第4話 かみかくしの話(後編)
「それからしばらくして、知哉がお昼を外で食べたいといいだしてね。おにぎりを作って持たせてやったことがあったんだ」
知哉が牛乳を飲み終えるのを見届けて、ばあちゃんは話し出した。
****
ばあちゃんは、知哉がそこらの庭石にでも座っておにぎりを食べるつもりなのだろうと思っていた。
昼は、職人さんが戻ってくる時間帯なので、ばあちゃんもまかない等で忙しく、知哉ばかりに気をかけている暇はない。
気づくと知哉の姿はどこにも見えなくなっていた。
知哉はばあちゃんが作ってくれたおにぎりをもって山にむかっていた。
山頂に到着したときの達成感をもう一度味わいたかったのだ。
前回登ったときは、汗だくになり喉が渇いてくたくたになったので、今回はリュックサックに飲物とおにぎりをつめて、準備万端で山頂を目指した。
しかし、夏草の成長スピードはすさまじく、ついこの間まで通れた山道は、途中から草でほぼ閉ざされているような状態になっていた。
自分よりも背の高い草をかき分けるのが困難で、知哉が途方に暮れていると、目の前の草が揺れ、足下の草の間から男の子が現れた。
この前の男の子だった。男の子は知哉をチラリと見上げると、くるりと向きをかえて元来た草むらの奥に進んでいった。
知哉はしゃがんで、男の子の出てきた草むらをのぞいた。そこには、草がかき分けられてできたと思われるトンネルが続いていた。
ぜひとも通ってみたいと思わせる、草の立派なトンネルだったので、知哉は迷わず腰をかがめてトンネルに入っていった。
草と土の濃厚な匂いがたちこめるトンネルをを進んでいく。
進むうちに、山の傾斜がきつくなりトンネルも小さく狭くなってきた。知哉はリュックサックをお腹側にかかえて、いつの間にか四つん這いになっていた。
たまに、前を行く男の子の姿が見えるが、いくらがんばっても追いつけない。
やがて、トンネルを抜けた。
知哉は立ち上がってあたりを見た。木々の間の岩陰に祠が見えた。山頂に着いたのだ。
知哉は祠の近くの盛り上がった木の根っこに腰を下ろした。汗をびっしょりかいていた。
さっそくリュックサックから水筒を取り出すと麦茶を一口飲んだ。
その時、あの男の子が木陰に隠れながら、こちらを伺っているのが目の端に入った。知哉は気付かないふりをしてリュックサックに水筒を戻し、おにぎりを取り出した。そして、おにぎりの包みを開くと見せかけて、急に後ろを振り返ってやった。
男の子は驚いて、木の陰に隠れるとそのまま山の中に姿を消した。
おにぎりを食べはじめると、男の子はどこからかまた現れた。
今度は隠れもせずに、少し離れたところの大木の根元に寄りかかり、
「なんかいい匂いがするなあ。少しくれたらなあ。いいこと教えてあげるんだけどなあ。」
と、独り言のようにつぶやいた。
知哉は男の子の方をちらりとみると、
「二つあるから、ひとつ食べてもいいよ」
おにぎりを差し出した。
男の子はすかさず寄ってきて、知哉の手からおにぎりを奪い取って食べ始めた。
ばあちゃんがおにぎりとともに持たせてくれた、たまごやきも、ホウレンソウのおひたしもトマトもから揚げも半分にしてやると嬉しそうになんでも食べた。
食べ終わるまえに、知哉は思い切って聞いてみた。
「きみってさあ。たぬきの子どもだろ?」
男の子は一瞬ビクッとなって、食べるのを止めた。知哉はおどかすつもりではなかったので慌てて続けた。
「ぼくの名前は知哉。友達にならない?」
男の子はまん丸の目をさらに大きく見開いて、まじまじと知哉を見ると、こっくりとうなずいた。
「ぼくも同じ事考えてた。友達になりたいなって。うまく化けたつもりだったんだけどなあ。どこか変だった?」
「ううん。うまく化けてる。しっぽもでてない。」
知哉は、男の子が山の急斜面を転がり落ちていったときの話をした。
「ああ、あの時の、きみだったのか。夢中だったから全然わからなかったよ。」
男の子はちょっと安心したように座りなおすとおしんこをぽりぽりかじりながら話を続けた。
「ぼくは神様のお使いになるために修行中の見習いタヌキだからさ、神様のお出かけの時にお供ができるように、化ける練習をしているんだ。そんで人に化けた時はお師匠からは権兵衛って呼ばれてるの」
「権兵衛?ぼくもそう呼んでいい?」
「うん、いいよ」
「神様とお師匠って同じ人?」
「違うよ。神様は神様。お師匠はお師匠だよ」
「小さいのに修行をしているなんてすごいね。化けるの上手だもんねぇ」
権兵衛は頷いたり、首をふったりしながら、次々と繰り出される知哉の質問に答えた。
権兵衛はおいしいおにぎりを分けてもらえた上に、ほめられてとても嬉しくなってしまったようだった。
「そうだ、ぼく知哉にさ、いいこと教えてあげる。おにぎりのお礼だよ。ついてきて」
権兵衛はそう言うと、祠近くの草むらに分け入った。知哉は慌ててお弁当の包みをリュックサックにしまうと、権兵衛を追いかけた。
権兵衛が入っていった草むらには、かすかに草が踏みおられて細い道ができていた。動物たちの通り道。けもの道というやつだった。
権兵衛はひょいひょいと奥へ奥へと進んでいく。
知哉は慌てて権兵衛を追いかけた。
カラコロンカラカラ
カラコロンカラカラ…
鳴子がなった。
知哉は鳴子に気づかなかった。草を踏み分け、木々の間を行く権兵衛を見失わないように追いかけるので必死だった。
下ったり登ったりの山道が続く。あたりはどこを見てもどこまでも木々が生い茂り、どんどん山深くなってきた。
ふいに、帰れるか不安になり、後ろを振り返ってみると、どこもかしこも木と生命力旺盛な草に覆われていて、権兵衛と知哉の来た道は鬱蒼とした山に溶けてしまったかのようにわからなくなっていた。
さすがに知哉は不安になった。だいぶ先を行く権兵衛に呼びかける。
「ねえ、権兵衛、待ってよ。どこまで行くの」
権兵衛はチラリと振り返ると、前方を指さした。傾斜のきつい登り坂が行く手に待ち構えていた。権兵衛はそのてっぺん付近を指さした。
「あそこに行くんだ」
権兵衛は全く疲れた様子もなく、ひょいひょいと先に進んでいく。
知哉は不安な上にへとへとだった。だけど、権兵衛に負けたくなかった。それに、あのてっぺんから見渡せば、じいちゃんちの方向がわかるかもしれないとも思った。知哉は歯を食いしばって権兵衛を追いかけた。
ようやく、どこだかわからない、山のてっぺんにたどり着いた。果樹園だろうか。
たくさんの朱色の実をつけた木々が無数に植わっていた。
権兵衛が隣に立って言った。
「
目の前に広がる李畑を、呆然と眺めていた知哉だったが、疲れが出たのか、緊張がとけたのか、なぜだかわからないが、急に立っていられないほど膝が震えだし、その場にへたりこんでしまった。
「どうしたの?大丈夫?」
権兵衛は驚いて、知哉の周りをちょこまかぐるぐる回った。
知哉は身体に力が入らない上に、権兵衛がちょこまかするので、目が回ってきた。知哉は、遠のく意識のなかで、権兵衛が知哉ではない誰かに謝っている声をきいた。
「お師匠。ごめんなさい。ぼくが悪いんです。たすけてください。お願いします」
カラコロンカラカラ
カラコロンカラカラ…
鳴子の音で目を覚ました。知哉は、権兵衛と一緒におにぎりを食べた場所で、太い木の根っこの間に挟まっていた。
慌てて起き上がり、あたりをみまわしたが、権兵衛の姿はどこにもみあたらなかった。
夢だったのだろうか。
少し寝たせいか、体力は回復したようだった。
知哉は元来たとおりに草のトンネルを通り、じいちゃんちに帰った。そして、じいちゃんに出来事を話して聞かせた。
「あの李畑は夢だったのかなぁ」
「そりゃ夢だろうなぁ。うちの山に李なんか植えた覚えはないからなぁ」
じいちゃんは笑った後、山道が草に覆われているのを何とかしなくちゃと思ったようで、「明日は草刈でもやるか」とつぶやいた。
「じゃあぼくも手伝う。そして一緒に李畑にいってみようよ。案内してあげるよ。本当にあったらいいな。じいちゃんに見せたいな」
「そうだな、実をいっぱいつけた、たくさんの李の木か。そりゃ本当にあったらいいな。案内してもらおうかな」
次の日は、知哉はじいちゃんと一緒に山に入ることになった。
その夜、ほら貝が鳴ったらしい。
翌朝目を覚ますと、じいちゃんとばあちゃんが口をそろえた。
「今日は山へ入っちゃなんねえぞ。」
「じいちゃん李は?」
「また今度だな」
知哉は、起き抜けのぼうっとした頭を上下してうなずいたものの、「山に入ってはいけない」と言われたことなどすぐに忘れてしまった。
朝ごはんを食べて、頭に浮かんだのは、昨日権兵衛におしえてもらった李畑の事だった。
あたり一体に果実が熟したいい香りがしていたのを思い出した。
本当に夢だったのだろうか。
昨日は知哉がへとへとになって倒れてしまったものだから食べ損ねてしまったけど、どうしても食べてみたい。
知哉はさっそく庭にとびだすと、そのままなにも持たずに山に向かった。たった今、朝ご飯を食べたばかりだし、喉が渇いたら、あの李を食べればいいのだ。
昨日あれだけへとへとになって、迷子になりかかったというのに、何の不安も感じなかった。それどころか頭の中は李の事だけでいっぱいだった。あれは絶対夢なんかじゃないはずだ。権兵衛が自慢していたくらいだ。すごく美味しいに違いない。
知哉は、昨日と同じように鬱蒼とした山道の草のトンネルを抜けて頂上にたどり着いた。
今日は権兵衛の姿はどこにもみえなかった。それどころか風の音や木のざわめき、鳥やリスなど山で暮らす生き物らの気配もなく、あたりはしんと静まりかえっていた。
李畑へと続くはずの、祠の近くから延びるけもの道を探す。
草に覆われた細い道だったから、よくよく注意しないとみつからないだろうと思っていたのに、すぐに見つかった。
なぜなら、昨日あんなに細かったけもの道は、踏み固められ、すっかり立派な山道になっていたのだ。
「まずいぞ。あの李、もう全部食べられちゃったかもしれないぞ」
知哉は、山がやけに静かなのも、けもの道が広くなっているのも、山の動物たちが、皆で李畑に向かったせいだと思った。
知哉も急いで行こうとした。
李畑につながっているはずの道に、踏み出そうとしているのに、すすめない。
どうしたわけか前に進むことができなかった。道はそこに確かにあるのに。見えない壁でもあるみたいだった。
しばらくがんばっていると、後ろから、強く厳しい声がした。
「その道を行ってはいけない」
知哉は立ちすくんだ。何者かが近づいてきた。体が動かず、振り向くことができない。
背後から、バサリバサリと巨大な鳥が羽ばたくような音がする。
カラコロンカラカラ
カラコロンカラカラ
そこら中で鳴子の音がなりひびいた。
強烈な突風が吹きつけた。
知哉は、いつのまにか、頭の先から足の先まですっぽりと、渦を巻く風に包まれていた。
「よし、去れ」
大声とともに強い風はやんだ。けれども知哉はコマのように回り続けた。上も下も右も左もわからない。
カラコロンカラカラ
カラコロンカラカラ
知哉が回りつづけている間、絶えまなく鳴子の音が響いていた。
*****
それから、一週間ほど知哉は行方知れずになっていた。
知哉が発見されたのは、行方不明になってからちょうど一週間後の夕暮れ時だった。
あれから毎日のように知哉を探しに山に入っていたじいちゃんが、帰ってきた時に発見した。知哉は、じいちゃんの家の玄関手前にある祠の前に、いなくなったときと全く同じ服装で倒れていた。
知哉は、それからさらに一週間、意識が戻らなかった。高熱を出してうわごとを言ったり、突然身を起こしたかと思うと、幼児とは思えない語り口調で山に入った日の出来事をとぎれとぎれに話し出したりした。
今回ばあちゃんが話してくれた山での出来事は、意識不明の知哉がとぎれとぎれに語った内容だったのだ。
知哉は発見されてから、意識が戻らないままうわごとを言い続けたかと思うと、さらにちょうど一週間後の朝、何事もなかったかのように起きてきた。そして、何もかも忘れてしまった様子で、皆の心配顔をきょとんとした顔で眺めた。
***
「本当にあの時のことは何にも覚えてないのかい?」
ばあちゃんがぼくの顔をのそきこんだ。
ぼくは顔をしかめて首を横にふった。
「見習い子ダヌキは、人間の子に神様の李畑の場所なんて教えちゃったから、きっとこっぴどく叱られただろうね」
ばあちゃんは、クリープを山盛り入れたコーヒーを飲み干した。
「もしあの時、あの道に足を踏み入れていたら、神様の怒りに触れて、知哉は二度とうちに戻れなかったに違いない。一大事になる前に子ダヌキのお師匠さんが、知哉が道に入ることを食い止めてくれたんだろうね」
「師匠ってだれ?大ダヌキ?」
「大ダヌキ・・・かもしれないし、天狗や仙人の類かもしれないし・・・」
ばあちゃんは笑った。
「天狗とか仙人?そんなのいるの?」
ぼくは驚いた。このあたりには一体どれだけの不思議なものがいるんだろう。
「ほら貝の音。知哉も昨晩きいただろう。あれを誰が吹いているのかって考えるとね。まあ、知哉が無事に帰ってこられたんだから、なんだっていいさね。本当に奇跡だよ。ありがたやありがたや」
ばあちゃんは手を合わせていたが、ふと首をかしげた。
「でもやっぱり、まるっきり無事というわけでもなかったのかねえ。あれ以来、知哉もすっかりおとなしくなっちゃったからね。あんなに猿のようにすばしこく動き回れた並外れた運動能力はどこにいちゃったんだかね。お母さんはほっとしていたようだけどね」
ばあちゃんは、よっこらしょと腰をあげた。
「さあ話は終わりだ。そろそろベニーランドにでもいくとするかね。」
「えっと、ちょっと待って。それじゃあ、かみかくしにあわなければ、今ごろぼくは天才スポーツ少年だったかもしれないってこと?」
ぼくがあまりにも惜しそうな顔をしていたのか、ばあちゃんは笑いをこらえるようなすっとぼけた顔をして頷いていた。
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