第16巡 茅ヶ谷巡の回顧録り

 リハーサルを終え、室内競技場に持ち寄った小道具のいくつかを文化サークル棟まで馬場園さんと2人で持ち帰る。赤阪さんは役者仲間の方々を送迎しに行ったみたいだ。

 そんな皆さんはまだ初見ということでセリフ覚え、舞台での立ち回り、照明や音響を加えるタイミングなどを考えていたせいか、本領を発揮出来ていない様子だった。だけど自分への質問のあとは、あっという間に解釈一致の振る舞いに近付いて来ていて、完成形に持って行くのもきっと時間の問題だ……ほんと、あんな拙い説明だったのに、凄い飲み込みの良さだ。経験が物を言うのかな。

 あと自分がタイピングして作ったなけなしの物語が体現されるのって、嬉しいのはもちろんなんだけど、それを差し置いて……ただただ不思議で堪らない。


 なんというか、自分が創造したはずなのに別物みたいな感覚で、自分の想像の中だけの世界やキャラクターじゃなくなったみたいで、喜びが複雑化する。

 多分あれだ。故郷を旅立つ知り合いの挑戦を見送るような気持ちに近い……応援しているのに、別れるのは少し寂しい。もしかするとお父さんもお母さんも、自分が上京するとき、こんな感じだったのかな?


「おつかれっ!」

「ああ、お疲れ様です馬場園さん。もう荷物はありませんか?」


 小道具である木板を立て掛けていると、馬場園さんが揚々と戻って来る。ちゃんと顔を見てなかったけど、声色で上機嫌なのは判る。


「おうよ。そんで今さっき缶コーヒーと紅茶とおしるこ買ってきたからやるよ。どれが良い?」

「え? いや自分は——」

「——遠慮すんなって。いっそ全部でも良いぜ?」

「……では、缶コーヒーを」


 そう言って自分は、馬場園さんが事務机に並べていた飲料缶の中から、コーヒー豆と焦茶色のデザインが描かれたパッケージの缶を手に取る。この流れで断るのも申し訳ない。

 無糖でホット、まだ温かいから自動販売機で買って来たのかな? コンビニに寄る余裕は無かっただろうしね。


「そうだ。ボク男役だけど、身長が足りないからさ、ハイヒールみたいな……シークレットシューズを衣装にした方がいいよな?」

「……いや、どうですかね? 設定的には既婚者ですけど中性的で、それこそ性別不詳でミステリアスな感じですからね。あと昔の人ってそんなに背が高く無いはずなので、あんまり気にしなくて良いかもです……それに馬場園さんの役は主人公ですし、それなりに動き回る必要がありますから、足元にフィットする革靴で良いと思います」

「了解。服装はカジュアルな感じのコートを羽織って、ワイシャツにサスペンダー付きの衣服になりそうだな……ボクの家にある服ばかりで悪いが」

「いえいえ。古風なコーディネートならなんでも大丈夫ですよ……寧ろ、その方が既婚者なのに青年っぽくなって良いかもですね」


 馬場園さんは主人公。バレットという結婚したばかりの若い商人の青年役だ。もともと他にどんな役者さんが来てくれるのか分からなかったから、自分が感化された物語のキャラクター像をモチーフに好き勝手に作っていた。ただいくら彼女が男勝りだからといって、女の人に男性役を任せるのは正直な話、酷ではある……ここは配慮するべきだったかもしれない。でも馬場園さんは、役者としての技量が試されるという表現で、この難役に挑んでくれる。もう心強いとしか、自分からは言えない。


「……茅ヶ谷?」

「はい? なんですか?」


 指先をプルタブに引っ掛けようとしたところで、馬場園さんから苗字を呼ばれる……いやそれ自体は特に珍しくもないんだけど、なんだか抑揚から、彼女の殊勝さが伺えた。


「お前、今日のリハーサル、どう思った?」

「どう思ったって……自分は無知な裏方なのでどうとかは……」


 すると馬場園がかぶりを振る。

 否定する要素なんて、あったかな。


「この舞台は茅ヶ谷の世界観を反映させたものだ。お前が納得いかない出来には、したくねぇからよ」

「自分の……——」


 世界観の納得か……これまた難しいことを訊いてきた。きっと100パーセントの納得は、この舞台の規模を考慮してもあり得ないと思う。例えば自分の脳内にはヨーロッパの街並みを夕霧が覆う殺伐とした雰囲気、けれどこの舞台でそんな情景を描くのは極めて困難だ。というよりそもそも、自分の理想を完璧に叶えた物語でも無い……そこまで至る技量が無いのか、理想を上手く捉えられないのか。


 ともあれ、納得したと言うのは簡単だ。

 馬場園さんも望む答えだと思われる。

 けれどそれでは、役者人生を懸ける彼女に対して不誠実だ。だってそんなの、お互いに気遣って妥協しただけになるから。こんなのは姑息で、いずれボロが出る。

 だから自分は、自分なりの解釈を伝える。

 年齢も経験も関係ない。この演目にスポットライトを当てるために。


「——現状、納得はしてないです。けど、自分1人で殻に閉じこもったら不可能な光景だなとは、皆さんのリハーサルを見て期待が膨らみました。だからまだ、脚本演出を請け負った身からすれば、ここを満点にしてはいけない気がするので……納得は出来ないと言っておきます……これからですよ、これから」

「まあ……そうだよな、これから。わりぃ、まだ顔合わせすぐの、リハーサルの後にする質問じゃねぇわ……まだまだ始まったばっかだからな」

「はい。それと馬場園さんもまだまだですよ。今回の主人公の男性役も、役者人生も——」


 上から目線な言い方になったかもしれない。本当ならもっと素直な言い回しをする方がが適当だったのかもしれない。でも、その……馬場園 紫子という、人望も野心も厚く熱い役者さんの最後の舞台には、到底相応しくない演目だと客観的に所感する。

 だって彼女はこんなところで燻らずに、まだまだたくさんの役柄を演じる人物になるから……なって欲しいから。自分の贔屓目かもしれないけど。


「——あ、えっと、言い方がキツくなったかも……その——」

「——構わねぇよ、言いたいことは大体分かるし……それよりも茅ヶ谷。お前って案外、我が強いところあるよな?」

「え……?」


 自分では、そうなのかなって考えるときはある。でも他人から言われたのなんていつ以来だろうか。


「最初はあの赤阪が認めた小娘……くらいの認識しかなかったが、お前もアイツに負けず劣らずの変人だなって、今確信したわ」

「それ、自分バカにされてません?」

「いやいや違う違う。まあ……んな性格だと誤解されがちなんだろうなって……ボクもちょっとばかしそのきらいがあるからよ」


 そういえば、こんなに学生と連れ添ったのは大学に入学してから初めてだ。最初は役者関連と、進路のために先輩に大学院のことを訊ねようくらいだった気がするのに。

 波長が合うのか、馬場園さんが合わせてくれるのか分かんない。だけど全然苦に感じなかったなって、今更ながら回顧する。


「そうですかね……ただ馬場園さんは、話を聴く限りちょっとどころじゃ無さそうですけど。手足も出るみたいですし?」

「ほら、そういうところだって。赤阪にもボクにもそうだが、年増にも容赦ってものがないっ」

「容赦ないなんて心外です……あとずっと聴きたかったんですけど、そのボクっていう一人称……そこだけ刺々しくなくて可愛らしいですね?」

「……別に可愛かねぇよ。これは兄貴の真似をしてたら定着しただけだ!」

「む……理由まで、可愛い」

「はあ!? うるせぇな、死ね!」


 これは馬場園さんの新たな一面かな?

 基本言動も行動も粗暴だけど、子ども以上に純真でステキな女学生で役者で、大学の先輩だ。

 第一印象で女の人に見えないって思ってしまったこと、いつか面と向かって撤回しないとだね。


 本番の日はもう、間近に迫っている。

 馬場園さんにとっては一世一代の日かもしれない、人生の分岐点。

 なのにこんな穏やかな空気で素人の自分が居られている……これが彼女の座長としての器量なのかな? 何にしても心地良い。本番の日が、こんなにも待ち遠しいまである。

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