第5話 やぶなりの日 -1-

だだっ広い荒野の中に突然、近代的な街並みが現れた。枯野の向こうに真新しいマンションが建っている。車の窓から、近づいてくるその街を見た途端、ぼくは居心地の悪さで落ち着かなくなってしまった。

ぼくの胸に疼く違和感をよそに、車はどんどん街に近づいていき、同じような一戸建てが立ち並ぶきれいな住宅街に入った。昼間だというのに人の姿がほとんどなかった。


高学年になり、塾やら友達との遊びやらで忙しくしていて、足が遠のいている間に、じいちゃんが住む街はどんどん開発が進んでいた。

行政の誘致で、有名な企業の研究所やら工場やらが、この地に移転したのをきっかけに、電車が通り、ショッピングセンターができ、住宅街ができた。

幸い、山の方にあるじいちゃんちは元の姿のままだけど、街全体の様子はここ数年で様変わりしてしまった。


「こんな景色嫌だな」という言葉を呑み込んで、ぼくは隣で運転する母さんの様子を窺った。後部座席でチャイルドシートに座る妹の雪は、つい最近幼稚園を卒園したばかりだ。カーステレオでアニメソングを聞きながら、さっきからずっと楽しそうに歌っている。


「なんだかこの街、寂しい感じがするね」


ぼくはたまらず、母さんにささやいた。


「え?前よりずいぶん賑やかになったじゃないの。昔は野原と山ばかりで本当に寂しいところだったけど、電車も通って便利になって。まさかここがこんなことになるとはね」

 

母さんは嬉しそうに言った。

野原や森を切り拓いて作られた新しい街に、違和感などみじんも感じてはいないようだった。


駅のローターリーをまわり、ひょろひょろの街路樹が植えられた並木道を走る。

ようやく、歩いている人を見つけた。

そんなに遠くはない場所にいるのに、どういうわけだか輪郭が白くぼやけてはっきりしないと思っていたら、いつのまにか街中に薄く靄が漂っていた。

母さんによると、霧や靄の発生しやすい土地柄なのだということだったが、薄い靄の中を歩く人を見た時には、まるで現実味が感じられず、キツネやタヌキが化けているのではないかと、本気で疑ってしまった。


できたての街。きれいで、道も広くて、車の運転もしやすいと母さんは喜んでいるけれど、ぼくは、どういうわけだか心細くてたまらず、はやくじいちゃんちに着くことだけを願った。

真新しい道から、ようやく何度も通ったことのある旧道に入った。

かつて蝶々やバッタを追いかけた野原は跡形もなくなっていた。造成されて細かく区切られた土地にちらほらと新しい家が建ちはじめている。

近くにショッピングセンターができたせいだろうか、じいちゃんちに来る度に立ち寄っていたお豆腐屋も駄菓子屋も、すでに看板を下ろしていた。


****

 

「このあたりすごいじゃない。そのうち私たちが住んでいるところよりも発展しちゃうんじゃないの?」


母さんはじいちゃんちに着くなりチャイムも鳴らさずドカドカ上がり、叔父さんがテレビを見てくつろいでいる居間に入るなり話し出した。


ばあちゃんがお茶とお菓子を持って来てくれた。


「まあ、便利になったというのかねえ。でもスイカ売りも、魚の干物売りも、近頃ぱったりと来なくなっちまった。どうしているんだかね」


「そんなのすぐそこのショッピングセンターに行けば安く買えるんだし、別にいいじゃないか。この街は今、人がどんどん増えてる。うちも空いてる土地にアパートを建てたら、すぐ満室になっちゃったよ」


叔父さんは身体を起こすと得意げに言った。


ぼくと雪は、お菓子を食べながらしばらく大人たちの話を聞いていたが、すぐに退屈になってきた。


叔父さんは、そんなぼくらの気配を察したらしい。


「おう知哉、あの野原だったところにな、新しい公園ができたんだぞ、雪を連れていってみたらいい」


「公園にブランコある?」


雪がきく。


「あるよ。赤くてかっこいいのが」


叔父さんの言葉に、雪は顔を輝かせた。


庭に出ると、じいちゃんが縁側に座って満開の桜を眺めていた。


「じいちゃん。久しぶり」


じいちゃんは「よく来たなぁ」と笑顔で手招きをした。

ぼくは隣に座った。


雪は、じいちゃんにペコリと会釈してから、ひらひらと舞い落ちてくる桜の花びらを追いかけはじめた。


「野原なくなっちゃったね。駄菓子屋もお豆腐屋も、やめちゃったの?あそこの油揚げ好きだったんだけどな」


「そうだねえ。みんな年とっちゃったからね。仕方ないのさ」


「だけどさ、なんか寂しいよ。ぼくはここが変わっちゃうの、やだな」


じいちゃんは桜からぼくに視線を移した。困ったような顔をしていた。


「知哉は来月から中学生になるんだっけ?雪は小学生になるのかな?」


ぼくは頷いた。


「大きくなったなあ。そりゃあ、こちらも年を取るはずだ」


雪がぱたぱたとやって来た。


「お兄ちゃん。はやく公園に行こうよう」


「なんだ、もう飽きちゃったの?」


ぼくは立ち上がった。


「あの野原だったところに新しい公園ができたらしいから、ちょっと行ってくるよ」


雪の手を握りなおしてじいちゃんを振り返ると、じいちゃんも立ち上がった。

ぼくらに向けておもむろに手を開く。

手のひらに、ひものついた小さな竹製の笛が二つのっている。


「これをやろう。お守り笛といってね。危険な目にあいそうなときに吹いて、まわりに知らせるために使うんだ。雪のもあるぞ」


じいちゃんは、竹笛をぼくと雪の首にかけてくれた。

深い艶を湛えた年季が入っていそうな代物だった。ぼくと雪は、古めかしい竹笛を手に取り、しげしげと眺めた。表面に一筆書きの星印が刻まれているのに気がついた。

顔を上げると、じいちゃんと目が合った。


「それはね、無事に家に帰れますようにというおまじないの印なんだ」


「無事に帰れますように」だなんて、ちょっと近所の公園に行くだけなのにじいちゃん大げさすぎとじゃないかと思っていると、じいちゃんは意外なほど真剣な顔で話を続けた。


「見ての通り、ここは、まだ人が手を付けはじめて間もない場所だからね。いろいろ不安定なんだ。だから、整備されている場所以外には、無闇に近づいては行けないよ。迷子になったら大変だし、第一何が出るかわからないからね」


背中がぞくりとした。

「この場所は不安定」という言葉は、とてもしっくりきた。だからぼくは、この街にこんなにも不安を感じているのだろう。


「何が出るの?」


恐る恐る聞いた。

ぼくの顔がよっぽどこわばっていたのか、じいちゃんは緊張を解くように、ふっと頬を緩めて笑顔になった。


「蛇、とかげ、虫、コウモリ、キツネにタヌキにオニ、化け物、なんでも出るとも」


じいちゃんは、にやりとしながら歌うように言った。いつものことながら、じいちゃんの話はどこまでが本当でどこからが冗談なんだかわからなくて、困ってしまう。


「ちなみにその笛はな、この間、しばらくぶりにトキヨが来て、夕飯のお礼にと置いてったものなんだ。知哉と雪へのお土産だそうだ」


じいちゃんの言うトキヨとは、ごくたまにじいちゃんちにご飯を食べにくる盲目の人だった。来る度に、たまにしかこの家に来ないぼくにまであれこれお土産をくれるので、ぼくもトキヨちゃんと呼んで、仲良くさせてもらっていた。

ばあちゃんは、お腹をすかせた人なら誰彼かまわず家に上げてご飯を食べさせる人だから、昔はトキヨちゃんのような客人が他にもいた。

今では、お腹をすかせている人もめっきり少なくなったのか、行き倒れ同然で突然やって来るような人はほとんどいない。

トキヨちゃんも今では按摩師として忙しくしていて、食うのに困ることはないらしいから、ご飯を食べに来るというよりかは、友達としてじいちゃんとばあちゃんにたまに会いに来るといった感じらしい。


「トキヨちゃんのお土産か。懐かしいな。ありがとう。久しぶりに会いたいな」


「そうだなぁ。トキヨがお前らの手をにぎったら、大きくなったと驚くだろうな」


じいちゃんはうなずきながらぼくらをみて、ふと何かを思い出したようだった。


「そういえば、その時トキヨが変なことを言ってたんだ。確か、やぶなりの日が近いから気をつけろとか、その日はなるべく外に出ない方がいいとか何とか言っていたっけな…何のことだったかなぁ。詳しく聞きそびれてしまったなぁ」


じいちゃんは考えこんでしまった。そして、「ちょっと調べ物をしてくるよ」と言うと、さっさと家に入って行った。



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