第3章 勇者と異世界アンチ

第二十二話「くたびれた勇者」

卑怯者は千たび死す。勇者は一度のみ

──シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」


「ハザンさん。ハザンさん」

 頭上から、聞き覚えのある女の声が聞こえる。ああ、受付嬢か。


 体が鉄のように重い。 

 昨夜は飲みすぎた。まあいつものことかもしれないが。

 呼びかけを無視していると、細い指が肩を掴んで体を揺らしはじめる。


 ハザンは顔を歪めた。

「やめてくれー。頭が揺れるー」

「人が来ましたよ。ハザンさんに用があるみたいです」


 一晩中酒を飲んだ挙げ句、ギルドに併設された酒場のカウンターに突っ伏して眠っていたので、腕が痺れているし、頭がズキズキと痛む。

 受付嬢の手を迷惑そうな顔をして払い除けると、目を細めながら体を起こした。


 朝の光が眩しい。何度も瞬きしながら、ようやく細く目を開けると、フルプレートの鎧を身に着け、剣と盾を背負った若者が眼の前に立っていた。

 ハザンは思わずため息をつく。


「ハザン様、エドワード陛下より伝令がございました。すぐに城に来るようにとのことです」

「だろうな。その盾が目に入った瞬間にわかったよ」

 ハザンは、ブレイブ王国正規兵のあかしである、縁(ふち)を赤黒く塗ったカイトシールドを指して言った。


「とはいっても、流石にこの格好で王様に会うわけにはいくまい?」

 自分の服装を見下ろした。ズボンには穴が空き、シャツは汗と血で汚れていた。


「エドワード陛下より、服装などの細かい事は気にしないので、すぐに連れてきてほしいと承っております」

「なるほどな。しかしまだ酒が抜けてないんだ。この状況で王様と会っても果たして満足の行くやりとりができるかどうか」

 若者は懐から液体の入ったビンを取り出すと、ハザンに渡した。


「こちらは、酔い冷ましとなります。外に馬車を止めておりますのでお連れさせていただきます」

「ありがたいね。ご親切にどうも」

 ハザンは皮肉げに笑いながら言った。


 王からの伝令を過去何度かバックレて以降、毎回こういった曲者が迎えに来るようになった。

「あ、トイレ」

 馬車に乗り込んだ瞬間そう言うと、若者は迷うことなく、座席の下から壺を出した。

「はは。冗談だよ。引っ込んだわ」

 ハザンは顔をひきつらせて笑った。

「それは良かったです」

 若者は目の端にシワを作って笑いながら、速やかな動作で壺をしまった。


 それから一息つくまもなく、目的地についた。

 ギルドから城までは、そもそも馬車など使う距離ではないのだ。

 門番にも話はしてあるのだろう。若者が窓を開けて少し顔を見せるだけで、入り口の門が開いた。


 すぐに王の間に通される。


 エドワードは、ハザンの格好を見ると、笑いを堪えるように口を抑えた。

「よくきたな」

「なんせ馬車まで用意してくれたからな。お陰ですぐ来れたよ」


 エドワードは、ハザンの後ろに立つ遣いを見ると言った。

「悪いがここから先は二人だけで話したい。下がってくれないか」

「承知しました」

 若者はドアを開けて素早く退散した。ドアのすぐ側に立っていた護衛の騎士も、王がその顔を見てうなずくと、若者のあとに続いた。


 分厚いドアが静かに閉まったあと、エドワードは口を開いた。

「わかっていると思うが、これから私が言うことは、他言無用に願う」

 ハザンは分かっているとばかりに、無言で小さく頷いた。


「まだ確定ではないが、この国に剣を持った勇者が現れた可能性がある」

「勇者っていうと、あれか」

 ハザンは王の間にあるステンドグラスを仰ぎ見た。

「そうだ。女神から異能を授けられ、魔王を倒すためにこの世界に現れる勇者だ」

「なんでそれがわかったんだ?」

 ハザンは尋ねた。


「アデクの、お前の父の証言だが、見慣れない衣服を着た若者が、とてつもない切れ味の剣を金貨五枚で売ったそうだが、気づかぬ内に、その剣がなくなってしまったらしい。古くから伝わる女神の伝承と一致する。女神の与えた武器や能力は、勇者から離れようと、必要なときには必ずその手元にもどってくる」

 ハザンは孤児であり、武器屋のアデクはその育ての親だった。元々冒険者をやっていたのが、ハザンを引き取るにあたり、安定を取って引退し、武器屋になった。


 ハザンが冒険者をやると言い出したときには大反対し、勘当するとまで言い放ったが、ハザンの才能が目覚めた後は、うやむやになっている。ただ近頃は顔を見るたびに、いつ引退するんだと聴かれるため、ハザンはアデクの店に行くのは避けていた。


 まあそんなことはどうでもいい。エドワードの話を聞いて、いま、ハザンの頭の中では、奈路が想起された。カルマイと戦ったときのあの素人じみた構え。にも関わらず、|易易(やすやす)とカルマイの大剣を斬った。あの剣の異様さ。


「それはめでたいな」

 しかし、そのことは表情に全く出さず、ハザンはエドワードの言葉を全く信じていないし、興味もないという風な調子で言った。


 エドワードは構わず続けた。

「今、魔王と呼ばれている存在が、かつて勇者であったことは、この国の、いやこの大陸の誰もが知っているだろう。あまりにも強大な|能力(ちから)を持つと、人はそれに溺れてしまうんだ」


 エドワードの父リチャードはまさにその元勇者、現魔王に殺されたのだ、その言葉は重かった。

「それで、俺に何を頼みたいんだ」

 ハザンは尋ねた。


 エドワードはしばらく黙ってハザンの目を見つめたあと、口を開いた。

「勇者を探して観察し、その人物を見定めてほしい。力に溺れるものか、そうじゃないか」

「もし、力に溺れるものだったらどうすればいい?」

「それはお前に任せる。だが、どのような結果になろうと、支援をすることは約束しよう」


 ハザンはため息を吐いた。それは「力に溺れる人物だったら、勇者を殺しても構わない」という意味だった。

「承知した」

 話が終わると、すぐにハザンは部屋から退散した。


 ドアの前で待っていた騎士に「お送りします」と言われたが、「いや、帰りはゆっくり歩きたいんだ」といって丁重に断った。


 急に物騒な世界になったな。


 ハザンは城門を出ると、空を見上げた。

「奈路、お前はどっちだ」

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