第31話
夢の中のミハルはトリマーだった。
今日も大好きな犬の毛を刈っていく。
「店長、お客様からお電話です」
「じゃあ変わってくれる?」
従業員に仕事を代わってもらって電話を手にした。
「お電話変わりました。オーナーの大野でございます」
電話での丁寧な受け答えも慣れたものだ。
次の予約だと思って手元のメモ用紙を引き寄せたそのとき、ミハルの耳につんざくような女性の声が聞こえてきた。
『ちょっと! あんたのところはどういう毛の狩り方してんのよ!!』
突然聞こえてきた金切り声に受話器を耳から遠ざける。
「どうかいたしましたか?」
『うちのトイプードルのラブちゃんを丸裸にしたでしょう!』
トイプードルのラブちゃん?
あぁ、昨日私が担当した犬だ。
毛を狩る前に飼い主さんとは事前に話をして、足やしっぽに毛を残す必要はないと言われたはずだ。
「ですがお客様、それはお客様のご要望で……」
『なによ、こっちが悪いって言うの!? もう良いわ、あなたがやったことはちゃんと口コミ情報に書かせてもらいますからね!』
女性は一方的に電話を切ってしまった。
その後ミハルが何度声をかけても返事はなく、仕方なく受話器を置いたのだった。
夢の中のミハルは今度はパティシエになっていた。
「大野さん、見てくださいこれ!」
弟子である女性がミハルに賞状を見せてきた。
それは全国ケーキ選手権の最優秀賞と書かれている。
「すごいじゃない! いつの間にコンテストに出たの?」
「えへへ。コンテストに参加すること、黙っていてごめんなさい。でも自身がなくて、言えなかったんです」
「そうだったの。私もそのコンテストで最優秀賞をもらって、ここまで来たのよ」
嬉しそうに言うミハルに女性は真剣な表情になった。
「これからは、私も本気でミハルさんを追い越しに行きますから」
その言葉にミハルの心臓がドクンッと跳ねた。
弟子を取るということは、ここをいつか卒業していくと行くことだ。
わかっていたはずなのにかすかに焦りを感じた。
「もちろんよ。楽しみにしているわね」
ミハルは精一杯の笑顔を浮かべて、そう答えたのだった。
夢の中でミハルはモデルになっていた。
スラリと長い手足が出る衣装を着ている。
「いいねミハルちゃん! 可愛い! 最高だ!」
カメラマンさんが気持ちのいい言葉を投げてくれて、ミハルはどんどんポーズを決めていく。
こんなに気持ちよくなれる職業、他にはないわね。
10分の休憩時間に差し入れのチョコレートを食べる。
その時マネージャーの女性が気まずそうな表情で近づいてきた。
「ミハルちゃん。あんまり沢山食べないでね? 次は水着撮影もあるから」
「あぁ。そうだっけ?」
言いながらミハルは2個めのチョコレートを口に放り込む。
「チョコレートを食べるなら、お昼のお弁当はやめておいてね」
「えぇ!? お弁当食べちゃダメなの?」
ミハルは不服そうにマネージャーを睨みつける。
「これを見て」
そう言って見せられたのはさっき撮影したばかりの写真だった。
写真の中のミハルは美しくて可愛らしくて、自分でも惚れ惚れしてしまう。
でも気になる箇所があった。
タイトなスカートを履いての撮影だったのだけれど、下っ腹がふっくらしているのだ。
ミハルは慌てて自分の腹部へ視線を向けた。
気が付かなかったけれど、ちょっと太ってしまったかもしれない。
「わかった。お弁当は我慢する」
ミハルは大きなため息を吐き出してそう言ったのだった。
☆☆☆
「ミハル、早くよくなってね」
「目を覚まして、もう1度学校に来てね」
「ミハル」
「ミハル」
病院のベッドに横たわっているミハルの周りにはC組組の生徒たちが集まっていた。
みんな口々にミハルの名前を呼んで、1日でも早く目が覚めるように願っている。
「ミハルはどうして眠ったままなんですか?」
涙で目を赤くしたマイコが、ミハルの両親へ質問する。
「原因はわからないんだ。ただ、眠っているだけなんだよ」
父親の説明にマイコとチアキが目を見交わせる。
それなら呼べば起きてくれるんじゃないか。
肩を揺さぶれば起きてくれるんじゃないか。
淡い期待がよぎるけれど、どれももうやってみたことだった。
それでもミハルはまだ眠り続けている。
今の自分たちにできることは、毎日お見舞いに来て声をかけることだけだった。
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