第3話 「かみかくしの話」前編
植木屋をしているじいちゃん家の庭は広い。たくさんの木や岩があり、おまけに山まである。山頂には神様を祀っている小さな古い祠があって、そこまでは大人の足で三〇分くらい。山は、さらに奥の大きな山々に連なっている。
じいちゃん家では、変わったことがたびたび起きる。その変わった出来事を、じいちゃんとばあちゃんがあたりまえの事のように話すたびに、母さんは言う。
「やめてよ。またそんな変な話して。知哉が信じちゃうじゃないの。そんな話は全部気のせい。または、科学的に説明のつく現象よ。惑わされてはだめよ」
母さんはこの家で育ったくせに、お化けとか幽霊とかそういうものは苦手らしい。なるべく関わらないように、『見ない・聞かない・感じない』の3段構えで、ささいな出来事には完全無視を決め込んでいる。
「もし、うっかり変なものに気をとられてしまったら、きっと今度こそ大変なことになる」
母さんが前にこうつぶやいていたのを聞いたことがある。
母さんが、幽霊とかお化けとか、そういうのを意識的に遠ざけようとするのには、何やら、ぼくが関係しているらしい。
ついこの前の夏休みに、ばあちゃんから聞いた話が、その理由の一つなんじゃないかなと思うんだけどね。
今回はその話をしようと思う。
ばあちゃんから聞いたぼくの話。全然記憶がないんだけど、ぼくじゃないみたいなぼくの話。
何と、ぼくは小さい頃『かみかくし』にあったんだって。
*********
つい先日、夏休みに一人でじいちゃん家に泊まりに行ったときのことだ。
夜更かしをしてだらだらしていたら、ふいにテレビを消された。ふりかえるとじいちゃんが自分の口に人差し指を押し当てている。
風鈴がチリチリと鳴り、あたりはすっと静まり返った。広い居間の空気が張りつめた。
ぼくは急に怖くなり、じいちゃんにくっついて、窓が開け放たれた真っ暗な縁側にそっと顔を向けた。
かすかだが、遠くの方からとぎれとぎれに風のうなるような太い音が聞こえてきた。
緊張しながら耳をそばだてていると、ふいにじいちゃんが口を開いた。
「ほら貝だな。明日は山に入っちゃならねえぞ。」
いつになく真剣な顔だった。
ばあちゃんも、台所からお茶を運んでやってきて、じいちゃんのとなりに腰を下ろした。
「また、あの時みたいなことになったらいけないから、明日は知哉をベニーランドにでも連れて行ってやろうかね。」
さきほどまでの緊張が一気にとけた。
「ベニーランド!やったぁ。バイキングにのりたいな」
「さあ、今日はもう遅いから寝なさいね。」
ほら貝のことなどすっかり忘れて、その夜ぼくはいわれるままに布団に入り、寝てしまった。
次の朝目を覚ますと、じいちゃんとその息子の一郎おじちゃんは朝食を終えて仕事に出かけていくところだった。
植木屋をしているじいちゃんと一郎おじちゃんは、腿の部分がふくらんだズボンに、地下足袋をはいて、まるで忍者みたい。じいちゃんが、その姿で高い木にひょいひょい登って行くところを見てからというもの、特にそう思うようになった。
いつものように二人並んで神棚に手を打ってから出かけていく。
「今日は山に入っちゃだめですよ」
ばあちゃんは念を押すように二人の背中に呼びかけた。
ぼくは食卓に着きながら、手をふって二人を見送り、ばあちゃんの方をみた。
「何で今日は山に入っちゃいけないの?」
ばあちゃんは、しきりに足に頭をこすりつけてくる猫のミーコにゆでたササミをひきさいてやっていた。
「そりゃあ。山の神様がお出かけになる日だからさ。」
ばあちゃんは、さも当たり前の事のようにいった。
「山の神様がお出かけ?」
ぼくがポカンとしていると、
「ゆうべ、ほら貝の音をきいただろう?あれが合図だ。あれが鳴った翌日に山に入ったら、またおまえ、神様のお怒りに触れて神隠しにあってしまうぞ。」
ぼくはどきりとした。
「またってどういうこと?・・・神隠し?ぼくが?」
食べようとしていた卵かけご飯を食卓に置いた。
「忘れちまったのかい?まあ、無理もない」
ばあちゃんは立ち上がると、神棚に手を打って礼をした。
「あの時は、知哉を返してくれて、本当にありがとうございました。」
熱心に手を合わせてから食卓に戻ってきた。
「その時のこと、ぼくに教えてくれない?」
おそるおそる聞いてみた。
「ああいいよ」
ばあちゃんはあっさりうなずいた。
きっとこの場に母さんがいたら、「変なこと思い出させないでよ」と慌てて話を遮ったに違いない。
****
知哉が神隠しにあったというのは、幼稚園に入りたての夏休みのことだったらしい。
今ではすっかり落ち着いて、外遊びなどほとんどしない、運動もそれほど得意ではない知哉だったが、信じられないことに、その頃はとてもわんぱくで、じっとしていられない子どもだった。
じいちゃん家の広い庭で一日中岩から岩へととびまわり、一人で山に入って遊んだりしていた。さるのようにすばしこくて、追いかけきれないほどだったので、母さんたちは庭の周りの危ないところに鳴子をつけた。まるで忍者屋敷みたいに。
庭のそとに出ようとすれば鳴子が鳴る。山道を外れようとすれば鳴子が鳴る。鳴子の音で、知哉に危険を知らせるとともに、居場所の確認をしていたのだ。
ある日、知哉が遊んでいると、山道で同じ年ごろの男の子を見かけた。ちょうど一人で遊ぶのにも飽きていたころだったから、知哉はその子の後を追いかけた。
しかし、その子は山道を知哉よりも身軽に登って行き、あっという間に見えなくなってしまった。知哉は悔しくなって、夢中で後を追いかけた。急坂の険しいところもある山道をふんばって登り、とうとう頂上まで登り切った。一人で頂上まで来たのははじめてのことだった。
汗まみれでくたくたに疲れてはいたが、誇らしい気持ちでいっぱいになった。
木と草の生い茂った山頂を見まわすと、岩陰の祠の前で先ほどの男の子がぴょこんとお辞儀をしているところだった。
「おーい」
知哉は呼びかけた。
そのとたん、男の子は相当びっくりしたようで、飛び上がるとそのまま奥の急斜面の草むらに勢いよく突っ込んだ。
「たいへんだ」
知哉はあわててその場に駆け寄って、斜面をのぞきこんだ。男の子の姿はなかった。
ザザザザザと音のする方を見ると子ダヌキが一匹、斜面を転がり落ちていくところだった。子ダヌキはやがて体勢を立て直し、近くの木に飛び移ると山の中に消えた。
山を下りた知哉は、さっそくじいちゃんとばあちゃんに出来事を話した。
*****
「そうか、たぬきの子に化かされたかね。なんて、その時じいちゃんは笑っていたけどね、本当はもっとよく知哉の話をきいて、注意して見ていてやらなくちゃいけなかったんだ。お前の母さんが怒るのも無理はないよ」
ばあちゃんは記憶をたどるように遠い目をしながら、冷蔵庫をあけると牛乳瓶を取り出してよこした。
「まだ続きがあるの?」
ぼくが聞くと、ばあちゃんはもちろんだと頷いた。
「ここからが大変だったんだから」
ばあちゃんは珍しく話しずらそうな様子だった。何か考え事をしながら、インスタントコーヒーにクリープを山盛り入れてぐるぐるかき回している。
ぼくは、ばあちゃんから受け取った、冷え冷えの牛乳瓶の紙のキャップを引き上げながら、話の続きを待っていた。
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