筋肉を正確に描きながら筋肉の限界を超えた描写をできる漫画家って凄いな

 「完全人体図鑑」という人体の驚異的な本を読んでいて思ったこと。

 人間の骨格や筋肉の付き方はほとんど決まっていて、パワーをもたらす筋肉の断面積にも自然と限界がある。漫画で見事な肉体を描く人たちはそういうのを全て承知の上で人体を描いていて、最後の最後に出てくる結果の出力で嘘をつく。

 コンクリートに穴を空けたり、ありえない距離を跳躍したり、パンチでクレーターを造ったり。

 人体構造上、力の出せない方向に出したりするのは個人的にはどうかと思う。そこまで行くと「気」とか説明が付き始める?


 責めているわけじゃないのだが――というか過剰描写こそ漫画の華であるが――描いていて自分の中で辻褄が合わなくならないのだろうか。逆に日常シーンで表情筋以外の筋肉の動きを強く意識することはないのかな。意識させられるのは筋肉より服の皺だったりして。


 もちろん、文字で表現する小説でも人体をちゃんと理解した方がいいことは多いだろう。絵にしないからこそ描写のおかしさに気づきにくくて、大きなミスをしてしまう可能性もある(漫画のように指が六本になるミスはないが、戦争で片腕になったキャラクターに両手を使わせるミスはやりそう)。

 戦闘を書くならば負傷の内容や怪我からの回復にこだわりたい。それによってキャラクターの実在感を高められることもあるだろう。架空戦記小説で異常にしつこく戦艦が砲弾で破壊される描写をしていたことを思い出す。対象は無生物であるが、たぶんそういう効果があったんだなぁ。

 漫画のスパイラルでブレードチルドレンが肋骨の一部を取られること――元ネタは聖書だが――も、下二本の肋骨が胸骨と繋がっていない人体構造を知って意識すると感じ方が少し変わる。


 一方で未知の生物を描写するときに読者の想像力に委ねてしまえるのはやっぱり助かる点ではある。

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