第13話

「高校一年の当時、ルミには一つ上の好きな先輩がいた。学校でも一二を争う人気の子で、その子もルミのことを気になってるって噂が流れてた。同じ軽音部だった私もずっとルミの惚気話に付き合わされて。そりゃ私も年頃の女だから、羨ましいなって思いながら聞いてた。二人は徐々に距離を縮めていって、いつ付き合ってもおかしくない状態だった。である日、その彼から放課後に体育館裏に来て欲しいって連絡が入った。ルミは飛び跳ねて喜んでたわ。あんなに容姿端麗なのに告白されるのは初めてだったみたいでさ。それで緊張するからカナにも見守っていて欲しいって言われて、私は仕方なく同行して、影からその様子を見守ってたの。そこはこの場所みたいに入り組んでいて、人目もほとんどなくて、告白には絶好の場所だった。彼は先に待っていて、やって来たルミに近づいて、いよいよだと思ったその時、突然物陰から二人の男が出てきてルミの体を抑えたの。何が始まったのか分からなかった。当然ルミも同じで困惑しながら彼を一点に見つめてた。そしたらその彼が……、いや、そのクズ男はルミの服を強引に脱がし始めた。あいつは端から、ルミの恋心を逆手に取って襲う計画だったの。それを目の当たりにした私は怖くて、その場から動けなかった。だけどその何十倍、ルミの方が怖いのは当たり前で、そんなルミの事を考えたら怖いなんて言ってられなくて、気づけば一心不乱に大声を出して助けを周りに助けを求めた。それに気づいた男たちは苛立ちながら急いで逃げて行った」

 知られざる壮絶な過去にユウはただ絶句し、忘れていた呼吸を慌てて再開させる。

「ルミが声が出なくなったのはその日から。それが壁になって、次第に私たちとも距離を置くようになって、あいつらに怯えて不登校にもなった。私たちが襲われた事を先生に言えば、あいつらはすぐにでも退学処分になったと思う。でもできなかった。その噂が校内に広まれば、襲われた女としての全校生徒から冷ややかな目で見られて、ルミの居場所がなくなっていくのは必然だったから。だからどの道、ルミに残された選択肢は転校しかなかったの」

 きっとカナも深く苦しんだのだろう。あさましい事実を並べていく度、カナの閉じた瞼がぴくぴくと痙攣する。

「転校前に一通だけメッセージがきた、『あの事は二人だけの秘密にしてほしい』って。もう悔しくて悔しくて。あいつらにも、何もできなかった自分に対しても。それからずっと後悔してた。どうすればルミを助けられただろうって。でもいくら考えても思いつかなくて。だからいっその事、これから自分たちにできることだけを考えようって決めた。そしてそれが音楽を続けていくって事だった。音楽を続けて、音楽を続けられなくなったルミの魂と一緒に前に進んで行こう。それがルミを元気づける一番の方法だって、自分に言い聞かせた。それで、その覚悟を証明するためにこのコンテストに参加した。さっき演奏したのは、私たちがバンドを結成して一番初めに作った曲。あの曲で最終審査まで突破してプロになって、いつかルミの耳に届けたかった。だけど」

 言葉が切れると同時に瞼を開き、目に薄っすらと涙を浮かべながらユウを見つめる。 

「今日、ステージ上でいきいきと演奏するルミを見てさ。びっくりした反面、もう私たちが元気づける必要ないじゃんって思っちゃった」

 遅れて口元が綻び──直後、ユウの背後で足音が鳴り、綻んだ口が半開きになる。

「え……」 

 驚きを隠せない表情を浮かべるカナ。遅れて後ろを振り返るユウ。

 そこには目を潤ませたルミの姿があった。

 ルミは溜まった涙をこぼさないようにゆっくりと一歩ずつ、カナに近づく。

 目の前に立ったルミはスマホに文字を打ち──その画面に映った文字を見た瞬間、カナは膝から崩れ落ちた。

<届いてたよ。全部>

 カナの目から大粒の涙が流れ落ち始める。

 これまで背負ってきた、責任感や不安の類を全て洗い流すように。

<ごめん。急にいなくなって>

 涙で歪んで見える文字を辛うじて認識するも、嗚咽で返事ができない。

<話全部聞いたよ。ごめんね。カナにそんな思いさせちゃってたなんて。あのとき、カナは誰よりも優しかった。でも当時の私は、その優しさを受け止めることすらできなかった。だから、ああして消えることしかできなかった。でも今は違う。カナが許してくれるなら、今からでも遅くなかったら。今ここで受け止めさせて欲しい> 

 依然涙を流しながらもカナは大きく頷く。

 その返事にルミは一滴の涙を頬に流し──カナの体をそっと抱きしめた。


 やがて涙が枯れ、落ち着きを取り戻したカナは、再び出会った時の溌溂さでユウに近づいた。

「結局なにが言いたかったかというと、これからもルミをよろしくねってこと! おーけー?」

「う、うん……」

「よろしい。じゃ、お邪魔のようなので私はこの辺で」

 心の重荷が下りたカナは、清々しい様子でその場を後にする。

 かくして二人きりになった途端、再びシリアスな空気に巻き戻る。

「ルミ、さっきの話……」

『全部本当だよ』

 喜怒哀楽のどれでもない表情で返事をする。

『どう? 汚れた私を知って、嫌いになったでしょ?』

 無理矢理おどけるような表情を作り、文字を浮かばせる。

 その様相に、ユウは瞳に浮かんだ憂いを潰すように力強く瞬きをし、頑とした面持ちで声を上げる。

「なるわけない」

 いつもの弱弱しく頼りない顔相ではない。一人の男としての顔だった。

「もし嫌じゃなかったら、その先のこと話して欲しい。もっと、もっとルミのこと知りたいんだ」

 芯の通った真っすぐな声。

 その声に自分に対する本気の姿勢を見たルミは表情を柔らかいものへ変え、自分の全てを預けるようにして強く頷いた。

『あの日以来、私は人間不信になった。とにかく男の人の声が怖くて、お父さんの声さえ聞くに絶えなかった。飲まず食わずのまま何日も部屋に閉じこもってた時期もあった。ずっとずっと、あいつらの声が耳から離れなくて、眠れなくて……。そしたらいつの間にか声が出なくなった。病院で診てもらっても喉に異常は無し。でも心当たりがあったから、親にバレないようにわざわざ隣町の精神クリニックまで行った。そこでこれまでのこと全部話したら、案の定心因性失声症だって診断された。先生は心配することないって、ゆっくり治していこうって。優しい女の先生だった。いつも手を握って、親身になって私の話を聞いてくれた。この人なら信用できるって、心の内の全てをさらけ出した。抗うつ薬もたくさん飲んだ。効果があるとされてる治療法は片っ端から全部試していった。その成果もあって男の人の声も怖くなって、前と変わらない生活を送れるようになるまで回復した。だけど、深く刻み込まれたこの傷だけは治らなかった』

 浮かんでは消え、浮かんでは消え。乱れなく紡がれる悲惨な過去をユウはゆっくりと嚙みしめる。

『どうせ治らないんだったら、せめて忘れるぐらい熱中できる事に時間を使おうって。それで色んなこと試したけど、結局私にとってのそれは音楽だったの。それで軽音楽部があったこの学校に転入した。そしたら初日に変な二人組が私の前に走り込んできて。一人は私のことじろじろ見るし、もう一人は意味わかんないこと言ってくるし。正直あの時は入る学校間違えたーって思った。だけど、いざ演奏となると三人ともめちゃくちゃかっこよくて。こいつらと一緒にバンドやりたいって、心の底からそう思った。本当はね、プロになるなんてどうでもよかったの。ただ皆と長くいるための口実が欲しかっただけ。ちょっとばかし強引な方法も使ったけど、三人にも納得してもらえて、これでまた音楽に熱中できるって思った。だけど、それもすぐに間違いだってことに気づかされた。どんな楽器よりも通ったあんたの歌声を聞けば聞くほど、あの頃の自分を思い出して、歌いたいって気持ちがどんどん強くなっていった』

 知れば知るほど、心が近づいている感覚がして嬉しかった。しかし、どこか話の雲行きが怪しくなってきたのも同時に察した。

 そしてそれは、見事に的中する。

『前から両親に人工声帯を着けないかって勧められてるの。その度、私はそんなの自分の声じゃないって言って断り続けてた。だけど、さっき間近で歌うあんたを見て、カナを見て、思ったの。自分の声じゃなくてもいいから、私ももう一度あんな風に言葉を外に出したいって。だから』

「駄目だっ‼」

 腹の底から絞り出された声が周囲に轟く。

『     』

 それは、出会ってからの全ての軌跡が刻み込まれた声。

 その声にはもう、『あの時』のような薄弱さなどあるはずもない。

 そしてそれは、赤い文字となってルミの胴体にくっきりと浮かび上がる。 

 それはルミにもはっきりと見え──驚きの心の声を浮かばせようとした、その刹那。

「どうし……」

 二人の息が止まる。

 それは誰の声でもない、ルミの口から出た声。

「え……」

 同時に浮かび上がっていたユウの声が消えていく。

『う、嘘……』

 ルミは慌てて口を開くも、もう声は出ない。

「……」

 はち切れそうになるほどの心臓の鼓動。

 暑さのせいではない汗。

 呼吸器系の異常からではない息の乱れ。

 五感が究極に研ぎ澄まされた中で、ユウの細胞に深く深く刻み込まれた音の欠片がビックバンのように、ゼロから一を創造するように、勢いよく爆ぜる。

「……来てっ!」

『ええっ、ちょっと』

 強引にルミの手を取るユウ。ルミは訳が分からないまま、ただ力の加わる方に体が引っ張られていく。

 そうしてやって来たのは、一番近くのステージの入り口だった。

 そこでは既に次のアーティストの準備が整い、入場待ちの状態であった。

 そこを強引に割って入ると、そのままの勢いでステージ上にあるセンターマイクの前に立つ。

 登場を待つ数万人の観客がどよめき、舞台袖のアーティスト及び関係者も状況を把握できぬまま、啞然とする。

『ちょっと、何してんの⁉』

「分かったんだ、愛がなんのかが!」

 口早にそう言いながら、ステージに用意されていたギターを担ぐ。

『はぁ⁉ 今自分が何してるか分かってんの⁉』

 遅れてやって来た警備員がすぐさまステージに駆け寄ろうとする。が、それを登場を控えていたアーティストのボーカルが引き止める。

「ちょっとだけ、彼らを見させてもらっていいですか」

「いや、しかし……」 

「とんでもねぇもんが見れる予感がするんです。だから少しだけ」

 真剣で一直線な眼差しでそう言われた警備員は渋々食い下がる。

 センターマイクを自分の口の高さまで下ろしたユウはルミの肩をがちりと掴み、センターマイクの後ろに移動させる。

「僕は君の全てを受け止める。だから、君も僕の全てを受け止めて!」

 マイク越しに響く愛に満ちあふれてた声は、ルミの全身を埋め尽くす。

 その体を目の当たりにしたルミは、全てを察したように緩慢に頷き、ユウの瞳を見つめる。

 ギターアンプから流れるイントロ。

 フラッシュバックする、ユウとの思い出の数々。

 愛を語るために作られた歌詞が、ルミの心身を覆い始めた。

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