第7巡 茅ヶ谷巡の虚言貼り
赤阪さんの胸ぐらから手を離した馬場園さんがそのまま、パイプ椅子が若干浮き上がるくらい踏ん反り返って座る。それはもう後転でもしかねない勢いだったけど、案じる自分を他所に馬場園さんは平然と腕を組んでいる……平衡感覚がいいんだね。
とまあ。そんなことはどうでも良くて、ようやくほとぼりが冷めてくれて何よりだ。自分がここに来て未だに呼び出された理由すら知らないし、さっさと帰りたいし、本題に入って貰わないと困る。
「そんで? ソイツ、茅ヶ谷……だったか? なんか実績とか経験とかあるヤツなのか?」
「いや、知らん!」
「……喧嘩を売ってるのか赤阪。ボクに相応しい学生ならっていう条件は出したはずだ」
「それは馬場園だけの都合だろ。俺は俺で、この茅ヶ谷のことまで考えた上での判断だ! もちろんお前を蔑ろにしたわけじゃないさ。ただ2人の理想を同時に叶えようとすれば、どうしても折衷案は必要なんだよ——」
この他人たちは何の話をしているんだろう?
役者がどうとか言ってたのが関係するのかな?
自分を置き去りにすること自体は別に構わないんだけど、条件やら理想やら折衷案やらはともかく、なるべく巻き込まないで欲しいんだけどな……え?
「——ということで? この茅ヶ谷こそが、俺がスカウトした最高の舞台脚本家だ!」
「ちょ……急に押さな……んん?」
いきなり赤阪さんから矢面に立たされるように背中を押される……と同時に、なんか見当違いなこと言わなかった?
「大学の成績もギリギリ大学院に進学出来た馬場園とは違って満遍なく優秀! 無難なファッションで気付きにくいがルックスやスタイルにも申し分ない! 声色にも落ち着きがあって、馬場園の欠点を補完するに余りある人物だ」
言ってる意味が分からない。
というより、上手く飲み込めない。
仮に自分が赤阪さんが勘違いしている通り、成績が良くて、顔や身体が良くて、声が良くて、馬場園さんの欠点を埋められる人間だったとしよう……それが脚本と何の関連があるの? 実は元天才子役とか、両親が舞台演出家のサラブレッドとか、そういうんじゃ絶対ないんだけど? 輝かしい栄光の過去とか、自分には全く無い自覚があるんだけど? まさか全部最初から赤阪さんの勘違いなんじゃ……人違いじゃないの?
「なんだ。やっぱり素人ってことか……」
それは同意。何度も心の中で頷く。
そんな人をスカウトと連れて来るなんて、誰が考えてもおかしい。気付いて。
「そう思うだろ? でもそうじゃないんだなこれが——」
そうじゃないって……そうでしかないはずなんだけど。
秘密主義の自分の、何を知っているというんだろうか。
「——何を隠そうこの茅ヶ谷……地元でその聡明な思考回路を駆使して数々の難事件を解決してきた、学生探偵だったんだよ」
「……は?」
思わず素っ頓狂な喉声が出る。
波風立たない抑揚を忘れた、舌打ちのような意味合いの声だ。
探偵だって? 何をバカな。
難事件を解決? そんなのフィクションに於ける辻褄合わせの誇張表現でしょ。
それは明らかにハッタリというか、もちろん事実無根。そんなアニメの変身キャラクターが実在するよと、子どもの夢を壊さない大人の嘘と同レベルの虚言でなんとかなると思ってる? ならないよね、そんなの。
「その影響は絶大で、数々のファッションブランドや化粧品メーカーのスポンサーが付いていて、有名役者との交友もある。さらに彼女の手で執筆された自著は、俺の胸を打つ素晴らしい視点を持っている。だから裏方……ストーリーテラーにもなれるだろう。特に、ことミステリーの分野に於いては他にいないと俺は確信している! どうだ、スゴイだろ馬場園!」
確かに学生のうちにそんな目覚ましい活躍をするなんて凄い人物だ……本当に存在するのならの話だけど。ほんと誰よ、その人。
赤阪さんによる自分の経歴は嘘八百。よくもまあヌケヌケとここまで嘘を嘘で塗り固めて来たものだ。いっそ清々しいまである、虚言癖極まれりだ。
自分を紹介すべき事項が無いのは理解出来るんだけど、せめてもうちょっとそれとなくというか、現実的な脚色をなんでしないのか……あとそんな盛り話すら、少し破綻し掛かってない? どうしていきなり自著の話題に切り替わったんだろう。もう訳が分からない。
「ふむ……ここはボク、大袈裟に驚いた方がいいのか?」
「……いえ、笑ってスルーして下さい」
そりゃそうだよ。
こんなので押し倒せるわけがない。
「んじゃあ悪いが、今すぐ出て行ってくれ」
「あ……自分、はい」
そうなるよ。自分何で呼ばれたんだろ。
反論する言葉が見つからない。
だけどその言われ方は傷付くな……やんわりでも結果は同じだっただろうけどさ。はぁ……なるべく黒歴史を作らない学生生活を送ろうとしてたのに——
「——いやすまん茅ヶ谷……で合ってるよな? さっきのはお前に言ったんじゃない、赤阪に言ったんだ」
「……ん? え——」
どういうこと?
自分じゃなくて赤阪さん?
「——はあぁ!? 何で俺が除け者に……」
「赤阪が居ると気が散る。お前は邪魔だ……あと、多少はその折衷案とやらを飲んでやるって言ってんだよ。ほら、行った行った」
そんな軽口と連動して、馬場園さんが片手で払い除けるようなジェスチャーを行い、自分じゃなくて赤阪さんを遠方に追いやろうとする。その所作に戸惑った様子だけど最後には、赤阪さんはこの雑然とした一室から一時的に立ち去って行ってしまう。えっとこれは……何がどうなってるんだろう? 完全に自分が用済みの流れだった気がするんだけど……んん? 自分はここに居ていいの?
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