第32話
☆☆☆
夢の中のミハルはトリマーだった。
あれだけ大好きだった犬に触れることができなくなって、店の奥で身を縮めている。
「またクレームの電話です! どうにかしてください!」
受話器片手に怒鳴り散らす女性社員。
しかしミハルは動けない。
予約でいっぱいだったお店は今日もお客さんはゼロ。
このままではお店は潰れてしまうだろう。
「私、もう限界です!」
女性従業員は受話器を叩きつけるようにして置いて、お店を出ていく。
ミハルはそれを引き止めることもできずにただただ耳を塞いでいた。
それでも聞こえてくる電話の音。
取ればお客さんからの怒鳴り声が聞こえてくるにきまっている。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
けたたましく電話がなり続ける店内で、ミハルは両耳を塞いで小さく小さくうずくまったのだった。
夢の中のミハルはパティシエだった。
ミハルは焦っていた。
新商品を作っても作っても作っても、売上が伸びない。
気分転換にお店から一歩外に出ると向かい側には新しくできたケーキ屋さんがあり、長蛇の列ができていた。
「数は沢山ありますので、押さないでくださ~い!」
店内から若いパティシエールが出てきて笑顔でお客さんたちに声をかけている。
それはミハルの弟子だったあの女性だった。
女性はミハルに気がつくと、ニコリと微笑んだ。
ミハルはぎこちない笑顔を浮かべて、そそくさを店の中へと逃げ込んだ。
彼女が店を出してから、『MIHARU』に来る客足はぐんと減ってしまった。
それも物珍しい最初のうちだけだろうと思っていたけれど、すでに開店から半年が立とうとしていた。
それでも客足は戻ってこない。
このままではこのお店は潰れてしまう。
次々と新商品を考えているものの、そのどれもがうまく行かなかった。
調理台の前に立ってなにも浮かんで来ないアイデアに下唇を噛みしめる。
「店長、ちょっといいですか?」
声をかけてきたのは1番弟子の男性だった。
彼には『MIHARU』の店舗の一つを任せている。
「なに?」
ミハルはイライラした声で答えた。
今は誰かに優しくなんてできる気分じゃない。
「実は店舗の売上が芳しく無くて……」
「そのくらい知っているわよ」
『MIHARU』の打ち上げが落ちているのは本店だけではない。
他の店舗のお客さんまで軒並み彼女のお店に取られてしまっているのだ。
「これ以上続けることは難しそうなんです」
「なんですって!?」
いくら売上が悪いと言ってもそこまでじゃないはずだ。
今まで沢山の常連客さんがやってきてくれて、ここまで急成長したのだから。
「もう無理なんです。MIHARUは終わりだ!!」
一番弟子の男性は表情を歪めて叫ぶように言うと、コック帽を脱ぎ捨てた。
ミハルはそれを呆然として見つめていたのだった。
夢の中のミハルはモデルだった。
少し体重が気になり初めてから、ダイエットをしている。
お風呂上がりの後に体重計に乗るのが日課だけれど、最近のミハルはイライラしていた。
「どうして減ってないの? ご飯は食べてないのに!」
表示されている体重が納得いかなくて、何度も計り直す。
それでも体重は少しも代わってくれない。
出てきた下腹は以前よりも目立つようになっていて、念の為に妊娠検査とかもしたけれど、陰性だった。
「ミハルちゃんのそろそろ終わりかな」
「25歳だもんな。代謝が落ちてきて太りやすくなってるんだろう」
「元々細かったから、本人もショックみたいだな」
撮影現場のスタッフたちがそう噂しているのが耳に入った。
なによ。
私よりも太い子なんて沢山いる。
25歳を過ぎてモデルをしている子だって、それこそ山のようにいる。
それなのに私はダメなわけ!?
食べられないストレスに加えて怒りが湧いてきて、ミハルはテーブルの上にあったお弁当箱をひっつかんだ。
ずっと食べたくて、でも我慢していた焼肉弁当。
開けてみると肉のいい香りが鼻腔を刺激した。
途端にぐーっとお腹が鳴って、我慢ができなくなった。
今までこんなに頑張ってきた。
食べたいものだって食べずにやってきた。
それなのに……!
悔しさに涙をにじませながら、箸を持つ。
肉を一切れ口に入れた瞬間、ミハルの中で何かが弾けとんだ。
これ以上食べちゃダメだなんて思えなかった。
もっともっとと体が欲しがっている。
そしてその欲求のままに箸をすすめる。
一口食べるごとにミハルの体は大きくなる。
気にしていた下腹だけじゃなく、太ももも、二の腕も、顔もぷくぷくと膨らんでいく。
それでも食べることをやめることができいない。
お弁当の半分を食べきるころにはミハルの体は空気がパンパンに入った風船のようになっていた。
そこにマネージャーが入ってきて、目を見開く。
「なに食べているの!?」
慌てて止めに入るマネージャーを突き飛ばし、ミハルはご飯をかきこんでいく。
やがてミハルの体は自分でも支えきれないほどになり、大きな音を立てて破裂したのだった。
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