第26話

 灯りのない庭園は、暗闇の中に揺れる植物たちがまるで生き物のように見える。それでも、マイソウティスの一画はやはり精霊たちの姿で仄かに明るかった。

 誰もが寝静まった頃を見計らって、クラヴィスはその一画を世界から切り離した。

 今宵は新月。精霊との間に限らず、公けにしたくない契約を結ぶには最適だ。そう考えれば、サンクティオで過ごす最後の夜が、新月だったのは意図せず幸運に恵まれたということだろうか。


「ニンファ」


「呼んだか? 」


 切り離された世界の中で、吹くはずのない風と共に現れたニンファは、クラヴィスの正面に立った。


「あぁ、クラヴィスの名と契約を」


 その言葉には応えず、片方の眉を上げたニンファはふんっと鼻を鳴らす。

 既にカエルムの魂と契約した状態である今のクラヴィスは、これ以上の契約などせずとも、ニンファの力を行使することができる。それでもなお、クラヴィスとして契約を結びたいという。


「そんなにその器が気に入ったのか? 」


「器を取り巻く環境かな」


「同じではないか」


「違う」


「そうか」


「あぁ」


 短い言葉のやり取りをしながら、向かい合ったまま両手を繋ぎ、瞳を閉じたクラヴィスに近づくと、ニンファは額を合わせる。


「して、何を望み、何を差し出す」


この身体クラヴィスが理から外れそうなときに連れ戻して欲しい。対価は、この身に宿る魔力とそれに付随する全て」


 カエルムは既に契約しているため、魂が持つ魔力は差し出せない。だが、クラヴィスの身体に元から宿るモノならば対価として差し出せる。それは、クラヴィスという名で護られた、カエルムとは別の存在として認識されているもの……としたのだ。

 それ故に、全てを差し出すということは、身体に宿る心クラヴィスを失うことでもある。

 かなり強引な理論付けではあるが、最終的に、差し出したクラヴィスと受け取るニンファが認めれば、それが真となる。


「我は人間のように想うことなどない。契約し、それが成されたらならば、容赦なく対価を貰うぞ」


 もし、ニンファに対価が払われれば、クラヴィスは魔力と共に自我を失い、ただの魂の器になり、その身に死が訪れるまで女神の檻で過ごすことになるだろう。


「かまわない」


「分かった」


 ニンファは、人間の心の機微など知りはしない。それでも、この契約が実行された時に、どうなるかなど想像がついた。

 それなのに、当の本人がそれに気付かないなどということがあるのだろうか。


「……………うん、あるな」


 呟いたニンファを不思議そうに見つめる青い瞳が、極間近で瞬いた。

 そうか……とニンファは思う。嫌なのだ。カエルムの魂を持つ存在が、何かを護るために、その身を投げ出せばよいと思っていることが 。カエルムが居ない世界などつまらない。ならば、こやつの今生は簡単に女神たちにくれてなるものか……と。


「我は精霊王ニンファ。その名を以て、クラヴィス、我との契約を認めよう」


 ニヤリと笑ったニンファは、握っていた両手に力を込める。ギリッと音がしそうな程強く握られ、クラヴィスは僅かに顔を歪めた。


「だが、我は我の望むようにする。契約にも縛られぬ、我の意思があるということを覚えておけ」


 そして、どういうことだと、クラヴィスが問う前にその身を光に変えて姿を消した。


「なっ……言いたいことだけ言って逃げたな。でも、まぁ……今に始まったことではないか」


 ため息と共に独りごちたクラヴィスは、世界から切り離した一画を元に戻した。

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