第10巡 茅ヶ谷巡の存在騙り
あのやり取りというか、わからないことだらけの口約束から一週間が経過する。自分の日常そのものに大きな変化はない。大学と一人暮らし部屋を行ったり来たり……たまにスーパーや本屋に寄り道するくらいだ。
「おい馬場園! 劇場の予約が取れたぞ!」
それは唐突に。騒々しく開かれた扉と共に赤阪さんが、勝鬨を上げようと言わんばかりにやって来る。誰もその輪に加わってないから、意味合いが違ってしまうかも知れないけど。
「て、ありゃ? 茅ヶ谷だけか?」
「はい。馬場園さんは外せない用事があるとかで、さっきこの部屋を後にしましたよ。入れ違えです」
読んでいた小説に栞を挟みながら答える。
雑多な部屋にあるパイプ椅子に座っての読書が多分、自分の中で意外と新鮮でマイブームとなりつつある。なんというか、周りに気になるモノだらけでも、一点の集中力って持続させられるんだなって、しみじみ浸っている。
「そうか……だがこれだけの成果だ。全員のトップシークレットにしといた方が良い」
「……自分、聴いちゃってますけどね?」
「あー……ははっ、それもまたご愛嬌だ」
文化サークル棟の一階、最奥の一室。
その実態としてはただの物置き部屋なんだけど、赤阪さんが権限でしばらく間借りしているんだそうだ。
とにかくこの一週間で自分にも分かってきたことがいくつかある。馬場園さんは手先がかなり器用な人で、たった1人で舞台セット用のハリボテを製作していた。その合間にもハスキーで伸びやかな発声をしたり、院生の提出課題が掲載されていると思しきタブレットを操作する。マルチタスクが得意なのか、あるいは妥協を許さない人なのか……分かってきたことが増えたというのに、また分からないことが
その3日前も、調子はどうだと訊ねられただけで、正直随分と呑気な感じだ……例えば自分が積極的に参加しないとか、ちょっとくらい考えなかったんだろうか?
「そういや馬場園に聴いたが、演目も決まったらしいじゃん……一体どんな物語が繰り広げられるんだろうな、ストーリーテラー?」
「ふふ、何を言っているんですか。自分の出来る範囲が馬場園さんに比べて狭過ぎるから、過去の名作を集めて、その素材を継ぎ合わせただけですよ」
経験者というのもあるんだろうけど、馬場園さんは手広くなんでもこなせてる人物だ。だから自分が出来ることはせいぜいサポートくらいが関の山。
そもそも自分は結成メンバーの一員なんかじゃなくて、馬場園さんと赤阪さんの野望のお手伝いさんといったところだ。でしゃばるのも違うと思う。作り手なんておこがましい。
「何を謙遜してるんだ。茅ヶ谷だって俺がスカウトしてきた立派な学生だ! 誇りを持ってもいいんだぜ?」
「……呼ばれた経緯がもっと明確なら、そんな未来もあったかもしれませんけどね?」
「ん? それなら紹介したときに言った通りだろ?」
「アレをそう定義するなんて。やっぱりあなたは……いえ、なんでもないです」
「それ絶対なんでも良くないヤツっっぐぁっとっ——」
「——どけっ、扉の前で突っ立ってんじゃねぇよ」
赤阪さんがビニールタイルにダイブする。
ううん。背後から蹴飛ばされて、みっともなく床にうつ伏せになってしまう。
その原因はすぐに判明する。
この一室に用があるのは、自分と赤阪さんを除くと馬場園さんただ1人だ。他にスカウトされた人は居ないのだから。
「帰ったよ茅ヶ谷ー。腹減ったし、一緒にメシでもどうだ……おや、赤阪は?」
「お帰りなさい。今日は弁当を持参していないので、学食なんてどうですか? あと赤阪さんは最近見てないですね」
「そうするか。2人しかいないしな——」
「——おいおいおいっ! 嘘吐くなよ、ここにちゃんといるだろー! 蹴飛ばしただろー! というか俺、お前らの食事のついでになっちまってるじゃねぇかよー!」
四つん這いになって赤阪さんが存在意義を主張する。参加頻度が3人の中で最も低いから、薄くはなっているかも知れない。
ついでに自分と馬場園さんもあれから、よく話すようになったというか、彼女のフレンドリーさ加減に押されてしまったというか……とにかくこの大学内で最も付き合いのある人物になった。だから尚更赤阪さんの影が薄くなった感も否めない。
ただそこまでしなくても、ちゃんと冗談だ。この居場所を作った張本人を、自分が忘れるわけがないので。
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