起――2

「生徒会の仕事が終わったはずのこの部屋を不当に使用する、ってのは毎度のことながら中々に背徳的だよね。生徒会副会長的にはそこの所、実際どう思ってるの?」


「どうもこうもねぇよ。罪悪感も背徳感もないね。必要な行為に必要な場所を使っている。アタシの行動は正義だ、それが不当だって言うんなら間違ってんのはルールの方だぜ」


「わお、実に主人公的発想、柔軟性はあるけど暴力的。正しさの前には嘘や偽りすらも悪徳ではなく抜け目なさとか機転の良さとか言われるアレだ。まさに正義そのものだね。完全に強者側の意見」


 施錠されていた生徒会室。完全下校時刻を前に忘れ物を理由に職員室から鍵を借り受けた我が親友は、悪辣なるワタシの問いに平然とそう答えてみせた。

 彼女が『主人公』だったのは、強者として正義としての立場を語れたのはもう4ヶ月以上も前の話なんだけど、彼女の価値観自体は変わっていないみたい。


 そりゃそうか。

 若いとはいえ10年以上もかけて培われた人格が、価値観や判断基準がそう変化するはずもない。それがたとえ、主役の座から一転一般市民の立場に貶められるようなモノであったとしても。それも、『主人公』だったほどの強靭で脆弱なるユキネのメンタルだ。


 逆に、一冊の本とか一本の映画とか、誰かの些細な一言で人生を変えられるなんてことも起きるのが人間なのもまた事実なんだけど。不思議。


「さて、それじゃあ今回の不幸を、悲劇を紐解こうか」


「早速本題か」


「もちろん。移動とか鍵の受け渡しとか、そういうので時間使っちゃったから。ちゃんと時間通りに下校するには施錠とか鍵の返却とか、そういうのも換算すると推理の時間は10分と少ししかないからね」


「そんだけありゃあ、ミライちゃんにゃ十分すぎるだろ」


「そうだね」


 備品のパイプ椅子に座って目つきの悪い眼差しをこちらに向けてくるユキネ。体勢としては椅子の上に胡坐。ジェンダーフリーなこのご時世にとやかく言うのも無粋というものだけれど、なんともまあ男らしい座り方だ。

 対するワタシといえば、生徒会室の机の端に正座。行儀が良いのか悪いのか分からないこの姿勢が実にワタシ好みだ。木製の硬い机が直に足に触れるために少し痛むのが厄介だけど、それでもこの些細で粗末な、だれも不幸にしない悪いコトをしているという実感が美味。


 その姿勢のまま、ワタシは今回の悲劇こと野球部金属バットすっぽ抜け事件、その詳細をホワイトボードに書きつつ語り始める。


「時刻は6時前後。うちの学校は部活終了が6時半までだから、野球部は本来なら活動を終え初めてクールダウンのストレッチとかボールとかバットの撤収作業をしているかどうかって時間帯」


「言って、うちの野球部はまともに練習時間守らねぇじゃねぇか。生徒会でも議題になるほどだぜ?」


「そうだね。ま、去年ギリギリ甲子園に手が届かないくらいの成績だったみたいだし気持ちは分からなくはないけど。だから、日が落ちかけて来ていたこの時間帯でも練習は続けられていた」


 黒いインクのペンでホワイトボードに文字を刻む。


 東条正樹。


「今回の悲劇の直接的な被害者、東条正樹くん。ワタシ達と同じ2年生で、球児としての実力は良くも悪くもない外野手。学業の成績は中の下から中の中くらい。中学時代に多少荒れてた時期はあるけど、この学園内においては特に目立った素行不良はなし。ちなみに、彼女が最近出来たみたい」


「最後のヤツ、いるか?」


 宮本祐樹。


「そして、加害者となってしまったのがこの宮本祐樹くん。同じく2年生で、正樹くんよりは野球が上手みたい。レギュラーになれるかは微妙なラインの捕手。いわば、2番手3番手を務めるかなって感じ。相性の良い投手がいたら捕手とバッテリーごと交代、ってのが野球ではあるみたいだけど、そういう決まったパートナーもいない。成績ははっきり言って悪い方、でも赤点とか補習とかは回避してる。こっちも素行不良はないね。あと、中学時代から付き合ってる彼女アリ」


「最後のいらねぇだろ、やっぱ」


 そして、両者の名前を線で結ぶとその下に新たな文字を書き加える。


 打撲。軽傷。


「今回の不幸は本当に些細な事故、不運。被害者の正樹くんは骨折もしていなければ選手生命に関わるような怪我を負ってすらいない。金属バットだからね、当たり所が悪ければ被害はもっと大きくなったてたかもしれないけれど不幸中の幸いというか、いい感じに肩の筋肉の上だけに衝撃がいったみたい。結構痛かっただろうけどね」


 それを書くと、ワタシはペンにキャップを被せてホワイトボードの下の受け皿みたいな所に放り投げた。

 それを見て、ユキネは首を傾げる。


「……それだけか?」


「うん?」


「推理に必要な情報はそれだけなのか?」


「うん」


「いや、明らかに少ないだろ。2人とも、同じ野球部ってだけで関係性が見えてこねぇ。被害者が被害を受ける理由も、加害者がそれを行う動機もねぇ。それこそただの不幸、不運な事故でしかねぇ」


「事故、ではないね。これは人為的に、作為的に発生した不幸だよ。それも『裏生徒会』絡み」


「だったら猶のこと、情報不足だろうが。『裏生徒会』絡みってんなら、必ずどっかしらにフィアーズ・フェノメノンが関わっている。正樹と祐樹、どっちもソレの情報がねぇじゃねぇか」


「あのね、ユキネ。ワタシ達がするのは不幸の解明、原因の追究だけどね。それは不幸を引き起こした相手を罰するためでも今後の被害を出さないようにするためでもないんだよ。ただ、ワタシが知りたいから。それだけ。だからこそ、確たる証拠なんていらない。推測、憶測、推理で十分」


「……つまり、いつものように情報は推理できる最低限」


「そう」


「ってことは、逆に『今回の不幸の原因を解明するのに彼らのフィアーズ・フェノメノンはいらない』」


「そう」


「けれど、『裏生徒会』絡みだからフィアーズ・フェノメノンはこの不幸に関わっている」


「そう」


「……あぁーっ! やっぱ情報不足だろこんなの! つまり『不幸の加害者』と『不幸の原因』は別ってコトじゃねぇか!」


「正解」


 ワタシは赤いペンを掴むとそれでホワイトボード上に真犯人と書きなぐった。乱雑な文字で赤々と。

 そして、なるべく露悪的な表情でユキネに問いかけた。


「ヒント、いる?」


「うっわ、すっげームカつく顔…………いる」


「素直でよろしい。ユキネは可愛い」


「うっせ」


「今回の不幸で重要なのは、結果。でも、正樹くんが怪我を負ったって結果じゃない」


「……あ?」


「この不幸の核だよ。一見被害者の正樹くんのほうに目が行っちゃうけど、不幸になってる人物はもっといるよね?」


 具体的な人数までは言わないけど。だって、結構な人数だもの。

 そして、不幸があれば幸せもまたある。


「フィアーズ・フェノメノンが関わっている以上どのようにして不幸を引き起こしたのかを考えるのははっきり言って無駄。だから、この不幸で逆に幸せになった人間を探してみればいいよ」


 フィアーズ・フェノメノン。

 超簡単に言うと、文字通り超能力。心の傷、トラウマ、恐怖心、コンプレックス。そんな負の心が現実に影響を与える謎の現象。多くは10代から20代にかけてのみ現れる超能力。幸せになったり、克服したり、諦めたり。大人になるにつれて失われていく不思議な力。


 人の心の在り方と同じでその能力は文字通り千差万別。不幸であれば、傷ついていれば、弱ければ。それだけ強い力を持つという矛盾した力だ。そしてその能力は心の傷やコンプレックスと強い結びつきがある。


 要するに、弱い人間だけに与えられたなんでもありかもしれない特権。

 自分の弱さを周囲に振りまく代償に扱うことの出来る異能。


 ま、そんな面白手品みたいな能力の解説はさておき。そういうのは、ワタシみたいな悪童じゃなくってストーリーの本筋になるような『主人公』のような誰かか解説するべき事柄だし。それに、ワタシはこのフィアーズ・フェノメノンとかいう欠点持ってないし。

 重要なのは、この世の少年少女は基本なんでもありだから、どのように事件を起こしたか考えるのは無駄という1点だけ。


「不幸の中の幸せ、ねぇ……」


 悩むユキネにもう1つ、ワタシはヒントを口にする。


「例えば、正樹くんの彼女さん。付き合いたての彼氏くんが部活ばっかりに夢中になって自分を構ってくれないなんて、結構なストレスだと思うよ?」


「はぁ? 自分の彼氏を怪我させてでも自分に構って欲しいってか? とんだニーディガールだな」


「好きな人の幸せよりも自分の幸せを優先したってだけでしょ。どこにプライオリティを置くのかってだけに過ぎないよ。誰もがユキネみたいに強くない、誰かを不幸にしてでも自分が幸せになりたいって願うことはユキネが思ってるよりも普遍的な話」


「間違ってるだろ」


「間違ってる、正しいの問題じゃないの。間違いだって分かってても間違えちゃう弱い人だっているんだよ」


 『主人公』だった強いユキネには、弱い『悪役』の気持ちなんて分からないかもしれないけどね。


「とにかく。今ユキネが考えるべきなのは善悪とか正しさとかじゃなくって、まずは不幸の引き金を引いた人物が誰なのかってとこ」


「その言い草じゃ、まるでミライちゃんはもう事件の真相に辿り着いているみたいだな?」


「辿り着いてないよ。本気で考えたらすぐ辿り着くけれど、意図的に思考を鈍化させて必要な情報がどれなのかを選別しただけ。だって、せっかくの不幸だから。ゆっくりじっくり美味しく戴かなくっちゃもったいない」


 ゆっくりと。そしてじっくりと。

 今回は制限時間付きだし、ワタシの直感が正しければ当事者達への確認は明日以降になるだろうから、それこそ推測の域の宙ぶらりんな結論で今日を終えることになりそうだけど。

 だからこそ、ワタシは不幸に慣れて答えをすぐに出せる自分の脳ではなく目の前の親友の脳を用いて推理する。


 無駄で、無意味で、無価値な行動。でも、趣味ってそういうモノだよね。


「不幸の裏側の幸せ……とりあえず、その正樹の彼女が候補外なのは確かだな」


「どうして?」


「ミライちゃんが真っ先に出した例だからだ」


「……そういう、ワタシの人柄から答えを推測するのは良くないと思うな」


 例えるなら、テストでこの先生は選択問題を出す時2が正解の時が多いな、なんて理由で解答するような蛮行だ。

 ミステリー、推理にそういう部分を使っちゃうのは邪道だとワタシは思った。


 ……まぁ、正樹くんの彼女さんが犯人じゃないってのは正解なんだろうけれど。


「今回の不幸で幸せになるヤツ……正樹に恨みを持っているヤツ、は除外だな。同様に祐樹の方もだ」


「その心は?」


「推理に必要な情報に恨みを買うような内容がない。それに、どっちも野球部じゃレギュラーじゃない。祐樹の方はスタメンで出ることもあるかもだが、それもあるかもって程度。その程度で祐樹を陥れる訳がない」


「その程度、で悪事をする人間はごまんといるよ。少なくとも祐樹くん側は陥れられる謂れがあるんじゃないかな」


「理由はもう1つ。陥れるにしては被害が小さすぎる。金属バットだぞ、それも日ごろから運動している男子が振るった金属バットだ。正樹に大怪我……場合によっては殺すことだって出来たはずだ」


「そうだね。野球部における重大なインシデントだったってのは間違いない。一歩間違えば大惨事だったかも」


「陥れることが目的ならもっと被害は大きい方が良い。犯人のフィアーズ・フェノメノンの能力が分からない以上、そもそも被害を大きくすることが難しかった、って可能性もあるがな」


「いいね。可能性を捨てないのはいいことだよ。それに事故の加害者の方をしっかりと『不幸の被害者』として捉える発想もいい。ユキネも大分ワタシの思考に染まって来たんじゃない?」


「……そりゃ、こんだけツルんでたらな」


 ユキネはそう言うと、チラリと時計を確認した。

 残り時間は5分を切っていた。厳密にはもう少しあるのだけど、生徒会副会長という立場の彼女は下校時刻には縛られるらしい。ワタシ的にはルールはバレなければ、そして誰にも被害が出ないのであれば存分に破っても良いと思うのだけど。

 それに、嘘を吐いて生徒会室を利用するのはよくても下校時刻を破るのは良くないという彼女の価値観も不可思議だ。実に人間らしくて好ましい。


「そんで、重要なのは怪我を負った以外の結果だって言ったな」


「うん」


「怪我以外の結果。つまり、怪我を負わせたって結果だ。どうだ?」


「正解」


 ワタシは机から降りてホワイトボードの文字をクリーナーで消していく。それを終わらせると、ユキネにあざといまでの笑みを浮かべながら振り返った。


「じゃ、続きは帰りながら答え合わせといこうか。タイムアップ……って訳じゃないけど、時間には余裕をもって行動したいもんね。帰ろっか」


「…………」


 ユキネは無言で生徒会室の鍵をワタシに投げつけてきた。


「おっと」


 パシッ、と軽い音を立ててそれをワタシはつかみ取る。


「鍵、ミライちゃんが返しに行けよな」


「えぇー、なんで」


「アタシは先に下駄箱行ってる。そのちょっとの時間でもうちょい考えるわ」


 そう言うと、彼女は本当にワタシを置いて先に生徒会室から出て行った。

 カバンとか、その手の荷物も全部置き去りにして。


「……不自然じゃん、理不尽じゃん。忘れ物したユキネの荷物をワタシが持って、職員室までここの鍵返しに行くの……? えぇー……?」


 それに、自分のと合わせて2人分の荷物は普通にかさばる。


 可愛くてひよわなミライちゃんで通っているワタシになんてことを。ユキネは親友をなんだと思っているのか。


 まったく、仕方ない親友だ。

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