第8巡 茅ヶ谷巡の紹介嘲り
あれから何分が経過したんだろう。パイプ椅子に座ったまま徐にスマホを手に、メッセージアプリを開いて弄り出した馬場園さんの真後ろで、自分は出方を窺うように恐縮しつつ黙々と立ち尽くす。
こうしていると主人に仕える執事やメイドの気持ちが多少なり分かる気がする。こちらが発起人になることを憚られるような、何もかも出過ぎた真似にしかならないような、透明な格差の線引きがそこにあるみたいだ。
「お前も災難だったな。まあでもボクは悪いようにはしないし、されもしないさ」
「え? は、はあ……」
唐突に話し掛けられて適当に相槌を打つ。
自分とこの馬場園さんは、記憶違いが無ければ初対面だ。それは赤阪さんにも言えることだけど、どうにも距離感が測れない。
そもそも災難と表するには突拍子が無い。
講義後に食堂で食事を摂っていただけのはずが、あれよあれよの末に奇譚に成り果てた神隠しみたいな感覚だ。災禍であるかどうかの判別すらしにくい。
「とりあえず……扉の隣に椅子の予備が転がってるから、それ持ってきて座れよ。歓迎するぜ?」
「予備? ああ、あれですね」
自分は馬場園さんが指差す方角を追って、さきほど死角となっていたところと同じ位置に畳まれていた同規格のパイプ椅子があって、それを持ち寄って骨子を開き、やや空間を作って馬場園さんの隣に座る。
「そういやお前、なんて言うの?」
「なんて言うの……とは?」
「名前。さっきの紹介の通り、赤阪は話を盛りに盛るアホだからな。ちゃんとお前の口から聴いておかねぇと信用ならねぇ」
「……アレ、どこまで信じてますか?」
「ああ? ほとんど信じてねぇよ。そんなヤツが同じ大学なら噂になるだろうし……いや意外とみんな他人に無関心だからな。まあどちらにしても、稚拙な子ども騙しにしか思わねぇだろ、あんなの——」
よかった。誤解を解く手間はやっぱり無いみたい。
まああんなの信じる学生がどこに居るんだって感じだけど……自分がここに取り残されている現状を鑑みて、ちょっぴり間に受けてたりするのかなと不安だったからね。
「——それで? ユアネーム?」
「あ、改めまして茅ヶ谷と言います。茅ヶ谷……巡です」
「ふーん。どう言う字を書くんだ?」
「えっと、ですね——」
自分はポケットからメモ帳とペンを取り出して、赤阪さんに苗字を訂正したときに記した隣に、自身の名前を追加して馬場園さんに見せる。普段から良く間違えられるせいか、証明のために紙に書いて見せることが慣わしになっているみたい。
「——こう、書きます」
「茅ヶ谷……巡は一文字なんだな?」
「はいそうです。読み方もごちゃごちゃになってしまいがちなので、堂々巡りの巡と覚えて頂けたら」
「へぇー……いいじゃん。ボクよりは売れそうな名前してるよ」
褒めてくれているのか、自嘲なのかどっちつかずなことを述べながら、馬場園さんが微笑む。かなりキツめの印象だったけど、こんな愛嬌のある笑い方をするんだなって、その横顔を眺める。
「ありがとうございます。そう言って頂けると多分、自分の両親が喜びます」
「はっ、そりゃよかった。つーか茅ヶ谷、赤阪とはどういう繋がりがあったんだ? あまり接点はなさそうなもんだが」
「えっとそれが……自分としては今日が初対面で、食堂でいきなり話し掛けられたかと思えば……待ち伏せもされてこんなことにって感じで……」
「おいおいマジかよ。まさか、赤坂のこと何も知らないのか?」
「はい。年齢も、学科も、どこに属しているのかも、自分は全く知りませんでしたね。このサークル? のことも、馬場園さんのことも同じです」
「え……ああ、そうか。じゃあ簡単な説明くらいは言っとかねぇとだな」
馬場園さんはやれやれと言った具合でかぶりを振りながら起立する。
そして自分との距離を縮めると、やけくそ気味に腰に手を当てて口を開く。
「まずお前が赤阪から呼ばれた経緯なんだか……率直に白状するとそれは、ボクのわがままのせいだ」
「わがまま?」
わがままとは、また意味が深そうだ。
というか、馬場園さんの方なんだ。
てっきり赤阪さんの主導なのかなと思ってた。あの……熱量的にもね。
「そう。ボクが院生の傍ら、売れない役者だってのは、さっきバラしやがってたよな?」
「……はい。武勇伝の如く」
大学生であり、役者でもある人生。
きっと困難を極めるんじゃないだろうか。
少なくとも、自分には無縁の業界だ。
あと例え売れていないとはいえ、その将来の展望と活力は羨ましい。
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