第9巡 茅ヶ谷巡の約束極り
潔く向いてないであろう社会人になるか、先延ばしで大学院に進もうかで苦悩する自分とは大違いだ。大学院生ということは人生の先輩でもある馬場園さんの、彼女の半生に興味が湧いてくる。
「いや武勇伝じゃ全然ねぇが……ボクはその、この大学から近い小劇場の団員だったんだよ。だけど最近、クビになっちまった」
クビとは……またまた意味深だ。
だってそれは自主的じゃなくて、対外的原因と言っているようなものだから。
「クビ……自ら辞めた訳じゃなく?」
「まあな。自業自得なんだが……ボクの同期の子に金を毟ってた古参団員と衝突して、ソイツをぶん殴り、他のヤツも巻き込んじまって舞台裏で大乱闘……輪を乱す役者は役者じゃないんだと」
「それでクビに——」
「——そうそう。ボクとしては意地でも残ってやろうかなって思っていたんだけど、その団員のコネで存続してきた部分があるらしくて、向こうには強く言えないんだってよ……アホらしい——」
どのくらいの規模の衝突なのか、自分は当事者じゃないから想像するしかない。話を聴く限り相手方を殴っているけど、どうやら傷害事件にまで発展していない様子から、その古参団員にも非があると認めているか、余計な介入は不要なレベルで収束したことが推測される。あと今もこうして、何食わぬ顔で大学に通学可能なことからも暗に裏付けられる。
確かに他人を殴るのは良くない。
クビになってしまうのも、仕方ないのかもしれない。
でも馬場園さんにだって、譲れない一線というものがあったんじゃないかと推し量る。こういった暴力は、加害に及んだ動機が必ずあるからだ。
それをさっき彼女は自分に話してくれた。
擁護じゃないけど、その絞り出した良心を少しくらい評価はしたい。現実の諍いは加害者と被害者、白と黒の2択2色で分断されるべきじゃないから。
「——ひと回り以上も若い女に殴られて恥ずかしいだけだろうが……と、そんなことは今どうでもいいな。そんでボクは所属を失い、何個かオーディションも受けて、それなりの評価はされてたらしいが……結果は全部不合格。どうにもこの不良みたいな風貌で粗暴な女役者はアクが強すぎて扱いに困るらしい。年齢的にも清純というか、マドンナ役みたいなのを求められるんだろうな……いや、これもどうでもいいか」
「いえ、経緯はなるべく詳細に話してもらえた方が嬉しい派閥なので、大丈夫です」
自分か知りたい本題からは遠回りだ。
他人によっては煩わしくも感じるかもしれない。自分も興味を持っていなければ、そんな風に聴き流していたかもだ。
だけど馬場園さんの語りから彼女の矜持が垣間見れて、役者のリアルに間接的に触れられる。この起伏に対して好奇心がくすぐられないわけがない。
「ははっ、なんだよその派閥……んまあいいや。という感じで居場所を失って、ダラダラ大学院生に逆戻りしたときによぉ。その全てをどこかで聴いたらしい赤阪から、お前はもういい歳で、経済学を勉強して来たならいっそ、自身で劇場の旗揚げでもしたらどうだって提案されたんだよ——」
随分と大胆な提案だ。
大学院生とはいえ、所詮はまだ学生。
いくら知識があったところで、活かせるノウハウが限定されると思うんだけど。
「——めちゃくちゃだろ? せめて大学内外で新規サークルを立ち上げるくらいなものだろ? だけどそう確認したら違うらしんだわ、これが。ダラダラとはいえ、なおざりとはいえ、ボクにだってそれなりに経営面での勝機の概算くらいは出来る……正直、ボクがボクの居場所を確保する以外の利点がない、気休めだ。せめてそもそも賛同してくれる人が居ないんじゃ、その考えは成立しないって返答したら赤阪のヤツ、何て言い返したと思う? ならボクの理想に合致する学生に当てがあるから連れて来る……んだとよ。マジで訳わかんねえわ、アイツ」
訳がわからないのは同感だ。
でも自分と馬場園さんでは、その視点が異なるかも知れない。
自分の分からない部分は、今の話を正とするとき、赤阪さんのあの熱心な行動の原動力がイマイチ不明になること。だってこれって、提案したとはいえ完全に他人事でしかないから、どこまでも無責任で居られる。一体彼の何か突き動かすんだろう。解らない。
というか余談だけど、こんな部屋まで用意してあって、サークル活動じゃないんだね……あれ? そうなると赤阪さんが当てがあると言った人物っていうのは……。
「それであの、その赤阪……さんが当てがあるというのが——」
「——茅ヶ谷、どうやらお前のことらしい」
「いやいやそんなまさか……ひ、人違いじゃないんですか? きっとそうですよね?」
なんでこんな流れで自分が誘われることになるんだろう。赤阪さんのことも、馬場園さんのことも今の今まで知らなかったのに、自分に学生の身分を超越するような実績なんてなにもないのに、どういった人選を敢行すれば自分がこの部屋に招かれる結果になるのか、点と点がちっとも結び付いてくれない。
せめて人違いならすぐに合点がいく。
だからどうか、そっちであってくれないかな。そう告げられても問題ないので。
「いいや、赤阪は人違いで茅ヶ谷を連れて来てねぇよ……さっきの紹介は盛り込み過ぎてはいたが、全くのデタラメってわけでも無いんだなって思った。だからこそ、こうして2人で向かい合って、話してるんだろ?」
「……っ」
自分はおそらく絶句している。
なんて返答すれば適当なのか、上手く紡ぎ出せる自信がなかったからだ。
「というわけで、お前が呼ばれたここは大学のしがないサークルなんかじゃなく、ボクの人生の一部を懸けた旗揚げ前のステージだ。もちろん無理やり付き合わせるのも違うと思う……だけどこれも何かの縁だ、一日だけのの手伝いだけでもいい。ボクと赤阪の無謀極まりない挑戦に、一役買ってくれないか、茅ヶ谷 巡」
潔癖な双眸で、訴えて来る。
馬場園さんの純粋な厚意。
このあと、自分はしばらく無言を貫いた。
答えるべき言葉が思い付かないから。
「ふ……そうか」
馬場園さんは淑やかに口角を上げる。
柄物の様相とは似つかわしくないけど、純情な少女のように可愛げのあるままの素顔だ。
いつもなら迷わず断った。
だって、めんどうくさいから。
なのに自分は、小さく頷いてしまった。
それは無言だけど、無意識ではない。
きっと事態の急転にどうかしていたんだと、のちのち回顧することになるだろう。
この繋がれた右手と右手の記憶の付加で。
どうして? そう、訊ねられても困る。
だけどそれが何か、自分は知りたいんだ。
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