第10話
八月二日。
溶けるような暑さが充満する地上とは無縁の地下の防音室に集まった一同は、練習初日を迎えていた。
まず初めに行われたのは、花火大会の後ユウが一日で書き終えた歌詞を元にした曲作り。
前回同様、ルミの頭の中にあったメロディーと歌詞が組み合わされ順調に曲が作られていく。
次いで各々のパート練習があり、最後に皆で合わせた演奏が行われた。皆前回の経験で要領を得ていた事もあり、時間も短縮できるかと思われた。しかし、皆無意識のうちにより完成度の高い曲を追求する気持ちが強くなっており、高い集中力で自分のパート練習に没頭し続けた事もあって、結局完成したのは前回と同じ十時を回った頃であった。
ただその日に合わせた曲の完成度は、明日ステージ上で演奏しても問題ないほど洗練されていた。
そうして日を重ね、審査まで残り一週間を迎えた頃。
目をつぶってでも演奏できるほど己のパートを自分の物にしたメンバーは、最後の調整に取り掛かっていた。
が、それは以外にもあるメンバのーのせいで難航を極めた。
「ごめん。もっかい最初っからやり直していい?」
申し訳なさそうに演奏を止めたユウは、溜息を吐きながら頭をガシガシと掻く。
「お前、昨日もここミスってなかったか?」
連日の練習で切迫していたせいか、いつもは冗談交じりなエイジの声にも少し苛立ちが帯びていた。
「そう咎めるな。ユウは俺たちと違って二つの事を同時にやっているんだ。習得に時間が掛かるのも当たり前の事だろう」
「だけどよ、もう一週間しかないってのにこのミスはねぇだろ」
「もうではく、まだ、だ。それにこのパート以外は完璧に演奏できている。何も焦る必要はない」
割って入ったルイにエイジは納得いかなさそうにそっぽを向く。
気まずい沈黙と不穏な空気が室内に流れ始める。その空気感に耐え兼ねたルミはスマホに文字を打ち込んだ。
<もう今日はもう終わりにしよう。また明日もあるし>
「……そうだな。俺もちょっと言い過ぎた」
エイジはそうぼそっと口にし、荷物をまとめ部屋を出る。
「気にする事はない。あいつもあいつで一杯一杯なんだ」
肩を落とすユウに言葉を掛け、ルイも部屋を後にする。
ユウも帰り支度をしようとギターを肩から降ろたとき、行く手を阻むようにルミがユウの前に立った。
『これから時間ある?』
「え、これからって……」
戸惑いながらユウは九時を回った時計を一瞥する。
『なんか文句ある?』
「い、いや……」
『じゃ、来て』
一方的に言い放ち強引にユウの手首を掴んだルミは、まるで連行するように部屋を出た。
そしてやってきたのは庭に備え付けられていたプールだった。
着くや否やルミは裸足になり、プールサイドに腰を掛ける。
『なにぼーっとしてんの。早くあんたも来なさいよ』
言われるがままユウも裸足になり、隣に座る。
プールの壁面にはいくつものライトが取り付けられプール全体を幻想的に照らす。傍から見ると広大な中庭に輝くオブジェクトのようであった。
キスの一つや二つあってもおかしくないロマンチックなムードに見向きもせず、ただ黙しながらじっと水面を見つめる二人。
そうして数分が経った頃、ルミが徐に口を開いた。
『この前のこと、まだ考えてるでしょ』
不意ながらも核心をつかれたユウは息を詰まらせ、こくりと頷く。
この前のこと。
それは先日の花火大会の事に他ならなかった。
「死んだよ。十三年前の今日に」
一発目の花火が夜空から消えると同時にユウは朧げな表情で俯き、そのまま追憶するように言葉を紡いだ。
「十三年前。仕事で来られなかった父に代わって、僕と母さんの二人でこの花火大会に来たんだ。初めての花火大会で目に入るもの全てが新鮮だったから、色々はしゃぎ過ぎちゃって。そしたらさっきの三坊さんみたいに下駄の前つぼが切れて、一緒に足もくじいちゃったんだ。結局、歩けなくなって花火までの時間を座って待つことになって。気を使ってくれた母さんが僕を置いて買い出しに行ってくれた。それから一分ぐらいした後、凄まじい爆発音と一緒に夜店街の中心から火煙が上がったんだ。原因は夜店で使われていたガス管の破裂。子供ながらに嫌な予感がしたよ。で、それは見事に的中した」
二発目三発目と花火が次々と打ち上がっていく。だが二人の目にそれが映ることはない。
「それからずっと自分を責めた。僕が足をくじかなかったら、こんな事にはならなかったんじゃないかって。だけどそんなことしても、ただ辛くてしんどいだけで。そもそも、そんな重く大きいもの四歳の自分に受け止められるはずもなくて。そこからはいかに上手く折り合いをつけるかって事をずっと考えてきた」
口を閉ざしたユウの表情は話す前よりも脆く、いつ泣き崩れてもおかしくない状況だった。
この現象の解明のためとはいえ、暗い過去を掘り返してしまったルミは暫し反省した。
「だけど、どうして」
十一発目の花火と共に辛うじて形になった疑問の声がルミに触れる。
『実はさっき、私の言葉が見える子と会ったの。あんた以外に初めてだったから、何か手掛かりが掴めるんじゃないかって、必死になって話を聞いた。そしたらその子、お母さんはもういないって言ってさ。そのとき前にあんたが言ってた言葉と重なったの。愛が何なのかが分からないって』
「愛……」
その言葉に吊り上げられるように、ユウは少しだけ顔を上げる。
『きっと無意識に探してるんだよ。愛が何なのかを』
「……でも、他の女の子の心の声は見えないよ」
『どうしてか分かんない?』
被さるように浮かび上がった言葉に、ユウは夜空を見上げるルミの横顔を凝視する。
髪の大部分が結われ、いつもよりはっきりと露になった端正な横顔。いつしかその横顔に釘付けになっている自分に気づいたユウは、先程の疑問に対する答えが芽生えていることに気づいた。
しかし、その場ではそれを口にすることはなく──ただ夜空に満点と輝いた最後の花火をルミの瞳越しに見つめた。
「うん。考えてたよ、ずっと。で、いつか話さなきゃって思ってた。僕の答を」
振り絞るように出した言葉と一緒に無意識に足が動き、静寂だったプールの水面に波が生まれる。
ルミは少しだけ口角を緩ませながらも、ユウの方を一切見ることなく、波の行方を目で追い続ける。
「僕は多分、増田さんのことが好きなんだ」
『は? 多分?』
余計な一言が付いた言葉が怒りの琴線に触れた途端、鋭い眼光がユウに突き刺さる。
「あっ、いや、その多分って言うのも、理由があって……。確かに増田さんの隣にいると何度も心が苦しくなる時があるし、愛おしく思う時だってある。これはきっと好きって事なんだと思う。だけど僕は知ってるんだ。この感情が間違ってるって事を」
慌てて弁明の言葉を並べるも、ルミは未だ納得できない様子でユウを見つめる。
「前に商店街のCDショップで会った女の子いたでしょ。中学の頃、あの子に一目惚れして意を決して告白したんだ。結果的にフラれてそれなりにショックも受けた。だけどそれよりも、その時に自分の口から出た言葉の薄さの方がショックだったんだ。確かにその子の事が好きなはずなのに、言葉に全く気持ちが籠ってなかった。今の増田さんに抱いてる感情もその時と似ていて、告白してもきっと、観覧車の中で言った時みたいに中身のない言葉になると思う。だから、今の気持ちは多分で、この『多分』を『本当』に変えたい。本当に好きになってから、気持ちを伝えたい。そのためにも、目に見えるものだけで判断しちゃするんじゃなくて、もっと増田さんの内側を知っていきたい。そしてそれが、『愛を探す』って事にも繋がるんじゃないかって思ってる。長くなったけど、これが今の僕の答え」
心の内を全て吐き出すようにして話し終えたユウは、どこかすっきりしたような表情で水面を眺める。
一方、告白を受けたルミは表情一つ変えず浸けていた足をプールか上げ立ち上がると、徐にユウの背後に立つ。そして足裏を背中に押し当て、
「え」
そのまま力強く押し出されたユウの体は、力が加わるままプールに落ちた。
「なんだよいきなり!」
『なんで落とされたか分かる?』
「曖昧な言葉使っちゃったから? ……って、うわっ!」
上がろうとした所を今度は額を足裏で押され、再びプールに落とされる。
『違うっ!』
「じゃぁ何で……」
『いつまで苗字で呼ぶつもり⁉ いい加減名前で呼べっ!』
「分かったよ。次からはちゃんと名前で呼ぶから……って、うぶぶぶっ!」
『分かってない! ちゃんと呼ぶまでプールから出さないからっ!』
腕組みをしたルミは鬼教官ばりの威厳を纏いながらユウを見下ろす。
その様子に今回ばかりは逃れられないと観念したユウは、気持ちを整えるように息を吐き。
「る、る、る……。ルミ……、ちゃん」
たどたどしくも辛うじて形したユウは言い終わるや否やすぐに顔を伏せる。
名前の後に加えられた蛇足部分を気に掛けながらも、初めてユウの口から出た自分の名前に感じたことのない興奮を覚えたルミは、頬の紅潮がバレないように顔を背ける。
『……ま、今日はこれで勘弁してあげる』
プールに浮かぶユウにルミの手が伸びる。
大仕事を終え気を緩ませていたユウは、何も考えずその差し伸べられた手を掴んだ。その刹那。
『ひゃっ』
力加減をする事にすら気が回っていなかったユウはルミの手を思い切り引っ張り──力が加わるまま傾いたルミの体は、いとも簡単にプールの中へ落っこちた。
「あ……」
盛大な水飛沫に襲れ、そこで初めて自分のしてしまった重大さに気づくも手遅れで──水中から浮かび上がったルミは、濡れ落ちた前髪の間から殺意に満ちた眼光を向けた。
「ご、ご、ごめんなさーい!」
抱え込んでいた悩みの種が消えたユウは、翌日からこれまでのミスを取り戻さんとばかりに練習に取り組んでいった。
その並外れた集中力と、これまでとは別人のような熱の入った雰囲気に他の三人も感化され、一日一日の練習はより濃いものになっていった。
そんな日々を練習を積み重ねること一週間。これまでにない程の完成度まで高めきった一同は、練習量に裏打ちされた揺るがぬ自信と勇気を引っさげ沖縄へと向かった。
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