第20話 彼女が彼女になるまで(2)【F-EX-2】

 ヒトを模倣して、成長をしたのは失敗だったかしら。 でも、ヒトと新しい関係を築く時には効果的だわ、とカシスは認識を改め、面会者のフォームにサインを済ませる。リノウムの床を歩いて坂下の病室に向かう。並んでいる病室はどれも一人部屋だが、一日か二日ほど家族が寝泊まりできるにはものが充実している。旅立つ者を見送る施設としてみると力不足かもしれないが。

 不老化処置を受けた人間は寿命が近くなるにつれて、睡眠時間が長くなる傾向がある。昼寝の時間が延び、回数が増え、やがて、1日の大半を眠って過ごすようになり、最期は永遠に目を覚さなくなる。それは坂下自身からも説明があったが、実際に体験すると勝手がまるで違った。

 病室には他の面会者はおらず、部屋には医療カプセルの動作音が定期的に響いていた。カプセル横の椅子に腰を下ろして、カシスは坂下の顔を覗き込む。家でも見たことのある寝顔がそこにはあったが、とても遠くに感じられる。ここに座るたびに自分の無力さを思い知らさせる。

 避けられない別れが、終わりが、死が、迫る気配がする。人の終わりを見届けるのがこんなに苦しく、辛いだなんて知らなかった、知りたくなかった。自然と膝の上においた手に力が入り、スカートに皺を作る。


「もっと、いろんな話を聞かせて欲しい。いろんな物を見せて欲しい……それだけなのに……」


 これが失われていくという感覚ね、とカシスは心の中でつぶやく。坂下がいろんな物を見せていることの一部だと彼女が気付くのは何年も経ってのことだった。


 数ヶ月ぶりに坂下命は覚醒した。


「……これが最後の目覚めね」


 他人事のように坂下は呟き、そして、苦笑いした。ずっと、やりたいようにやってきた坂下にとって、今日で終わりだとしても、焦りや後悔はない。ただ、カシスに悲しいという感情を教えられたかどうかだけが気がかりだった。おそらくは、カシスは人の前で泣いたり、大きく取り乱したりしないだろう。


「私たちに似てしまったのでしょうね、きっと」


 坂下もハガラズも人前で泣かない主義だった。それが移ってしまったのだろう、と坂下は医療用カプセルから起きると、縁に腰をかける。伸びをしたりして、身体の調子を確かめる。定期的に電気刺激が与えられていたおかげで、筋力はほとんど落ちていないようだった。

 カプセルの開放に連動して方々に連絡が入っているはずだ。意図したように連絡が行われ、30分もしないうちに病室は坂下の同僚から友人、知人で溢れかえった。


「おいおい、ここはパーティ会場か?」


 入り口付近からハガラズの声が聞こえる。人をかき分けて坂下の元にたどり着いたハガラズは大きくため息をついた。その後ろからカシスが姿を現した。


「久しぶりね、命」

「ええ、久しぶりね、カシス。よく眠れたわ」

「そう、いい夢は見れたかしら?」

「いろんな夢を見過ぎて覚えていないのよ。オードブルをいくつか頼んであるから、好きなものをとってくるといいわ」

「やっぱりパーティ会場だったか」


 呆れた口調のハガラズに坂下は、そうよ、と笑って返した。一人用のやや広めの病室が20人程度の人間でごった返している。それぞれが思い思いの料理を乗せた小皿を片手に話に花を咲かせていた。

 そこに別れを悲しむといった湿っぽさはない。最後だからこそ、楽しい思い出を残そう、繋いでいこう、とする姿勢がその場にいる人々にあった。


「これは確かにあなたの知り合いね」


 カシスはプリンをつつきながら感想を言った。

 坂下は二人を見て、


「あなたたちの知り合いでもあるのよ」


 その言葉に二人は首を傾げる。

 初めて見る顔も多いからだ。


「いま、知り合っているところね」


 それを合図に坂下の知り合いたちが一斉に二人に声をかけてきた。


 部屋には静けさが戻っている。先ほどまで騒いでいた人々は二人への挨拶が終わると、坂下にまた会おう、と言って帰っていった。きれいに後片付けもされていて、部屋だけ見たら先ほどまで大勢の人がいたなんてわからないだろう。

 それにしても、最期の別れというものなのに、とカシスは疑問に思う。もう少し、話していく権利が彼らにもあった。きっと、残りの時間を譲ってくれたのね、と内心で結論に達すると、伏せがちだった顔をあげる。


「知っている顔もいたが、畑違いの奴も多いな、どういう人脈だ、おい」


 医療カプセルの横に引っ張り出した椅子からずり落ちそうな姿勢でハガラズは天井を見ていた。


「頭から煙が出てるわよ」

「それは事だな」


 二人のやりとりを見て坂下はふっと笑って、


「生きていれば色んな縁ができるものよ」

「飛び回っていれば、の間違いだろ」

「そこに違いはないわ。少なくとも私にとって」


 坂下にとってはそうだろう、とカシスは納得する。ハガラズも最初は眉間に皺を作り考えていたが、しばらくすると一人頷いていた。


「でも、あなたのために文字通り、飛び回ったわね」


 坂下はカシスを見て笑う。


「今だから言うけど、結構、無理や無茶はしたのよ。面白くなるように」

「あなたの面白く、はたまに度が過ぎていると思うわ」

「度を過ぎるぐらいがいいのよ。平凡はつまらない」

「度を過ぎるを通り越して過激だろ、お前は」


 ハガラズが苦笑交じりに答える。


「何でもいいわ。私は楽しんだし、あなたたちが面白く過ごせる場所も作れた」


そこで坂下は小さくあくびをした。二人の動きが止まる。


「あくびぐらいするでしょう、眠いときは」


 坂下はためらいもなくベッドに仰向けに寝る。カシスは坂下の顔が見える位置まで椅子をずらすと、そこに座った。ハガラズは少し距離をおいて、二人を見える位置に立った。


「今すぐ寝てしまいそうなぐらい眠いのよ」


 目を閉じたまま、坂下はけだるそうな声で言った。カシスが静かに身を乗り出して、坂下の手を握った。坂下はカシスの小さな手にもう片方の手も重ねて、


「ずいぶん、大きくなったわね」

「大きさは変えてないわよ」

「心のことよ」


 そして、坂下は静かに笑う。


「ほんと、あなたたちを迎えてから、毎日がジェットコースターのようで楽しかったわ」


 過去形で表現することをカシスもハガラズも止められなかった。これが正真正銘、最期の会話になるのを直感していたからだ。


「少しだけ、心残りがあるけれど……それぐらいがちょうどいいのよね……きっと……」


 坂下の声がどんどん小さくなる。カシスはさらに身を乗り出し、坂下の頬に手を添える。カシスは何か言おうとしたが言葉にならず、唇がわずかに震えるだけだ。


「……おやすみなさい、二人とも。元気で、ね……」


 カシスは力を振り絞り、震える声で、


「……おやすなさい」


 カシスの瞳には涙があふれていた。坂下は満足そうに笑い、目をゆっくりと閉じる。その目が二度と開くことはなかった。ハガラズはカシスの瞳からあふれる瞳を見ると、静かに病室の扉をあけて廊下にでた。


 ベンチに座り、ハガラズは火葬場の煙を眺めていた。坂下の遺体のほとんどは献体として、研究機関に寄贈されているため、あの棺の中に遺体はない。あるのは思い出の品を模した木細工と花だ。


「まったく、FSに喜怒哀楽を叩き込むとはとんでもない奴だよ、お前は。文字通りの全身全霊とは」


 FSを復活させると言い出したときは、殺してでも止めてやる、と思ったのが遠い昔に感じる。はぁ、とため息をつき、頭をがりがりとかいた。今度は溜息ではなく、深く息を吸って、吐き出すと、足を勢いよく地面に振り下ろし、その勢いで立ち上がる。


「ま、あとは任せてくれ。やれることは、やってみるからよ」

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