第8話

 一週間後。七月中旬。

 四人は机上にある一通の封筒に視線を落とす。

 楽器置き場であった場所を間借りし作られた部室に冷房などあるわけもなく、学校のゴミ置き場から拾ってきた扇風機が異音を立てながら室内の熱風を混ぜ回していた。

「開けるぞ……」

 そう呟いたエイジは封筒を手に取ると、三人は深く頷きながら生唾を飲む。全員の額から吹き出す汗は暑さのせいだけではない。 

 封筒の口を千切り終えたエイジは四つ折りになった用紙を取り出し、目を瞑りながら開け──「ていっ!」と上ずった声と共に用紙を机に打ちつけた。

「「「「……」」」」

 四人は恐る恐る覗き込む。

 そして用紙の中心辺り、他の文字よりも太く大きく書かれた【二次審査突破】という文言が目に入った瞬間、四人は一瞬にして膨れ上がった喜びを共有するように顔を見合わせ、爆発させるようにして一斉に立ち上がった。

「よっしゃあああー‼」「やった! 本当にやったよ!」

 エイジとユウは喜びを分かち合うように抱き合う中、輪に入ろうとしたルイはすんでのところで冷静さを取り戻し身を引く。

「ま、当然と言えば当然の結果だ」『素直じゃないなぁ。嬉しいくせに』

 ルミは鼻で笑いながらルイの肩に手を置き、見えることはない心の声を浮かばせる。 

 一通り喜びを分かち合った後、再び用紙に視線を落としたエイジは続を読み始めた。

「えー、つきましては三次審査に進んで頂きたく存じます。審査内容は、八月二十日に行われる沖縄オーシャンフェスにてオープニングアクトを行って頂き……って……」

 耳を疑う横文字の連続に、三人は頭上に大きな疑問符を浮かばせる。エイジも読み間違えたかと思い、再度読み返す。が、何度繰り返しても口から出る声と文字は違わない。

 日本三大夏フェスの一つと言われる沖縄オーシャンフェスは、二日間に渡り計百組を超えるアーティストが出演する超大型フェスであった。またその来場者も桁違いで、県外から訪れる来場者のおかげで得られる経済効果はオーシャン特需とまで呼ばれていた。

 三次審査の内容はフェス内に設置された複数あるステージの内の一つで、運営側が指定したお題が盛り込まれたオリジナルの一曲を演奏するというものだった。

「お題は『花火』とします。尚、今回の評価基準は非公開とさせて頂きますのでご了承下さい。それでは当日お会いしましょう。……だって」

 静かに読み終えたエイジは、用紙を取り出した時には気づかなかった妙な封筒の膨らみに気づく。中には当日のホテルと飛行機のチケットが四枚ずつ同封されていた。

 部室に充満していた嬉々とした空気は悄然としたものへと変わっていく。

 演奏日は約一ヶ月半後。その間にオリジナルの一曲をマスターする。それは二ヶ月で二曲を完成させ完璧に披露した四人にとっては十分な期間だと言えた。

 しかし。

「どんな曲を作ればいいのかな……」

 ユウは不安げに言葉を漏らす。

 二次審査での演奏は体育館の舞台上での演奏経験から、あらかたイメージすることができた。だが野外という慣れない舞台に加え、客層からスケールから何もかもが違う三次審査においては何もかもが未知数であった。故に自分たちがどういったパフォーマンスができるのかも分からず、それは曲作りをするに当たって大きな壁となった。

「そりゃやっぱ盛り上がる曲じゃね? せっかくの野外なんだし、こう開放感ある夏の青空の下で踊れるようなさ」

「しかし、初めて聴く曲で盛り上がれる客などないだろう」

「そこが俺等の腕の見せ所ってもんだろ。二次審査でもあれだけ盛り上げられたんだしよ」

 どれも説得力に欠ける意見が交差する中、ルミは徐に首を横に振りながら文字を打ち始める。

<そもそも今回の観客は二次審査の時とは違って目的のアーティストを見に来てる。だから私たちの演奏には興味がない。ましてや、どこの馬の骨かも分からない素人の高校生バンドなら尚更そう>

 三人は打ち出された文字を淡々と目で追う。もしこれをルミが声に出していたなら、更に数十倍の説得力があるんだろうなとユウは思う。

<観客の盛り上がりは評価の対象じゃない。だとすれば考えられる評価基準は一つ。完全アウェーの中でいかに堂々と演奏できるか。それはデビューしたての知名度のないバンドに一番必要とされるもの。それを自分たちの主催のフェスで試したいんだと思う>

 最後の一言で三人はふと気づかされる。このフェスの主催者であるオーシャンレコードは、当コンテストの協賛企業でもあるということに。

<だからここはあえてアップテンポの曲は外して、落ち着いた曲で勝負すべき。そしてどれだけ私たちに肝が据わってるかを見せつける。ってのが私の意見だけど、何か他に意見ある?>

 スマホを掲げたルミは精悍な面構えで三人へ視線を送る。

 度重なる論理的推論を浴びた三人はただ圧倒されるように首を横に振った。

 それを見るやルミは表情を崩しスマホに文字を打ち込んでいく。

<じゃ早速曲作りね。今回も曲のベースは大体頭の中で出来上がってるから、それを形にしていく感じで。もちろん歌詞はまたユウに書いてもらうから>

「う、うん……」

 頼りなさそうに返事するユウをギラリと睨むルミ。

 その様子を見たエイジはすかさず会話に割って入る。 

「そんなに自信ねぇなら、今回は俺に書かしてくれよ」

<だーめ。歌詞は絶対歌う本人が書くの>

「ちぇっ。ぜってぇ俺の方が良い歌詞書けんのによっ」

「ま、そもそもお前にそんな暇があるのか疑問だが」

「あ? 何が言いてぇんだよ?」

 ぽつりと呟いたルイにすかさず詰め寄るエイジ。

「察しの悪い奴だ。一週間後の期末試験。一つでも欠点取ればどうなるか分かるだろう」

 一週間後、期末試験、欠点。耳を塞ぎたくなるような言葉の数々にエイジは顔を歪める。

 ユウたちが通う高校では、一教科でも欠点を取れば夏休みに補習を受けなければならない決まりがあった。そしてその補習日はばっちりと三次審査日と重なっていた。

「……分かってる。ちょっと勉強すれば欠点ぐれぇどうにでもなるって……」

 去年のテストではほとんどの科目が欠点だったエイジは、夏休みのほぼ全てが補習だった。

 だが今年に取る欠点は去年とは訳が違う。

 その事実を初めて知ったルミは咄嗟に顔色を変え距離を詰める。

<とりあえず今日から毎日、放課後私の家に来て>

「……まじ? ということは、もしやもしや夢のマンツーマンレッスン⁉」

<もちろん。バチバチにシゴいてあげる>

「し、しごく……。響きが……、たまらんっ!」

 毎度お馴染みのポジティブ思考を炸裂させ恍惚とした表情を浮かべる。

 だがそれは次の一文で一瞬にして消し去られた。  

<私も何百回と泣かされた。我が家専属の鬼家庭教師がね>

「……へ?」

<安心して。彼女に教われば欠点回避どころか八十点は余裕で取れるから。ま、耐えれればの話だけど>

「……耐えれれば?」

<大丈夫。彼女もプロよ。痣は体にしか残さない>

「えっと、今は何のお話を……」

 話の雲行きが怪しくなってきたのを察したエイジは、助けを求めるように二人の方へ視線を向ける。

「お前にはそれぐらいの環境が必要だろう」「確かに、去年もいくら教えても全然点数上がらなかったし」

「薄情者っ! そういうお前等も結構危ねぇ科目あったじゃねぇかよ!」

<あ、そうなの。じゃいっそのこと三人まとめてお願いしておくわ>

「いや僕は問題ない」「僕も大丈夫」

 即答した二人はよそよそしく自分の荷物をまとめ席を立つ。

「では、僕は家でテスト勉強するからこれで」「僕も。頑張ってねエイジ」

「お前等ちょっと待てっ!」

 叫び声も虚しく二人は逃げるようにして部室を出る。

「……」

 しんと静まり返った部室にどんよりとした空気が流れる。部室でルミと二人きりという願ってもない状況となったものの、エイジの思い描いていた雰囲気とは対極に位置する程かけ離れていた。

「……じゃ、俺も今日はこの辺で」

 やがて耐え切れなくなったエイジはさりげなく席を立つ。

 しかし真隣にいたルミがそれを見逃すはずもなく、ギターで鍛えられた指の筋力を使い首ネックをがしりと掴んだ。

<お迎え呼んであるから>

 画面を突き付け薄っすらと笑みを浮かべるルミ。

 冷たく不気味さも漂うその表情は肝試しで現れる幽霊をも彷彿とさせ、思わずエイジは腹の底から叫びを上げた。

「やだぁぁぁぁぁぁ──!」


「お邪魔しました……」

 日などとっくの昔に落ちた午後十時過ぎ。ようやく初日の地獄のテスト勉強から解放されたエイジは、とぼとぼとした足取りでルミの家を出た。

 ルミはその後ろ姿を家庭教師と共に見送り自室に戻ろうとした。

「ルミ、ちょっといい?」

 そのとき、母親の優しい声が背中に当たりルミは足を止め、手招きされるままリビングへと入って行った。

 そこにはいつも食事を取るダイニングチェアに神妙な面持ちで座る父親の姿があった。

 その張り詰めた空気感で一瞬にしてある事を察すると、促されるでもなく自らダイニングチェアに腰を掛けた。

「ルミ、この前の話覚えてるか?」

 いつもより落ち着いたトーンで発せられた声に合わせるようにそっと頷く。

 ルミは声が出なくなった当初から幾度となく喉の精密検査を受けていた。が、何度行っても声帯に一切の異常は見られず、至って健康な状態を維持していた。次に考えられたのは心理的な原因によって起こる心因性失声だった。それも何度も精神科医のカウンセリングを受けたが、ルミ自身に一切の心当たりがなく、治療しようにも原因が分からないという八方塞がりの状態が続いていた。

 そんな中、最も親身に相談に乗ってくれていた医師から連絡が入った。それは最新型の人工声帯が完成したというもので、それを手術で喉に取り付ければ必ず発声することが出来るようになるという話であった。

 先日、その話を初めて聞いたルミは返事を保留していた。

「躊躇うのも無理はない。前例のない手術を受けるのが怖いのも分かる。父さんだってルミの年齢なら迷っていただろう。だからこそ、父さんたちもルミに安心して手術を受けてもらえるように万全を期すつもりだ」

『そうじゃない』

 気づいてもらえるわけもない心の声を漏らし、伏し目がちに肩を細かく震わせる。

 喉の辺りを切開し人工声帯を取り付けるだけ。手術の難度は高くない。何度も何度も聞かされた言葉が脳にフラッシュバックする。

 だが、ルミが気にしているのはそんなことではなかった。

「先程、アメリカの医師から手術を引き受けてもいいという連絡が入った。声帯手術では右に出る者はいない権威ある医師だ。彼なら必ず手術を成功させてくれる。もちろんお金の事はなんの心配もいらない。父さんたちはただルミの声が聞きたいんだ」

『ルミの声が聞きたいって。機械付けて無理矢理声出して。それってさ』

<それって、本当に私の声なの?>

「……」

 卓上の紙に書かれた震えた文字を見た父親は口を噤み、隣にいた母親も長く瞬きをした。

 降り積もる沈黙に耐えきれなくなったルミはペンを手放し席を立つ。

 三人家族にしては大き過ぎるリビングには、ペンが机を叩く音がよく響いた。

 

 自室に戻ったルミは身を投げ出すようにベッドに寝転んだ。

 無意識に力が入っていたのだろう。未だ右手にはペンを握っていた時の感覚が残っている。

 思いのままに崩れた文字で書き殴った言葉。あの言葉こそが今ルミが思う全てだった。

 そこまでして話せるようになって何の意味があるのだろうか。それは本当に自分が話している事になるのだろうか。

 そしてもう、自分の声で話せる日は来ないのだろうか。

 泉の源泉のように次々と湧き出てくる疑念。それらに飲み込まれそうになったルミは振り払うように仰向けになっていた体を横に向ける。

 視線の先には以前の高校で所属していた軽音部時代の写真があった。

 エクステやヘアチョークで派手な髪色になった女子生徒四人が肩を組んだ一枚。文化祭で演奏した直後に撮ったもので、皆興奮冷めやらぬといった表情だ。

 その右から二番目。金髪に赤色のアクセントが入った髪色でピースサインを決め込む自分と目が合う。

 忘れもしない。自分の歌声が体育館の隅々まで響き渡り、会場と自分が正に一体となる感覚。加え、結成してまだ半年程しか経っていなかったのに、何十年も一緒に活動を共にしてきたかのように息の合った演奏に沸き上がり続ける観客。

 こんな瞬間が一生続けばいいのに。そう思い続けていたあの頃の記憶が次々と湧き出てくると同時に、もう二度とあんな体験は出来ないのかもしれないと思うと急に胸が痛んだ。

 その痛みはぶくぶくと膨らんでいき、やがて耐えきれなくなったルミは縋るようにスマホを手にし、衝動に駆られるように文字を打ち込んだ。

<ねぇ>

 その二文字がユウとのトーク画面に打ち出された瞬間、ふと我に返る。

 なぜユウにラインを送ったのか自分でも分からなかった。

<どうしたの?>

 メッセージを取り消す間もなく、返信が返ってくる。その早さからしてスマホを触っていたのだろう。

 ルミは感傷的になっていた心を入れ替えるように深呼吸し、文字を打ち込んだ。何も悟られないように。

<テスト、一つでも赤点取ったら承知しないから>

<なんだよそれ。わざわざラインで言うこと?>

<そうよ。今日逃げたんだから>

<逃げたって、人聞きの悪いこと言わないでよ>

<だってそうでしょ。事実なんだから>

<くっ……。そこまで言うなら、僕とテストの点数勝負だからね>

<いいわよ。その代わり負けた方は罰ゲームだから>

<もちろん! 目に物見せてやる!>

 鼻息荒く打ち込むユウを勝手に想像したルミは吹き出すように笑い、そのまま仰向けになった。

 気づけば胸の痛みは消え、軽くなった心一杯に夏の空気を吸い込む。

 やがて全身にその空気が行き渡り、心身ともに満たされたルミはそのまま眠りに落ちた。

 母親の手を握る赤子のように、スマホを右手に握ったまま。

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