第11話

 空港に着いた一同は運営側が用意してくれていたバンに乗り込み、会場へと向かう。

 天候は雲一つない晴天で、絶好の夏フェス日和だ。それ故まだ午前八時前だというのに二十五度を超え、冷房が効いた車内でも皆肌から薄っすらと汗が噴き出していた。

 会場に近づくにつれ建物が少なくなっていき、代わってオーシャンビューが広がる。地元ではまず見られないその光景にテンションが上がったエイジは、衝動的に車の窓を開け顔を出す。

「はいさい~沖縄!」

 しかし当然の事ながら、窓の隙間から入って来た熱気が一瞬にして車内に充満し、ルイがエイジの首ネックを引っ張り急いで窓を閉める。

「何やってんだ。遊びに来たんじゃないんだぞ」

「うるせーなぁ。そんなのわかって……」 

 言葉の途中で同乗していたスタッフを含め皆の冷たい視線を浴びたエイジはゆっくりと口を閉じ、肩をすくめながら座席に着いた。

 そんなこんなで会場に着いた一同は学生である証明証を首からぶら下げ、控室に案内された。控室と言っても、用意されていたのは机と椅子が並べられた簡易的なテントだ。

 だが贅沢は言ってられない。日本中から名だたるアーティストが集結する中、無名の高校生バンドに用意されているだけ有難かった。

 オーシャンフェスには六つの特設野外ステージがあり、各ステージ朝の九時から二十一時までひっきりなしにライブが行われる。最大一万人を収容できる広さはどのステージも同じで、観客はオールスタンディングでライブを楽しむ。

 ユウたちの出番は午前二組目の終わり、三組目に登場する有名ロックバンドの前座として用意されていた。

 出番までは約二時間。野外ステージのため、既に始まっているライブの音が四人のいるテントにも漏れ聞こえてくる。

 しかし、先程まであれだけはしゃいでいたエイジですら見向きもせず、各々自分のパートの確認を始めた。

 それは二次審査の時のような緊張から逃れるためのものではなく、これまでの練習の成果を遺憾なく発揮しようという飽くなき向上心の元行われたもので──気が付けば、出番まで残り十分を切っていた。

「じゃ、そろそろ行きましょうか」

 向かいに来たスタッフの案内の元、四人は舞台袖へと移動した。

 そこでは二次審査の時とは桁違いの舞台スタッフと関係者が、パフォーマンスするアーティストをまじまじと見つめている。

 なるべく緊張せずライブに挑もうと思っていた四人であったが、その大人の数の多さに気圧されそうになり──加え、これまで見たことない数の観客と歓声に舞台袖にいるだけで飲み込まれそうになる。

『さすがの私でも緊張するな』

 ユウの隣に立っていたルミが珍しく弱気な声を浮かばせる。  

 人間である限りどれだけ練習を積み重ねていても、慣れない環境下で常にベストパフォーマンスを発揮できるとは限らない。それはユウが二次審査の時に最も身をもって感じた事であり、その解決方法もまた導き出していた。

「とにかく楽しもう。それしかない」

 四人の間に張り詰めた空気をユウの力強い言葉が切り裂く。

「ユウのくせに、かっこつけやがって」

 心が軽くなったエイジは、短く鼻で笑う。

「と言いながら、先程までの足の震えが止まっているが」

「うるせぇ! お前だって手震えてんじゃねか!」

「なにを見てそんなこと言ってるんだ⁉ 嘘をつくのもたいがいに……」

「あの、舞台袖では静かにお願いします」

 スタッフに柔らかく怒られると、ルイは恥ずかしそうに肩をしぼめた。

 そうこうしている内にアーティストの出番が終わり、いよいよ、MILLの出番がきた。

 二次審査の時と同様にチューニングとマイクチェックを行い、再び舞台袖に戻る。

「よし、じゃぁ出番前にあれやるぞ!」

 本番一分前。エイジは全員に呼び掛け集合させる。

「えー、またあれやるの……」

「安心しろ。ちゃんと、気合が入るものに変えてきた」

 三人は不信がりながらも、エイジの言葉を信じ宙に手を重ねる。

 そして最後にエイジが手を重ね、肺一杯に空気を吸い込む。

「いくぞっ! 一、二、三、ダァ──!」

 掛け声と共に上がったのはエイジの手だけで、三人の手は宙に残ったままだった。

「え……、嘘でしょ。」

「芸術の一端を担うミュージシャンがパクリとは……」

『考えられない』

 三人はそそくさとステージに上がっていく。

「じゃぁー、何だったらいいんだよーっ!」

 そう魂の叫びを上げたエイジは、眉をへの字にしながら皆の後を追った。

 一番最初にステージに上がったユウはギターを担ぎ、そこで初めて観客席を見る。

 自分に注がれる数千人の観客の視線。

 それぞれの視線に期待や興奮が入り混じる中、一方でその逆のネガティブな感情が混ざった視線も感じる。

 しかし、こうしてステージに上がった以上、高校生だろうがプロだろうが関係ない。一アーティストだ。

 血が滲む程の濃度の濃い練習をこなし、やれることは全てやってきた。

 ここで全てをさらけ出し、最終審査に進む覚悟もできている。それは自分だけではなく他の三人も同じだ。

 そのユウの心の声に反応するように、準備を終えた三人はユウを一瞥する。

 視線を感じ取ったユウはピックを握り──深く深く息を吸い込みながらギターの弦を弾いた。

 追随するようにルミのサイドギター、エイジのドラム、ルイのベースと、一切の乱れないテンポで音が重なっていく。

 夏の風が頬撫でる。

 その心地よさたるや、ユウはもっと肌感覚でそれを感じようと瞼を閉じる。

 吸い込んだ息をゆっくりと吐きながら歌詞を紡いでいく。

 いつものアップテンポな曲とは違い、バラード調なことが相まって歌詞の一文字一文字に魂が籠る。

 加え、ユウの奥深く穏和な声の相乗効果でメロウさを帯びた楽曲は観客の心を鷲掴みにしていき──次第に観客たちは音楽に乗り、体を自由に動かし始める。

 その頃にはもうユウはステージに立っていることすら忘れ、フェードアウトしていくように三人の演奏も、自分の歌声すらも聞こえなくなっていく。

 その現実から分断された自分だけの世界で感じるのは、体の真ん中に宿る、言葉にできない温かいもの。

 数千人の観客でもなく、はたまたどこで見ているか分からない審査員に向けてでもなく、ユウはただ、その目に見えない曖昧なものに問い掛けるようにして歌い続ける。

 その音楽に全てを注ぐ姿を横目で見たルミは、どこか羨ましさと悲しさが混在した目を眇めながらユウを見つめた。

 バチバチバチバチバチバチ────

 盛大な拍手が送られ、そこで再び我に返る。

 そのときユウの心の全てはただならぬ達成感で占領されていて、それはまた周りのメンバーも同じであった。


 静かな興奮が冷めやらぬ中、舞台袖に戻った四人は存分に喜びを分かち合っていると、そこへ一人の女子が近寄って来た。

「お疲れさん」

 尻上がりな語尾に反応するようにピンク髪のポニーテール。シャツには海外の有名ハードロックバンドのロゴのプリント。首から垂れ下がった証明書を見るに、同じ三次審査で訪れた高校生である事が分かった。

「いやぁ、まさか勝負の一曲にバラード持ってくるとは。君たち中々のやり手だねぇ」

 突然の言葉に動揺する男三人。が、その女子はその様子を気にも留めず、言葉を並べ続ける。 

「ま。それもこれも、全部誰の策略か分かるけどねっ」

 悪戯な笑みを浮かべながらルミに視線を向ける。

 気づけばつい先程までの笑顔をなくしていたルミは、その視線を受け流すようにして明後日の方向を向いた。

 どことなく両者の間に流れる不穏な空気に、普段は鈍感である男三人も因縁らしきものを察する。

「それはそうと、一時間後に演奏あるんだ。もしよかったら見に来てよ!」

 堂々と且つ溌溂とした声の迫力に圧倒されそうになりながら、三人は身を寄せひそひそ話を始める。

「どうする?」「僕はどちらでも構わないが」「でもその時間、見たいアーティストいるんだよなぁ……」

「そういえば、うちのメンバーの女子がドラムとベースの子カッコイイって言ってたなぁ~」

 わざとらしい声が割って入るや、突如二人の声量が段違いに上がる。

「行くしかねぇっしょ‼ 最終審査のライバルになるかもしれねぇしな!」

「まぁ確かに。敵を知るのは大切な事だからな」

「ふ、二人とも……」

「じゃ決まりね! 待ってるから」

 強引に約束を取り付けると、ピンク髪を揺らし意気揚々と去って行った。

 浮かれた表情を浮かべる二人に見切りをつけたユウは、未だ浮かない表情をしたルミに伺いを立てるように話し掛ける。

「ルミはどうする?」

<私はいい。さっきのライブでちょっと夏バテ気味だし。先にホテル戻っとく>

「それは大変だ! だったら俺が部屋までエスコートしないと」

<大丈夫大丈夫、そんなに酷くないから。皆は気にしないで行ってきて>

 そう無理矢理笑顔を作りながら打ち込んだスマホに見せ、関係者出口の方向へ歩いて行った。

 ユウは追いかけようとも思ったが、ルミの背中から漂う感じた事のない悲壮感に足がすくみ、ただその場に立ち尽くした。

「てかお前、いつからルミちゃんのこと名前で呼ぶようになったんだよ」

「確かに。ユウ氏の口から初めて聞いたな」

 珍しく、ルイがエイジに加勢する。

「い、いつからって、最初から名前で呼んでたと思うけど……」

「嘘つけ! 俺の嗅覚は誤魔化せねぇぞ。さてはお前ルミちゃんと」

 キャ──!

 続きを口にしようとした丁度のタイミングで、近くのステージから黄色い声援が盛大に湧き上がる。

「あ、エイジが見たいって言ってたバンドの時間だ! 早く行かなくちゃ!」

 それをいいことに強引に話の腰を折ったユウは、我先にと声援の鳴る方へ歩みを進めた。

 ステージに着いた頃には既に一曲目が始まっており、観客は音楽に従うようにして思うがままに体を動かしていた。

 練習続きであまりライブに来れていなかった三人も、久しぶりにライブの空気感にテンションが上がり──いつしかステージ前方で熱狂的なファンにまみれるように踊っていた。

 活動休止明け一発目のライブだったこともありライブは大盛り上がりで、舞台を去っても尚、ファンたちの熱気は冷める事はない。

 そん中、そうして入れ替わる形で三人の女子が姿を見せ、楽器の調整に取り掛かった。

 先程の彼女は淡々とギターの調整とマイクチェックを進める。

 その一切の緊張がない面持ちに、比喩でも何でもなく、本当に鉄の心臓でも持ち合わせているのではないかとユウは疑った。それほど彼女は落ち着いていた。

 ただ同時に、この興奮が冷めやらぬ中での演奏は難しいだろうとも思った。

 周りを見るに彼女たちの後に控えるバンドを見るため、ほとんどの観客はステージを去らず残っている。それも不完全燃焼感が残った状態。

 その観客たちを演奏で盛り上げるためには相当な力量が求められる事を、既に演奏を終えたユウは肌感覚で理解できた。

 果たして彼女たちにその力があるのだろうか。ユウは自分事のようにひやひやし、三人の登場を待った。

 出囃子が鳴り、再び彼女たちがステージ上に姿を現す。

 拍手はまばら。そしてユウの予想通り、アウェーな空気感が観客から放たれ充満していく。

 だが彼女たちの表情は一切崩れることはなく、むしろその頑とした姿勢は漂う空気を完全に跳ね返していた。

 そしてボーカルの女子がピックを握り、そのまま力強く弦を掻き鳴らした──その刹那。ユウがつい数秒前まで抱えていた疑念や不安は一瞬にして吹き飛ばされた。

 奏でるのはアップテンポのロック。まるで女性が奏でているとは思えないほど力強い演奏力と、女性の声帯を活かした高音と伸びのある歌声で構成され、──それは一瞬にして会場の隅々まで響き渡る。

 同時に観客たちの中でくすぶっていた熱が再燃し──気づけば先程のアーティストと引けを取らない盛り上がりが生まれていた。

 同じ高校生とは思えないバイタリティに圧倒され続けたユウは、ただ茫然と立ち尽くした。 

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