第17巡 茅ヶ谷巡の観客有り

 舞台裏。集結した役者の方々の装いが、どこか紳士淑女的で奥ゆかしい時代の西洋服に様変わる。音響や照明などの裏方作業の人も忙しなく、楽屋や運送車との往復を繰り返している。このときが来たんだなと、やたら早々な脈拍が自分に問い掛けてくる。


「メグちゃん。確かバレットとの世間話のシーンって、最初よりも長くなるんだっけ?」

「あ、はい。時間に余裕があるみたいなので、尺埋めも兼ねて……」

「こっちも訊きたいことあるー! 警察が防具を着ている描写、セリフにも組み込むんだよね?」

「そうです。その方が状況を理解しやすいと思いますし、自分が単純に失念していたので、そっちでお願いします」

「オーケー、りょーかいだよっ」


 着替えたばかりらしき役者さんたちからの、容赦ないセリフの最終チェックに自分はなんとか答える。ちなみにメグちゃんとは自分のことらしい……ちゃん付けなんて子どものときにあったかどうかも怪しい。まあでもこの中では年少組みたいだし、子ども扱いもちょっと新鮮で悪い気はしないかな。


 本番当日。九ノ瀬大学駅前ホール。

 上演を目前として、馬場園さんとその役者仲間の方々が着実に世界観に染まっていく中、自分は数歩引き、壁に貼り付けられた予備のフライヤーをまじまじと見遣る。【劇団げきだんむらさき小園しょうえん孤独こどくのバレットをたす暗赤あんせきしょく〉 演者バレット役/馬場園 紫子 等々】。

 ここにチケットの値段や九ノ瀬大学駅前ホールのアクセスポイントが丁寧に併記されている。これはまだ表面だけの内容みたいだけれど、赤阪さんが付けた劇団名、自分が創った演目のタイトル、そして主役ということで表にも堂々と馬場園さんの名前が役名と共にある。普通にカッコいい一枚だ。


「すごく本格的……」

「うんうん。そうだろそうだろー……俺の知り合いの印刷会社に頼んだんだよなー!」

「え——」

「——そこはデザイナーも所属しているからな。こういうこと頼んだら他にいない企業だよ」

「赤阪さん……」


 どこからか。いつの間にか自分の背後から湧いて出た赤阪さんが、鼻高々にフライヤーを指差しながら言う。確かに彼が誇らしげにする通りではあるらしいんだけど、いきなり独り言に返答されるとビックリする。


「どうだ? 馬場園たち、順調そうか?」

「おそらくは……というより赤阪さん。よくこんなモノを作るように手配出来ましたね。短期間でしたし、馬場園さんもSNSでの宣伝がメインのつもりだったみたいですし」

「そりゃあ当たり前だろ。俺は謂わばお前らをプロデュースする立場だからな! こういうコネクションは使わないと損だ……金銭面でもかなり譲歩して貰ったし、馬場園には内緒で、チケットの値段を既成事実で釣り上げたくもあったしな」

「最後のが理由の全てのような……いや、待って。チケットの値段を上げたところで、印刷とデザインを委託したら賄えない気が——」

「——それよりも! 茅ヶ谷、お前会場にどれだけの来場者が来たか見たか? 見てないなら今すぐ行ってこい! ほらほら!」


 戯けた赤阪さんは自分の疑問を晴らさず、剰え別の話題でぶった斬って、会場に向かうように背中を押す……もちろんそれも気になりはするけど、ここに留まっていた時点で心情を察して欲しいものだ。

 会場の集客がどの程度なのか、自分は直視したく無い。旗揚げへの運営面に関してノータッチを貫くつもりであったのもそうだけど……単純に怖い。

 もし誰もいなかったら、演目タイトルのせいで客引きに水を差していたとかだったら……無責任じゃ居られないから。

 でも赤阪さんの厚意を断れない……ううん、振り払えないんだと思う。直視したく無いとは胸に秘めつつ、どれだけの他人が興味を持ってくれたのかどうかは、物語の創り手として知りたい。だから赤阪さんに促されるまま、ホールの座席が一望可能な場所まで連れて来られてしまう。


「ほら、見てみろよ茅ヶ谷」

「……っ」


 うっすらと双眸を開き、まだ幕を閉ざされたままの会場の光景を目撃する。そこには自分の想像の中で、もっとも平凡と言える様子が映り込んだ。


「ざっとキャパシティの半分強ってところか? 満員御礼とはいかねぇが、新進気鋭予備軍、無名のアマチュア劇団にしちゃあ上出来だっ。きっと場数は踏んでいる馬場園や、他の奴らの知名度も相まっての結果だな」

「……こんなに」


 その平凡は、一定数のお客さんが居る証。

 最悪、誰も居ない惨状まで予期していた。

 悪い方に惨めな方に、自分は考えるから。


「どうだ、茅ヶ谷?」

「……なんでですかね。とても、安心してしまいます」

「ははっ! そりゃあ良かった……わざわざ見せた甲斐があるってもんだ」

「……そうかも、しれませんね」


 それは実現するのが容易じゃ無いからこその、無観客じゃなかったからこその、歓喜にも化ける平々凡々。

 これが自分の脚本の影響なんかじゃ無くて、馬場園さんや他の方々が積み重ねて来た経験のおかげだというのは分かる。なのになんでだろう……こんなにも胸元が熱くなって、演目のタイトルのように満たされた感覚に陥りそうになってしまうのは。まだ何も、馬場園さん主演の舞台は始まっていないのに……瞳孔は視力を補うメガネのレンズ越しなのに、自分の視界にモヤが被覆してくる。

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