きっと来ない君を待つ

「春陽には他にいい人いるって。もう別れなよ」

 相談すれば友達にも家族にも否定される彼は、今日も待ち合わせ場所に来ていない。まだ三十分前だから、仕方ないかな。頭に入らない単語帳を、化学の教科書に切り替えた。きっとたくさん待つから、文章のほうが時間を考えずに済むかな。

 そんな考えも虚しく、わたしは今日も一文読むたびに顔を上げて彼の影を探してしまう。今日は五分前に着いた。絶対に遅刻すると思っていても、「もしかしたら今日は来てくれるかもしれない」と思うと遅れられない。最近は彼が四十五分遅れるのを見越して待ち合わせ時間を決めるようになったけれど、わたし自身は遅れられない。

 もし彼が約束通りの時間に来ているのにわたしが間に合わなかったなら、来ないわたしに愛想を尽かして帰ってしまうかもしれない。「帰る」って連絡もくれない人だから、充分にありえる。それにもし彼が約束通りの時間に来ているのにわたしが遅刻していたら、たとえ彼が帰らなかったとしても、彼との時間の損失だ。わたしには耐えられない。わたしは一秒でも長く彼と一緒にいたいのに。

 単体では不安定なハロゲンがハロゲン化物や分子になって安定する項目を読んでいると、ふと気配を感じた。十メートル先を彼がゆっくりと歩いていた。ダウンのポケットに両手をつっこんだ気だるげな姿で、寝癖も立っている。今日も四十五分の遅刻だ。ここまできっちり四十五分遅刻だと、もう笑ってしまいそうになる。

「こんにちは。お昼寝してた?」

 同級生と話すには少しお堅い挨拶で、わたしは笑ってみせる。

 ――でもね、ごめん。

 今日もわたしは、寒かったよ。五十分待たされた体よりも、心が。四十五分遅れてもかまわないと君に思われていることが、とても悲しくて凍えそうだったよ。

 ――ねえ、気づいて。

「お昼ごはん、もう食べた?」

 ランチの約束をしていたのに昼食を食べてきた君の鈍感な横顔へ、わたしは気持ちを投げつけることもできなかった。それでもいいと思えるくらい、なぜだか君が好きだった。

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