焜燿の魔女エルトナキア

朽尾明核

Chapter.01 『乾き病』

ACT.01/女騎士カルラ


 人々におそいかかる非常な不幸が、人間の悲惨をつくりだすのではない。

 ただ、それをあらわして見せるだけである。

 罪と、力の威光。たましいのすべてをもってしても、

 人間の悲惨を知ることもできず、認めることもできなかったので、

 わたしたちは人間のあいだには差があるのだと思い込み、

 自分と他人を区別したり、

 他の人々の一部の人たちを特別扱いしたりして、

 公平を欠くようになった。

               (La Pesanteur et la Grâce / Simone Weil)






 少女は、悪夢を見ていた。

 目を覚ました瞬間に、何の夢を見ていたのかを忘れた。


 衝撃。痛み。

 ぼんやりと睡魔に半分浸食された脳で考える。目の前に転がるのは、大きな古い本だった。縦になった木の床と、それから、視界を横切るように机の脚が見える。


 また、やってしまった――。


 少女は後悔とともに立ち上がる。くあ、とひとつ呑気な欠伸。床に落ちている本を拾い上げ、机の上に戻す。


 夜遅くまで読書に没頭し、机に座ったまま意識を失い、そこからずり落ちる事で朝を迎える。この手の失敗をしたことは、一度や二度ではなかった。


 集中すると、とにかくほかの事が手に付かなくなる性格――サガ、と言ってもいい――は、彼女の通り一遍の努力では、改善の傾向が見られなかった。なので、彼女自身半ば諦めている、というのが現状だ。なんとかしなければならない、頭では理解しているが、行動が伴わないのだ。もう少し丁寧に生きるべきだという自覚はあるのだが……。


 少女は、大きく伸びをした。無理な体勢で寝た所為で、身体の節々が固い。それが『痛み』ではないのが、若さの持つ特権であることを、彼女はまだ知らない。


 のろのろとした足取りで、乱雑に散らかった部屋を歩く。うずたかく積まれた本の山。何かしらの液体が入っていた形跡のある硝子瓶。ミミズがのたうち回った後のような筆跡の走り書きがされた紙片。短く刈り取られた薬草の束。そういったものが無秩序に配置されている。【混沌】という言葉が具現化したような部屋だ。


 部屋の隅にある姿見を覗き込む。

 幽鬼のような顔が映っていた。太陽とは無縁の白い肌は、屍人のそれを連想させる。蛇のような金色の三白眼。睡眠不足によってもたらされる隈が一層濃い。ぎょろりとした三白眼と濃い隈が合わさって、凶悪な人相になってしまっている。ライラックを思わせる藤色のショートボブは、机の上で変な体勢で寝たために、頭頂部に寝癖がついてしまっていた。


(顔を洗って、寝癖を直さなければ――)


 部屋の出口へ向かう。移動の際、彼女の羽織っていたローブがひっかかり、本の山の一部が崩れた――舌打ち。

 散らかった部屋の惨状、原因はすべて自分にある。一〇〇パーセント自分が悪い。理解はしているが――理解をしているだけだった。片付けをしようと思い、思うだけの日々が続いている。


 崩れた本を元通りの位置へ戻し(つまり、また積み上げただけなのだが)、なんとか部屋の出口までたどり着く。



 扉を開けると、澄んだ空気が流れ込んできた。

 少女の住む家は、山奥に在った。

 周囲に集落は無い。木々が生い茂る森の奥、ひっそりと一軒家がたたずんでいるのだ。 

 彼女はそこで、世俗から離れ、隠れ住むように暮らしている。


 石造りの小さな小屋の脇には、井戸がある。寝起きの顔を洗うため、少女は水を汲んだ。冷たい井戸水が、顔を濡らす。眠気によって霧がかかっているような状態だった頭が、少しはマシになった。


 手ぬぐいで顔を拭く少女の耳が、あるかすかな音を捉える。

 蹄鉄が地面を蹴る音。

 誰かが、馬に乗ってやって来る。


 ――来訪者。


 少女は、小屋から伸びる道の奥へ視線を向ける。一本道だ。誰かが少女の家に訪れるとしたら、この道を通る他ない。


 ほどなくして、三頭の馬が姿を現した。それぞれの馬に、一人ずつ人間が跨がっている。

 三人の客は、小屋の近くに馬を停めると、少女の許へ近づいてくる。

 少女は、その様子を、ぼうっと眺めていた。


(わぁ、綺麗な人――)


 目を奪われたのは、先頭を歩く女性だ。

 年の頃は二十歳ぐらいだろうか、艶やかな、鴉の濡れ場色の髪が目に眩しい。長くまっすぐに伸ばされた黒髪。涼やかな、切れ長の青い瞳が印象的だ。すらりと通った鼻筋と、柔らかそうな桜色の唇。ほっそらとした顎の、なめらかなライン。


 女は、紺を基調とする、機能性を重視した革の旅装束に身を包んでいた。腰に刷いた長剣が、彼女の歩みに合わせて揺れる。怜悧な雰囲気。水に濡れた、抜き身のやいばのような、美しさと鋭さを兼ね備えた佇まいだった。馬から降りて、歩いているだけの所作にも無駄が無い。


 その立ち振る舞いから、おそらく軍人ではないか、そう少女は考えた。

 女の後ろをついて歩く、二人の男性についても、同じようなキビキビとした、そして、荒事慣れしているような気配を見て取ることができる。


 三人は、少女から少し離れた位置で、足を止めた。


「失礼する」女性は、そう言ってから頭を下げた。外見の印象からそう遠くない、落ち着いていて、少し低い声色。「恐れ入りますが、貴女は、〈焜耀こんようの魔女〉エルトナキア様でいらっしゃるだろうか?」

「あっ、はい……」


 少女はそう返事をした。しかし、自分の想像以上に声がかすれていて驚いた。聞こえているかどうか、ぎりぎりの声量しか出なかったので、慌てて何度も頷いて見せた。そういえば、もう長いこと他人と会話をしていなかった事を思い出す。


「お初にお目にかかる」女性が頭をあげる。「私は、〈アザリア剣誓騎士団〉所属の、カルラという」

「カルラ、さん」

「この度は、〈焜耀こんようの魔女〉殿のお力をお借りしたく、王都より馳せ参じた」


 カルラ、と名乗った女騎士は、再度深々と頭を下げた。そして、まっすぐ少女と向き合い、言葉を続ける。


「魔女殿。どうかその叡智と呪術により、我々を助けていただけないだろうか」




 †


 〈焜耀こんようの魔女〉――エルトナキアの許にこういった依頼が届くことは、珍しくない。


 彼女の持つ知識、また調合する薬を求めて、さまざまな客が訪れるし、エルトナキアは彼らとの取引を生業にして生活をしている。


 長引く病への処方薬、恋する異性への惚れ薬、または、異常に繁殖する植物への対処法、自分の村の作物の、実りをよくするための育成方法など。客の要望に対して、調合した魔法薬や、蓄積した知識を売っているのだ。


 だが、カルラという女騎士は、〈アザリア剣誓騎士団〉と名乗った。彼女の言葉が嘘で無いとすれば、剣誓騎士団は王国の持つ最高の武力機関である。


 で、あるならば。依頼主は、騎士団を動かせる者である――最低でも、貴族クラスが絡んでいるとみるのが妥当だ。


 ナキアも、貴族から依頼を受けたことは無い。

 魔女は、緊張から唾を飲み込んだ。


「あっ、じゃあ、その……立ち話も、あれですし……。中、入りますか……? 散らかって――」小屋の中の惨状を思い出した。とても他人を入れられるような状況では無い。「――散らかって、ますが」

「かたじけない」


 カルラは微笑む。振り返り、残りの二人に指示を出した。


「ディオルとゲーニスは、見張りを」


 二人の騎士は頷く。カルラよりも、下手をすれば倍近い年齢がありそうな、屈強な男の二人組だ。にもかかわらず、三人の関係性をみれば、どうやらカルラが指揮を執る立場にあるようだった。ナキアは、そのことに少なからず驚いていた。


(でも――『見張り』?)


 カルラの言葉に、軽いひっかかりを覚えながら、小屋の扉を開ける。


 小屋の中は、散らかっていた。


「あっ、散らかっていて、その、ごめんなさい。あの、すぐ片付けますので……」


 ナキアは慌てて散乱しているものを端に寄せようとした。


「いや、気を遣わなくても結構だ。魔女殿」


 カルラの態度から、どことなく切羽詰まったモノを感じたナキアは、とりあえず部屋をどうにかすることを諦めることにした。そもそも、多少手をつけたところで、客を招くに相応しいレベルまで回復することはない。で、あるならば、中途半端に片付ける意味もないだろう。どうしようもできない事に対しては、早めに見切りをつけられるのが、自分の長所のひとつだと、ナキアは思っている。


 そういうわけで、ふたりはテーブルを挟んで向かい合うように腰掛けた(当然机の上も本で埋め尽くされていたのだが、さすがにそれは床に降ろした)。


「お、お待たせしました……」ナキアは話を切り出す。「あっ、そういえば、どなたから、その、私の事を訊いたんですか……?」

「ライルの街の商人。ドザン殿より紹介をいただいた」


 カルラはそう言うと、懐から一枚の木札を取り出した。掌の上に収まるほどの小ささで、表面には幾何学的なまじないの文様が書かれている。女騎士は取り出した札を、テーブルの上に置き、ナキアに差し出す。


「ドザン、さん……」


 ナキアは、木札をいじりながら、記憶をたどる。名前に聞き覚えがあったが、どういう人物だったかをいまいち思い出せない。

 木札は、確かにナキアが作り、呪文をかけた物に違いなかった。


「港町を拠点に、魚などを売っている、行商のご老人だ。大柄で、こう――髭が特徴的だったかな」

「ああ、カール髭の人ですね。思い出しました……」


 ナキアは頷く。一年ほど前だったか、ナキアが外出した際、とある村で偶然に出会い、仕事を依頼してきた商人だ。新商品として売り出そうかと検討している魚卵の塩漬けを、どうにかして内陸部まで保たせる方法は無いかと聞いてきたのだ。味は良いが傷みやすいその商品を、新鮮なまま遠くの町で売りさばくため、ナキアの知恵を借りたいとのことだった。


「元気そうでしたか……?」ナキアが尋ねる。軽い雑談のつもりだった。

「いや」

「えっ――」


 否定されるとは思っていなかった。


「深刻な『呪い』に臥せっている。おそらく、もう長くは無いだろう。魔女殿を紹介していただいたのが、二週間ほど前になるが、もしかしたら、既に――」

「そんな……」


 記憶の中のドザンは、病という言葉とは対極と言っていいほど健康的で、溌剌とした人物だった。元漁師で、声が大きく、明るく、身体も大きい。引きこもりがちな自分とは正反対だなと、ナキアは思ったのである。


「呪い、だなんて……」にわかには、信じられなかった。

「その呪いが、今日、私がここに来た理由でもある」カルラが、ひとつ息を吸った。「〈かわやまい〉と、そう名付けられた」

「新しい、呪い……」

「解呪の方法も、術者も不明。致死率も高く、手の施しようが無い。港町ライルは、誇張ではなく、この呪いのせいで、滅びかけている」

「まさか――」

「そう。魔女殿。〈焜耀こんようの魔女〉エルトナキア殿。貴女には、この〈渇き病〉の解き方を、見つけていただきたい」



 †


「最初に呪いの犠牲者が出たのは、三か月ほど前。港町ライル――先のドザン殿が拠点を置いていた町だ」


 カルラは、ナキアに解いてもらいたいという『呪い』について説明を始めた。


「たしか……、結構大きな町でしたよね」

「そうだな。近隣の諸外国との交易も盛んだ。もっとも、呪いによって今は見る影もないが」カルラは目を伏せる。「三か月前、住民の内何名かが発熱と腹痛を訴えた。症状としては、そこから、下痢、嘔吐、精神錯乱――特に特徴的なのは、『喉の渇き』を執拗に訴えることだ」

「それで、〈渇き病〉」

「ああ。だが、水を与えても与えたそばから吐き出してしまう。それでも水を飲もうとする。次第に暴れ出すようになる。水以外の食物も受け付けず、衰弱し、早ければ三日――長くとも二週間以内には死に至っている」

「そんな……」

「そこからは、芋づる式だ。この呪いは、人から人へ伝播する。老いも若きも区別なく、多くの者が呪いに斃れた。二ヶ月経つ頃にはライルは町の様相を保てなくなった」

「術者が誰かはわかってないのですか」


 ナキアは訊いてから、先ほどのカルラの言葉を思い出した。この呪いをかけた者、術者は不明だと言っていた。


「そうだ。現地に赴いた聖東教会の関係者が聞き込みをし、呪いが流行する前に不審な女が町をうろついていた、という情報を手に入れたらしいが――特定には至っていない」

「そう、ですか……」

「聖東教会も、有効な解呪手段を見つけられていない。打つ手が無いと言って良い」カルラは、そこで一つ区切りを入れると、再度、まっすぐにナキアの瞳を見つめる。「エルトナキア殿、今一度お願いする。どうか我々に、手を貸していただけないだろうか」


 ナキアは口許を手で抑える。考えを整理する際の彼女の癖だった。


「――ひとつ、確認してもいいでしょうか」

「勿論だ」

「今回の依頼は、騎士団の方からの依頼――ということになりますか?」


 カルラは、首を横に振る。そして、懐から、一枚の書状を差しだした。


「申し訳ない。隠していたのは、依頼主を知ったら、魔女殿が断り辛くなってしまうと思ったからだ」


 ナキアは、渡された書状を裏返す。


 思わず、吹き出しそうになった。


 書状を留めている封蝋。それが、王家・・の紋章だったからだ。

 震える手で封を開け、内容を検める。書状には、さきほどカルラが説明したのと同じような経緯と、依頼を達成した場合の報酬についてと、それから――依頼主のサインが施されていた。


「そう」カルラは言った。「今回の依頼は、第八王子である、ディルヘルム・XXXX・ハーザイト様より承ったものになる」


 貴族どころの話では無い。王家からの依頼。ナキアは書状を丁寧に畳むと、大きく息を吐き出した。


「言うまでも無く」カルラが口を開く。「今回の依頼は、かなり危険な物になる。〈渇き病〉に魔女殿が感染するリスクや、教会からの妨害であったり」

「……『妨害』?」

「そうだ。今回の対処については、円卓議会の中でも意見が分かれている。教会派は、魔女を殺すべきだと、そう主張している」

「……術者の魔女を探して、という意味では無く?」

「手当たり次第、だな――魔女狩りだ。術者の魔女を殺せば、呪いは解けるのだろう?」

「そういうタイプのじゅつもある、というだけですね。術者を殺しても、解除されない呪いもあるので。ケースバイケースです」

「常日頃、聖東教会は魔女を快く思っていない。今回の呪いを渡りに船と思っている節もあるのだろう。片端から魔女を殺し、呪いが止まれば万々歳。止まらなくとも――魔女の数は減らせる、とな」


 カルラは自分で言っていて気分が悪くなったのか、眉をひそめる。


「円卓議会は、派閥間の牽制やらで、まだ結論を出せていない。故に、ディルヘルム様が先んじて、魔女殿への協力を仰ぐために動いた訳だ」

「あくまで、個人的な依頼だと?」

「そういうことになる」カルラは頷いた。「だから、魔女のことを良く思っていない教会が妨害――いや、言葉を選ぶのはよそう――最悪の場合、魔女殿の命を奪いにくる可能性も、十分考えられる、というわけだ」

「なるほど……」

「だから、危険な依頼になる。ディルヘルム様からも、くれぐれも強制的に協力を仰ぐことはしないように、と指示を受けている」

「はい」

「無論、依頼を受けていただけるなら、我が命に賭けて、魔女殿には指一本触れさせないと誓おう。しかし、それでも――無理強いはできない」

「わかりました」


 ナキアは、目をつぶった。

 しばらくしてから、カルラに向き合う。


「このたびの依頼、お受けいたします」

「――宜しいのか?」

「はい」

「そうか……」カルラが破顔した。「ありがとう。危険を顧みず、民を救う手助けをしていただけること、私は敬意を表する」

「やめてください」ナキアは肩を竦める。「そんな立派な志じゃないですよ。理由は別のところにあります」

「別のところ?」

「ええ――」


 ナキアは先ほど渡された書状を開く。

 そこに書かれている、『報酬』の部分を指さしてみせた。


 王家からの依頼は、報酬も桁違い。いままでナキアが受けた仕事の中で、一番報酬が高かったものと比べても――比べものにならないほど破格の金額が記されてる。


「お金に釣られただけです。現金な人間なんですよ。私は」

「そうか」カルラは、くすりと笑った。「では、そういうことにしておこう。理由がなんであっても構わない。魔女殿――よろしく頼む」


 女騎士は、手を差し出した。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 魔女は、差し出された手を握った。


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