絵本にハリボテ
先日古本屋を訪れたとき、一冊の絵本の前で立ち止まることがあった。子どもがいるわけでも絵本コレクターでもないのだが、気づけば手にとってパラパラめくっていた。独特なタッチと細かいコマ割りの漫画で、お店の端に追いやられていたのにも納得がいくほど、今の漫画や絵本と比べると読みにくかった。
「ぼうけんタンタン」と書かれた絵本か漫画か、その本は私が小学生くらいのときに叔母からもらったものだった。彼女のことは声も何も思い出せないけれど、その頃では珍しく一度読み切った後もう一度手を付けた本だった。しかし、少しすると「ぼうけんタンタン」はどこかにいってしまった。
ページを捲るたびに古本独特の匂いが鼻腔をくすぐった。どんな人がどんな思いで売ったんだろうか。もしかするとこれは昔私が読んでいた本なのかも知れない。
物語が盛り上がりを見せたところで本を閉じ、財布を手に取った。数枚の100円玉と雑多な硬貨がチャリンと鳴らすのみで持ち合わせがなく、その日は本を棚に戻した。
その夜は珍しく家族に電話をした。仕事はどうなのか。結婚はまだなのか。たまには帰ってこい。散々に言われた。
「昔俺とよく会ってた叔母さんいたでしょ?本くれたりした」
「あぁ和子のこと?和子はがんで亡くなったよ。いつだったかねぇ」
胸にポッカリと小さな穴が空き、ぼんやりと記憶の中での叔母さんは自分の中で遠くにいっていってしまったようだった。7畳の部屋のフローリングにあぐらをかき、背を丸めてそれからの話を聞いていた。
次の休み、同じ本屋に行ってみるとあの本はもうなかった。店員に聞くと少し前に女性が買っていったらしい。もうないのかと尋ねるもない、それだけだと返事が返ってきた。店を出て歩きながらどうしてあのとき買わなかったのかとあの時の自分を責め立てた。ネットで探してもなくて、Twitterのスクロールをやたらに繰り返した。
日が傾き始めた頃私は電車に揺られていた。諦めきれなかった。イヤホンから流れる音楽で少し気を紛らわせながら流れる車窓を見ながら思い返した。そういえば自転車に乗ってたら田んぼに落ちたこともあったなぁと、泣いてた私を笑い慰めながらお風呂に入れてくれたのも叔母さんだったなぁと。叔母さんの声も容姿も思い出せないけれども、こうやって写真のような思い出と彼女の人となりだけが思い出されていった。次第に高まる期待に足取り軽くホームへと降りた。
隣町の古本屋は小さくて、それほど期待できなかったが、目を皿にしてお店を歩いていると先日見たあの「タンタン」の文字が目に入った。手に取った本は確かに「ぼうけんタンタン」ではあったが、この前見たものとは違うものだった。表紙のイラストが違うし、パラパラとめくってみるとストーリーも初めてのものだった。けれどもその本を手に帰路についた。
今、私はその本を本棚に押し込んだ。いざ買ってみるとあの時の自分が事切れたようになんでこんなにも執着していたのか分からなくなった。古本屋と同じように端っこに追いやられていて申し訳無さそうに並ぶ。もう読むことはないかもしれない。財布は音を鳴らすことなく数枚のレシートを挟んでいる。それでも一つ物事をやり遂げたという達成感でよく眠れそうな気がした。
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