っていたのは、山高帽に白い髭を生やしたダンディなお爺さん。
「マルタン先生!」
マルタン先生は村唯一の診療所に務めるお医者さん。
私に王都の大学に行くように助言してくれた恩人でもあるの。
「先生お久しぶりです」
「久しぶり、クロエ。大学を飛び級で卒業して、暗黒龍まで倒したって? すごいじゃないか」
「たまたまです。周りの助けがあったから」
私はマルタン先生としばらく抱擁を交わした後で聞いてみた。
「ところで、お母さんの具合はどうなんです」
マルタン先生はとたんに真剣な顔になる。
「うん、さっきの話だけど、君のお母さんの体の状態は一時は本当に危なかったんだ。決して大袈裟なんかじゃない」
「そうなんですか?」
私はお母さんをチラリと見た。
いつもと変わらず元気に見える。
「あの、母はどこが悪いんでしょうか」
「心臓だよ。次に発作をやったら、本当に命が危ないかもしれない」
「ええっ、本当ですか」
そんなに悪いようには見えないけれど、マルタン先生が言うのなら多分間違いはないんだろう。
動揺する私の横で、マルタン先生はテキパキと診療道具を鞄から出すと、お母さんに声をかけた。
「さ、アリアさん、診察だよ」
「ちょっと待っておくれよ。洗濯物を干してから」
言いながら、パンパンと洗濯物のシワを伸ばすお母さん。
私は慌ててお母さんから洗濯物を奪い取った。
「お母さん、洗濯物は私が干すから、診察を受けて」
「そうかい?」
不満そうなお母さんに、私は語気を強めていった。
「先生を待たせたら悪いでしょ」
「それじゃあ頼むかね」
渋々といった様子で先生の前に腰掛けるお母さん。
全くもう、病人だっていうのに緊張感がないんだから。
私は洗濯物を干しながらマルタン先生とお母さんのやり取りにじっと耳をすませた。
「あれから調子はどうだい」
「ああ、もうすっかり平気だよ。昨日は市場に買い物にも行ったし」
「ダメだよ、安静にしてなきゃ」
「そんなこと言ったって、買い物に行かないと食べるものもないし仕方ないじゃないか」
二人のやり取りを聞きながら、私は悶々と考えた。
さっき家に着いた時は、お母さんが元気そうだったから、一週間くらい家に滞在して、王都に帰ってもいいかと思っていた。
だけど本当は、お母さんの体は思っているより悪くて、私の前だから無理をしているのかもしれない。
このまま王都に帰ってもいいのだろうか。
「それじゃあ、このお薬草を忘れずに毎日煎じて飲むんだよ」
マルタン先生がお母さんに薬草を渡す。
「はい、ありがとうね」
「ありがとうございました」
お母さんと二人でマルタン先生を見送ると、お母さんはクルリと私に向き直った。
「さて、夕飯の準備でもするかね。クロエ、あんた、ここには何日くらい居る予定だい?」
「ずっと」
私の答えに、お母さんは怪訝そうな顔をした。
「え? ずっとってあんた――」
「決めたの。ここで仕事を探して、ずっと住むわ」
私は、王都には帰らず、故郷の村に住み続けることを決めた。
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