第2話 「鬼の机の話」
まちにまった夏休み。ぼくは母さんとじいちゃんちにやってきた。
「あらやだ、昼寝石がないわ」
じいちゃんちに着くなり母さんが騒ぎ出した。
庭にあった、母さんお気に入りの石がなくなったというのだ。
騒いでいると、じいちゃんがやってきた。
「あの石なあ。ついこの間、学者先生が気に入って、持っていってしまったんだ」
母さんの目がぎゅんと三角になった。
「まさか…売っちゃったの?」
「そりゃあ、庭にあるのは全部売り物だもの」
じいちゃんは当たり前だというようにゆっくりとうなずいた。
じいちゃんちは植木屋だ。広い庭には樹木はもちろん、大きな石もたくさんある。
さっきから母さんが騒いでいるのは、庭の隅の五葉松の下にあった大きくて平たい石のことだった。母さんが子どものころによく昼寝をしていた石だそうで、じいちゃんちではそれを昼寝石とよんでいた。
「私のお気に入りの石だったの知っていたでしょ?それなのにどうして?信じられない」
母さんは未練がましく言った。
じいちゃんは手のひらで顔をつるりとぬぐった。
「どうしようもなかったんだ。石の意志だったんだから」
「いしのいし?ダジャレ?」
ぼくが首をかしげていると、
「石の意志ですって?まあ!ばかにして」
母さんがさらに眉をつり上げた。怒りでいまにもすぐそばの梅の枝をへし折りそうな母さんを、じいちゃんはまじめな顔で制して、ぽそりとつぶやいた。
「石は意志が強いんだ」
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じいちゃんの話によると、新しい石主となった学者先生は、もともと五葉松を見に来ていた。
松を見上げて、「見事な枝ぶりですね」と言ってから、ふとその下にある昼寝石に目をとめた。
「どうぞその石におかけになって、ゆっくり松をご覧ください」
じいちゃんは、学者先生を石に座らせた。
そして、自分も端に腰を下ろした。
その途端、じいちゃんの口から勝手に言葉が飛び出してきた。
「この石は、ちょっと特別なものなのです。大昔、鬼が平手で押しつぶして作ったものだという言い伝えがありまして、鬼の机と呼ばれております。もともとは奥州平泉にあったものです」
ひとすじの風が吹いてきた。
いつかどこかで出会ったことのあるような懐かしさを感じる涼風だった。じいちゃんは思わず目を閉じた。
すると、あたりが急ににぎやかになった。人々の足音や衣擦れ、話し声も聞こえる。
目を開けると、じいちゃんは見知らぬ木立の中にいた。背の高い杉に囲まれて、一軒の茶店が見えた。店先には、なんと昼寝石が置いてあり、古風な旅装束の数人がその石に座りくつろいでいた。
じいちゃんは驚いて、両手で顔をゴシゴシとこすった。
おそるおそる目を開けると、元通り、目の前には学者先生が座っていた。石に手を置き、感触を確かめている。
じいちゃんは首をかしげた。
「なんだこれは、おかしいな。鬼の机だなんて初めて聞いたぞ…」
じいちゃんの知る限りでは、この石は石巻でのり問屋を営むばあちゃんの実家にあったものだった。ばあちゃんが嫁に来た時に、どういう経緯だったかわすれてしまったが、一緒についてきたのだった。
そんなことを思い出していると、ふいに若い娘の後ろ姿が目に飛び込んできた。
じいちゃんは、口をぽかんと開けてしまった。
「これは…たまげた」
見晴らしのいい庭で石に座り、北上川の船の往来をあきることなく眺めているのは、まぎれもなく、若いころのばあちゃんだった。
「どうかされましたか?」
学者先生がじいちゃんの顔をのぞきこんでいた。じいちゃんはわけがわからなくなって、顔から汗がドバっと噴出した。ぼけてしまったのかしらと心配になった。
「今日は朝からやけに暑いですね」
腰から下げていた手ぬぐいで顔と首の汗をふきながら、何とか笑ってごまかした。
さっきから、変なことばかりおこる。昼寝石のせいだろうか?この石はそっとしておいたほうがいいのかもしれない。
「先ほどの石の話は忘れて下さい」
じいちゃんはそう言ってたちあがろうとしたのだが、磁石のように尻が石に吸い付いて離れない。それどころか、また口が勝手に動きだした。
「本来、この鬼の机は、その名の通り机として使うとよいのです。頭がさえて学問がはかどるといわれています。あいにくうちは、皆勉強嫌いで、机として使った者はおりませんでしたがね」
じいちゃんは慌てて口をおさえた。
学者先生は、話を聞いているのかいないのか、石に座りじっと考え事をしていたが、しばらくして顔をあげ、おもむろに切り出した。
「気に入りました。ぜひこの石をゆずってください。自宅の野外机として、藤棚の下において使いたいと思います。少し遠い土地なのですが運んでいただくことはできますか?」
「ええまあ」
じいちゃんは成り行きに驚いて、上の空な返事をした。
そして同時に、この石が母さんのお気に入りだったということを思い出した。
なぜなら、今まさにじいちゃんの目の前では、幼いころの母さんが昼寝石にねそべっていたからだった。
「亜希子、こんなとこでねていたらかぜひくぞ」
思わず声をかけようとして、我に返った。
しかし、そのときにはもうすっかり、石を譲る話がまとまってしまっていた。
***********
「あきれたわね。鬼の机だなんて。学者先生にインチキ言って売りつけたの?」
母さんはため息とともに言った。
「だましたわけじゃない。石に言わされたのさ。次々にあらわれた風景はきっと石の記憶の一部だったんだ」
庭の木々が風に吹かれてさわさわと揺れた。
母さんはまだ「インチキ親父め」などとぼそぼそ文句をいっている。
「この仕事をしていると感じる事があるんだ。一般的には動かないと言われているが、木も石も動く。自らの意志でどこへでも行くんだよ。植木屋は、その手伝いをしているようなものなんだ」
じいちゃんは手でつるりと顔をぬぐった
「あの石はあの時、あの学者先生を気に入ってしまったのさ。今ごろは、学者先生の家の庭で、先生の偉大なる研究を支えているに違いないよ」
そこまで言って、じいちゃんは何かを思い出したようだった。
「…そうそう、その学者先生の家、おまえたちの住んでいる町の方だったんじゃなかったかな」
母さんとぼくは思わず目を見合わせた。
「え?それどこ?詳しく教えて!」
じいちゃんはしわだらけの手でつるりとつるりと顔をぬぐいながらつぶやいた。
「ひょっとしたらあの石、学者先生というより、亜希子、お前について行ったのかも知れないなあ…」
母さんの目がまん丸に見開かれた。
「それなら納得!きっとそうよ。再会が楽しみだわ」
いつの間にか母さんの機嫌がなおっている。
やれやれだ。帰ったら、ぼくもその石に会いに行って見ようと思う。
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